被団協新聞

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「被団協」新聞2013年 2月号(409号)

2013年2月号 主な内容
1面 年明けから広島・長崎で全国いっせい行動(2月6日から9日)
戦争被害「受忍せよ」=大阪高裁 大阪空襲訴訟控訴審判決
2面 運動前進のため全国で行動を
国の償い実現運動など議論
被曝一世、二世、三世がつどい
町立図書館で原爆展 埼玉県宮代町
被爆者の声を聞き取る活動 被曝70年にむけ全国で
『50年史』普及 各地で努力 さらに拡げよう
非核水夫の海上通信102
被爆者運動強化募金のお願い
3面 苦しみに立ちむかい乗り越え生き抜く姿…
中沢啓治さんを偲んで ―西本多美子(石川県原爆被災者友の会事務局長)
4面 相談のまど
「証言なしで手帳取得」が話題に

年明けから広島・長崎で全国いっせい行動(2月6日から9日)
原爆被害に国の償い求め

各地で街頭行動など計画
 12月の日本被団協第370回代表理事会で、2月6日から9日に「国の償い実現運動」の全国いっせい行動に取り組むことを決めました。全国いっせい行動の一環として新年早々、長崎では街頭での宣伝、署名活動に取り組み、広島では、全県代表者会議で、岩佐代表委員の講演と『ふたたび被爆者をつくらない決意を世界に!』のパンフレットをもとに学習会を開きました。
 全国では、宮城県、千葉県、東海北陸ブロックなどが2月のいっせい行動の期間中に街頭行動を予定しています。首都圏各被団協は、2月7日に各政党や国会議員への要請をふくむ院内行動にとりくむことを決めています。

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JR長崎駅前で街頭行動(1月12日)

長崎 街頭で署名訴え
 長崎原爆被災者協議会は1月12日、暖かな天候に恵まれ、午後2時からJR長崎駅前高架広場で「原爆被害への国の償い」を求める街頭宣伝と署名を呼びかけました。行動には被爆者15人、二世10人が参加し、1時間で署名が365筆、カンパ2205円が寄せられました。
 原爆症認定集団訴訟の街頭宣伝に参加していた被爆者たちが集まり、年賀の挨拶を交わしながら楽しい雰囲気で始まりました。
 長崎被災協の山田事務局長、田中理事が交代でマイクを握り、「被爆70周年に国家補償の援護法を」「核保有、国防軍発言は断じて許せない」などと訴えました。
 初めて署名活動に参加した被爆二世も大きな声で市民に署名を訴え、チラシを配布しました。
 長崎では高校生1万人署名が広く知られているため、高校生など若い人たちが積極的に署名に応じていました。写真パネルに見入る人たちもいました。二世の医療の相談も寄せられました。
 今回、被爆者も二世もお互いの頑張りに励まされ、気持のよい新年の行動となりました。

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広島県被団協代表者会議で学習(1月21日)

広島 代表者会議で学習
 広島県被団協は、1月21日市内の平和ビルで代表者会議を開き、県内から100人が参加し「国の償い実現運動」について学習しました。
 地方の被爆者は中央の動きが見えにくいこともあり、日本被団協から岩佐幹三代表委員を招いて被爆者としての自覚に再度目覚めて1945年8月6日以後被爆者一人ひとりが歩んできた人生を振り返りました。『ふたたび被爆者をつくらない決意を世界に!』のパンフレットを題材に、学びあいました。
 「私たちは高齢になり今までのような行動力はないけれども被爆者として命をかけて要求すべき問題は全国の被爆者と力をあわせてたたかおう」と話し合いました。
 学習会の後、会場で昼食をともにしながら、二世の運動や相談事業など各地域での活動を報告し合い交流しました。

