被団協新聞

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「被団協」新聞2015年 10月号(441号)

2015年10月号 主な内容
1面 安倍政権の安全保障関連法(戦争案)強行可決に抗議し、同法の撤回を求める
海外在住被爆者に医療費全額支給
2面 被爆70年夏の各地の取り組み
尊い被爆者の活動に感謝 安斎育郎さんから「手紙」
記憶を語り継ぐ大切さ 野口聡一さんからメッセージ
「最後の一呼吸まで諦めない」―― 坪井さんが証言
3面 「心動かされました」アメリカン大学で原爆展
資料の収集整理と継承活動すすむ ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会
被爆70年アンケート 第2次〆切は11月末
東京の被爆二世実態調査結果を発表/東友会
ノーモア・ヒバクシャ熊本訴訟控訴審12月7日結審へ
非核水夫の海上通信134
4面 相談のまど 介護保険のサービスを利用しても介護手当は支給されますか?
今年度講習会の予定
本の紹介

 

安倍政権の安全保障関連法(戦争案)強行可決に抗議し、同法の撤回を求める

日本被団協が声明
 日本被団協は、安全保障関連法(戦争法)を強行可決したことに対し、9月19日、次の「声明」を発表しました。

 安倍政権与党は、衆院に続いて、参院でも9月17日の特別委、19日の本会議で、多数の国民の反対の声に背いて戦争法案を強行可決しました。70年前の8月6日、9日、米軍の投じた2発の原爆によって無数の市民が生き地獄に突き落とされ命を奪われ、筆舌に尽くせない体験をした被爆者は、「ふたたび被爆者をつくるな」「核兵器も戦争もない世界を」と訴え続けてきました。唯一の戦争被爆国である日本が、自らが起こした侵略戦争を反省し確立した「戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認」の憲法9条をかなぐり捨てる戦争法をなにゆえに強行可決するのですか。国民多数の意思に反する安倍首相をはじめとする政権与党に強く抗議し、同法をただちに撤回するよう求めます。

 安倍首相の戦後70年談話は、各界から様々な側面から、これまでの首相談話をないがしろにするものとして批判を浴びています。戦争法の強行可決にあたって、被爆者として見過ごすことができないのは、70年談話が、「唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります」として、核兵器廃絶を先延ばしにすることです。唯一の戦争被爆国がやるべきことは、核兵器の廃絶であり、けっして「究極の廃絶」として永遠の彼方にやり過ごすことではありません。
 なぜ、即時廃絶を表明しないのですか。70年談話で安倍首相は、「我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります」と述べています。それは空文なのですか。戦争法によって海外に出かけ米軍の兵站を受け持つのは、力の行使以外のなにものでもありません。「平和的・外交的に解決する」誓いに真っ向から反するのではありませんか。核兵器の「究極の廃絶」も、核兵器保有を永遠の彼方まで容認する力の威嚇以外のなにものでもありません。

 国民多数の支持が得られないと見るや、議席の多数で強行可決するやり方は、国民主権・民主主義の基本を破壊するものです。安倍内閣および政権与党の暴挙に強く抗議し、戦争法の即時撤回を求めます。

* * *

田中事務局長が訴え
 戦争法は、どの世論調査でも国会審議が進むにつれて反対が増え続け、賛成を大幅に上回りました。国会前には連日市民が集まり、戦争法反対を訴えました。
 参院での審議が緊迫した9月10日、日本被団協と被爆70年のつどい実行委員会有志が国会正門前集会に参加。日本被団協の田中煕巳事務局長はマイクを握り、「戦争は絶対にしてはいけない。再び私たちと同じ苦しみを味わわせてはけない。たたかいを支えてきたのは憲法9条だ、9条の解釈をいいかげんに変えて集団的自衛権を容認する安倍政権は断固として許すわけにいかない」と、戦争法廃案を訴えました。

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国会正門前で訴える田中事務局長(右)と被爆者たち(左)


海外在住被爆者に医療費全額支給

最高裁が初判断

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 海外に住む被爆者の医療費について、現行の原爆被爆者に対する法律が定める医療費の全額支給が適用されるかどうかを争った訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は、9月8日、「全額支給すべきだ」との初判断を示しました。厚生労働省は、判決を受けて、約4280人の在外被爆者全員を全額支給の対象にする方針を決めました。
 原告の在韓被爆者3人は、現行法18条に基づき一般疾病医療費の支給を申請しましたが、大阪府は日本国内に居住地を有しないことを理由に却下しました。大阪地裁は13年に却下処分取り消し、大阪高裁も14年に支持したため大阪府が最高裁に上告していました。
 判決は、現行法について「日本国内に居住地、現在地を有するか否かで区別することなく援護の対象としている」としています。
 判決後に記者会見した永嶋靖久弁護団長は、「国外に居住する被爆者の平等を求める裁判は、1972年の手帳交付裁判に始まり40年以上に及んでいる。差別と無援護に苦しめられ、その大半は何の援護もうけられずに亡くなった。本件被爆者3人のうち2人も医療費を受けられずに亡くなった。厚労省はこの事実を深く反省し、医療費の支給を簡便迅速に行なうための体制を早急に備えなければならない」と厳しく指摘しました。


