06年

 「新世紀つれづれ草」は2005年4月から、タイトルが21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に変わりました。
21世紀初頭の激動の日々。人はどんな世相の中、何をしながら、どんな思いで、新世紀の序盤を過ごしたのでしょうか。このページは、それを後世に記録として残す日記風エッセイです。不定期で随時掲載していきます。更新はゆったりとしたペースになります。
 新タイトルの「時間の岸辺から」は、筆者が02年3月から05年3月まで3年間、欧州在住の日本人向け日本語週刊新聞「英国ニュースダイジェスト」に連載したコラム、「時間の岸辺から」を引き継いだものです。「ニュースダイジェスト」に掲載された「時間の岸辺から」はすべて、「新世紀つれづれ草」に掲載・収録しています。 ここはどこ? 私はだあれ?
 答えはこのページの中に
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 1997年2月から現在までの、920本すべての見出しを一覧表にした総目録があります。目録の中から興味のある見出しを見つけたら、そこから本文にジャンプすることが出来ます
2006年7月

 <パソコンに次から次へと問題が起きて‥>
 10日ほど前に、パソコンの電源が突然入らなくなり、先週の土曜日にサポートセンターを通じて出張修理に来てもらい、電源ユニットを交換してもらって復旧した。
 パソコンが復旧して息つく間もなく、こんどは別の問題が新たに生じた。
 僕のパソコンに入れているウィルス対策ソフト、ノートン・インターネット・セキュリティが8月26日で使用期限切れになる、という表示がひんぱんに画面に現れるようになったのだ。
 ノートンのソフトは、3年前にこのパソコンを買い替えたときに同梱されていた2003年版を、期限が切れるたびに延長キーを購入して使い続けてきたも。
 今回も延長キーを購入しようかと思い、ノートンの購入ページにアクセスしてみたら、2003年版の延長キー販売は終了しており、2006年版をお買い求め下さい、とある。
 2006年版は2003年版とは全く異なるバージョンで、スパイウェアの検出や個人情報の流出防止など、さまざまな新しい機能が加わっているという。
 新しいバージョンを買うほかないかと思って、動作環境についての説明を読んでみると、256MB以上のRAMが必要とある。
 RAMって何だったっけ? というところから始まって、買った時にもらっているパソコンの仕様書を調べ直してみると、RAMという言葉はないがメインメモリーが256MBとある。
 ところがいろいろ調べていくと、これはあくまで仕様上の容量であって、実際のRAMの数値は、デスクトップのマイコンピューターのアイコンを右クリックして、プロパティのところに書いてある数値がそれだという。
 右クリックしてプロパティを見てみると、なんとRAMは224MBとなっているではないか。仕様書の数値より32MBも少ないのだ!
 さて問題は、224MBのRAMしかない僕のパソコンに、256MB以上のRAMが必要なノートンの2006年版ソフトを入れられるかどうかだ。
 ここ数日、ヨドカメやビックなどの量販店に行って、何人もの担当者に話を聞いてみると、動くかも知れないが、動作が遅くなったり不安定になったりする可能性がある、という。
 つまりは、日常的に起動させておくウィルス対策ソフトとしては、入れないほうがいい、という結論になる。
 ではどうするか。ノートンとほぼ同じ機能を持つインターネット・セキュリティでは、ウィルスバスターとマカフィーが128MB以上のRAMで作動するので、このどちらかに乗り換えるほかないようだ。
 両方のパンフレットをもらってきたので、あと1日じっくりと熟慮して、明日中にはどちらに乗り換えるかの結論を出そうと考えている。
 デジタル生活は、次から次へと予期しないお金がかかる上に、シロウトにとってはなんと面倒なのだろうか。(7月29日)