戦争被害「受忍せよ」=大阪高裁 大阪空襲訴訟控訴審判決

 第2次世界大戦中に、空襲被害を受けた原告(空襲死者の遺族、身体障害となった者など)が国に対し損害賠償を求めた空襲訴訟について、1月16日大阪高裁は、原告らの請求を棄却する判決を言い渡しました。昨年4月25日の東京高裁に続くもので、判決では戦争被害受忍論が展開されています。
 東京大空襲訴訟弁護団の内藤雅義弁護士に聞きました。

* * *

 原告らは、軍人軍属等に対して戦争被害補償がなされているのに、民間人被災者である空襲被害者に補償がないのは憲法上の立法義務に違反していることを骨子として主張しました。
 これに対し、大阪高裁は、(1)第2次世界大戦で生命・身体・財産等について何らかの被害を受けたとしても、国民は何らかの被害を受けたのだから受忍(我慢)をせざるを得なかったし、憲法上、原告らの請求を認めるような条項はなく、立法しないことにより憲法違反にはならない。(2)軍人や軍属、戦闘に参加した者等に補償がなされていることと比較して、空襲被害者に補償立法がないのは、憲法14条に定める法の下の平等に反する、との主張については、補償の対象は、国家から特別危険な状況にある職務に就くよう命ぜられ従事した者に対するものであり、当時国民に対し一般的に防空に当たることが求められていたとしても個別に命令のある軍人軍属等と異なるのであり、空襲被害者に補償がされていないことが憲法14条に違反するとは言えない、などと判断して請求を棄却しました。
 これは、戦時中に戦時災害保護法が存在しており一定の救済がされていたことが無視されているばかりではなく、そもそも、皆被害を受けていたのだから全て我慢しろという判断は、死者など、より大きな被害を受けた者がより大きな我慢をすることになります。
 また、戦争の結果について最も責任を負うべき軍人が最も厚い補償を受けていながら、一般戦災者に補償がないことは、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こらないように決意」して制定された憲法制定の経過、国家よりも一人一人の命と人権に価値を置いた憲法の趣旨に逆行するものです。


運動前進のため全国で行動を

日本被団協 国の償い実現推進本部

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国の償い実現推進本部

 日本被団協は1月25日国の償い実現推進本部(本部長岩佐幹三代表委員、事務局役員と首都圏被団協からの委員で構成)会議を開きました。
 会議ではまず、総会で決定した、被爆70年までに原爆被害への国の償いを実現させるための目標と現在の到達点を確認。10月の全国都道府県代表者会議で、「昔のようには動けないが、旗は降ろせない」と議論したことを踏まえ、運動を前進させるため各地で行動することを確認しました。
 2月6日から9日の「国の償いを求める全国いっせい行動」には、できるだけ多くの都道府県被団協が何らかの行動をすることを改めて呼びかけることになりました。また2月7日の首都圏院内行動の中身と政党と議員に要請する内容について検討。今回の要請は国の償い実現を求めることに重点をおくことを確認し、各都県の地元選出国会議員に面談を申し込むことなどを決めました。


国の償い実現運動など議論

東海北陸ブロックが代表者会議

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東海北陸ブロック会議

 日本被団協東海北陸ブロック代表者会議が1月23日から24日、石川県加賀市のホテルゆのくに天祥で行なわれ、7県から18人(うち被爆二世3人)と岩佐幹三日本被団協代表委員が参加しました。
 1日目は国の償い実現運動について論議。全国いっせい行動に呼応し、2月6日に名古屋市で宣伝行動を行なうことを決定。署名と運動募金、地方議会決議について、各県で目標を決めることを確認しました。2日目は二世問題で、被爆者運動に参加している愛知、福井、石川の二世が思いを語りました。また会の中に二世部会をつくる、会に二世を入れていくなどの方向性がそれぞれ語られました。

