坪井 直
谷口稜曄
岩佐幹三
「核兵器のない時代へ〜被爆者運動が切り開いたもの」について、長年被爆者運動に携わってこられた栗原淑江さん、核兵器廃絶国際署名推進連絡会のキャンペーンリーダー林田光弘さんと日本被団協の藤森俊希事務局次長が話し合いました。
核兵器の現状と背景
国際世論が決議を推進
林田 核兵器そのものは90年代なかなか減らなかった。国連で核兵器禁止条約交渉開始決議に賛成した国の多くは、まず国際法の中で違法化していくことを先にやろう。核を使うとか脅すとかはすでに国際法でも禁止されていることで、核保有国に、そういう立場を示すことで、核兵器禁止へ前進させようという動きだと思う。
栗原 アメリカがこの決議への反対にあそこまで躍起になったのは、それだけ国際世論に追い込まれていることの裏返しだ。核兵器禁止を訴え続けてきた被爆者や日本と世界の平和運動は、確信をもっていいと思う。
林田 日本はアメリカにびくびくしている感じがする。
オランダは今回、国内の意見を反映させて反対しなかった。そのオランダに対してアメリカが非難しているかというとそうではない。
藤森 この間、核兵器の人道上の影響に関する国際会議を3回、ノルウェー、メキシコ、オーストリアで開いた。核兵器を爆発させないことが人類の利益であり、核兵器を使わないことを保証するには、核兵器を廃絶する以外にあり得ないというのが結論だ。非常に分かり易い論理だ。
その先端を切ったのはノルウェーだが、当時の首相は、いまNATOの事務総長。ノルウェーは今回の国連決議に反対した。核兵器禁止条約の会議を開いても出ないと言っている。
禁止条約決議は市民社会の力を強調している。世界の市民社会が連帯し大きな運動を起こしていくことがカギになっている。
日本は主権国家として
林田 核兵器が使われる状況は、国際法上限りなく違法であることがすでに出ている。核兵器を持っている5カ国プラス数カ国は、圧倒的優位な立場に立って、国際法違反の兵器を例外的に保有することを認められている。他の国々が怒るのは当然だ。
日本は主権国家として圧倒的優位に立つ5カ国の立場はおかしいと主張して欲しい。5カ国から非難されれば、5カ国の方がおかしいという世論が絶対生まれてくる。日本がそっちでリーダーシップを取って欲しい。
栗原 日本は広島、長崎で実際に原爆を投下された国なのだから、被害の実態に即して、国際法違反だと、本来なら言い続けなければならなかった。戦争中1回だけ抗議文を送っているが、戦後は核兵器を禁止する実定法がないから国際法違反とまでは言えないという立場をとっている。原爆を使った国と使われた国が核軍事同盟を結んで今日まで来ている。日本政府が核兵器禁止条約へ向かっていくか、世界中が注目している。それを裏切ってはいけない。
立ち上がった被爆者
原爆は何なのか自ら調査
栗原 被爆者の証言や体験記を読むと、原爆が落とされたとき、ガスタンクに爆弾が落とされたとか、自分の家が焼夷弾でやられたとか、外に出たら街が無くなっていた。はじめは何が起こったのか分からなかった。
この世の地獄を体験し、そこから長い時間をかけて、原爆が何なのかと自ら調査し、証言活動をしながら明らかにし続けてきた。いまなら放射能とか心の傷とか、ある程度のことは分かっているけれど、被爆者が自分の人生を通じて明らかにしてきた歴史があったからこそ、私たちは原爆が何なのかを知り得たのだと思う。
林田 事務局次長の木戸さん、代表委員の岩佐さんと会う機会が多く、木戸さんが被爆者運動をして初めて被爆者になったと言うのが、ずっと気になっていた。
岩佐さんも被爆体験とは、8月6日、9日に限定されたものではなくて、その後の人生を含めて被爆体験なのだという。
講演で8月6日、9日の話をしてくれと言われ、そのあとの話は時間切れで話せないままになることがあるという。それでは71年生きてきた、本当の怖さは伝わらない。2人の話を聞くと、いま栗原さんがおっしゃったことと重なる。
核の絶対悪を世界に告発
栗原 岩佐さんは、目の前でお母さんが焼き殺されるのを助けることができなかった。逆もあって、子どもが焼き殺されて、お母さんが助けることができなかった体験。心の傷は、想像を絶するものがある。そういう中から被爆者は、こんな苦しみは子や孫はもちろん、世界のだれにも味わわせたくないという思いを土台に据えて、運動を作り上げてきた。
原爆は人間として死ぬことも生きることも許さない、つまりモノのように虫けらのように、人間としての尊厳を奪われた状態で殺されていっただけじゃなく、それを助けられなかった自分をあのとき自分は鬼になった、人間でなかったと苦しみ続ける。そういう被害は反人間的だから、絶対悪の兵器だと言い、人間の存在と相いれないと世界に訴えてきた。
その訴えが世界に広がり、今のヨーロッパや世界の人たちが核兵器の人道に反するところに着目して核兵器廃絶を進めている動きの底流にあったのだと思う。被爆者が果たした役割の一番大きなベースだろう。
