新たなミレニアム(千年紀)を考える

人類が現れるよりもずっと遠い昔。
月に豊富な水があった頃、地球の出はこんな光景だったことでしょう。


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 <ミレニアムの語源と本来の意味は>
 こんどの世紀変わりは、単に100年(センチュリー)単位の世紀変わりではない。1000年(ミレニアム)単位の大転換である。ミレニアムという概念は、日本ではなじみが少なかったが、99年後半から急に新聞や雑誌などが頻繁に使い始め、生半可ながらもポピュラーな言葉になっている。
 ミレニアムは英語で millennium と綴り、語源はラテン語で「千」を意味するmilleと「年」を意味するannusから来ていて、千年紀と訳されている。
 millenniumの語はもともとは、聖書の黙示録で予見されている「至福千年期」を指す言葉だった。これは、旧約聖書の「ダニエル書」と新約聖書の「ヨハネの黙示録」に記され、キリストが地上に再臨してこれまでの秩序が終わりをとげ、復活したキリスト教殉教者とともにキリストが千年間に渡って支配する「千年王国」が訪れる、というものだ。さらにこの千年間が終わるとサタンとの間で最終戦争が行われ、キリストと善人たちが勝利した後で「最後の審判」が行われる、とされている。
 聖書に予見されている「至福千年期」はいつから始まるのだろうか、という信仰上の議論は、キリスト教信者たちの間で西暦150年ころから現代に至るまで2000年近くも続いているが、この過程を通じてmillenniumの語は、しだいに暦の上での1000年間という期間を指す言葉として欧米を中心に使われるようになり、百年間を示す世紀のcenturyと同じような使われ方をされるようになってきた。「至福千年期」は「期」なのに対し、「千年紀」は「紀」を使うことが多いのは、このような意味の変遷があることに注目したい。
 日本で最初に話題を呼んだのは、1996年に出版された「ミレニアム」上下2巻(フェリペ・フェルナンデス・アルメスト著)が、過去1000年の歴史の始まりとして、紫式部の「源氏物語」をあげていることで、これがきっかけで「ミレニアム」の語もしだいに使われていくようになった。1995年にアメリカで発行された「ミレニアム日誌」でも「源氏物語」に触れている。
 
 <新ミレニアムも公式には2001年から>
 2001年は、公式には第3ミレニアム(2001年から3000年)の初年である。新しいミレニアムの始まりについては、英国政府が2001年1月1日からであることを正式に表明。ミレニアムという概念に着目する日本のマスコミのほとんども、新しいミレニアムは公式には2001年から3000年までであることを記してきた。(97年1月10日毎日夕刊「歴史万華鏡」、97年1月26日朝日「閑話休題」、97年1月24日号週刊朝日など。詳しい記述内容はすぐ後ろに資料として掲載)。98年8月9日日経新聞「中外時評」でも「西暦1001年を起点とする『ミレニアム』(千年紀)も、残り三十カ月を切った」としている。
 2001年1月3日付け日経新聞の「やさしい経済学」というコラムで、岩井克人・東大教授は次のように記している。「2001年1月である。新たな世紀が始まっただけではなく、新たな千年紀−−第三ミレニアムが始まった。(中略)ミレニアムはキリストの誕生を基準とした時間の単位である。それが2001年、西洋から遠く離れた日本でも、第三ミレニアムの始まりが意識される。まさにその事実に近代というものは集約される」
 また2001年1月4日読売新聞夕刊の「そよ風とハミング」という連載コラムは、「新しい千年の初めに」の見出しで、「新しい1年、そして新しい千年。今日こうして、みなさんにごあいさつできるのは、何とすばらしいことでしょう」(ボーカリストの鈴木重子さん)と記している。
 
 <キリスト教圏は2000年が大聖年>
 しかし、キリスト教圏の国々では、政府などの公式見解とは別に、西暦2000年をキリスト生誕2000年祭の「大聖年」として盛大に祝い、信仰上の「至福1000年期」が2000年にスタートすると受け止めた人々も多い。こうしたことから、新しいミレニアムも2000年から始まったとするのが大勢となっており、世界40数カ国に「ミレニアム委員会」が設置されて、お祝いのイベントなどを進めてきた。日本では宗教的なバックグラウンドの違いもあって、西暦2000年を祝う動きは元日のカウントダウンが見られた程度で、欧米とは対照的になった。この問題については、「なぜ2001年が始まりなのか」のページで詳しく解析しているので、そちらも参照していただきたい。

