被団協新聞

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「被団協」新聞2013年 9月号(416号)

2013年9月号 主な内容
1面 伝えたいこと、受け継ぐこと ―― 被爆者と二世と市民の交流のつどい
わたしとヒロシマ・ナガサキ 広島カープ・前田健太さん
大阪地裁勝訴判決が確定 原爆症認定近畿訴訟(2次)全員認定
2面 『はだしのゲン』は原爆を知る必読書
原発再稼働やめよ 九電に要請
夏の行事だより
韓国追悼式に参列
米の核実験に抗議 日本被団協
非核水夫の海上通信109
手帳所持者数20万1779人
3面 恐ろしさを実感 岐阜の高校生と被爆者が長崎でフィールドワーク
被爆者肖像画 今年も平和美術展で展示
4面 相談のまど
受け継ぐための質問部屋

伝えたいこと、受け継ぐこと ―― 被爆者と二世と市民の交流のつどい

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 日本被団協は、8月8日午後3時半〜5時半、長崎市の長崎県建設総合会館8階大会議室で「伝えたいこと、受け継ぐこと〜被爆者と二世と市民の交流のつどい」を開きました。会場いっぱいの150人がつどい、被爆者、被爆二世、高校生の発言を聞き、会場から15人が発言するなど交流を深めました。
 被爆二世の夫婦デュオ「はむingはーと」の歌で開会、黙祷のあと、岩佐幹三代表委員が主催者挨拶し被爆体験の継承の大切さを訴えました。
 最初の発言は、長崎の被爆者、大塚一敏さん(78)。原爆から25年過ぎて次々と放射線障害と思われる病に苦しみ殺された家族の無念を絶対に忘れない、被爆二世の甥が原爆症で死に追いやられ、原爆は「次の世代の人生」まで奪う「悪魔の兵器」だとのべ、被爆体験の継承が世界の人々の心を動かし「核兵器のない世界」へ扉を開くことを願って若い人々に期待をよせました。
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大塚さん
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青木さん
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高校生

 熊本県被爆二・三世の会会長の青木栄さん(52・定時制高校教諭)は、若い時の父親との葛藤を率直にのべ、父親の被爆体験を聞いて分かり合えたこと、高校で生徒たちに毎年語っていることを話し、「自分自身や親の暮しを見つめ、感じた苦悩や生き方を語る。二世として誇りを持って伝えたい」とのべました。
 長崎の高校生1万人署名実行委員会の3人は、署名を集めながら各地を訪問した「平和キャラバン」などの活動を報告し「私たちは被爆体験を聞く最後の世代と言われているので、しっかり聞き伝えたい」と発言し、大きな拍手を受けました。
 会場からは二世の発言が相次ぎ「親を見て感じた思いを二世として語りたい」「二世の継承とは被爆者運動を受け継ぐことと核兵器廃絶のため証言を引き継ぐことだ。証言は文字だけでなく映像でも残そう」との提案もありました。
 世界大会初参加で被爆者の話を聞くのは初めてという東京の女性は、友だちに今日聞いたことを伝えたいとのべました。
 被爆者からは「二世や高校生の活動が嬉しい」「語り部をしているが、なぜ広島、長崎は復旧したのかと聞かれた。福島では帰れない人たちがいる」「会員が次々亡くなり、遺族には賛助会員として代わりに活動してもらうように働きかけている」など、被爆体験、被爆者運動を継承する努力が語られました。
 山本英典日本被団協事務局次長がまとめ発言をして閉会したそのとき、ピーター・カズニックアメリカン大学准教授が顔を見せ「アメリカの原爆投下は戦争犯罪だった」と挨拶し参加者を励ましました。


わたしとヒロシマ・ナガサキ 広島カープ・前田健太さん

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まえだ・けんた=投手、背番号18。1988年4月生まれ25歳、大阪府出身。2007年PL学園高校から広島東洋カープに入団。08年初出場、10年以来4シーズン連続2桁勝利を記録中。