被曝一世、二世、三世がつどい

鹿児島県原爆被爆者協議会出水支部

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 鹿児島県北部、鶴の越冬地で有名な出水市の天然温泉「鶴の里」で、1月20日、出水支部被爆一世、被爆二世・三世合同相談講習会及び懇親会を開催しました。高齢化で支部単位での会合の準備さえままならない今、県被団協の総会で3カ年計画を立て、県の事務局が中心となり開催することにしたものです。
 寒さと雪を心配していたのですが、幸いぽかぽか陽気の晴天に恵まれ、被爆者9人、二世6人、三世1人の16人が参加。闘病中の被爆者が「是非参加したい」と家族に支えられながら出席するなど、久々の集まりを楽しみにしていてくださいました。
 今回、出水にゆかりがあるとの事で、日本被団協の木戸季市事務局次長に駆けつけて頂き、出水とのかかわりや体験をお話いただくと、うなずきながら自分の事と重ね合わせている参加者もおられました。これまで、そして今後の被団協運動についてもお話いただきました。
 県被団協事務局から3カ年計画を中心に事務連絡し、松原宏子事務局次長が「健康・介護など、どんな些細な事でも相談を」と資料を基に説明しました。
 懇親会では、和気あいあいとした雰囲気の中で近況などを話し合いました。最後に記念撮影をし(写真)、次の開催を約束して散会となりました。

町立図書館で原爆展

埼玉県宮代町

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埼玉県宮代町

 埼玉県宮代町立図書館展示ホールで12月7日から9日、広島・長崎被爆写真展が開かれました。杉戸宮代平和委員会主催。  日本被団協の新パネルを、両面テープでボードに貼り、展示しました。また運営委員が事前に「ヒロシマ・ナガサキ 原爆と人間」のパンフレットを購入して予習し、来場者を迎えました。  期間中約120人が来場。「若い人に戦争の悲惨さを知ってほしい。今後もこのような展示会を続けてほしい(70代女性)」「解説にかなが振ってあるのでよくわかりました。初めて見たのでびっくりしました(小学6年女子)」などの感想が寄せられました。

被爆者の声を聞き取る活動 被曝70年にむけ全国で

ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会

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 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会は1月18日、継承の課題を進めるための2回目の懇談会を日本青年館で開きました(写真)。同会の理事、会員ほか全国大学生協連、さいたまコープ、日本原水協などの団体や聞き書きのグループの担当者、日本被団協の役員、被爆者が参加。
 被爆者から、「原爆被害とは何か、被爆者は何を願い何を求めてきたのか」を受け継いでもらいたい、語る人と聞く人が確認しあうような取り組みに、などの発言がありました。聞く側からは、聞き取りの基本シートがあれば、若い人が3人ひと組で被爆者に話を聞く取り組みができそう、などの発言がありました。
 被爆70年を当面の目標に被爆者の声を聞き取る活動をすすめ、日本政府や国連に向けたレポート作成もめざし、次回懇談会から具体的行動について議論する予定です。

『50年史』普及 各地で努力 さらに拡げよう

 『日本被団協50年史』の普及が、12月から1月にかけても各地で取り組まれました。岐阜6セット、栃木4セット、大分と愛媛が1セットなどです。岐阜では会の役員が兄弟や子どもに、被爆者運動を知ってもらうために贈っています。また、愛媛では役員の知人の大学教授を通して大学に購入してもらいました。  運動の継承のため、積極的に普及しましょう。

被爆者運動強化募金のお願い

 東日本大震災、そして東京電力福島第一原発の事故から2年を迎えようとしていますが、今なお放射能被害は続き、私たちの「ふたたび被爆者をつくるな」の願いを踏みにじるような、深刻な事態となっています。日本に世界に被爆の実相を伝える運動を続けてきた被爆者の役割が、あらためて重要になっています。
 今年は、広島、長崎での「あの日」から68年目です。私たちは、核兵器のない世界を実現するため、あらゆる方法で被爆の実相を普及するよう努めます。また、被爆70年にあたる2015年までに原爆被害への国の償いを勝ち取るため、力を尽くす決意です。
 不況の中、大変恐縮ですが、今月号に付録として同封した「お願い」もご覧のうえ、大きなご支援をいただけますようお願い申し上げます。

