被団協新聞

トップ >> 日本被団協について >> 被団協新聞 >> 「被団協」新聞2013年 8月号(415号)

「被団協」新聞2013年 8月号(415号)

2013年8月号 主な内容
1面 憲法9条 原点はヒロシマ・ナガサキ
2面 原発再稼働やめよ! 東京電力本店に要請
公民館で被爆展/広島・北広島町豊平地区
IPBに正式加盟 第375回代表理事会
放射線起因の疾患と援護で長瀧委員が報告
非核水夫の海上通信108
3面 日本被団協顧問・山口仙二さん死去
4面 憲法9条 原点はヒロシマ・ナガサキ(1面からつづく)
5面 戦争ができる憲法を許さない
7面 手記 ―― 被爆70年へ 生きぬいて(4)
8面 相談のまど 骨髄異形成症候群とはどんな病気?

憲法9条 原点はヒロシマ・ナガサキ

 ノーモア・ヒバクシャ9条の会が行なった憲法についてのアンケートに約700通の回答がありました。その紹介と合わせて「ヒロシマ・ナガサキと憲法」について考えてみました。

Photo

【1】日本国憲法は人類の歴史への大きな贈り物
日本国憲法は戦争への深い反省から生まれました。前文で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに決意」して、第9条「戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認」を打ち出したのです。
 憲法制定議会(1946年。まだ帝国議会)では広島・長崎の原爆の被害に目が向けられました。
 〈近代科学が原子爆弾を生んだ結果、将来万一にも大国の間に戦争が開かれる場合には、人類の受ける惨禍は測り知るべからざるものがある…。我らが進んで戦争の否認を提唱するのは…世界を文明の破壊から救わんとする理由である〉-芦田均憲法改正委員会委員長は衆議院本会議への報告(46年8月24日)でこう訴えています。同じような意見が相次いで表明されました。
 〈九条は核戦争を絶対に阻止したいという願望を強く表して〉(憲法学者・長谷川正安)いるのです。
 日本国憲法はヒロシマ・ナガサキに学び、世界に先駆けて、「ふたたび被爆者をつくるな」「戦争はやめよう」「武器を捨てよう」と呼びかけたのです。第二次世界大戦後の世界平和への道を示したのでした。

【2】「平和的生存権」の意義
〈全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する〉
 憲法前文にうたわれた「平和的生存権」です。
 平和的生存権は〈すべての基本的人権の基礎にある基底的権利〉なのです(名古屋高裁判決=08・4・17)
 戦争放棄の9条も、平和的生存権に基づくものとされています。
 平和的生存権が人権として生み出された背景には、第2次世界大戦が国民にもたらした大惨害、とりわけ広島・長崎の原爆災害が「平和」を国民自身の権利として考えなければならない基盤をつくったのです。(憲法学者・古川純)
 また〈二度と悲惨な被爆者を出さない平和の保障を盛り込んだ被爆者援助の立法を平和的生存権保障原則が義務づけている〉(憲法学者・深瀬忠一)という指摘もあります。
 平和的生存権は「ふたたび被爆者をつくらない」ために「原爆被害への国家補償」を要求する憲法上の根拠になる、ということです。

【3】憲法は「受忍」を許さない
 被爆者が求めてきた原爆被害への国家補償要求に対して国は「国民は戦争被害を受忍せよ」と拒否しています。
 「受忍」論は、原爆被害者をはじめ一般空襲被害者など国民の戦争被害補償要求を拒否する理由として使われています。「国の戦争責任は問えない」とも言っています。
 戦争への反省に立って「戦争しない」と誓った憲法の下で、戦争被害「受忍」政策が許されるわけはありません。いわんや原爆被害も「受忍」せよとは、非人道的な被害の実態を無視し、「ふたたび被爆者をつくるな」という被爆者の願いを拒否することにほかなりません。
 「受忍」政策の怖さは過去の戦争被害だけではなく、「これからの戦争」にまで及ぶことです。