マウンドに立てることに感謝 8月6日は“大切な日”
 「8月6日 今日は広島にとって大事な大事な日です。その日に広島で試合があり そして登板する事ができてすごく嬉しく光栄に思いました」
 プロ野球広島東洋カープのエース前田健太投手がブログ「あったりまえけん絶対負けん」にピースナイターの日をそうつづっています。毎年8月6日前後になるとブログには「大切な日」が登場します。7月下旬、カープのホーム球場マツダスタジアムに訪ねました。

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 夕刻6時試合開始、広島駅そばにあるマツダスタジアムには開場の午後3時前には入場を待つファンの列ができていました。グラウンドで暑い日差しの中カープの選手が練習中。前田選手は外野を走っているとのことでした。午後4時練習は相手チームと交代、汗だくのユニフォームを着替えた前田選手にベンチ裏の控室で話を聞きました。

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◆大切な日とは。
 「広島に来る前も、試合を中断して黙とうを捧げたりしていたので大切な日だと分かっていましたが、広島に来てもっと感じたというか、当日になればテレビ報道も多くなりますし、遠征に出ていることが多いんですけど、テレビを見ていたら、平和公園に行かなきゃいけないなと思って行ったのがきっかけです」
 6日午前零時に行かれたこともあるとか。
 「当日の昼とかは人が多いので、当日の夜か、その前後、人が少ない時に行っています」
 被爆者の話を聞く機会はありますか。
 「中学校の時に修学旅行で長崎に行って話を聞いたことがあります」

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◆大切な日を書いたブログに同世代の反応はどうですか。
 「僕たちより上の世代の人たちは(被爆について)ふれることが多いと思います。僕たちの世代はふれることが少ないので、僕が発信したことによって同世代の人たちもコメントをくれたり、関心を持ってくれる人もたくさんいます。分からないことばかりですけど、若い世代もしっかりと関心をもっていかないといけないと思っています」

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◆ブログでは感謝という言葉がよく出てきます。
 「高校のときからずっと監督にそう指導されてきましたからそういう思いもありますし、報道を見たりいろんな話を聞いたりすると、やはり今の時代、野球できているのもそうだし、選手として一軍のマウンドに立てることもそうです。その日は、初心にかえることができるというか、感謝しないといけないなという気持ちになり、自分を見つめ直す日になります」
 被爆者のみなさんへひとこと、と色紙をわたすとサインのよこに「感謝」と書きました。
 8月6日、ピースナイターに先発し7回無失点と力投。阪神にサヨナラ勝ちをおさめました。8月6日のカープホーム球場での勝利は55年ぶりとのことです。

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◆ピースナイター 今年は8月6に開催

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 8月6日か6日に最も近い、広島・マツダスタジアムでの試合で、平和を願うイベントが行なわれます。今年は6日、広島出身で被爆二世のミュージシャン吉川晃司さんが始球式で投げ、5回終了時にジョン・レノンの曲「イマジン」を独唱しました。それに合わせ観客が一斉に平和をイメージする緑のポスターを掲げスタンドを緑で埋め、最上部は原爆ドームの高さに合わせ赤いポスターの帯をつくりました。主催は生協ひろしま、広島東洋カープ、中国新聞社、広島平和文化センター、広島電鉄。2008年に第1回が開かれ今年で6回目。今年はセ・リーグ6球団が賛同。

大阪地裁勝訴判決が確定 原爆症認定近畿訴訟(2次)全員認定

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 原爆症認定を求める近畿第2次訴訟の判決が8月2日、大阪地裁でありました。未認定原告8人全員の却下処分を取り消し、原爆症認定を命ずる勝訴判決でした。9日、安倍晋三首相が記者会見で控訴しないと表明、判決が確定しました。
 原告の申請疾病は4人が心筋梗塞、1人が狭心症、3人が甲状腺機能低下症で、「新しい審査の方針」の被爆条件にほぼ入る人ばかりです。
 日本被団協は集団訴訟原告団、同弁護団と連名で、厚労大臣に対し、控訴断念を求める要請書を提出していました。
 判決当日は厚労省前で「控訴するな」の街頭行動が行なわれ、東京の被爆者を中心に弁護士、支援者が多数参加し声をあげました。