苦しみに立ちむかい乗り越え生き抜く姿…

『自分史つうしんヒバクシャ』終刊にあたって 栗原淑江さんに聞く

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上・栗原淑江さん
下・「自分つうしんヒバクシャ」第1号(左)と第240号(最新号・右)

被爆者の自分史に多くのこと学ぶ
 1993年2月からスタートした『自分史つうしんヒバクシャ』が、第240号(2013年1月10日付)で終刊しました。20年間、同紙を主宰してきた栗原淑江さんに、終刊にあたっての思いを聞きました。

 多くの人に支えられ
 何カ月続けられるかわからないままスタートしましたが、20年間、多くの被爆者のみなさん、読者のみなさん、発行を支援してくださった方々に支えられ、毎月発行を続けることができました。原稿集めに苦労することは一度もありませんでした。『自分史』によせられたみなさんの熱意が『自分史』を育て、広げてくださったと思っています。たいへんありがたく感謝しています。

 たたかいの記録を残さなければの思いで
 1980年代、ずっと日本被団協の事務局で仕事をしてきました。基本懇の答申が出、戦争被害「受忍論」を乗り越えるためのさまざまな運動にとりくむなかで、被団協運動を一生懸命支えてこられた中央、地方のリーダーが亡くなられていくのを目の当たりにしてきました。その人たちの生きた軌跡というか、たたかいの記録でもあるんですけど、一人ひとりの生きた姿をなんとか残していくことをやらないといけないとずっと感じていました。91年6月に被団協を退職。元々被団協に来る前から、被爆者の生活史調査をやってきたということもあって、単に8月6日、9日の被爆体験だけではなく、その人の被爆前から現在までに至る生活史だとか精神史などまるごとの人生を把握することが、原爆被害はどういうものかを知るうえでも、被爆者が何を願ってどう生きてきたのかを知るうえでも大事だというのがありました。何十年もかかわってきた一人として自分にできることはないかと考えました。  被団協を辞めて自分の最小限の生活基盤をつくって、一年半ぐらいかけて具体化し、92年の暮れに自分史を呼びかけました。書き続けるには書く人・読む人の交流の場がほしいというのが『つうしん』発刊の経緯です。被団協がいやになって辞めたわけでは全然ないんですよ(笑い)。

 わたしの宿題
 寄せられた被爆者の自分史が私たちに語り掛けているものは何か、とても一言では言い表せません。時間をかけて整理していくのがわたしの宿題だと思っています。自分史には残酷な体験をした人たちが、原爆のもたらす苦しみに立ち向かい、紆余曲折を経ながら、それを乗り越えて生きてきた姿が記されています。言語に絶する体験を何とか言葉にして伝え、子や孫はもちろん、世界の誰にも味わわせてはならないと、命の限り努力する姿から、人はこのように生きることができるのだと教えられてきました。被爆者の自分史は、私たちがこの時代を生きるために何を学び、引き継いでいけばよいのかを考える、宝庫だと思います。

 次代へ書き継いで欲しい
 『自分史つうしんヒバクシャ』は終刊しますが、これまでつくられたネットワークをさらに発展させ、みなさんの自分史作品をはじめ、被爆者の生の足跡、運動の記録を収集・整理・保存し、次代の人たちが活かすことができるよう橋渡ししていきたいと考えています。
 そのためにも、現在、中央、地方で被爆者運動をひっぱっておられる方には、ぜひ、自分史を書いていただきたいと切に願っています。忙しいことが書けない理由になっていますが、何か、一つのテーマにつき、原稿用紙4、5枚で書いていただき、それを書きためていくことで自分史が書けるのではないかと思います。自分の生涯10大事件を書き、それを年代順に並べ、穴のあいたところはあとで埋めていくなどの方法もあります。この20年、運動をひっぱりながら自分史を書かれた方もいらっしゃいますが、残念ながら少ないのが実際です。被爆者運動を継承するためにも、ぜひ一人でも多くのみなさんに書き残していただきたいと願っています。