【4】核攻撃されても大丈夫!?
 国民に戦争被害の「受忍」を強いる一方政府は核攻撃される事態さえ想定しています。
 2006年3月、小泉内閣は「武力攻撃事態等国民保護法に基づく国民の保護に関する基本指針」を閣議決定しました。その中には、日本が核攻撃を受けた場合の「対応」も示されています。
 〈避難にあたっては、風下を避け、手袋、帽子、雨ガッパ等によって…外部被ばくを抑制…口及び鼻を汚染されていないタオル等で保護する…〉
 核攻撃されても帽子や雨ガッパで助かる…と政府は言っているのです。
 広島・長崎の実態も、戦争放棄の憲法も無視して、「ふたたび被爆者をつくる」道へと走っている――。それが日本の危険な現実なのです。

【5】原発は「潜在的核抑止力」
 福島原発の大事故はいまだに終息の見通しもつかないのに、電力会社と政府は原発運転再開へと暴走しています。「安全無視」だけでなく、別の意図も――。
 〈原発は、核兵器を作ろうと思えば一定期間のうちに作れるという“核の潜在的抑止力”になっている。…原発をなくすことはその潜在的抑止力を放棄することになる〉(『サピオ』11・10・5)
 この原発維持・核武装論を打ち上げたのは、自民党幹事長(当時政調会長)の石破茂氏。〈日本が核兵器を持てることを否定すべきではない…、憲法解釈上も禁じられていないというのが政府の立場です〉
 核武装は憲法も「非核三原則」も被爆者の願いも踏みにじるものです。

【6】「ならぬ改憲」はならぬ!
 憲法改正の手続きは第96条に定められています(7参照)。しかし、どんな「改正」でも構わない、というわけではありません。戦争放棄・国民主権・基本的人権などをうたった憲法前文ではっきり宣言しています。〈われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する〉
 憲法の基本理念に反する「改正」、根底から壊すような「改正」は認めない、ということです。
 いま焦点になっている自民党の「改憲案」は前文の基本理念を削り、「国防軍」を設置して、「戦争する国」につくりかえるなど、「改憲」ではなく、憲法が「排除」している憲法違反の「壊憲」というべきもの。
 まさに〈憲法の基本をゆるがせにするものです〉(日本被団協総会特別決議=13・6・4)

【7】憲法の基本に関わる96条
 第96条は、「改憲手続き」条項。改憲は衆参各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し、国民投票の過半数賛成で成立します。
 自民党改憲案は、発議条件の「3分の2」を「過半数」に切り下げるとして、まず96条を先行改憲しようという作戦。
 96条はとなりの第10章「最高法規」、中でも第97条(基本的人権の本質)と合わせて読めばその意義がわかります。
 〈この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて…侵すことのできない永久の権利として信託されたものである〉
 自民党改憲案は、この文章もスッパリ削り落としています。「人類の多年にわたる努力」も。

【8】要求実現で9条を豊かに
 日本被団協は「ふたたび被爆者をつくらせない」ために「核兵器廃絶」「原爆被害への国家補償」を二大要求としています。
 「核兵器廃絶」をめざして日本政府に「非核三原則の法制化」を求めています。日本は核兵器を(1)持たず(2)つくらず(3)持ち込ませず、です。
 (1)は、アメリカによる核持ち込み「密約」が明らかになり、(2)(3)も「原発は核抑止力」などと危うくなっています。今こそ「非核三原則の法制化」(日本非核法)が必要になっています。
 「原爆被害への国家補償」は、国の戦争責任を問い、「戦争放棄」の確実なとりでを築くこと。
 被爆者の二大要求は憲法9条を具体化し、豊に実らせるものなのです。

【9】日本国憲法は未来を築く
 今年の日本被団協総会は特別決議「憲法9条を生かすことこそ被爆国の使命」を採択しました。
 〈「唯一の被爆国」である日本政府がやらなければならないのは、憲法9条を厳守し、国際紛争は武力を使わず外交交渉で解決し、万が一にも核兵器が使用されることのないよう核兵器廃絶に力をつくすことです〉
 原爆の惨さを描いてきた井上ひさしさんの言葉があります。(『子どもにつたえる日本国憲法』)
 〈私は、原爆が投下されたときから、私たち日本人は、世界の歴史のなかで特別な使命を背負ったのだと思います。将来、核戦争などの不幸が起こらないためには、日本国憲法の考え方を大切にするしかない。そしてそのことを人類に示す使命を負ったのです〉
 「ふたたび被爆者をつくるな」の声は世界に伝わり、日本国憲法とともに輝きを増しています。