 <伊勢丹本店、築80年の歴史建造物維持へ>
 ヨーロッパでは築200年から300年を経ている建物が、いまなお使われているのは珍しくない。
ところが日本は、国土が狭いせいなのか、古い建物を長く使う習慣が根付かないためなのか、築40年か50年そこそこの、まだ十分に使える建物を平気で取り壊して、ピッカピカの高層ビルに建て替えてしまうケースが流行のようになっている。
古きを軽んずるこうした風潮の中で、新宿の老舗デパートである伊勢丹本店は、築80年以上が経過して東京都の歴史建造物に指定されている本店の建物を、今後も建て替えることなく、耐震改修などの補強によって使い続けていく方針を打ち出した。
伊勢丹本店の伝統と風格を感じさせる本館東半分は、大正15年に建てられた「ほてい屋」ビルをそのまま使っており、現在の売り場はこれを西側に増築し、さらに新館とつなげている。
新宿の東口は、新宿高野、紀伊国屋書店、中村屋など、新宿の文化と街づくりを牽引してきた老舗が多いが、中でも伊勢丹本店の存在感は格別の重みを持っている。
近くに日本一の歓楽街歌舞伎町やゴールデン街があっても、新宿東口かいわいが落ち着きと安らぎを保っているのは、この伊勢丹本店が軽薄な建て替えをしてこなかったことが大きく寄与しているように感じられる。
新宿のデパートでは、11年前に南口に進出したタカシマヤを別にすると、西口の小田急と京王が築40年となっている。
このうち、京王はまだ具体的な計画ではないが、10年先を見越して全面立替の方向といわれている。
デパートではないが、東口ではすでに東映などの跡地が14階建ての新ビル建築中で、松竹会館も新ビル立替のために先日閉館となった。
伊勢丹本店が築80年以上の建物を使い続けることにしたのは、この建物が持つブランドイメージを壊したくないという配慮が大きいとみられている。
さらに、本店と通りをはさんで隣接する伊勢丹会館やその向かいの立体駐車場などを含めて、建て替えなくても売り場を拡大出来る余裕を持っていることも強みのようだ。
いずれにしても、大正時代の建物をこれからも使い続けるという伊勢丹の姿勢は、多くの人たちの支持と共感を得られるに違いないと僕は思っている。
日本は急激な人口減が少なくとも今後100年は続くとみられる中、築年数が長くなりつつあるほかのビルも、取り壊さずに耐震改修などで使い続ける道をもっと探っていくべきであろう。(7月8日)

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2006年6月

 <東京地検は、疑惑の福井日銀総裁を逮捕せよ>
 今の世の中、世界も日本もあまりにも不合理や不条理が多い。
最近のニュースの中でも、最も腹立たしいのは、福井日銀総裁が村上ファンドに1000万円を投資して、去年末までに1473万円もの利益を上げていたことだ。
 しかも福井総裁は、日銀が量的緩和政策を解除する直前に資金を引き上げており、これが究極のインサイダー取引にあたらなくて何であろうか。
 去年の初め、福井総裁が国会答弁したところによると、家計の受け取り利子は、93年の水準と比べて、それからの10年間で累計して154兆円も減少した。
 政府・日銀による超低金利政策は、家計部門のみを直撃してきたのである。
 また別のデータによると、92年当時の利子率が続いたとした場合に比べ、その後の11年間で家計部門が失った利子所得は218兆円にのぼり、一方で企業部門は140兆円、政府部門は125兆円の恩恵を受けている。
 額に汗水流して働く国民が、ようやく貯めたお金を2年や3年の定期預金に入れても、その利息の少なさは、わずか1回の振替手数料でいとも簡単に消し飛んでしまうくらいなのだ。
 福井総裁が安心して村上ファンドに投資できたのは、この超低金利の現実を当事者のトップとして知り尽くしており、さらに超低金利をいつまで続けるかについては、まさに自分の胸の内にあるからにほかならない。
 今年2月に資金を引き上げたのも、量的緩和政策をいつ解除するかが自分の胸三寸であったからこそ出来た芸当であろう。
 小泉首相や安部官房長官が、これほど国民の批判が噴出している中で、なお福井総裁をかばい続けているのには、それなりの、のっぴきならない理由があるものと考えるのが自然だ。
 福井総裁の村上ファンド投資は、ほんの氷山の一角で、これには多くの政官財の重要人物がからんではいないのか。
 公的立場にありながら、村上ファンドに投資して、庶民の涙をよそに大もうけしていたのは、ほかに誰と誰がいるのか。
 政府や監督官庁、さらには財務省、金融庁、政党役員、国会議員はどうなのか。表面化していないだけで、ぞろぞろと、うじゃうじゃと、大勢の金儲け上手たちがいるのではないか。
 ホリエモンや村上代表を逮捕した東京地検が、福井日銀総裁に対してはインサイダー疑惑で事情を聞いたりしていない様子なのは解せない。
 政官財を巻き込んだ大スキャンダルに発展するのか、このまま福井総裁が政府に守られて逃げ切るのか。
 国民は注視している。東京地検はいまこそ、法の公平な適用のために、福井総裁から事情を聴取し、インサイダーの疑いがあるのなら、証拠隠滅される前に、速やかに福井総裁を逮捕すべきであろう。(6月22日)