被爆70年夏の各地の取り組み

高校生が出演/大分

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 大分県被団協は8月12日、大分市の平和市民公園能楽堂で「ノーモア・ヒバクシャ大分の集い」を開催しました。第1部の原爆犠牲者追悼慰霊式に続き、第2部では、朗読構成劇「今、ふたたび被爆者をつくらないために」を、県立大分鶴崎高校舞台映像研究部とコーラス部によって上演。広島市立基町高校の高校生が描いた「原爆の絵」の映像も借り受けて映し出し、感動を呼びました。
 出演した舞台映像研究部部長、日下ひなのさんの感想です。

* * *

 終戦70年という年に朗読構成劇を上演させていただき、とても光栄に思いました。戦争の恐ろしさと平和の尊さを実感し、被爆者の方たちの思いを伝えるという経験をすることができ、今までの日常生活では考えたことのなかったことを感じることができました。
 この劇を演じることになり、大分県被団協会長の永島三歳さんからは実際に証言を聞き、戦争・原爆に関する資料を見せていただきました。戦争について自分と関係ないこととは思わず、自分たちの国がどう関わっていくべきなのかを真剣に考えることが大切だと思いました。今後の日本や世界の進む道を決めるのは若い世代である私達なので、過去のことを現在・未来に繋げて考えることが大事だと感じました。
 中でも、広島市立基町高等学校の皆さんの真摯な取り組みには頭が下がる思いでした。私達が感じたことを、この劇を見てくださった方に少しでもお伝えすることができたとしたら光栄です。
 上演は終わりましたが、これからも平和を守り伝えていく行動をしていきたいと思います。

5千人来場/愛知

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 愛知県原水爆被災者の会(愛友会)は、8月15〜16日の2日間、金山駅コンコース・イベント広場にて「原爆と人間」パネル展を開催しました。
 被爆者の描いた絵画やNPT再検討会議にも届けたブロックの原爆ドームなども展示しました。1枚1枚じっくり見る方、ブロックに書かれた平和のメッセージを見る方、子どもと話しながら見るお母さんや働き盛りの男性など、2日間で5000人を超える方々に見ていただきました。
 感想ノートには「つらいけれど、目をそむけずに、心に焼きつけていかなければならない」などの声が寄せられ、折鶴もたくさん折られました。
 ビデオコーナーでは、「聞き撮りプロジェクト」作成のビデオが流され、被爆者も交代で参加しました。

二世が活躍/山梨
 7月31日〜8月2日、甲府YWCA主催の原爆絵画展「ピース・フェスタ2015 被爆70年-平和を紡ぐ-」が山梨県立図書館で開催されました。最終日の「被爆者の証言を聞く会」では、被爆二世で山梨県原水爆被爆者の会理事の内藤幹夫さんが「平和に向けて私たちにできること」をテーマに講演しました。
 内藤さんは、亡き父藤三さんの被爆証言の手記を紹介しながら、核兵器のない平和に向ける気持ちを訴えました。会場を埋めた50人を超える人々と平和への願いを強く共有できたと好評でした。
今後も機会あるごとに被爆二世の活躍を期待しています。

多彩な催し/千葉

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 千葉県原爆被爆者友愛会は、7月26日、千葉市亥鼻公園の千葉県原爆犠牲者慰霊碑前で、被爆70年平和祈念原爆死没者慰霊式典を開催しました。遺族、被爆者、来賓、支援者約170人が参加して、566柱の合祀者を追悼しました。
 8月3〜7日には千葉県庁で原爆展と被爆証言、朗読劇(写真)、DVD上映を行ないました。原爆展に406人、被爆証言等に135人の来場者があり、「国全体が関心を持つべき」「もっともっと開催してほしい」など56通の感想文が寄せられました。
 8月30日、友愛会も参加する核兵器廃絶をめざす千葉県平和事業実行委員会主催の「被爆70年〜ピースフェスティバルCHIBA2015」を千葉市文化センターで開催し、380人がつどいました。クミコさんの歌、青年の訴えに続き、日本被団協田中熙巳事務局長が講演。ロビーでは、今年4〜5月国連展示の大型パネル10枚を展示しました。