原発再稼働やめよ! 東京電力本店に要請

Photo

 日本被団協と首都圏(東京、埼玉、千葉、神奈川)被団協は7月22日、東京電力に対し、原発の再稼働決定に抗議し決定を取り消すよう要請する行動を行ないました。要請書には首都圏のほか柏崎刈羽原発を抱える新潟と、東京電力管内の茨城、栃木、群馬、山梨、静岡各県の被爆者の会が名を連ねました。
 東京・港区の東新ビル会議室で行なわれた要請行動には首都圏から被爆者ほか20人が参加。原爆体験を交え「東電はいったい福島原発事故で何を学んだのか、人の命を大切にするという考え方が抜けている」「使用済核燃料の問題をどうするのか」「子孫のことを考えてほしい」など次々に発言し、原発はきっぱり止めよと迫りました。
 東電側は、広報部原子力センターの會田満男所長ほかが出席し、今年度事業運営方針を示しながら「柏崎刈羽原発は安全対策に取り組んでいる」などと答弁しました。

公民館で被爆展/広島・北広島町豊平地区

Photo

 私が住んでいる北広島町豊平地区は、人口3500人、被爆者230人ほどの、過疎と高齢化が進む小さな地域ですが、6月24日から1週間、豊平中央公民館で、「原爆と人間展」を開催しました。被爆者はもちろん、一般の高齢者たちの関心が高く、戦争時代の出来ごとを語りあいながら、写真パネルを食い入るように見ていました。
 被爆から68年経過し、被爆者は施設に入所、病院に入院している人が多くなりました。また被爆孤老の多い地域でもあり、これからの平和運動を考えなければなりません。

IPBに正式加盟 第375回代表理事会

 日本被団協は7月10、11日、東京・港区で代表理事会を開き、核兵器をめぐる世界情勢をはじめ代表理事の役割と分担、今年度運動方針の具体化など議論し確認しました。
 被爆者の高齢化で役員のなり手がいない問題では、2世が役員に就くなど、実態に即した運営が議論されました。
 原爆症認定制度在り方検討会は大詰めを迎えており、日本被団協提言にそった結論が出るよう議論しました。
 7月8日、原発の安全性を判断する新基準が施行され、4電力会社が10基の原発再稼働を申請したことから、申請を決定している東京電力を含む5電力会社に再稼働しないよう求める抗議・要請書を確認。原子力規制委員会にも要請します。
 日本被団協の会計に亀井賢伍さん(神奈川)を代表理事会として委嘱することを決定しました。
 ノーベル平和賞受賞団体である国際平和ビューロー(IPB)に日本被団協が正式に加盟団体となることを決めました。

放射線起因の疾患と援護で長瀧委員が報告

第22回原爆症認定制度在り方検討会
 第22回原爆症認定制度在り方検討会が7月18日午前、厚労省会議室で開かれました。放射線に起因する疾患について長瀧重信委員から「まとめ」が報告されました。原爆症認定疾患を拡大する議論に関連して専門家に検討を依頼することになり前回検討会で長瀧委員にまとめてもらうことになっていました。
 長瀧委員は、(1)原子爆弾による被害(2)原爆放射線による健康影響の調査結果(3)放射線に起因する疾患(4)原爆放射線に起因する疾患の援護-の4項目を報告し、「まとめは疫学的に客観的に調べたものだ」と強調し、「それと援護の問題は異なる」とのべ、科学的なものがスタートという発想を共有し援護を議論したいと提起しました。
 田中煕巳委員は、これまでの裁判で現在の科学的知見は限界があることが明らかになっている、そのことも認識を共有して欲しいと求めました。
 田中委員は集団訴訟の判決を整理したまとめを提出し、判決は援護の思想で出されており、制度検討の際、その思想の普遍性を踏まえなければならないと強調しました。