『はだしのゲン』は原爆を知る必読書

日本被団協、松江市教委に要請/8月26日市教委が制限撤回

 漫画『はだしのゲン』の閲覧制限を、松江市教育委員会が市立小中学校に求めていた問題で、日本被団協は8月23日、閲覧制限を速やかに撤回するよう求める要請書を同市教委に送りました。
 要請書は「『はだしのゲン』は原爆の実相を伝える作品です。国の内外で、原爆を知る本、必読の本として高く評価されています」「子どもは『あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由』(児童の権利に関する条約)の権利を持っています。教育的配慮の名で子どもの権利を侵してはなりません」として、閲覧制限措置は不適切だと断じました。
 24日には、鳥取県と松江市の被爆者協議会が連名で、同趣旨の要請書を市教委に提出しました。
 松江市教委は22日と26日に会議を開き、市教委事務局の判断だけで閲覧制限を求めた手続きに不備がある、として制限の撤回を決めました。

原発再稼働やめよ 九電に要請

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被団協九州ブロック
 日本被団協九州ブロックは8月20日、福岡市の九州電力本店で、九州電力に対し原発の再稼働決定に抗議し決定を取り消すよう要請しました(写真)。要請書には九州ブロック各県被爆者の会が名を連ねました。
 奥城和海代表理事(大分)ほか福岡、長崎、熊本、鹿児島の被爆者9人が参加。それぞれの被爆体験を交えて核被害の恐ろしさを強調、再稼働は絶対に進めてはならないと訴えました。九電側は、福岡支社広報グループ長の中村圭介氏ほかが出席。原子力による電力の供給は必要、との考えはゆずりませんでした。

夏の行事だより

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千葉平和行進
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東京原爆展
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鹿児島・碑の清掃
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神奈川原爆展
 猛暑となった被爆68年の夏、各地で被爆者が様々な行事や行動に取り組みました。寄せられた報告をご紹介します。
【千葉】国民平和大行進で7月10日〜23日、猛暑の中千葉県内を行進しました。被爆者も先頭に立ち、市川駅頭での「にんげんをかえせ」の朗読は大きな反響をよびました。
 7月28日千葉市の原爆死没者慰霊碑前で慰霊式典が行なわれ、合唱団の献唱や若者の「平和への誓い」もありました。
 8月12日〜14日の3日間、県庁内で「平和のための原爆展」を開き被爆体験の語りとビデオ上映も行ないました。280人が来場。体験の語りでは「語り部研究会」で学んだ被爆者が、初めての証言を行ないました。
【長崎】長崎被災協・被爆二世の会・長崎は、7月27日、28日の両日「ヒロシマ・ナガサキ原爆と人間・写真パネル展」を被災協2階会議室で開催しました。平和公園を訪れる観光客、様々な国の人たちが大勢訪れ、約400人が来場しました。
 平和の灯キャンドルの絵付けコーナーでは小学生たちがキャンドルに絵やメッセージを描き、本のコーナーでは親子で平和の絵本を読む姿もありました。会場の外で、平和の歌を演奏するグループが両日で10組参加し心に響く歌声を披露しました。「平和を考える良い機会になった」「音楽の力はすばらしい」などの感想が寄せられました。
【東京】東友会は今年11月に結成55周年を迎えます。記念事業として、(1)被爆者と被爆二世の実態調査 (2)記念出版 (3)祈念式典・祝賀会 (4)東京原爆展を行ないます。
 最初の事業「つたえようヒロシマ・ナガサキ東京原爆展2013」が、7月31日〜8月5日、都庁第一本庁舎45階の南展望室で開かれ、5000人以上が参観しました。
 実行委員会に被爆者と被爆二世が参加。メインテーマを「東京に生きる被爆者」とし、三方の展示スペースを「あの日」「その後」「いま」に分け、「あの日」は「市民が描いた原爆の絵」を中心に、「その後」は「原爆と人間」パネルを、「いま」のコーナーは原爆展のために撮影した9枚の写真と東友会の55年史を展示。このオリジナル展示には、被爆二世のカメラマンとフリーライターが全面協力しました。
【芦屋】芦屋市原爆被害者の会は、今年も市役所地下ホールで8月2日〜9日、「原爆と人間」展を開催しました。
 身内が被爆死した、という来場者に、原爆被害に国の償いを求める署名をお願いすると、書き終えて「かたきをとった…」とつぶやかれました。平和市長会議に出席した市長も、挨拶に訪れました。
【鹿児島】鹿児島県原爆被爆者協議会は7月22日〜26日、「原爆と人間展」を鹿児島市役所で開催しました。猛暑の中多くの来場があり、家族で訪れ「この子たちにきちんと伝えねば」と真剣に見入っているお父さんも。
 今年は鹿児島市主催の「原爆パネル展」に協力展示もし、8月中に霧島市、南さつま市、指宿市、鹿屋市の各市役所で、姶良市では図書館で、市主催で開催しました。3市は初めての開催です。
 8月4日午後、二世有志8人が原爆犠牲者慰霊平和祈念碑の清掃を行ないました。原爆投下日直近の日曜に実施しており今年で3回目。雨の中それぞれの思いを胸に、碑についた火山灰や埃を洗い流し、最後に黙祷を捧げ、終了しました。
【神奈川】神奈川県原爆被災者の会は8月23日〜26日、県生協連、県原水協と神奈川大学の協力を得て、横浜駅東口新都市プラザにて「原爆と人間展」を開きました。延べ1万4千人が来場し、国の償いを求める署名373筆、募金約35万円が寄せられました。
 今年は被爆絵画の説明文に英文を追加、クイズ形式の質問を用意、DVDコーナーの入り口を広く、などを工夫したところ、外国人や小中学生が時間をかけて熱心に見学する姿が多くみられました。DVDでは「はだしのゲン」上映時に非常に多くの人が集まっていました。