1万3千人/神奈川

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 神奈川県原爆被災者の会は、県下の7つの生活協同組合、県建設連合、県原水協と一緒に今回で12回目となる「原爆と人間展」を8月28日〜31日横浜市新都市プラザで開き、1万3000人の来場者で盛況でした。神奈川県、横浜市、平和首長会議、新聞各社、TVK等の後援を頂きました。
 県在住の被爆者が描いた絵、広島原爆資料館から借用した被爆遺品も展示し、毎年好評のビデオコーナーも設けました。
 今年4〜5月のNPT再検討会議中、日本被団協が国連ロビーで展示したパネルのうち平山郁夫「広島生変図」、丸木位里・俊「原爆の図・長崎」を借り受け特別展示しました。
 当会被爆者による被爆証言を新しい試みとして毎日実施したところ、「初めて聞いた」との声もあり満員の状態でした。
 子ども向けのクイズラリーでは、戦争の恐ろしさを話しながら親子で取り組む姿もありました。
 「原爆と人間展」への関心はますます高まっていると感じました。

保育園で朗読/東京の朗読グループ

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 7月25日、東京・大田区内の保育園で朗読グループ「はじめのいっぽ」が、朗読構成劇『今、ふたたび被爆者をつくらないために』を上演しました。48人参加。
 「はじめのいっぽ」の岡本和子さんは昨年秋、「被団協」新聞で、「原爆被害者の基本要求」策定30年のつどいでの朗読構成劇上演を知り、日本被団協から台本と「基本要求」のパンフレットを取り寄せて勉強。「被爆者の気持ちが伝わるかどうか」と日本被団協に相談しながら台本をアレンジました。上演後、「生きた現実の問題である基本要求を被爆70年の年に朗読することができてよかった。難しい言葉をわかりやすく、重要なことを短時間でどこまで伝えられるか苦労した。被爆者の方に『勇気をもらった』と言ってもらえて嬉しかった」と話しました。


尊い被爆者の活動に感謝 安斎育郎さんから「手紙」

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 安斎育郎さん(立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長、安斎科学・平和事務所所長、写真右)から、日本被団協に「感謝の手紙」が贈られました。和紙に手書き、代表委員3人の似顔絵が描かれ、額に入ったもの。7月1日、東京で田中事務局長に手渡されました。
 「手紙」は以下のとおりです。
 「日頃よりの貴協議会の活動に心よりの敬意を表します。以前、貴会より感謝状を贈られ大変嬉しく感じましたが、以来、感謝状を贈るべきは私の方であると感じてきました。思い起こすことさえおぞましい原爆体験を語り継いでこられた被爆者の活動は人類史的意義を有する尊い活動であり、深く感謝申し上げます。今後とも核兵器廃絶のために協力しましょう」。


記憶を語り継ぐ大切さ 野口聡一さんからメッセージ

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 宇宙飛行士・野口聡一さんからメッセージが寄せられました。

 終戦70年目を迎えた今年、多くの方が平和の尊さを改めてかみしめていらっしゃると思います。私も、広島市での被爆70年の節目に当たる「平和祈念式」、長崎市での「世界こども平和会議」に参加させて頂きました。私たち日本人にとって広島、長崎は平和への祈りのための巡礼の地だといえるでしょう。その地で、世界中から集まった子供たち、ボーイスカウト、政府代表の皆様とともに、世界の恒久平和を訴えることの大切さを分かち合うことができました。
 今、戦後を知らない世代が国民の多くを占めるようになり、戦争の記憶が急速に失われつつあります。長崎や広島の被爆体験、多くのまちを破壊した空襲、多くの民間人が犠牲になった沖縄戦、そしてアジアの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を忘れないために、その記憶を語り継いでいくことが極めて大切であると考えます。
 戦争を体験した皆さん、記憶を風化させないためにも、ぜひ経験を語り続けてください。若い世代の皆さん、人生の先輩たちの平和への思いをぜひ聞いてください。
 世代を超え、日本、そして世界中の皆さんが想いを一つにして「平和のために今できることは何だろうか」と考え、行動してください。皆さんの行動が「人類愛」と「寛容」を基にした真の国際平和に繋がることを心からお祈りしております。


