2013年4月号 主な内容

手記・生きぬいて
憲法9条は世界への約束
水野秋恵さん 72歳(愛知県原水爆被害者の会)
私は5歳の夏、祖母のいた広島の爆心地から1・2キロで被爆しました。
あの日の朝、近所の人に「珍しいお菓子が手に入ったから食べにおいで」と呼ばれ、3歳の弟と一緒に行ってみんなでお菓子を食べかけたその時でした。原爆が落とされ、たくさんのフラッシュを合わせたような光とともに台所の戸が激しい音を立てて開き、家が崩れ、私は瓦礫の下敷きになりました。弟も私も助け出されましたが、私は顔数カ所と右腕に大けがをしました。その家のお姉さんが下着を裂いて上手に止血してくれたお蔭で右腕を切り落とさずに済んだと後に聞かされました。父の里岐阜に帰ってから、いろんな人に顔の傷や右腕のケロイドを「どうしたの」と聞かれました。

2列目右から2人目が水野さん(今年3月1日焼津)
高校生のころでした。地元の新聞に「広島・長崎の原爆被害者の皆さん懇談会に集まろう」といいう記事が載りました。連絡先に電話して「何か私にできることはありますか」と尋ねると、確か愛知県原水爆被災者の会の初代理事長になられた西村津岐夫さんから「あなたは先ず学業に専念してください」と言われました。やがて世の中は60年安保に突入します。関心は持っていましたが、被爆者にかかわることや平和運動には向かいませんでした。
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その後働くようになった名古屋市の椙山女学園の事務所の若い女性に誘われて、新任の先生方数人と一緒に「史的唯物論社会発展史」を学ぶことになりました。学校では教わらない内容に驚きましたが一々納得出来、体調が悪くても薬を飲んで参加し休むことはありませんでした。知らない事を知る喜びが楽しかったのでしょう。職場だけでなく地域でも様々な人と知り合い、私の活動は広がっていきました。
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3・1ビキニデーや広島・長崎の世界大会にも一軒一軒署名とカンパを集めて回り、代表を送り自分も参加しました。
学び行動した事が、私の生き方を変え、生きる自信と確信につながったと思います。
それまでは「被爆者はいつ原爆病で死ぬかわからないのだから、好きな本や映画をみて、無駄な努力はしないでいい」「これが私たちの運命だ」「日本は戦争をしていたのだから仕方がない」と考えていました。
日本が引き起こした侵略戦争、敗戦必至の日本にアメリカがなぜ原爆を投下したか、核兵器は、人間として死ぬことも人間として生きることも許さない人類と決して共存できない絶対悪の兵器であること、仲間とともに「ふたたび被爆者をつくらせない」活動のなかで学び、私自身が変化しました。
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日本が引き起こした戦争で日本軍が殺したアジアの人々は2千万人といわれます。敗戦後、ふたたび侵略戦争はしないと憲法で決めました。第9条はその証です。アジアの人たちへの約束です。
いま生きている私たちは21世紀を平和と文化豊かな世界にする責務があります。一日も早く核兵器のない平和な世界を実現するため世界の人々と連携し次の世代に渡したいと望んでいます。
あの雲の下で何が起こったか
オスロ国際会議で田中事務局長らが証言
ノルウェー政府主催の核兵器の非人道性に関する国際会議が3月4、5日、首都オスロで開かれ127カ国から約550人、日本から朝長万左男日赤長崎原爆病院長、田中熙巳日本被団協事務局長ら政府代表4人が参加しました。
朝長院長は、原爆投下によって引き起こされた広島、長崎の実態を示し核兵器の非人道性を告発しました。
田中事務局長は、みずからの被爆体験とあわせて各国代表に次のように訴えました。