中沢啓治さんを偲んで―

西本多美子(石川県原爆被災者友の会事務局長)

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中公文庫版『はだしのゲン』

 「『はだしのゲン』をひろめる会様/会の設立おめでとうございます。『はだしのゲン』が英語版や各国語に翻訳され始め、ゲンがはだしで世界を闊歩しています。ゲンは地球上を何百回、何千回もはだしでかけめぐり、世界平和と核兵器反対が少しでも多くの人に理解されるよう、『はだしのゲン』がしっかりと役目を果たしてくれることを願っています。皆さん、ゲンに力を貸してやってください。/2012年12月9日 中沢啓治」
 これは昨年12月19日肺がんのため73歳で亡くなった漫画家中沢啓治さんが、亡くなる10日前、朦朧とした意識の中で、金沢での『はだしのゲン』をひろめる会設立に寄せたメッセージです。
 中沢さんは6歳の時、1・2キロの近距離で被爆しました。塀の陰にいて助かったものの、父、姉、弟の3人を目の前で焼死させた辛い体験をされています。漫画家を目指して上京、差別を恐れて被爆のことは隠していました。が、母親が荼毘に付された時、骨も残らなかったことに怒りを爆発!
 自らの体験をゲンに重ねて『はだしのゲン』を書きベストセラーになったのでした。今、「はだしのゲン、プロジェクト」によって、20カ国語にも翻訳されて世界の人々に読まれ、広がり続けています。
 中沢さんは永遠にゲンとして生き、核兵器の廃絶を訴え続けます。
 人類への偉大なメッセージを有難うございました。心より哀悼の誠を捧げます。合掌


相談のまど
介護保険サービスの利用料

被爆者も1割の自己負担が必要なサービスがありますか  【問】介護保険制度によるサービスには、医療系と福祉系のサービスがあるようですが、これらのサービスの中で、被爆者健康手帳が使えるものにはどんなものがありますか。
 福祉用具の貸与などについては、1割は自己負担するように言われましたが、どうなっていますか。

* * *

 【答】おっしゃる通り介護保険法のサービスには、医療系と福祉系のサービスがあります。
 医療系サービス利用料の1割の自己負担分については、被爆者健康手帳があれば負担する必要はありません。
 福祉系サービスの場合は、訪問入浴介護、車椅子など福祉用具の貸与、痴呆対応型共同生活介護(グループホームでの介護)、有料老人ホームでの介護の利用料1割負担は、被爆者も自己負担となります。
 さらに、便座など特定福祉用具の購入、段差解消、ドアの改修など住宅改修費も、1割は負担することになっています。
 なお、食事サービス、移送サービス、紙おむつなどは介護保険法の対象外ですので、民間のサービスを利用するなどして、全額自己負担となります。

「証言なしで手帳取得」が話題に

 佐賀県の唐津原爆被害者の会の平山末廣さんから、本紙「証人さがし」に掲載した水上正則さんに証人なしで被爆者手帳が交付されたことが新聞報道に取り上げられた、との報告がありました。
 本紙では399号「証人さがし」に掲載し、406号で「証人はみつかりませんでしたが、被爆後の健康状態などを詳しく記した申述書を提出し、交付となりました」との報告を掲載しました。今回取り上げたのは毎日新聞西部版12月30日付。1面に「証人なしで被爆者手帳-証言、書類で総合判断」の見出しで掲載されました。県健康増進課担当者の話として「本人の申術内容や他の書類から総合的に判断した。同じ造船所にいた申請者が過去におり、水上さんの証言が信用できると判断した」との理由が説明されています。