韓国追悼式に参列

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8月6日ソウル/日本被団協事務局事長・中村雄子
 8月6日、韓国人原爆犠牲者追悼式がソウルの赤十字文化会館で行なわれました。韓国原爆被害者協会の朴榮灼会長、在韓日本大使館公使に続き日本被団協を代表して追悼の言葉を捧げました。
 式後、協会の事務所で10人程の被爆者と懇談。医療費助成制度充実や二世への援護などの要望、日本被団協との交流について話し合いました。
 案内役の卞さんには終始親切にしていただきました。過去の歴史も忘れず人と人との信頼を深めていくことが大切、との思いを強くしました。

米の核実験に抗議 日本被団協

 アメリカが「Zマシン」による核実験を、今年4月から6月の間に行なっていたことがわかり、日本被団協は8月22日オバマ大統領あての抗議文を在日米大使館に送りました。抗議文は、6月ベルリンでの米大統領の演説にふれ、「戦略核弾頭の配備数のさらなる削減をロシアに呼びかけた。一方で、核兵器の使用を前提とした実験をつづけ自国の核兵器を維持する姿勢を変えていないことに、強い怒りを持って抗議する」としています。

手帳所持者数20万1779人

2012年度平均年齢78.80歳
 2012年度(13年3月末)の被爆者健康手帳所持者数などが、厚生労働省から発表されました。手帳所持者は全国で20万1779人、前年度と比べ9051人の減でした。平均年齢は78・80歳で、同じく0・70歳上昇しました。

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恐ろしさを実感 岐阜の高校生と被爆者が長崎でフィールドワーク

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木戸さん(右)の証言をきく中高生

 7月末に岐阜で被爆者の木戸季市さんにお会いしたときに約束し、8月9日、長崎で被爆の場所を案内していただきました。高校教諭の国枝幸徳先生が運転する車に高校生と中学生4人が乗り、木戸さんを迎えました。
 最初に車を降りたのが木戸さんが被爆された自宅前でした。「爆風で20メートル飛ばされた」とおっしゃるのですが、実際に見て、それが意外と長いのに驚きました。助かったのはほとんど奇跡に近いなあと思いました。
 お話を聞きながら道をたどる中、目の前で68年前に起こったことだと思うとぞっとしました。途中何度も「あのあたりには黒こげの死体がごろごろしていた」と言われたこともショックでした。
 現地で聞かせていただいて、戦争とは恐ろしいものなのだと実感し、伝えていかなければと思いました。人間らしく生きていくための全てを奪う戦争は二度としてはいけないし、何より、人間が人間でなくなってはいけないと思いました。