発言する田中事務局長(写真・ピースボート)
みなさん方が写真で見る広島、長崎のキノコ雲の下では赤々と燃えたぎる灼熱の地獄がひろがっていた。その真実を語ることができるのは生存被爆者の証言と彼らが描いた絵だ。被爆者の話に耳を傾け絵を見て欲しい。被爆者の体験こそが核兵器使用がもたらす非人道的破滅を議論する出発点でなければならない。
田中事務局長の発言は共感を呼び、各国政府、専門家の発言が続いた2日間の会議について、ノルウェー政府は議長総括として「核兵器が使用されるとどんな国家も破滅的な事態に対処できないことが明らかになった」とまとめ、メキシコ政府が次回国際会議を開きたいと表明したことを歓迎しました。
会議には核保有5カ国(米、英、フランス、ロシア、中国)は参加しませんでした。
会議に先立ち同市で市民フォーラムが開かれました。
原発ゼロへ 各地で集会・デモ
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各地での集会やデモの様子。上から福島、 秋田、山梨、石川、広島、鹿児島 |
東日本大震災と福島第1原発事故から2年を迎えた3月、全国で行なわれた集会に、被爆者も積極的に参加しました。各地からの報告です。
【北海道】
「さようなら原発1000人アクション北海道」が11日開かれました。昼は市内2カ所で「原発のない北海道」のビラ配布と署名行動。夜の講演会は、呼びかけ人の小野有五北大名誉教授らが泊原発再稼働と大間原発建設に反対する道民としての思いを語りました。ジャーナリストの豊田直巳氏が、震災と原発事故の現状と市民のたたかいを報告しました。
【秋田】
「3・10大館集会」が10日大館市立中央公民館で約120人の参加で開かれました。秋田県被団協の佐藤力美事務局長がフロアー発言。3・11後、日本被団協は脱原発の立場を明らかにし、原発被害者のための健康手帳発行と健康診断の実施を政府・自治体に提案したこと、また内部被曝のおそろしさと67年間のそれとのたたかい、国家補償に基づく援護法制定の運動について報告し、福島の皆さんと連帯してたたかうことを約束すると述べました。
【福島】
11日福島市で「原発の廃炉・再稼働の反対を訴えるデモ行進」が行なわれ、約1300人が横断幕や幟をかかげ「原発ゼロ、原発はいらない」と唱和しながら市内を行進しました。
16日「核と人間は共存できるか」という催しが福島市のコラッセふくしまで参加者約100人で開かれました。講演者の1人として福島県被爆協の山田舜会長が「ヒロシマからフクシマへ―被爆と被曝の体験から」と題して講演。シンポジウムも行なわれ、参加した被爆者の1人は「原爆被害と原発事故は同根。およそ核被害はすべて人間無視の加害だ」と感想を述べていました。
23日「原発のない福島を!県民集会」が福島市あづま総合体育館で開催され、県内外から約7000人が参加。県内の原発全基廃炉を求める集会宣言を採択しました。
【新潟】
新潟県原爆被害者の会は、4月7日に開かれる「さようなら原発長岡集会」の主催団体の1つとなり、西山謙介理事が副実行委員長として参加しています。当日は長岡市内で午後1時から集会、2時半からデモ行進の予定です。
【山梨】
9日「さよなら原発まつり」が甲府駅北口よっちゃばれ広場を中心に開かれ、800人を超える参加者がありました。メイン会場で、山梨県原水爆被害者の会(甲友会)の中島辰和事務局長が原発廃炉と核兵器廃絶を訴えました。
「まつり」の一環で藤村記念館で原爆パネル展と被爆者証言の会も開かれ、甲友会の藤野義男理事が証言をしました。
【石川】
10日「3・10集会in石川」が金沢市内で開かれ、雨と風の寒い日でしたが、会場定員を超える450人が参加しました。福島の現状の報告、石川県志賀原発周辺に存在する活断層報告などがありました。集会後のパレードで、手作りのプラカードやのぼり旗、風船を持って原発ゼロを訴えました。
【兵庫】
10日、神戸市の東遊園地で「震災復興・原発ゼロの社会へ、あれから2年集会」が、激しい風雨の中約千人の参加で開かれました。被爆者も、プレ企画の「NO NUKES」の人文字から参加し、「原発ゼロ 被爆者を原発を許さない!」などと書いた手製ののぼりをかかげアピールしました。
【広島】
10日、広島県被団協の坪井直理事長など4氏の呼びかけで「つながろうフクシマ!さようなら原発 ヒロシマ大集会」が広島市中央公園で開かれ、1500人が参加しました。呼びかけ人のあいさつ、福島県から広島への避難者の訴えなどがありました。集会後、参加者は市の中心地2キロをデモ行進し、原発反対を訴えました。
【鹿児島】
「さよなら原発!かごしまパレード」が10日開かれ、鹿児島中央駅前広場での集会と往復約4キロのパレードに2500人余りが参加しました。被爆者・二世も8人参加。「二度と被爆者が生まれることがあってはいけない」「こうした集会をしなくてよい日本であって欲しい」などの声が上がりました。
市民フォーラムで原爆展
被団協代表が発言 3月2日から3日 オスロ