 <日本でもなし崩し的に2000年がミレニアム?>
 1999年後半に入って、日本でも小渕内閣が2000年を意識したミレニアムプロジェクトを打ち出したり、2000年開幕を盛り上げようとするイベント企業らが、記念グッズなどにミレニアムの語を意識的に使い出して、ミレニアムという言葉は千年紀という1000年ずつ区分けされた期間を表すよりも、2000年という年そのものを指すような使い方がされてきた。あまり厳密なことを考えるよりは、2000というキリのいい年をミレニアムにして経済的効果を狙おうという意図も見え隠れしていたが、日本では21世紀の開幕は2001年からという認識が官民ともに依然として強いことから、新たな時代の切り替わり時点をどちらに置くかで、混乱した状況が2000年末まで続いた。

 <クリントン米大統領はミレニアムを2度祝う!>
 アメリカ政府も公式には、新しいミレニアムのスタートは2001年からという立場だが、キリスト生誕2000年に合わせて新ミレニアム到来を2000年1月1日に祝う民間の趨勢に逆らうことが出来ず、2000年を祝う流れにも合わせてきた。これについては、「正確には2001年からなのに、ホワイトハウスが今回、準備しているのはおかしい」という意見が出たが、99年12月14日の日経新聞夕刊や00年1月3日の読売新聞によれば、クリントン大統領はCBSラジオのインタビューで、「政府は民衆の意向に従う」と反論し、さらに「1年後にまたお祝いすればいい。私はミレニアムの変わり目を2度も経験する大統領になれる」と述べた。

 <新ミレニアムは2001年に祝うという人が38%も>
 1999年11月14日付けの日経新聞「マンデー日経」によると、新ミレニアムを祝うならば、2000年と2001年とどちらがふさわしいかを日本の読者に尋ね、224人から回答を得た結果は次のようだった。

2000年 41.5%
2001年 38.4%
どちらも同等に祝う 20.1%

 2000年と答えた人が3ポイントほど多いが、さまざまな新聞・雑誌などで2000年をミレニアムと呼んで、ミレニアムグッズの紹介などを掲載してきた中で、ミレニアムを祝うのは2001年と答えた人が38.4%もいたことの方をむしろ注目すべきだろう。

 <2000年カウントダウンに日本人が乗りにくかった理由>
 キリスト教圏の「2000年=ミレニアム」への盛り上がりにならって、日本でも2000年を迎えるカウントダウン・イベントや、記念グッズを売り出すイベント企業ペースの仕掛けが相次いだが、主催者側が期待したほどの盛り上がりは見られないまま終わった。これについて、99年10月23日の日経新聞は朝刊の1ページをほぼ全部使って、「2000年のカウントダウンに踊れない若者」という特集記事を掲載した。これを読むと、2000年を迎える海外ツアーや記念グッズ、カウントダウンイベントなど、ほとんどすべての2000年イベントに対し、若者の関心は関係者の期待を裏切って冷ややかだという。この記事は「若者の想像力不足」が原因と解釈したが、はたしてそうだろうか。
 
 2000年カウントダウンが欧米ほどには盛り上がらなかったのは、若者だけではない。日本の社会全体が、2000年開幕を祝うことに対して、なんとなく気乗りがしないところがあったといえる。これは、キリスト生誕2000年祭を祝うという宗教的モティーフを欠いた日本で、2000というキリのいい数字だけでは、時間とお金をかけて祝う動機としては弱かった、と見るべきだろう。さらに2000年の正月は、Y2K(コンピューター2000年問題)がどう発症するか分からず、それどころではなかった、という事情も大きい。
 2000年開幕イベントにお金を費やすのは、企業や自治体にとっても、また個人にとっても得策とは言えないという判断も働いたといえる。あと1年待てば、名実ともに未来への入り口である2001年が開幕し、21世紀と新しいミレニアムが文句なしにスタートする…カウントダウンやお祭り騒ぎも記念グッズも、その時のためにある、と考えた人たちが多かったようだ。


 新ミレニアムの開始時期についての資料

 新しいミレニアム(千年紀)の開始時期について、世紀末の2、3年間の新聞や書籍の記述を参考までに引用しておく。ほとんどが公式には第3ミレニアムは2001年からである、としている。また、1000年間という期間を意味するミレニアム本来の使い方とは別に、99年後半になってからは新聞・雑誌の記述に、2000年という年そのものをミレニアムと呼ぶ書き方が目立つようになった。

 



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