日本被団協顧問・山口仙二さん死去

Photo

 日本被団協顧問の山口仙二(やまぐち・せんじ)さんが7月6日午前、長崎県雲仙市内の病院で死去しました。82歳でした。長崎県出身。長崎原爆被災者協議会会長のほか2010年まで日本被団協代表委員を29年間務めました。
 山口さんは、1945年8月9日、14歳のとき学徒動員先の長崎市の三菱兵器工場(爆心地から1・1キロ)で被爆、瀕死の重傷を負いました。56年の長崎原爆被災者協議会と日本被団協の結成にかかわり、傷ついた体をおして国連など海外にもたびたび出かけ被爆の実相を訴え被爆者運動の先頭にたってきました。
 葬儀は8日、雲仙市小浜町の斎場で行なわれました。約110人が参列、日本被団協の田中煕巳事務局長が「大きな宝を失いました。この悲しみを乗り越えて、山口さんの志の実現に向けて、全身全霊をささげます」とお別れの言葉をのべ、長崎被災協で長年ともに活動してきた谷口稜曄会長が、山口さんへの思いを込めて弔辞をのべました。核兵器廃絶運動で親交のあったアメリカフレンズ奉仕委員会のジョセフ・ガーソンさんから山口さんの勇気あふれる活動に感謝し弔意を示すメッセージが寄せられ、高草木博日本原水協顧問が読み上げました。

不屈と楽天の勇士 世界に広げた被爆者の心
 山口仙二さんと知り合ったのは、私が1960年に石川県で原爆被災者友の会結成にかかわり、日本被団協に顔を出すようになってからです。
 仙二さんが、長崎青年乙女の会会長として活躍し、たった一人で交通費の工面もないまま上京して厚生省に被爆者援護対策の実現を求めて要請されたことなどそのとき初めて知りました。だれも思いつかない、実行をためらうようなことに正面からぶつかっていく資質の持ち主でした。
 原爆被害とたたかう被爆者の願いを全身全霊で受け止めて活動を積み重ねると同時に、だれにでも気さくな人で、いつしか仙ちゃん、兄貴と呼び合う仲になりました。
 忘れることができないのは、82年第2回国連軍縮特別総会に日本被団協代表団の一員として参加したときのことです。世界から集まった人々がニューヨーク市民とともに100万人の大パレードを展開し「ノー ヌーク(核兵器をなくせ)」の声を響かせるなど核兵器廃絶を力強く訴えました。日本の代表団が帰国した後も、仙二さんには国連総会で各国大使を前に、核兵器の廃絶を願う日本国民を代表してスピーチをする仕事が託されていました。
 その場に残った私は、仙二さんが大仕事を見事に果たされ、「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と大きな声で訴えを締めくくられた、その堂々たる勇姿が目に焼き付いています。
 仙二さんが被爆者運動、原水爆禁止運動、平和運動の上に残された足跡は、忘れがたい教訓として、被爆者だけでなく平和を求める世界の人々に引き継がれ、強い歩みをつづけることでしょう。

弔辞 日本被団協
 山口仙二さん、お別れにあたり、長年にわたって被爆者なかんずく日本被団協を励まし続けてこられたことに、被爆者を代表してお礼の言葉を申し上げます。
 山口さんの核兵器に対する怒り、戦争に対する怒り、平和への熱い思いは、これからもずっと、被爆者だけでなく、被爆者の願いと運動を引き継ぐ世界の人々の中に生きつづけるでしょう。
 日本被団協は結成から57年目を迎えます。57年前の山口さんたちの努力がなければ今日の姿はなかったかも知れません。日本被団協は結成以来、一貫して、核兵器の廃絶を国の内外に訴え続け、原爆被害への国の償いを求めつづけてきました。山口さんは常にその中心的な存在でした。
 山口さんの果たされた役割は国内にとどまらず海外の重要な会合・集会にたびたび参加され、世界の平和を求める人々、核兵器のない世界を求める人々に大きな感動と励ましを与えてきました。1982年の第2回国連軍縮総会での、市民を代表して世界各国代表へ直接訴えたことなど枚挙にいとまがありません。
 山口さんの天衣無縫、天真爛漫な人柄は多くの人々から愛され、親しまれました。一度会った人は決して忘れることのない人でした。天衣無縫と熱血が時折誤解を招く行動になることがあっても、結局は受け入れられ、信頼を受けることにもなりました。
 私たちは今大きな宝を失いました。この悲しみを乗り越えて、山口さんの志の実現に向けて、全身全霊をささげますことをお誓いし、お別れのことばとします。

