被団協新聞

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「被団協」新聞2016年 10月号(453号)

2016年10月号 主な内容
1面 核兵器廃絶国際デー ヒバクシャ国際署名344人
2面 国際署名成功へ 各地で行動や集会
ノーモア・ヒバクシャ愛知訴訟
非核水夫の海上通信(146)
3面 被爆者運動に学び合う学習懇談会シリーズ5
原爆展10回目の開催 地元被爆者の絵を展示
胎内被爆者のつどい 第3回 長崎で開催
全国被爆二世調査
被爆者運動60年(10)
4面 相談のまど 原爆症認定 「放射線起因性」と「要医療性」
本の紹介

 

核兵器廃絶国際デー ヒバクシャ国際署名344人

署名推進連絡会が行動 東京・渋谷駅前

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 日本被団協結成60周年記念式典と祝賀会が、10月12日東京グランドホテルで開かれました。
 式典は、宮城の合唱団「ふきのとう」による合唱で幕を開けました(2面に写真と感想)。
 司会の横山照子さんが開会の挨拶をし、黙祷につづき、主催者挨拶に立った岩佐幹三代表委員は「被団協の60年は決して平坦ではなかったが、自らを救い人類の危機を救う決意を貫き、核戦争を阻止してきた。原爆被害の実相を語りひろげ、核兵器廃絶と国家補償の実現を目指し、一層頑張ろう」と訴えました。
 スクリーンに国連総会で演説する山口仙二さんが映されました。静寂の会場に「私の顔や手をよく見て下さい。世界の人びと、そしてこれから生まれてくる世代の子どもたちに、私たち被爆者のような核戦争による死と苦しみを、たとえ一人たりとも許してはなりません。ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」の声が響きました。
 日本青年団協議会など12団体と吉永小百合さんはじめ20人に感謝状が贈呈され、67人が功労者の表彰を受けました。日本生活協同組合連合会の和田寿昭専務は、原爆は国際法違反と訴えた国際司法裁判所への運動から、NPT再検討会議に向けた共同行動と募金活動に触れ、山村茂雄さんは、藤居平一初代事務局長ら歴代の事務局長や運動に心血を注いだ先達の思いと人柄を語り、奥城和海さんは被爆者として当然のことをしてきたのに表彰を受けさらに奮闘したいと決意を述べました。
 藤森俊希事務局次長が「世界の人びとへ―日本被団協結成60周年にあたってのメッセージ」(要旨3面)を発表、「日本被団協60年の歩み」がスライド上映されました。
 50余氏がつづった「わたしにとっての被団協―日本被団協結成60年へのメッセージ」が被団協に贈られ、木戸季市事務局次長の挨拶で式典を閉じました。 国連が定めた核兵器廃絶国際デーの9月26日、東京・JR渋谷駅前にヒバクシャ国際署名推進連絡会などの各団体から80人を超す人が集まり、乗降客や待ち合わせの人たちに署名を呼びかけました。午後2時〜3時の1時間で都内や他府県から訪れた人、国外の観光客など344人から賛同署名が寄せられました。
 日本被団協の岩佐幹三代表委員、田中煕巳事務局長など被爆者のほか、内藤雅義日本反核法律家協会理事、長尾ゆり全労連副議長、阿久根武志世界連邦運動協会事務局長ら各団体の代表が署名を呼びかけました。
 署名用のボールペンを持った男性に感謝を伝えると、「感謝しなければならないのはこちらの方だ。核兵器をなくすため頑張ってほしい。一人ひとりの署名が世界を動かすという呼びかけは、その通りだ」とのべるなど署名のたび対話がはずみました。

10月に第1回提出へ

 ヒバクシャ国際署名推進連絡会は9月14日2回目の会合を開き、10月初めの国連総会第1委員会開催に合わせニューヨークに代表を送ることを確認。日本被団協の藤森俊希事務局次長が9月末までに寄せられた署名の目録を持参します。