「最後の一呼吸まで諦めない」―― 坪井さんが証言

国連軍縮会議/広島
 世界23カ国と5つの国際機関の代表が集まった国連軍縮会議が8月26日から3日間、広島市で開かれました。同会議は毎年日本で開かれており、広島では4回目です。
 会議では、広島県被団協の坪井直理事長が、爆心地から約1キロで被爆し大火傷を負った体験を証言。「核兵器は正気の沙汰ではない。私は最後の一呼吸まで核廃絶を諦めない」と訴えました。
 会議には、田中煕巳日本被団協事務局長も参加しました。


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ピーター・カズニック教授

「心動かされました」アメリカン大学で原爆展

ピーター・カズニック教授からのリポート
 米国のアメリカン大学で6月中旬〜8月中旬、丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」を中心に原爆展が開かれました。数千人が訪れ、心動かす感想文が寄せられたと、ピーター・カズニック教授からリポートが届きました。

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アメリカン大学で展示された「原爆の図」

 大学校内の美術館での展示は、最新の世論調査でも56%は原爆投下は正しかったと考える人々に原爆とは何かを示すまれなものになった。
 展示の目玉は、丸木位里・俊夫妻の力強い15枚の「原爆の図」のうち「幽霊」「火」「署名」「灯篭流し」「からす」「米兵捕虜の死」の6枚のパネル。広島・長崎の資料館から提供された33枚のパネルや遺品、本川小学校の生徒が、アメリカの教会に送った絵も加えられた。「ヒロシマの校庭から届いた絵」として最近できたドキュメンタリー映画も上映した。
 来場者も多く、熱い思いを持って受け入れられた。開会式には800人以上が集まり、2カ月で何千人もが来場した。
 原爆投下の決断に関するシンポジウムでは、アメリカを代表する専門家たちが原爆投下の軍事的、道義的正当性についての概念を一掃した。
 喜ばしい反応は見学者の感想。ほとんどの人が感動したと記している。
 「日本に行った時のことを思い出します。広島の平和資料館を見学した時、身が縮むような思いでした。自分の国がなした恐ろしい事柄に、恥ずかしい思いでいっぱいになりました。アメリカはまだ続けているのです」
 「日本で生まれましたが、長くアメリカで生活しています。70年前に日本で起こったことをほとんど忘れていました。私たちの誰もが、このことを思い出し、もう一度学び直すべきです」
 「これらのパネルを目にすることができ、感謝します。大変心動かされ、学ばせていただきました。私たちが過去の過ちから学ぶことは、極めて重要なことです」
 マスコミにも多く取り上げられ、涙する見学者もあったと述べた論評もあった。


資料の収集整理と継承活動すすむ ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会

 NPO法人ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会は、「継承センター設立構想」の実現をめざし、被団協と協力しながら次の2つの柱で活動を進めています。

資料の収集整理・活用
 昭和女子大の松田忍先生と学生さんの協力で、夏休みに被団協の運動資料および会に寄贈いただいた書籍・冊子類の整理作業を行ないました。
 愛宕事務所と南浦和の資料室での作業には、16日間のべ51人が参加。被爆50年調査の原票など日本被団協の資料整理、物故役員のご遺族などから寄贈された段ボール約60箱分の原爆・被爆者関連書籍・冊子類の分類に取り組みました。

継承・交流活動
 (1)一人でも多くの被爆者に語ってもらう、(2)戦後史におけるヒロシマ・ナガサキの意味を専門家の協力もえて解明する、(3)被爆者運動は何を訴え求めつづけてきたのかを学び合う、(4)継承の担い手を育てる、を柱に被爆70年から来年の被団協結成60年を見据えて継承・交流活動を本格化させていきます。
 6月の総会で上映された「継承センター設立構想」のスライド・ムービーは、ナレーション付で完成し、継承する会や被団協のホームページから見られます。


被爆70年アンケート 第2次〆切は11月末

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 8月号「被団協」新聞に同封した被爆70年のアンケート「被爆者として言い残したいこと」調査は、一人でも多くの被爆者の声を残し次世代の人々に活用してもらうために、ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会とともに取り組んでいるものです。
 現在までに返送されてきた回答には、90歳を超えたご本人がきれいな字で書き込んでいるもの、家族が聞きとって記入したもの、これまでに書かれた手記や出版された本、新たに書いた手記などを添付してくださったものも。70年を生きて来た被爆者の、思いのたけを伝えたいという気迫が感じられます。「これ以上書けない、聞きにきてほしい」という書き込みもあり、要望に応える準備をしています。
 第2次〆切を11月末とします。まだ間に合いますので、周囲のみなさんにも呼びかけて、ご協力ください。調査票がさらに必要なときは、日本被団協にご連絡を(コピー、増し刷りも可)。