2013年7月8日
日本原水爆被害者団体  協議会(日本被団協)
事務局長 田中熙巳

戦争ができる憲法を許さない

ノーモア・ヒバクシャ9条の会「はがきアンケート」から
 「ノーモア・ヒバクシャ9条の会」が呼びかけた「はがきアンケート」(本紙6月号同封)に、ほぼ1カ月間に43都道府県678人(うち被爆者521人)から回答が寄せられました。その声を抜粋しご紹介します。〈( )内は、年齢・性別、被爆地、居住県〉

 * * *

1.憲法96条(改正の手続き)の改憲発議条件の緩和についてどう思うか?
 賛成=4・1%、反対=88・6%、わからない・その他=6・3%、無回答=1%
◆憲法は権力者にたいする主権者国民からの要望書。憲法を権力者が自分らの都合のいいように書きかえることができるようになれば、憲法が憲法でなくなる。(74歳・男、広島、神奈川)
◆時代は変わっても、変わる必要のないものもある。先人が知恵を絞った最も大切にしたいものであるから。(67歳・男、広島、愛媛)
◆日本国憲法9条はヒロシマ・ナガサキの上に咲いたと信じています。被爆者の要求は9条を具体化することにあります(核兵器否定、原爆被害への国家補償)。今回の動きは9条改憲の準備。被爆者は戦争ができる憲法、「受忍」を強いる憲法を許しません。(81歳・男、広島、東京)
◆憲法は、多くの犠牲を代償に制定された経緯を考えると、多くの死者に対する償いに報いるために、大事にすること。広島・長崎での死を犬死にしないためにも、改正には反対する。(87歳・女、長崎、福岡)
◆日本国憲法を変えやすくするのは、戦争が出来る国へのステップです。世界に誇れる憲法は守らなければならないもの。戦後、1人も殺さなかったことが、日本の誇りです。(68歳・女、広島、埼玉)
2.9条を変えて国防軍をもてるようにする自民党改憲案について、どう考えるか?
 賛成=4・9%、反対=83・9%、わからない(判断不能)=6・6%、無回答=4・6%
◆国防軍を持てば、戦争が向うからやってきます。戦争は人殺しです。(69歳・女、広島、長野)
◆国会議員には憲法を守る義務があるのに、首相が先頭にたって、改憲に走るということは許されません。天皇のため、国のため、戦場で死ぬことは最大の名誉であると教えられてはなりません。(96歳・男、広島、神奈川)
◆私の姉は12歳で原爆死し、その遺体も不明のままです。その姉は憲法9条になったと私は思っています。9条をなくすことは、姉が二度殺されるということです。またも若者を戦場に送り出すことのないように、戦争をする国にしないように、9条を守り抜くべきです。(67歳・女、広島、千葉)
◆改憲論者は「いつか来た戦争の道を忘れ、再び戦争への道に戻ろう」としている。軍隊を持てば、徴兵制の復活、戦争になれば、核戦争のため唯一の被爆国日本が核武装することになる。(87歳・男、広島、広島)
◆一人の被爆者として、絶対に許せない。子や孫に笑われない、平和を愛する人間として、生涯をまっとうしたい。(80歳・男、長崎、佐賀)
◆被爆者としては、二度と戦争につながる制度を作ってもらいたくない。(89歳・男、広島、秋田)
◆武器を持てば持つほど、使いたくなるもの。戦争を知らない者が大臣になっているので、大臣に広島・長崎の原爆資料館訪問研修を義務付けるべきです。(73歳・男、広島、岡山)

手記 ―― 被爆70年へ 生きぬいて(4)

「被爆者集まれ」被団協結成に参加
須藤叔彦(すとう・としひこ)さん 84歳〈長崎被爆 当時16歳 前橋市在住〉

Photo
日本被団協総会で発言する須藤さん(99年6月)