国際署名成功へ 各地で行動や集会

【兵庫】

 兵庫被団協の岡邊好子理事長ら3役が9月5日、「ヒバクシャ国際署名」への賛同、協力のお願いに回りました。
 兵庫県知事に県庁の担当課を通じて要請書を届けたほか、県議会の各会派、県社会福祉協議会、県生協連、連合兵庫、兵庫労連、兵庫創価学会平和委員会、神戸YMCA、神戸YWCAなど、各種団体を訪ねました。
 「まだ上部組織から何も聞いていないが、この内容なら協力できるのではないか。検討します」「戦争を知らない若い議員のなかに『北朝鮮などに備えるには日本も核武装したら』などと平気で口にする者がいる。戦争体験の継承は難しいが大事なことと思っている。この趣旨には大賛成だ」「以前、この事業所のトップだった人も広島の被爆者で、当時の話をよく聞いた。できるだけの協力をしたい」「4年がかりとは言うが、運動は熱いうちに一気に広げることが大事」など、好意的にうけとめていただきました。

【岩手】

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 「核兵器廃絶国際デー」の9月26日、岩手県被団協と岩手県原水協は盛岡市内で、横断幕と原爆写真パネルを掲げ、チラシを配りながら、「ヒバクシャ国際署名」共同行動を行ないました。
 県被団協の三田健二郎副会長は、杖をつきながら署名版を持ち、署名に応じた人に「私と同じ思いをしてほしくない」と語りかけ、最後まで参加しました。
 下村次弘事務局長は「秋の国連総会では、核兵器禁止条約の交渉開始が議論される。被爆者や国民の声と運動の成果だ。さらに世論を高めよう」と訴えました。
 30分間で27人が署名。58歳男性は「社会が核兵器廃絶に向けて動いている感じがする」と話し、74歳女性は「原爆も原発も恐ろしい。ごくろうさま」と激励しました。
 これまでの取り組みで、盛岡市、釜石市、陸前高田市など首長の9人、八幡平市、岩手町など議長5人が署名に応じています。
 岩手県被団協では、11月上旬に広く県内の諸団体と個人に呼びかけ「連絡会」か「県民の会」を立ち上げる予定です。

【神奈川】

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 神奈川の生協連と被爆者が手を携えて取り組むヒバクシャ国際署名のキックオフ集会が、9月23日、神奈川県トラック総合会館で開かれました。
 県内の被爆者26人と生協関係者99人の参加。
 元外務省官僚で、現広島平和文化センター理事長・平和首長会議事務総長の小溝泰義さんが「核兵器廃絶に向けた私たちの役割〜核のない世界の実現に市民も主役です」と題し基調講演。体験を語り続けてきた被爆者の努力に敬意を表し「違いを乗り越えて対話し、人間家族の一員として運動を。経済的既得権益のためではない新しい安全保障のために真摯に語り合う署名運動を」と、力強く語りました。
 県原爆被災者の会が編集した朗読劇「きのこ雲」を上演後、同会の中村雄子会長が、国際署名の取り組みに寄せる思いを語り、8月に開催した「原爆展」で子どもから寄せられたメッセージを披露し、署名への協力を呼びかけました。(神奈川県原爆被災者の会)

【長崎】

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 「『ヒバクシャ国際署名』をすすめる長崎県民の会」発足の会が9月26日長崎被災協講堂で約100人が参加して開催されました。
 会の共同代表に谷口稜曄氏と朝長万左男氏、事務局長に柿田富美枝が就任し、賛同人(団体)を幅広く募る、被爆の実相の普及、学習会開催などを提案、確認しました。
 谷口共同代表は「国際署名はなにがなんでもやり遂げなければいけない、生きているうちに地球から核兵器のなくなるきざしをつくるよう頑張りたい」とのべました。
 カトリック長崎大司教区の高見三明大司教が「他人事とは思えず参加した、すべての人が声をあげないといけない」と発言しました。
 長崎平和推進協会の横瀬昭幸理事長は「どうか一つの輪になって長崎の署名50万人を達成しようではありませんか」とのべました。
 長崎のうたごえ協議会が園田鉄美さん作詞作曲の新曲「あなたの名前を」を披露。参加者で歌い、心を一つにしました。


