日本被団協は第61回定期総会を6月15、16日、東京・御茶ノ水のホテルジュラクで開きました。全国35都道府県から約100人が出席。結成60年の運動の成果をもとに、今後の方針を議論し、活動報告、運動方針、予算、役員人事、総会決議を採択・承認しました。
オバマ米大統領の広島訪問をめぐって
5月27日のオバマ米大統領の広島訪問について総会決議は、現役の米大統領として初めての広島訪問に敬意を表する一方、演説は被爆地広島に相応しいかと問いかけました(要旨別項)。議論を経て核なき世界へ具体的な行動をとるよう強く求める内容を含む決議を採択しました。
60年の運動の成果の上に新たな展望を開こう
田中事務局長は基調報告で「さらなる運動の発展をめざし、人類史的課題に応える国際署名を成功させよう。被爆者運動を推進してきた多くの被爆者の高い志を受け継ごう」と訴えました。
運動方針は次の3つの柱を提起、活発に議論しました。
ヒバクシャ国際署名を成功させよう
「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」は、賛同する個人と団体が力をあわせ進める国際的運動です。
国連加盟の半数を超す国が核兵器を禁止し廃絶する条約を求める一方、米国など核兵器国とその同盟国である日本などが核兵器廃絶条約は時期尚早と反対しています。国際署名はヒバクシャの呼びかけとして国内外で歓迎されています。広島、長崎をはじめ全国各地で署名運動が始まっていることが報告されました。核兵器のない世界をめざし、運動の成功に力を尽くすことを確認しました。
日本被団協活動維持募金に協力を!
被団協の財政が危機を迎えています。このままでは、方針を実現する活動が難しくなってきます。私たち被爆者は「自らを救うとともに人類の危機を救おう」と立ち上がりました。力を尽くし前進させてきましたが道はまだ半ばです。やめるわけにはいきません。高齢、病弱化した私たちの現状を考えると容易ではありませんが、努力を誓い合いました。
新たに取り組む活動維持募金は、5年間継続して募集します(概要は2面)。
結成60年記念事業
結成60年を記念する次の8つの事業が提案され、了承しました。
@世界への「アピール」A沖縄戦被害者との連帯と交流ツアーB核保有国大使館への要請C祝賀会(長崎)・記念式典(東京)D記念出版E映像の制作と普及F被爆二世全国調査G記念事業募金
証言・継承・相談活動を進め、ノーモア・ヒバクシャ訴訟に勝利し、憲法を守り活かそう
総会ではまた、ノーモア・ヒバクシャ訴訟の勝利、全国の被爆者運動に関する資料の整理と収集、相談所相談員の補充、憲法を守り活かすことなどを確認し、次期役員を選出しました(名簿2面)。
総会決議(要旨)
世界の多数世論とともに核兵器の廃絶へ
5月27日、オバマ米大統領が広島を訪れました。演説は、被爆地広島にふさわしい内容だったでしょうか。アメリカが原爆を投下して生じた筆舌に尽くしがたい惨事について、「空から死が降ってきて世界が一変しました」と、自然現象のようなことばで、アメリカの責任を回避する表現でした。一貫して、主語を「私たち」とし、米大統領としての責任は語りませんでした。プラハ演説で「核兵器を使用したただ一つの核保有国として、行動する道義的な責任を持っている」とのべた片鱗も見られず、具体的課題の提起もありませんでした。アメリカの投下に対する謝罪の証としても、核兵器廃絶への責任と行動を一層深く求めなければならないと確認しました。
日本被団協結成60年の活動の成果を踏まえ、基本要求の実現へさらなる運動の取り組みを議論しました。国際政治は、核兵器の非人道性に焦点をあて核兵器を禁止し廃絶する条約の締結に向け大きく前進しています。核保有国と同盟国は、核抑止政策に固執しています。日本を含めこれらの政策を決定する国の世論が今ほど重要な時はありません。世論と運動を強く大きくしましょう。
「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」は、時宜を得た重要な運動と確認し、世界的規模の運動に発展させる決意を固めました。核兵器の非人道性を事実で示す被爆者の証言は一層重要になっています。
日本が引き起こした戦争を深く反省し、日本国憲法は、第9条で、戦争放棄・戦力不保持・交戦権の否認を定めました。憲法に反し世界の各地に出かけて戦争する態勢づくりが進んでいます。憲法9条を生きた憲法にすることを確認しました。
高齢、病弱化する各県被団協及び日本被団協の組織と財政の強化が急がれます。抜本的な募金活動に全力で取り組むこと、志を高く掲げ前進することを確認しました。