東京の被爆二世実態調査結果を発表/東友会

 東友会が結成55周年事業の一環として行なった東京都在住被爆二世の実態調査(2013年1月)の結果が、7月29日、東京都庁での記者会見で発表されました。
 東京都の健康診断票を取得しており、かつ東友会が把握している被爆二世2391人を対象に調査票を配布し、660人から回答を得ました。回答の分析には、八木良弘さん(愛媛大学)、根本雅也さん(一橋大学)、深谷直弘さん(法政大学)の3人の研究者があたりました。
 「具合が悪くなると被爆のせいではと気にする」22%、「いつ発病するか不安」20・2%、「子や孫の将来が不安」19・5%と、約6割が何らかの不安を感じていること、また何らかの病気を患っている被爆二世ほど不安を感じる傾向にあること、などを報告。
 調査の結果をふまえ、東京都に対して、被爆二世調査の実施、被爆二世の心の状態を少しでも和らげるための対策を講じること、国に対しては、適切な実態把握をした上での制度運用と居住地による不公平緩和のため、被爆二世全国調査の必要性をあげています。
 調査報告書(A4版103頁)をご希望の方は東友会(電話03-5842-5655、FAX03-5842-5653)まで。一部400円(送料別)。


ノーモア・ヒバクシャ熊本訴訟控訴審12月7日結審へ

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 ノーモア・ヒバクシャ第2次熊本原爆症訴訟控訴審の第4回口頭弁論が8月31日、福岡高裁で開かれ、原告らの治療にあたっている牟田嘉雄医師への証人尋問が行なわれました。12月7日結審の予定です。
 裁判の前と後に門前集会(写真)が開かれ、「力を合わせて頑張ろう」と決意を固めました。熊本から長曾我部久県被団協会長はじめ支援者がバスで駆けつけ、福岡県被団協の南嘉久事務局長や佐賀県被団協の田中徹会長が激励と連帯の挨拶をしました。


相談のまど 介護保険のサービスを利用しても介護手当は支給されますか?

 【問】母は1年前に脳梗塞で倒れ、現在老人保健施設に入所していますが、1カ月後に自宅(私の家族と同居)に戻ることになりました。被爆者健康手帳を持っており、85歳です。
 現在母は、右半身に麻痺があり、一人での歩行は困難です。衣類の着脱、入浴などは介護が必要です。介護保険を利用することにしていますが、この他に被爆者対策にある介護手当との関係はどうなりますか。家族介護手当は支給されますか。

* * *

 【答】被爆者対策にある介護手当は、介護者に費用を払って介護を受ける介護手当と、家族が介護をした場合の家族介護手当があります。
 介護保険サービスを利用しても、介護が不足して費用を払って介護者を頼んだ場合には、介護手当を請求することができます。家族が介護している場合は、家族介護手当を申請できます。
 介護手当は、重度障害の場合上限月額10万4570円、中度障害は同じく6万9710円です。家族介護手当は、介護手当の重度障害と同程度の障害がある場合に対象となり、月額2万1720円です。介護手当と家族介護手当は併給されません。重度障害か中度障害かは医師の診断で決まります。身体障害者手帳は必要ありません。
 申請は、介護保険とは別に、介護手当支給申請書に所定の診断書を添えて、都道府県知事に申請します。窓口は最寄りの保健所です。


今年度講習会の予定

 今年の中央相談所講習会は、9月末現在、以下のブロックで予定されています。北海道(札幌)10月24日、東海北陸(三重)10月28〜29日、東北(秋田)11月9〜10日、近畿(兵庫)11月13〜14日、九州(長崎)12月5〜6日、四国(愛媛)

本の紹介

『ヒロシマの少年少女たち−原爆、靖国、朝鮮半島出身者』 関千枝子著

 著者は広島被爆。女学校の同級生39人は道路疎開作業に動員されて爆心1キロ余で被爆、全員死亡。関さんは当日病気欠席で生き残りました。
 級友たちの状況を追跡した力作『広島第二県女二年西組-原爆で死んだ級友たち』(ちくま文庫)を出しています。
 今度の本は、道路疎開作業に従事していた他校の中学生・女学生たちの運命を追い、半島出身の少年少女たちが死者の数から切り捨てられている疑惑にも迫ります。
 同級生たちが靖国神社に合祀されていることを「認めたくない」と、関さんは安倍首相の靖国参拝違憲訴訟の原告に加わり、法廷で訴えました。
 「原爆で無残な死をとげた少年少女たちが、なぜ“戦の神”か」「原爆で死んだ友への贈りものは、核兵器を廃絶すること、戦争をしない国であり続けることであり、友を“軍神”にすることではありません」 著者渾身の警鐘が聞こえてきます。彩流社1944円。