ノーモア・ヒバクシャ愛知訴訟

勝訴の2人は確定

 原爆症認定申請を却下された愛知県内の被爆者4人が、国の却下処分取り消しを求めたノーモア・ヒバクシャ愛知訴訟の判決が9月14日、名古屋地裁であり、2人は原爆症と認定、2人は「再発の可能性」が低いなどとして認めませんでした。国家賠償請求はいずれも棄却しました。
 敗訴した2人は、9月28日控訴。勝訴した2人に対し国は同日までに控訴を断念し、勝訴が確定しました。4人とも棄却された国家賠償請求は控訴しませんでした。
 判決が出た14日、敗訴した高井ツタヱさん(80)は「認定されなかったのは残念だが、病気が原爆の放射線によるものと認められたのはよかった。今日が新たなスタート」と語りました。
 原告弁護団の樽井直樹事務局長は「原告全員に放射線起因性を認めた点は評価できるが、要医療性を狭くするのは不当だ。2013年に認定要件が緩和された新基準に対し、今回の判決を含め全国各各地で新基準の対象外とされた被爆者を認定する司法判断が相次いでいる。国は早急に認定制度の抜本的改善を行うべきだ」とのべました。
(「要医療性」については4面「相談のまど」を参照)


被爆者運動に学び合う学習懇談会シリーズ5

 民間戦争被害者の国家補償制度確立を 〜沖縄戦被害者のたたかい〜

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 日本被団協は結成60周年記念事業のひとつとして、12月に「沖縄交流ツアー」を企画しています。その事前学習もかね、9月9日、主婦会館プラザエフ(東京・四ツ谷)でノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会との共催で学習懇談会を開きました。30人が参加しました。
 問題提起は沖縄出身の瑞慶山茂弁護士(写真)。1943年南洋のパラオで生まれ、1歳のとき乗っていた避難船が米軍の空襲のため沈没し、3歳のお姉さんは水死しています。
 10年前、東京大空襲の被害者国家賠償訴訟の弁護団に加わったのを期に出身地である沖縄の戦争被害に改めて向き合いました。当時の県民の4分の1にあたる15万人が戦死した甚大な被害、数万人の被害者が未補償のまま放置されている現状など。その後無料で相談を受けながら、2010年10月「沖縄民間戦争被害者の会」を組織しました。現在「オール沖縄」が協力して、国家賠償訴訟を係争中です。
 民間戦争被害者は、戦争によって基本的人権を侵害され、何の補償も受けずに今日に至っています。戦争被害に対する国の補償を勝ち取ることは人間の尊厳を取り戻すことである、との瑞慶山弁護士の言葉に参加者は深くうなずき、連帯の思いを深くしました。


原爆展10回目の開催 地元被爆者の絵を展示

静岡県被団協西遠支部

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 静岡県被団協西遠支部は8月、今年で10回目の原爆展を開催しました。
 会場は、浜松市役所、なゆた浜北、湖西市アメニティプラザと新居図書館です。それぞれ「原爆と人間」パネルとともに被爆者が描いた絵15枚を展示。入場者は合わせて約4千人でした。
 今回、湖西市出身の被爆者・井村さん(故人)が描いた絵3枚を展示しましたが、井村さんを知っている方にも来場いただき、話ができました。
 会場では訪れた人に鶴を折っていただき、静岡県の慰霊碑と広島に持参しています。会場ごとに平均70枚の感想文が寄せられ、文集にまとめて関係者に配布することにしています。(大和忠雄)


胎内被爆者のつどい 第3回 長崎で開催

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 第3回の胎内被爆者のつどいが8月9日、長崎カトリックセンターで開催されました。参加者は70人で、そのうち胎内被爆者は17人でした。
 日本被団協児玉三智子事務局次長が来賓挨拶、7人がリレートークをしました。カトリック長崎大司教の高見三明氏は、「胎内被爆者として出来ること」として「若い人に平和についての考えを持ってもらう、その心を育てるのが私たちの任務だ」と語りました。長崎被災協副会長で相談員の横山照子氏は「ある胎内被爆者の生涯」として47歳で亡くなった原爆小頭症のMさんの生活と相談について語りました。中野陽子さんは「胎内被爆と城山小学校原爆学級」について語りました。
 高校生1万人署名活動実行委員会の高校生8人も参加し、報告とともに合唱を披露しました。
 8月23日現在、胎内被爆者全国連絡会の会員は13都県55人。来年は8月5日に広島で第4回のつどいを開くことが決まっています。