林田 署名は民意を表面化するツール。憲法と同じく「不断の努力」をしてはじめて活きる。半年で集めた50万の署名は、国連で重みをもって受け止められた。
核兵器のない世界の方が人はより幸せに生きられる。一人一人が個人としてそのことを考え合う場、きっかけにして運動を広げ、政治家や国がその民意をないがしろにできないような状況をつくっていきたいと思う。
わたり病院医師・斎藤紀(前福島生協病院院長)
1 ふたつの壁
重い記録である。本書の副題は「広島・小さな町の戦後史」とある。小さな町とは広島市西部の福島町である。
広島はかつて軍都として栄え、明治期以降の侵略戦争と軍人の衣食住を支えた歴史をもっている。原爆により広島の街は壊滅し敗戦を契機に日本の歴史は大きく回転した。本書の主人公たちもこの共通する大回転の中にいるのは間違いなかったが、かれらを阻んだふたつの壁―部落差別と原爆被害は、戦後民主主義という脚本のなかで自動的に突破されるものではなかった。本書は生きる意味をめぐる濃密な精神の記録でもある。
2 起点
本書は六章で構成される。第一章は明治期の福島町の沿革である。日本近代史に対する日清・日露両戦争の影響は大きいが、福島町にも深く作用した。日清日露の磁力は福島町に軍需にかなう食肉(産業)・皮革(産業)・屠場をつよく引き寄せ、農村部から人々を飲み込み、福島町を日本有数の都市部落として登場させた。その急激な興隆は同時に身分制に抵抗する思想をも鋭く発芽させたのであった。
筆者はその緊張と喧噪の舞台に地元出身でシベリア抑留後に復員する木原清春(1914―1981)と高知出身で広島に移ったキリスト者、益田小(こえん)(1904―1998)を登場させている。本書における、差別に抗する人間の側の起点である。音楽を愛し才豊かな木原は部落解放運動の先頭に立つが、その清澄な心と知性は子ども会活動などを通じ若者の精神に沁み入った。地域からも深く敬愛された彼は、この地域の変革の要となる福島診療所設立(1955)とその後の病院建設にもかかわり、他界する間際まで医療生協理事長を長く務めることになった。
益田小は高知のプロテスタント女子高を卒業し広島に来るが(1924)、乳幼児死亡率の高かった福島町で正規の助産婦となり、寝食を忘れ報酬を度外視し新しい生命のために生涯をささげた。自らも爆心から2キロで被爆するが八カ月の療養のあと復帰し、なくなるまでに1万人近くのいのちを取り上げたという。貧しさをくぐり抜け、ようやくたどり着いた小さないのち、授かったいのちをこの世につなぎ続けたのだ。信仰にやどる鬼気迫る実践であった。
ふたりに共通することがある。それは自らの活動を誇示しなかったことである。木原は決して政治信条を押しつけず、益田も聖書の正しさを押しつけなかった。ふたりを知り、ふたりを追った多くの人々に、内奥から律する精神性と友愛があるとすれば、ふたりの存在を抜きに語ることはできないだろう。(つづく)
機関紙『被団協』は1975年5月に創刊。79年6月(6号)から月刊化。原爆被爆者基本問題懇談会(基本懇)の発足に対応して宣伝活動を強める必要があったからです。
80年11月号から常時4ページ以上建てを断行。81年1月号は原爆被害「受忍」論を打ち出した基本懇答申全文と被団協の全面的批判を8ページ建てで展開、反撃に出ました。
32号では平山郁夫(81・8)「広島生変図」を画伯のご厚意によりカラー見開きで掲載、話題を呼びました。
全国討議でつくりあげた「原爆被害者の基本要求」は84年12月号で発表、被爆者運動の基礎となりました。
『被団協』はこの1月号が456号。500号(ヒロシマ・ナガサキ75年の2020年8月号!)へ前進中。
日本被団協編著の出版物は、85年原爆被害者調査報告『ヒロシマ・ナガサキ―死と生の証言』(新日本出版社94年)、『あの日…―「ヒロシマ・ナガサキ死と生の証言」より』(新日本出版社95年)、『ふたたび被爆者をつくるな―日本被団協50年史』(全2巻・あけび書房09年)が代表的です。
紙芝居・ミニ原爆展パネル『被爆者からの伝言』(解説CD付き=あけび書房06年)は今も活躍中です。
【問】私は特別手当を受給しています。
先月、膝の痛みが強く歩行も不安定になってきたので受診、その時に主治医から「変形性膝関節症」で治療を続けようといわれました。「変形性膝関節症」は健康管理手当の対象になると思うのですが、私のように特別手当を受給していても健康管理手当がもらえるでしょうか。
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【答】これまでは特別手当を受給しているけれども、今回受診したら「変形性膝関節症」との診断を受けられたので健康管理手当ももらえないかとの事ですが、特別手当と健康管理手当は併給されません。