あいさつする藤森事務局次長
1面所報、核兵器の非人道性に関する国際会議に先立つ3月2日から3日、オスロ市内で非政府組織ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)主催の市民フォーラムが開かれました。ヨーロッパを中心に世界から500人余が参加、日本被団協から田中熙巳事務局長と藤森俊希事務局次長が参加し発言。日本被団協制作のパネル「原爆と人間」が会場のロビーに展示されました。
田中事務局長は初日の全体集会で、「核兵器の破滅的な非人間性」について被爆体験をもとに証言しました。
藤森次長は2日目の公開討論会で田中事務局長とともに被爆体験を証言し、核兵器の威力で安全を保つとする核抑止力論の誤りを指摘しました。
また、ノーベル平和賞授賞式が行なわれるオスロシティホールでのコンサートで開会あいさつ、翌日の市民の集いで質疑に応じました。コンサートはアニメ「ピカドン」を題材にした現代音楽で、今年の夏、日本でも演奏が予定されています。
日本からは、日本反核法律家協会、全日本民医連、日本原水協などからの代表や宗教者も参加、市民フォーラムで発言しました。
非核三原則法制化
意見書採択
非核三原則の法制化を求める地方議会の意見書採択、3月議会での採択で3月26日までの報告分は次のとおりです。
宮城=蔵王町 大河原町 川崎町 涌谷町 大衡村
1月から2月にかけて宮城県はぎの会が県内全自治体・議会訪問を実施した結果が、さっそく表れました。各地でも地元から働きかけて、採択をすすめましょう。
アメリカの「Zマシン」核実験に抗議
日本被団協
アメリカが「Zマシン」による核実験を、昨年10月から12月に2回行なっていたことがわかり、日本被団協は3月14日オバマ大統領あての抗議文を在日米大使館にFAXおよび郵送しました。
抗議文は、3月のオスロ会議で「いかなる国家も国際機関も、核兵器の爆発がもたらす人道上の非常事態に十分対処できる見込みはない」と確認されたことに触れ「核兵器を維持する姿勢を変えていないことに、私たちは強い怒りを持って抗議する」としています。
被曝二世が活動を開始
石川 まずアンケートから
石川では被爆二世が会をたちあげようと、昨年秋から動いています。世話役2人で、石川県原爆被災者友の会の役員さんと連絡を密にとりながら準備を進めています。
まずアンケートに取り組みました。先行している長崎の会から用紙と集約結果をもらい、比較できるようそのまま利用。11月に友の会ニュース同封で郵送し23通の返信、2月の二世健診時に対面で17通を追加しました。40%近い回収率の高さは友の会役員さんのまめな日常活動の反映です。アンケートからは健康不安やガン検診を望む声が多いとの印象でした。
4月に小児科医師による「チェルノブイリとその後から、わかったこと、わからないこと」と題する勉強会を予定、アンケートの結果返しをしながら案内しています。
国立追悼祈念館で原爆展
長崎 二世の会が主催
長崎被災協被爆二世の会・長崎は、3月2日から3日、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の交流ラウンジで「ヒロシマ・ナガサキ原爆と人間」パネル展を開きました。約200人の市民や観光客が来場しました。
当会は昨年5月に発足し、現在会員が60人を超えました。今回のパネル展は、会として市民に向けて初めて活動をアピールする場となりました。
両日とも午後1時から「ナガサキの少年少女たち」「人間をかえせ」の映写会を行ない、午後2時から1時間、被爆者による被爆体験講話の時間を設けました(1面に写真)。訪れた小学生から後日たくさんの感想文が届きましたが、純粋な気持ちが表れていてとても感動しました。
今後も定期的にパネル展を開いていこうと思っています。
核兵器廃絶 放射線被害なくせ
3・1ビキニデー 墓前祭・集会

3・1ビキニデー墓参行進
3月1日静岡県焼津市で開かれた故久保山愛吉氏墓前祭に、日本被団協の児玉三智子事務局次長が参加し、「明日を生きるこどもたちに青い空がわたせるよう、被爆の実相を命ある限り繰り返し語り伝えていく」と誓いのことばを述べました。
午後のビキニデー集会には、全国から約1500人が参加し、福島原発事故から2年を迎えることをふまえ、核廃絶と放射線被害の根絶へ決意を新たにしました。主催者代表の川本司郎静岡県被団協会長は、「核兵器を持つ全ての国が自ら核を廃絶することしか、人類が核の恐怖から逃れる道はない」と訴えました。
研修会開く
千葉県友愛会