全国被爆二世調査

 日本被団協は、結成60周年記念事業のひとつとして「全国被爆二世実態調査」を行ないます。結果を国や自治体の施策に反映させるとともに、被爆二世の活動・交流に役立てることを目的としています。
 被爆二世は現在、被爆者である実父母が被爆者健康手帳を受けていれば、国が都道府県に委託している健康診断を受けることができます。しかし国の被爆二世対策はそれ以外になく、医療費助成を行なう地方自治体が一部に存在しますが、大多数の地方自治体は助成対策を行なっていません。日本被団協では、適切な実態把握に基づいた施策の実施を求めています。
 「被爆二世」とは、実父母のいずれか又は両親共に広島・長崎で被爆した人で、広島は1946(昭和21)年6月1日以降に、長崎は同年6月4日以降に生まれた人。
 調査表は各都道府県の被団協を通じて配布・回収します。実施は10月から来年3月まで。調査報告書を来年夏頃までに作成する予定です。


被爆者運動60年(10)現行法改正要求

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2011年12月 上野公園行動

 1994年に現行法「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が制定されました。被爆者の期待を裏切り、原爆被害への国家補償を拒否するものでした。しかし、「援護に関する法律」という名称や、全党一致で可決されたことなどから援護法が実現したという認識が広がり、国家補償をめざす運動の波は急速に退潮しました。
 そうした中で、「原爆症認定集団訴訟」がたたかわれ、大きな成果上げましたが、同時に現行法の限界も明らかになりました。
 2010年代に入り改めて「原爆被害に国の償いを」との声が高まり、日本被団協は2011年の定期総会で現行法改正要求「原爆被害者は国に償いを求めます」を決定しました。「国家補償実現の旗は降ろせない」、と奮闘しましたが、2015年までの実現を果たすことはできませんでした。
 その後、全国空襲連や沖縄戦被害者と、戦争被害と補償について学習する新しい動きが生まれています。
 原爆被害への国家補償の実現は、核兵器廃絶の願いと共に原爆被害者の基本要求です。
 戦争する国づくりがすすめられている今、戦争被害への国家補償は戦争しない国をめざす国民的課題です。


相談のまど 原爆症認定 「放射線起因性」と「要医療性」

【問】9月14日に名古屋地裁でノーモア・ヒバクシャ訴訟の判決がありました。判決が原告4人全員の「放射線起因性」を認めましたが、2人に対しては申請された疾病に「要医療性なし」とされ、敗訴になりました。この「要医療性がない」とはどういうことでしょうか。

*  *  *

【答】現行の「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」は、原爆症の認定について10条で、申請疾病が放射線に起因していて、さらに現在その疾病に対して必要な医療の給付が行なわれていることを条件としています。
 医療の給付というのは法10条2項で@診察 A薬剤などの支給 B手術その他の治療並びに施術 C自宅などでの療養上の管理、看護など D病院、診療所への入院その療養の世話および看護、とされています。
 原告についてみると、白内障に関しては要医療性が認められました。また狭心症と心筋梗塞の原告は、発症以来定期的に通院し、投薬治療を受けているとして、要医療性が認められました。
 一方肺がんと乳がんの原告については、肺がんの手術から14年6カ月、乳がんについては9年4カ月がたっており、再発していないことから、要医療性は認められない、とされました。
 また慢性甲状腺炎の原告は、診断を受けてから原爆症認定申請時までの16年間投薬を受けておらず、この間の検査結果に異常はなく、経過観察だけでは要医療性は認められない、とされました。
 原爆症認定制度は、「放射線起因性」と「要医療性」がセットになっているのです。


本の紹介

 『原爆詩集』峠三吉・作

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よく知られる「ちちをかえせ ははをかえせ」を序として100ページ余にわたって連なるさまざまなスタイルの詩作は、解説を寄せたアーサー・ビナードも言うとおり、原爆投下から71年を経たいま読み返しても、「驚くべき傑作」というほかありません。ぜひ再読をおすすめします。(岩波書店480円+税)











『ヒロシマの少年 じろうちゃん』
やまだみどり・作

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 被爆二世の山田みどりさんが、日頃から仲間らのコカリナ演奏と合わせて取り組んでいる被爆証言の内容を、やさしい絵本にまとめました。広島原爆で多くの友を失い地獄を見た少年は、その後60年以上にわたり心を閉ざしたまま生きてきました。そして80歳を過ぎた少年は、いま……。(リブロス・1000円+税)