日本被団協は6月17日全国の被爆者、被爆二世ほか約80人が参加し中央行動を行ないました。内閣府、厚労省、外務省、経産省と各政党に対し、核兵器廃絶の先頭に立つこと、原爆被害への国の償い実現、原発廃止などを要請。地元議員への要請にも取り組みました。
[内閣府]大臣官房総務課冨永康男専門官ほかが対応。総理大臣に、日本被団協代表と直接会って話し合うこと、原爆投下国である米国と被爆国日本が協力して核兵器廃絶を進めるよう訴えました。冨永専門官は総理への伝達を約束しました。
![]() 経産省 |
![]() 厚労省 |
![]() 内閣府 |
![]() 外務省 |
![]() 民進党 |
![]() 公明党 |
![]() 社会民主党 |
![]() 日本共産党 |
[厚労省]伊澤知法被爆者援護対策室長ほかが対応。原爆症認定や被爆二世健診などについて、具体的な例をあげて要請しました。昨年行なわれなかった大臣との定期協議の実行を求めましたが、「制度の改善を前提とした形での開催は容易でない」と回答しました。
[外務省]中村吉利軍縮不拡散科学部審議官ほかが対応。要請項目については、今の国際情勢からみて難しいと述べましたが、省内での原爆展開催を提案すると、「それは良いこと」と前向きな回答がありました。
[経産省]資源エネルギー庁電力ガス事業部の京藤雄太係長ほかが対応。エネルギーのバランスが必要として原発を引き続き稼働させる立場を強調しました。
[政党]公明党、民進党、共産党、社民党の各党が要請に応じ、懇談しました。
大分からお礼の手紙
大分の被災会員(左)と永島会長(右)
4月に呼びかけた熊本地震災害救援募金は、6月27日現在、総額245万円余となり、220万円を熊本に、20万円を大分に送金しました(東友会は200万円と20万円をそれぞれ別途送金)。
大分県被団協からのお礼状をご紹介します。
* * *
義援金をいただいて、大変感謝しております。
大分では幸いにも、家の全壊、半壊といった被害はありませんでした。
湯布院地区と別府の一部に、斜面の石垣が崩れた、ブロック塀が倒壊した、外壁のタイルにひびが入った、屋根瓦が落ちた、といった家がありました。各戸に見舞金として配らせていただきました(写真)。被害者一同大変感謝しています。ありがとうございました。
(会長・永島三歳)
日本被団協は第61回定期総会で、新たな募金に取り組むことを決めました。「日本被団協活動維持募金」と「結成60周年記念事業募金」です。
「日本被団協活動維持募金」は、存廃の危機に瀕している被団協財政の緊急課題として、5年間継続して募集します。右の申込書を各都道府県被爆者の会または日本被団協までお送りください。必要な書類を改めて郵送します。
また結成60周年記念事業を成功させるための特別募金を実施します。従来の被爆者運動強化募金(募金額の3割を所属する都道府県被爆者の会に還元)は継続して実施します。この2種類については、同封の振込用紙をご利用ください。
被団協運動を支えるため、より一層の募金の協力をお願いいたします。
総会後に沖縄戦被害学習会
日本被団協は6月16日の総会終了後、ホテルジュラク白鳥の間で「沖縄戦被害」についての学習会を開きました。
昨年来の、全国空襲被害者ら他の戦争被害者との共同の積み重ねの上に、結成60年記念事業として企画する「沖縄交流ツアー」(12月)に向けた事前学習の一回目。30人余りが参加して熱心に学び合いました。
まず、昨夏放映されたETV特集「書きかえられた沖縄戦」を視聴。地上戦に巻きこまれた住民被害を軍人軍属遺家族等援護法で「救済」してきた沖縄では、法の適用を受けるには事実と異なる「戦争協力者」として申請せざるを得ませんでした。そのため事実の証言が封じ込まれるなど、民間人を排除した国の援護制度の矛盾、むごさが浮き彫りになりました。
高齢化が進む沖縄の被爆者の現状について県被爆協事務局の大山さんが報告。沖縄戦の被害者らとの交流会では、それぞれの被害とともに国の責任と補償を求めてきた闘いについても交流しようと話しあいました。
2016年度 日本被団協役員
〈代表委員〉坪井直 谷口稜曄 岩佐幹三
〈事務局長〉田中熙巳
〈事務局次長〉木戸季市 児玉三智子 藤森俊希 大下克典 濱住治郎 和田征子
〈代表理事〉眞田保 木村緋紗子 東勝廣 金本弘 鹿島孝治 原美男(新) 松浦秀人 長曾我部久(新) 横山照子(新) 大岩孝平 武久熈
〈会計監査〉石飛公也 木村邦子
〈顧問〉肥田舜太郎
(事務局次長に埼玉から一人、代表理事に広島から一人、次の代表理事会までに選出する)