 <時間とは何かをつきつめると、実在=無という悟りに>
 明日は「時の記念日」だ。
 時間とは何かについて、僕は最近になって、ますますいろいろな疑問がわいてくるようになった。
 過去、現在、未来という並べ方で語られることが多い時間だが、僕が不思議に思うのは、その中でも最も重要な「現在」の本質を、人間はほとんど解明していないことだ。
 現在は今のこと。と言ってしまえば、何も言っていないに等しい。
 現在というのは、物理的な観測対象なのだろうか。もしそうだとしたら、現在の本質や構造、細部の仕組み、その組成などが測定されてしかるべきだ。
 しかしたとえば、現在がどのような形で、未来と過去との接点となっているのか、という基本的なことすらはっきりしていない。
 未来と過去との接点が現在なのだとしたら、現在とは「厚さ」がゼロで本当に実在しているのかすら、あやしくなってくる。
 現在というのが、いわば「場」のようなもので、すべての物質やエネルギー、運動、空間を入れる容器のようなものだとしたら、現在は単に見かけ上、存在しているだけとなる。
 そうすると、時間ははたして流れているのかという基本的な疑問が生じてくる。
 時間は流れていない。あるのは、流動するモノとコトの変化のみである、という考えも出来る。
 変化こそが本質で、時間は見かけだけのものだとしたら、人間を含めて、すべての事物の実在性は極めてあやしいものになってくる。
 生物の個体の命を含めて、この世界のすべてのモノもコトも、いずれ消え去って別の状態となっていくとしたら、それらは実在するといえるのだろうか。
 この世で起きていることは、すべて夢。夢とうつつは、一つの事象の裏と表。すべては、見かけ上の時間によって、あたかも生き生きと実在しているかに見えているだけ。
 人間は39億年かけて原始生命から進化し、原始生命は非生命から生まれた。この宇宙そのものも、無から誕生したというのが、いまや定説だ。
 実在と無は、同じことの両面。それは無限大とゼロが等しいのと同じことなのだ。(6月9日)

 <出生率1.25の衝撃、効率至上社会の変革を>
 1.29でさえも日本を震撼させていた出生率が、昨年はさらに下がって1.25になった。
 政府は1.31で下げ止まって、それ以降は上昇に転じると言い続けてきたが、見通しが甘すぎるどころか、さらに下げが止まらずに1.1程度にまで落ちる、という見方もある。
 出生率が急激に下がったのは、70年代の半ばからである。
 僕は、さまざまな少子化対策がすべて空振りに終わって、何の効果ももたらすどころか、日本という国の存続すら危ぶまれる事態になった理由を、原点に戻って考える必要があると思う。
 戦後まもなくの出生率は4を越えていて、ベビーブームの1947年には4.32とピークを記録した。1人の女性が4人も5人も子どもを産むのが当たり前だった。
 この当時の日本は、非常に貧しかった。大多数の家庭では、食べていくのにやっとだったのに、子どもの数は多かったのだ。
 それが、高度成長を遂げて豊かになったころから、出生率はしだいに下がってきて、1974年以降は、人口を長期に渡って維持出来る水準の2.07を下回った。
 出生率が下がった本当の原因は何なのだろうか。さまざまな複合的な要因が絡み合っているとはいえ、「環」となっている決定的な要因があるはずだ。
 その「環」となっている要因を取り除かない限り、小手先のどのような対策を重ねても、少子化は改善されないだろう。
 「環」となっている要因は何か。それは、子どもを産み育てることが、必ずしも幸せに繋がらない社会になってしまったことだろう。
 もっと言えば、日本の社会が経済的効率至上主義に流れてしまっていることが大きい。子どもは、はっきり言って経済効率に反し、効率の視点からは負担になるのだ。
 日本が貧乏だった時には、子どもは子宝であり、何ものにも変えがたい幸せの源泉だった。だから、だれもが子どもをたくさん持って、子どもの成長が生きがいそのものであり得た。
 子どもが、親にとっても企業にとっても社会にとっても、負担に感じられる社会では、子どもの数が少なくなっていくのは当然のことだ。
 少子化対策としては、経済的支援だけでなく、働き方を変える必要がある、と言われる。
 働き方はもちろんだが、それを含めて、社会全体の効率優先主義を根本からひっくり返すような「革命」を起こさない限り、少子化は今後も止まらないであろう。(6月2日)

