ロシア団連代表部に要請(5月)
各種パンフレット
厚生労働省は9月21日、原爆症認定申請についての処分状況を、2010年4月、5月、6月の3カ月分について開示しました。
これによると、申請1611件のうち、認定は248件、却下は1363件です。
処分理由として、「起因性がないもの」、「要医療性がないもの」、「起因性も要医療性もないもの」の3種をあげています。
処分結果をみると、直爆0・6キロや0・7キロの白内障が「起因性なし」で却下されている一方、直爆1キロや1・1キロが認定されています。白内障の申請は、273件のうちわずか4件しか認定されていません。
ガンについても、直爆5キロや入市4日後の人が認定されている一方、直爆3・6キロや3・7キロの人が「起因性なし」で却下されるなど、申請509件のうち認定は175件にとどまっています。
心筋梗塞、甲状腺機能低下症、慢性肝炎・肝硬変の3疾病はほとんどが「却下」です。
厚生労働省の説明では、「放射線白内障の特徴がない」とか、喫煙、肥満の習慣があるなどと言っていますが、「新しい審査の方針」に照らして理解に苦しむこれらの事例や、「要医療性」での却下事例が多いのも気になります。
申請疾病名と処分日は示してありますが、申請日、性別、年齢がないため、処分の違いがわかりません。
申請者が納得のできる却下理由が個別に示されていないので、申請者の不満も多く、今後に課題を残しています。
「現行法改正要求(案)」が提案されて半年になります。総会での討議に始まり、神奈川、千葉、東海北陸ブロック、九州ブロック、東北ブロックなど、各地で学習会や話し合いがすすめられています。東友会、長崎被災協では連続学習会も行なわれました。
当初「むずかしい」「何をどう討議すればいいかわからない」などの声が聞かれました。一方で「大変結構です」という声もありました。多く聞かれたのが「国家補償を求める基本的要求と制度改善を求める要求が混在しており、改正の趣旨が分かりづらい」という意見です。
確かに、改正要求8項目のうち、1の「現行法前文の改正」要求、2の「原爆死没者への弔意金、あるいは特別給付金支給」要求、3の「被爆者全員に被爆者手当を」要求は、基本的要求に関するものです。4から8までは、主として制度改善的要求となっています。
3つの基本的要求改正案が、被爆65年を迎えた被爆者の原爆被害に対して応えるものになっているかどうか、討議されなければならないと考えます。被爆から12年間も遺棄された被爆者は、1956年に日本被団協を結成しました。それから今日まで被爆者は、一瞬たりと休むことなく、たたかいつづけてきました。現行の被爆者施策のどの一つをとっても、このたたかいなくして実施されたものはありません。
「原爆被害とは何か」が、討議の核です。具体的には、被爆65年、あの日をはじめ、自分自身が被爆者としてどんな苦しみや体験をしてきたか、何を考え、何を求めて生きてきたかを出し合い、語り合うことが、「原爆被害とは何か」をはっきりさせることになるのではないでしょうか。
要求案の基本的要求の3つの項目に即して考えると、まず国家補償とは何かが討議されなければならないでしょう。被爆者が求める国家補償とは具体的に何か、たとえば国が謝罪すること、とすれば、謝罪は具体的にどんな内容かなども検討の課題になるでしょう。国家補償の被爆者援護法を制定することは、これまでの原爆被害を償うだけでなく、核兵器、核戦争を拒否する証であること、未来への国としての誓いであることもはっきりさせたいものです。
原爆死没者への償いは、その遺族に対してのみ行なわれるものか、死没者の範囲はどこまでか、お金ではない償いは考えられるのかどうかも、検討課題になるのでしょう。
被爆者手当要求の根拠は何かも検討課題です。
検討されるべき課題はまだまだあると思います。活発な討議を期待しています。
(現行法改正検討委員会副委員長 木戸季市)
埼玉県入間市議会の前回議会で「非核三原則の法制化を求める意見書」が不採択になったため、7月に入間市原子爆弾被爆者一同として「市民のみなさんへ」という訴えを出し、署名活動に取り組みました。猛暑の中約1カ月で3224人分を集約。押印が必要な署名ですが、郵送くださるなど、市民の関心の高さに心を打たれました。
この署名を力に市議22人全員に会って紹介議員をお願いしましたが、承諾は2会派のみ。その後全議員に私の被爆体験を送付し、何としても採択をと訴えましたが、9月7日の総務委員会で不採択。17日に再度全議員に訴えを送付し、22日の本会議に臨みましたが、これも不採択でした。
しかし、委員会、本会議とも多くの市民が傍聴し「被爆者の声を正面から受け止めてほしかった」などの声が聞かれ、「今後も被爆者とともにたたかう」との励ましを得たことは大きな収穫でした。(入間市・原明範)
非核三原則の法制化を求める地方議会の意見書採択、7月20日以降9月24日までの報告分です。
熊本=荒尾市 宇城市 上天草市 嘉島町 和水町 山都町 南関町 氷川町