長崎平和公園で署名行動(5月27日)
長崎では被爆者5団体で4月に会合をもち、一致して「核兵器廃絶国際署名」を取り組むことを決め、生協連、原水禁、原水協、被災協で事務局を構成し署名推進にあたっています。その会議の中で長崎のスタート集会を米大統領が被爆地広島を訪れる日とし、オバマ氏にも世界にも被爆地長崎の思いをアピールしよう、と決めました。
5月27日10時半、署名スタート集会を平和公園祈念像前で開催。署名の訴え文を読み上げ、署名への賛同を呼びかけました。長崎市長の田上富久氏からの「被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名を通して核兵器廃絶への機運を高める」とのメッセージも披露しました。
参加の各団体代表者によるリレートークの後、署名行動を開始。30分間で234筆の署名が寄せられました。そのうち120筆がオーストラリアや米国、英国、中国など13カ国の海外の人からでした。
集会参加は70人。被災協の被爆者13人と二世8人も元気に署名を訴えました。「国際署名」の意気高いスタート集会になりました。(柿田富美枝)
北米原爆被害者の会 私たちの気持ちを国連に
森中照子さん(カリフォルニア州カルバー市)からのお手紙(抜粋)です。
* * *
アメリカから届いた署名
私は北米原爆被害者の会で会計並びに事務のお手伝いをしております。
広島の原爆で最愛の姉を二人亡くしましたし、私自身も入市被爆者で、核兵器廃絶はずっと心から求めていました。
5月27日、オバマ大統領が広島で慰霊塔に花輪を供花されるのをテレビ放送で見て、私は亡くなった姉たちに問いかけました。「これで原爆を落としたアメリカを許してあげられる?」…姉二人とも、アメリカ生まれの日系二世です。広島では、戦争が終わったらアメリカに帰ると、いつも言っておりました。
オバマ大統領が、大統領の任務が終わってもずっと核兵器廃絶に協力されるのであれば、被爆者も一緒になって悪魔の兵器をこの世から除かねばなりません。それでないと、何のためのノーベル平和賞ですか? もう一日の猶予はありません。
会員のみなさんに、署名して返送してもらうよう手紙をつけ、署名用紙を75通出しました。お一人で70人の署名を送ってくださった人もあり、半数の人から署名が返ってきて、350人以上の署名が集まりました。一人ひとりの核廃絶への気持ちの集まりです。
どうか、私たちの気持ちを国連に持って行ってください。心から応援しております。
国家補償論の発展
ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会が連続開催している《被爆者運動に学び合う学習懇談会》の第4回が、6月4日、「「要求骨子」から「基本要求」へ〜国家補償論の発展をふり返る〜」をテーマにプラザエフの5階会議室で開かれました。
問題提起は栗原淑江さん。被団協結成直前からの被爆者の要求の変遷をたどり、国の被爆者施策と切り結ぶなかで要求が絞り込まれ、「国家補償」の意味や根拠がより深化・発展をとげてきたことが示されました。
運動の概略を紹介するだけでもかなりの時間を要し、十分な討議の時間を確保できなかったため、論点をさらに深め議論する場を、第4回―Aとして7月23日に設けることになりました。
西ドイツ遊説(1983.10.20)
日本被団協の国際活動は、結成と同時に始まりました。
結成宣言「世界への挨拶」は、タイトルが示すように「世界」の人びとへの呼びかけです。全人類的な視野にたった核兵器廃絶の訴えでした。自らの痛苦の「体験をとおして人類の危機を救おう」という決意と「核兵器のない世界」への悲願が込められています。
日本被団協は、都道府県の被爆者組織で構成する団体ですが、その目標は、「世界のどこにも二度と被爆者をつくるな」「核兵器のない世界をつくろう」という世界的性格をもち、運動は本質的に国際的で被団協運動の核心をなしています。
結成から60年、日本被団協は世界各地へ被爆者代表を送り、核兵器の使用がもたらす残酷きわまる人間被害の実相を語り広げること、被爆者の証言を外国語に翻訳し被害の映像とともに広く世界に頒布すること、に力をつくしてきました。
結成当初の日本被団協は、組織も弱体で人力も財力も乏しく、海外への代表派遣はさまざまな平和運動・市民運動に支えられてこそ可能でした。60年代半ばに起きた原水禁運動の混乱に、海外への派遣は一時中断したものの結成以来海外への派遣者は、35カ国641人にのばります。
増田善信さん(「黒い雨」の研究者)