駐広島大韓民国総領事の辛亨根(シン・ヒョングン)氏が2月15日、日本被団協を訪問しました(写真左端)。田中事務局長と懇談し、韓国原爆被害者協会の、日本被団協との交流を深めたいとの希望が話されました。
辛総領事は、韓国原爆被害者協会初代会長の故辛泳洙氏の子息です。同協会は1994年に辛会長を代表に日本被団協を正式訪問、翌年8月の韓国での慰霊式に日本被団協代表(山本事務局次長他2人)が初参加して以来毎年日本被団協から役員が参加しています。
「夢千代日記」観劇 事前学習に被爆者
愛媛・松山市で

3月1日、松山市民劇場で3月例会の前進座公演「夢千代日記」の事前セミナーに、愛媛県原爆被害者の会の松浦秀人さん(67歳)が講師として招かれ講演をしました。この芝居の主人公の夢千代は胎内被爆者で、松浦さんも胎内被爆者であることから招かれたもの。
テレビドラマとして発表された早坂暁氏の原作は、今なお広く知られているとは言えない放射線の晩発性障害の深刻さとそれによる被爆者の苦悩を、1981年の時点で娯楽作品として世に問いかけた意義を解明しながら、登場人物の背後に見える被爆者の苦悩などの解説を行ないました。また放射線被害という共通性を持つ原発事故にふれながら「核兵器も原発も人類とは共存できない」としめくくりました。参加した方々からは、「初めて知ったことが多かった」「本当に恐ろしいと思った」などの感想が寄せられました。
「原爆と人間」パネルを学校などに贈呈
コープみらい(とうきょうエリア)が10セット

千葉県不二女子高校へ贈呈
完成から1年余り経った日本被団協の「ヒロシマ・ナガサキ原爆と人間」パネルは、これまでに700セット以上が普及され、国内外の各地で展示されてきました。
コープみらい(とうきょうエリア)は、2012年に12セットを購入。同年が国連の国際協同組合年であったことから、平和の大切さを次世代に伝える取り組みとして、学校にパネルを贈る企画をたてました。
組合員・店舗に配布される情報誌やホームページ等で希望を募ったところ、全国から申込みがあり、小・中・高校のほか図書館や海外とつながりのある団体へ、合計10セットを贈呈しました。
パネル活用の目的として、「広島・長崎への修学旅行の事前学習に使いたい」という希望のほか、中学校では「日本地理では広島・長崎を、歴史では第二次世界大戦を学ぶときに、また公民では平和学習で、全学年を対象に授業で活用」、小学校では「修学旅行前の反戦平和集会、事後の報告会での活用」、図書館では「終戦記念日の前後に展示するとともに、学校の図書館への貸し出しも」との声が寄せられました。
パネル活用後の報告もあり、千葉県の高校から「原爆をテーマにしたドラマ鑑賞後にパネルを見た。ドラマに感情移入して戦争の追体験をし、写真を見たため、現実感があったようだ。今後も有効に活用したい」との感想が寄せられました。
相談のまど 身体障害者手帳の申請について
【問】身体障害者手帳を申請したいのですが、どうしたらよいでしょうか。
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【答】身体障害者手帳は、身体障害者福祉法によって交付されます。
申請は、市区町村役場の障害福祉の担当窓口で行ないます。窓口の呼称や書類の様式は、市区町村によって異なりますので、確認してください。
手続きは、窓口で身体障害者手帳の申請書(本人記載)と、身体障害者診断書・意見書用紙を受けとってください。
身体障害者診断書・意見書は、身体障害者判定の資格を持つ医師に作成してもらいます。
この身体障害者診断書・意見書と、本人の写真(指定されているサイズ)を、申請書と一緒に担当窓口に提出します。
申請してから交付されるまでには、自治体によって異なりますが、1カ月から3カ月程度かかるようです。
身体障害者手帳が交付されると、各種税金の減免、公営交通の割引などが行なわれます。
「身体障害」は、身体の四肢機能の障害だけでなく、(1)白内障などで視力が低下している、(2)心臓、腎臓、呼吸器に障害がある、(3)人口肛門、人口膀胱の場合なども該当します。