 19歳のとき、国鉄広島駅構内で客車の入れ替え作業中に、原爆の閃光で頭、顔面、両腕に大火傷を負い、太陽が昇るにつれ顔面や腕の皮膚が垂れ下がり、無惨な姿になりました。爆風で30メートルも吹き飛ばされ、被爆から60年たって頸椎と腰椎の変形と診断され、歩行に支障が出ました。さらに甲状腺の機能低下や心不全を発病しました。
 両腕にケロイドが残り、顔の皮膚はどす黒くなり、原爆は伝染や遺伝するという風評から健康や結婚への不安感は耐え難く、人と会うのも恥ずかしくて避けるようになりました。

* * *

 私は現在87歳で、生命の危険に脅かされています。29歳で助役試験に合格し予備助役でした。駅長になる夢がありましたが、あの残虐な原爆の非人道性に心からの怒りに燃え、駅長への夢を捨てて原爆の生き証人の一人として反核・被爆者運動に傾注していきました。
 一生懸命に活動して、1966年に国労に「被爆者対策協議会」を結成して大きな反響を呼び、全国に組織化と運動が拡大しました。国鉄労働者の手で原爆死没者の慰霊碑を広島と長崎に建立し、毎年原爆の日に死没者への弔慰と核廃絶の誓いを新たにしています。
 わたしを被爆者運動に駆り立てたのは、被爆時に作業をともにしていた同僚の爆風で機関車の前に落ち轢断されるというむごたらしい死でした。

* * *


 84年には被爆地広島市に「原爆被害者の会」を結成、私が会長となり県被団協に加盟し、県被団協副理事長として迎えられました。当時、県被団協理事長は故・森瀧市郎先生で私の尊敬する方でした。その補佐役、手足となって運動することは大いなる誇りでした。森瀧先生の核絶対否定の理念である「核と人類は共存できない」という言葉が、今日ほど重要なときはないと思っています。
 米国オバマ大統領は2009年プラハで「核兵器なき世界」と演説してノーベル平和賞を受賞し、私たちを喜ばせましたが、すぐに裏切り大きく失望させました。昨年の国連で「核兵器の非合法化」の声明への署名を拒否し、日本も同調しました。残念でなりません。
 日本でも、被爆国でありながら核武装論が台頭していることを憂います。核絶対否定こそ、核兵器廃絶の基本理念です。日本被団協と各県被団協の存在こそが、日本の核武装をくい止められると信じています。

* * *

 生きぬくために原爆の生き証人の一人として、全身全霊を打ち込もうと固く決心しています。
 東日本大震災から早くも2年経ちました。犠牲者や被災・避難者問題の解決は急務です。原発の安全神話は崩れ、核の平和利用はありえなくなりました。脱原発しかなく、再稼働や増設はもっての外です。
 私たちも日本被団協を中心に、政府や電力会社の国民の声を裏切るような行為を許さないため闘おうではありませんか。

相談のまど 骨髄異形成症候群とはどんな病気?

 【問】最近「骨髄異形成症候群」という病気をよく聞きますが、これはどんな病気ですか。どんな検査を受ければよいのですか。自覚症状はありますか。また、原爆症認定は受けられますか。

* * *

 【答】「骨髄異形成症候群(MDS)」は、白血球と血小板が成熟しなくなる、血液と骨髄の病気の一種です。高齢者に多い病気で、貧血から発見されることがほとんどです。また、白血球減少や血小板減少などもみられることがあります。
 被爆者健診の血液検査で、貧血の有無を調べることで発見が可能ですから、必ず被爆者健診は受けてください。そして、今まではなかった貧血を指摘された時は、放っておかないで、指示にしたがって検査を受けてください。
 この病気は、軽度の貧血のまま進行するものから、重篤な場合まで幅があります。また、急性骨髄性白血病へ進行する場合もあります。
 発症時の自覚症状は乏しく、貧血が進んでいれば体がだるいなどの自覚症状があります。
 この病気での原爆症の認定は、「新しい審査の方針」に該当する被爆状況であれば、大丈夫だと思います。