1985年の「黒い雨」の再調査以来、日本被団協と一緒に、核兵器廃絶と被爆者援護連帯運動を車の両輪として闘い、私自身も証人として参加した原爆症認定裁判では24連勝をかちとりました。しかし、政府は残留放射能の影響を絶対に認めようとしません。それはアメリカの核戦力の障害になるからです。
戦争法に反対し、立憲主義を取り戻す運動と結んで、核兵器廃絶、被爆者運動をさらに旺盛に進め、ヒロシマ・ナガサキの「黒い雨」地域拡大を実現するために、引き続き頑張ります。
福山啓子さん(青年劇場・劇作家)
日本被団協結成60年、長い長い歩みに心から敬意を表します。
被爆70年の昨年、初めて8月6日の広島の街を歩きました。福屋百貨店を見上げて、1950年の8月6日、この屋上から峠三吉らが「断固として戦争挑発者どもと平和擁護のため闘え」と書いたビラを撒き、その現場に私の父もいたことを思いました。
学徒動員で招集され、戦後はずっと反核平和の運動の中で被爆者に寄り添ってきた父の歩みを、私もまた引き継いでいきたいと思っています。
今後とも出来る限りご協力させていただきたいと思います。
直野章子さん(九州大学大学院准教授)
ふたたび被爆者を作らないことを自らの使命とし、その使命を果たすことこそが「次代に残すことのできるたった一つの遺産」である。「原爆被害者の基本要求」にあるこの信念こそが被爆者運動の核心といえるでしょう。原爆被害を受けたからといって反原爆を訴える必然性はありません。むしろ、投下国への報復や核武装を唱えてもおかしくないはずです。
しかし、生き残りたちは原爆被害を明らかにしながら、被害に対する責任を追及し、償いを求め、核兵器廃絶を訴えてきました。それは、その信念を共有する多くの同伴者なくしてはできないことでした。社会的に孤立していたならば、生き残りが「ノーモア」を志す「被爆者=原爆被害者」として主体化されることはなかったからです。
同時に、記憶の重荷に堪え、病気や健康不安を抱え、偏見にさらされながらも原爆と対峙し続ける生き残りの姿に、多くの人が動かされてきたのも事実です。「当事者と支援者」という関係を越えて、運動に携わる人がみな「当事者」になっていったからこそ、60年もの長きにわたり運動が続いてきたのではないでしょうか。
被爆者も同伴者も年老いていくなか、「戦後日本」という特定の歴史的条件の下で形成された運動が、これからも続いていく可能性は高くないかもしれません。
しかし、核時代の当事者になることで、世界の誰もが被爆者運動を引き継ぐ主体となることはできるのです。
【問】私は1歳5か月の時、長崎の爆心地から3キロで被爆しました。
平成20年4月から胃がんによる医療特別手当を受給していました。しかし、今回の更新で医療特別手当不支給の通知が届きました。
今回の処分について不服申立てはできますか。また前例はありますか。
* * *
【答】医療特別手当の更新却下処分に対する不服申立てはできます。納得できなければ不服申立てをしてください。前例もあります。
医療特別手当は、原爆症の認定を受けて、その病気が治療を必要とする期間に受給できることになっています。「要医療性」と言われ、胃がんの手術後の管理、転移・再発がないかなどの経過観察中であるということなどが条件になります。
今回、医療特別手当の更新が認められなかったのは、あなたの胃がんは「治癒」しており、医療の必要がないとの判断の結果だと思います。医療特別手当健康状況届に、「定期的に受診を行っていない」と記載されていたと思います。胃がんの場合、手術後5年たって再発・転移がないと「治癒」となります。
不服申立てにあたっては、まだ完治していなくて、経過観察を含めて胃がんの治療が必要だということを改めて主張することになります。
この点を踏まえて、不服申立てをご検討ください。申立てができる期間は、処分を知った日の翌日から3か月以内となっています。
まどから
今年の4月から行政不服審査法の不服申立ての期間が、60日から3カ月に改正されました。また、今までの「意義申立て」は廃止され、行政不服審査法による「審査請求」によって行なわれます。
日本被団協原爆被爆者中央相談所では、毎週木曜日に伊藤直子相談員が相談を受けていますが、7月からはそれに加えて火曜日に、原玲子相談員が相談を受けることになりました。
原玲子さんは、大学卒業後1967年より定年退職するまで代々木病院(東京)の医療ソーシャルワーカーとして勤務。被爆者援護制度が極めて不十分ななかで、担当医師と手探り状態で、多くの被爆者の健康診断をはじめ、被爆者医療や被爆者の相談に、長年取り組んできました。
また、介護支援専門委員(ケアマネジャー)として、介護事業にも関わってきました。