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「被団協」新聞1997年 3月号(218号)

【米大統領と国連第一委員長にSSDIV開催要請】

 日本被団協は2月20日、アメリカ・クリントン大統領と、国連第一委員会のアレクサンドル・スホウ委員長あてに要請書を送りました。

 これは、第四回国連軍縮特別総会(SSDIV)の1999年開催をめざして、4月21日から国連第一委員会で協議が始まるのを前にして、原爆被爆者としての要請をしたものです。

 クリントン大統領にたいしては、1核兵器廃絶のための多国間交渉を始めること、2.「未臨界核兵器実験」を取りやめること、3.核抑止政策をすてること、4.SSDIVを開催し核兵器廃絶国際条約を締結すること。

 スホウ委員長には、1.SSDIV開催の実現 2.SSDIVでの核兵器廃絶国際条約の締結 3.被爆者からの証言をきくこと−を要請しています。

【参考】手紙の内容をご紹介します。

アメリカ合衆国大統領  ビル・クリントン殿

 私たちは広島・長崎の原爆被害者です。核戦争地獄を身をもって体験した私たちは、この世界に核兵器が存在することを絶対に許せません。核兵器の使用と使用の威嚇が、一般的に国際法に違反することが、昨年7月国際司法裁判所によって確認されました。このことは広島と長崎への原爆投下が違法なものであったことを意味します。

 貴殿は人類史上はじめて人間にたいして原爆を使用した国の代表者として、ハリー・トルーマンの後継者として、広島と長崎への原爆投下が極悪の犯罪であったことをみとめ、これを謝罪し、償いをする責任があります。

 あの2発の原爆は、瞬間に数十万人の人々を地獄の劫火に投げこんでなぶり殺しただけでなく、今日まで30数万人を殺し、いまなお30万を超える人々に苦痛にみちた生涯を強いています。

核兵器はどんな理由があっても決して使ってはならない悪魔の兵器です。持つことも開発することも人類に対する犯罪です。

 昨年12月4日、貴国の元戦略空軍司令官バトラー将軍後元欧州連合軍最高司令官グットパスター将軍をふくむ17カ国60名の元軍最高幹部が、「核兵器の存在が人類の生存にとって明白で現実的な危険となっている」として、核兵器の廃絶へ向けて緊急に行動を開始することをよびかけました。私たちはこの呼びかけを歓迎し、貴殿がこれに誠実に応えられることを要求します。

 しかし、残念ながらペリー国防長官やジョンソン副報道官はこれに対し、米国が「核抑止」の政策を変えることはないと言明しました。これは核兵器のない世界を求める世界世論への真っ向からの挑戦であり、世界のすべての人間に対するかぎりない侮辱であります。

 私たちは貴殿と貴国の政府のこのような姿勢を厳しく糾弾します。私たちは貴殿に対し、ただちに次の行動を起こされるよう要求します。

   1.「核抑止」政策を捨て、核兵器廃絶の立場に立ってください。

   2.「未臨界核実験」をやめてください。

   3.国連決議にしたがって、核兵器廃絶の国際条約のための多国間交渉を開始してください。

   4.1999年に開くことが提案されている第4回国連軍縮特別総会(SSDIV)には核兵器廃絶国際条約の締結へ
      向けての決定的なステップが踏み出せるよう、ただちに作業を開始してください。

 1997年2月9日

日本原水爆被害者団体協議会
代表委員  伊東 壮
同    伊藤 サカエ
同    山口 仙二
以上代表  伊東 壮

【原爆展パネルについて】

国連第一委員会委員長

 アレクサンドル・スホウ殿

 (Alyaksandr Sychou, Belarus)

 私たちは広島・長崎の原爆被爆者です。核戦争地獄を身をもって体験した私たちは、この世界に核兵器が存在することを絶対に許せません。地球上から一日もはやく核兵器を廃絶すること、それが私たちにとってもっとも重要な課題であり悲願です。生きているうちにこの目的を達成するために私たちは世界の各地へ代表を送り、広島・長崎の原爆被害の実相を語りひろげています。

 昨年秋の国連総会に際して、あなたが核兵器廃絶のために多大の努力をかたむけられ、マレーシア提案の決議案の採択など、この問題の解決へむかって着実な成果をあげられたことに心からの敬意をささげます。

 またこの総会においては、1999年に第4回国連軍縮特別総会(SSDIV)を開催する方向での大方の合意がなされたと聞き及んでいます。私たちは、今年中にこの問題が大きく前進する出あろうことに大きな期待を寄せています。つきましては、以下のような私たちの願いが実現しますよう、貴殿にいっそうのご尽力をお願い申し上げます。

   1.1999年には、かならずSSDIVの開催を実現してください。

   2.SSDIVでは、期限を切って核兵器廃絶条約を締結することを、もっとも重要な議題としてください。

   3.国連において核兵器の問題が討論されるとき、広島・長崎の原爆被害者や、各国の核実験による被害者から、直接に
      被害の実情を聞き取る機会をつくってください。

 1997年2月9日

日本原水爆被害者団体協議会
代表委員  伊東 壮
同    伊藤 サカエ
同    山口 仙二
以上代表  伊東 壮

核兵器廃絶へ

【原爆中心碑残る】

 長崎の原爆中心地公園の爆心地を示す標柱(中心碑)は、そのまま残ることになりました。

 現在の標柱を撤去して、爆心地に長崎出身の彫刻家富永直樹氏が制作する女神像を建立するという構想が明らかにされたのは約1年前。やがて、バラの花の衣装をまとった母親が傷ついた子供を抱く母子像の原型が発表されると、計画撤回を求める市民の声はいっそう大きくなりました。一方市の態度はますます硬化、さらには「母子像」に反対する請願書名を、電算機で分析するという異常な事態まで発生したのでした。

 市民団体は住民投票条例の制定を求める直接請求を検討しはじめました。そういう中で、長崎市長は、ようやく中心碑撤去の方針を撤回したのでした。市民の力で残った中心碑−地元紙はこう表現したのでした。

【岡光元厚生事務次官の悪業】

 1月21日付の毎日新聞の「近聞遠見」欄に、驚くべき事実が載っていました。原文のまま引用します。

新進党の某幹部から次のような打ち明け話を聞いた。
  「細川連立政権のときです。私は国会運営の担当をしていました。ある日、厚生省の岡光(序治・全事務次官、収賄罪で起訴)が一人連れてやってきたんです。一人というのは大蔵省で厚生担当をしていた中島(義雄・元主計局次長、過剰便宜供与などで退職)ですよ。二人で『被爆者援護法をつぶしてください。あれが通るとほか(の戦後補償)にもひろがって大変なことになりますから』と言うんです。びっくりしましたね。結局は村山政権に移って、あっさり成立してしまうんだけど。」

 筆者は、岩見隆夫氏で、毎日新聞の編集顧問、元政治部長です。

 当時、岡光は官房長でした。岡光は大臣にも同じ進言をしたのでしょうか。

 被爆者が、血のにじむ思いで、老骨にむち打って、被爆者援護法制定を求める国会請願署名を集め、自治体の促進決議をとり、国会議員の賛同署名を集めているさなかのことです。

 政権党内に「被爆者援護法に関するプロジェクト」ができて、援護法制定への世論と気運が大きく高まってきたときです。その最中に、高級官僚が立法阻止で立ち回っていたとは…。

 被爆者の願いをつぶし、国家補償を拒みつづけている高級官僚たち。その傲慢さに怒り百倍です。