長崎被災協では、現行法を知ろう、そして現行法をどう変えていくのか被爆者と市民で論議を呼び起こそうと、2つの学習会を計画しました。
第1回は9月4日被災協地下講堂にて開催。横山照子相談員が年表などの資料を使って、被爆者運動によって制度が作られてきたことを説明しました。また、原爆症認定制度や「被爆体験者」の問題など、多くの矛盾があることを述べました。
長崎被災協会員をはじめ、医療関係者、「被爆体験者」など30人が参加し、講演のあと、それぞれの立場から意見を述べました。原爆症認定問題では、納得できない却下事例や、「新しい審査の方針」の問題点などが議論されました。被爆体験者は、「被爆体験者精神医療受給者証」が交付されるが、2年に1度、精神科医に診断書をもらうのはたいへんな苦痛を伴うこと、県内に住んでいると医療費は交付されるものの、ガンには適用されないなどの現状を訴えました。
2回目は10月2日午後「こう変えよう 被爆者対策」のテーマで山田事務局長が講演します。
(長崎・柿田富美枝)
全国空襲連結成(8月14日)
国連本部での展示
全国空襲連結成(8月14日)
鹿児島原爆被爆二世の会は3年前の10月に発足し、現在150余名の会員が所属しています。
活動は、年1回の「知事要請」と要請後の状況確認等、担当部局に出向いたりしています。昨年度からは二世の「健康管理手帳」の発行を最優先として要請しています。
今年度から、原爆の恐ろしさや被爆者の苦労を語り継ぐ取り組みを始めました。被爆者である親の背中を見て育ってきた私たちですから話せることはあるはず。体験記の朗読・パネルを用いた説明、紙芝居など、できることからやろうと10人程で勉強会を始めました。
10月の慰霊式典は二世主導で執り行ないます。
不定期で「二世便り」を発行して、活動や学んだことを伝えています。仕事をしながらの活動なので思うようには行きませんが、一人ずつでも一緒に活動する仲間が増えることを願い、一歩一歩運営してまいります。
(鹿児島県原爆被爆二世の会会長大山正一)
◇…「原爆投下は、戦争中のことであり、やむを得なかった」と昭和天皇が発言したのは1975年10月31日、宮中での記者会見の席でした。質問したのは、中国放送の秋信利彦記者。
◇…秋信さんは、天皇会見の雰囲気にひるみましたが、「あの子供たちの苦しみに比べたら…」と思った瞬間、手を挙げていました。「あの子供たち」は、原爆小頭症の子供たちです。
◇…秋信さんは原爆小頭症の実情を訴えてきました。1965年刊の『この世界の片隅で』(岩波新書)では風早晃治の筆名でレポートしています。
◇…定年退職後は小頭症の患者・家族の会「きのこ会」の仕事に専念。また、広く被爆者運動に協力してきました。
◇…9月15日死去。享年75。根っからの「ヒロシマ記者」でした。
【問】 私はこのたび乳がんで、「原爆症」と認定されました。
県庁から、認定された乳がんについては、「指定医療機関」で治療を受けるようにと連絡がありました。私が乳がんの治療を受けている病院は、「指定医療機関」ではありません。どうしたらよいでしょうか。
* * *
【答】 原爆被爆者に関係する医療機関には、都道府県が指定するものとして、被爆者が被爆者健康手帳を使って医療を受けることができる「被爆者一般疾病医療機関」と健康診断が受けられる「健康診断委託医療機関」があります。また、原爆症と認定された病気に対し「医療の給付」を行なう「指定医療機関」があり、これは国が指定します。「医療の給付」は、認定された疾病の治療費10割を国が負担するものです。
「新しい審査の方針」実施以降、原爆症認定被爆者がふえています。指定医療機関は、全国で現在1359カ所です。決して多くありません。
「指定医療機関」は、医療機関からの申請が行なわれてから、国が指定します。
あなたの場合、今後どうするかですが、(1)治療を受ける病院を、現在治療を受けている病院から「指定医療機関」の病院にかえること (2)現在治療を受けている病院に、指定医療機関の申請をしてもらい「指定医療機関」になってもらうこと、のどちらかになるでしょう。また現行法は「緊急その他やむを得ない理由により、指定医療機関以外の者から医療を受けた場合において、医療の給付に代えて、医療費を支給することができる」(法17条)としていて、今のまま治療を続けることもできます。
がんの治療の場合は、簡単に病院をかわることは難しいと思われます。病院とよく相談し、検討してください。
クイズ応募はがきの「ひとこと」から
◆17歳の時8月6日と7日に入市しました。毎年のように平和祈念式典に参加し祈りを捧げています。国連事務総長のあいさつは、大変に評判がよかったように感じました。今年の暑さはことのほか酷しく、30アールの米作りに頑張っていますが、今年が最後かとも思っています。(広島・82歳・男)
◆毎月新聞の来るのをたのしみにしています。私は5年前に入院して現在もそのままです。夫が毎日付き添いに来てくれています。(新潟・75歳・女)
◆新聞、充実して読みいいです。今年の暑い夏をよくのり切れたなーという思いです。(東京・66歳・女)