被爆者肖像画 今年も平和美術展で展示

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根岸君夫画・故遠藤泰生さん(愛知)
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石野泰之画・故高杉利昭さん(岡山)
 第61回平和美術展が8月12日〜20日、東京都美術館(東京・上野)で開かれ、5千人を超える人が来場しました。1959年の第7回展から取り組まれている原爆死没者肖像画も展示され、訪れる人に平和の尊さを訴えました。肖像画は、県被団協を通じて遺族に贈られます。
 美術展での小品売上の中から6万円が日本被団協に寄付されました。


相談のまど 大阪地裁判決後の原爆症認定基準について

 【問】8月2日の大阪地裁判決に国は控訴せず、判決が確定したそうです。私は2年前から心筋梗塞で、現在も投薬などの治療を続けています。被爆したのは、長崎の稲佐町2・2キロです。
 原爆症認定基準が改正されたので認定申請をしましたが、却下されました。大阪地裁の原告には3キロ台で被爆して、私と同じ心筋梗塞の人がいます。
 私も再申請すれば認定されるでしょうか。

* * *

 【答】現在の認定基準では、確かに心筋梗塞も認定対象疾病になっています。「新方針」で認定の対象となる被爆状況は、(1)約3・5キロ以内で被爆(2)約100時間以内に約2キロ以内に入市(3)100時間を過ぎて、原爆投下から2週間以内に、約2キロ以内に1週間以上滞在した場合となっています。
 この被爆状況で、心筋梗塞で多くの人が申請しましたが、「放射線起因性が認められる」との条件をつけられているため、現状では1キロ台でないと認定されていません。
 そこで各地で被爆者が裁判に訴えていて、先日の判決はその一つです。
 本来であれば判決が確定したことから、原告と同様の被爆状況の人は当然認定されるべきです。しかし、認定基準はまだ改定されていません。現在、厚労省では「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」で、認定の在り方を議論しているところです。
 「今、申請すれば認定されるか」というご相談には、今はっきりお答えはできませんが、申請は是非してください。そして、大阪地裁判決に従って基準を改定させ、さらに、実態に合った認定制度に改定するように運動しましょう。そのために、国会議員や国民にも理解を得ていくことが重要になっています。

こんなこと聞いてもいいですか…?受け継ぐための質問部屋

日本政府の態度について
 核兵器をなくすため「核兵器の非合法化」や「核兵器の不使用」を盛り込んだ共同声明が発表されていますが、日本政府は賛同していません。残念でなりませんが、被爆者のみなさんは、どう考えられますか。(埼玉・主婦・51歳)

読者からの回答

◆歴史の歯車逆に回すな 長崎・長崎被爆・78歳
 ジュネーブで80カ国が共同して、核兵器の残虐性、非人道性を指摘し「核兵器が2度と使われてはならない」との声明を出しました。これは被爆者運動の原点であり、長年にわたって被爆の実相を世界に向けて語り続けたことが、大きく貢献していると思います。
 日本政府は、この声明に署名を拒否。あろうことか、核兵器使用もありうることを想定して、憲法9条を変えて戦争の準備をする、原発再稼働・輸出で核被害を拡散する道をとり、歴史の歯車を逆に回そうとしている。これを放置すれば、日本も世界もヒロシマ・ナガサキを再現する危険性さえある。
 この現実を直視して、残りの人生を懸けたいと思っています。

◆核の傘の下でも行動を 神奈川・広島被爆・82歳
 世界の国々が出した核兵器反対の共同声明に、核兵器で何十万人もの国民を殺された日本政府が不参加というのは、まったく腹立たしい限りです。核兵器のない世界を目指す宣言は、日本から提案すべきなのです。
 日本政府はアメリカの顔色を見ることでなく、もっと積極的に行動すべきです。核の傘の下でも行動をしてみてはどうでしょうか。
 核を世界に広げる原発の輸出など、もっての外だと思います。

お答え待っています

戦争を終わらせる方法は
 「原爆と人間」のパネルを見学しました。こんなおそろしいことが起きる前に戦争を終わらせる方法は無かったのでしょうか。一瞬で何万人の人々の命が消えた場所を、誰が片付けたのでしょうか。(兵庫・中学3年生)

 ※被爆体験の継承に関する質問と回答を「質問部屋」係までお寄せください。
  次回は11月号に掲載する予定です。