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2006年5月

 <実現可能性が出てきた影も出来ない透明マント>
 人間が、SFの世界で長いことあこがれてきた夢の技術の双璧は、タイムマシンと透明人間であろう。
 宇宙のどこかから、人類よりはるかに進んだ文明を持つ知的生命がやってきて、僕にこの2つの技術のうちどちらかを体験させてやる、といったらどちらを選ぶだろうか。
 どちらの技術も、体験時間はきっかり5時間。タイムマシンで行くことが出来るのは、過去の1時点のみで、過去の人々からは僕の存在は見えず、歴史を変えることは出来ない。
 透明人間になれば、5時間の間はどこでも動き回ることが出来、他の人に触ることもモノを動かすことも出来るが、自らが交通事故に遭うなどのリスクもあるとする。
 僕が選ぶとすれば、やはりタイムマシンの方だろうな。なぜなら、タイムマシンならば過去の人たちから僕の姿は見えないため、透明人間を兼ねることになるからだ。
 いつの時代のどの場面に行ってみようか。1時点のみ、時間は5時間となると、行き先選びはよくよく吟味する必要がある。
 僕自身がいる場面にも行ってみたいが、僕がいなかった場面でどのようなことが起きていたのかを知ることもやってみたい。
 タイムマシンは理論的には、ほとんど作成出来そうにもない。というのも、過去はそもそもどこかに存在するようなものではないらしいからだ。
 それに比べて、透明人間の方は俄然、実現可能性の高い話になってきている。
 米英の科学者たちが26日、米科学誌サイエンスの電子版に、「物体を見えなくする素材の開発は可能だ」とする論文を発表した、とニュースにある。
 それによるとこの素材は、光の進む方向を制御できる特殊な構造を持ち、これでマントを作れば何もないように見えるばかりか、影さえも出来ないという。
 新技術の例にもれず、はやくも軍事への応用に目がつけられ、米国防総省がこの技術開発を支援している、と報じられている。
 軍事利用よりも先に、スケベな男たちは透明マントをどんなに価格でも買おうとするだろうし、そんなマントを着た不審者があちこちにいるとしたら、なんとも落ち着かない。
 そのうち、透明物質や透明人間を検地して撃退する装置が開発され、さらにその装置にも検地されない高度の透明化技術が生まれて、いたちごっこか。
 透明兵士たちが透明テロリストと戦うなんて、何がどうなっているのか、見ていても分からないだろうな、なんて思ったりする。
 僕が透明マントを貸してもらったら、どこへ行こうかな、と考えると、やっぱりヤラシイことしか思い浮かばない。軍事よりはいいか、と思うんだけど。(5月26日)

 (ページ冒頭に映っているのは、シルクロードをトルファンへ向かう途中の火焔山と筆者です)

 <人口減は首都圏こそ深刻、という警告に耳を傾けよ>
 今日の日経朝刊の「人口減と生きる」というシリーズで、藻谷浩介・日本政策投資銀行参事役が「首都圏こそ影響深刻、オフィス・住宅総量調整を」という文を書いている。
 この記事は、これまで常識として言われている少子化と人口減についての多くの「俗説」が、統計的に誤りであることを看破している点で、必読といっていい。
 出生率がいまと同じ水準が続いても、20年後に出生者数は3割減になる。また、少ない現在の出生者数を維持するだけでも、出生率は現在の1.29から1.8程度に上げなければならない。
 こうした重要な指摘とともに、最も心にとめなければならない指摘は、人口減が首都圏に与える深刻な見通しであろう。
 通説では、首都圏のオフィス・住宅需要は人口減の影響をあまり受けない、とされているが、これが大きな誤りであり、来年以降は、首都圏の就業者数、小売販売額とも下げ止まらなくなる、というのだ。
 そして、現在、報道されている都心の一部の「活性化」は、首都圏他地域の集積をくいつぶしながらの「ネガティブサム」競争に過ぎない、と言う。
 この指摘には、僕も目からウロコの思いがする。六本木や汐留、東品川、丸の内など、次々と豪華な超高層ビルや超高層オフィスが林立していく状況は、どこかウソっぽくて異常だという気がしていた。
 人口減が始まり、事実上破綻している国家財政のもとで、このような過剰とも思える再開発と高層ビルの出現は、なにか砂上の楼閣のようで、悪い白昼夢のような感じがしてならなかった。
 藻谷氏は記事の中で、首都圏におけるオフィスや住宅供給の総増加量を抑制することの必要を強調している。まさに意を得たりの指摘で、僕も全面的に賛成だ。
 都市計画による適切な誘導を行なわないと、不稼動資産が大量に生まれ、地価賃料の低迷やスラム形成につながる、と藻谷氏は警告する。
 乱開発を放置している当局の関係者たちや、開発の只中にある当事者たちは、聞く耳を持たないに違いない。いまは建てるが勝ち、と夢中になっている様子が想像できる。
 「首都圏の厳しい近未来を虚心坦懐に知るべし」という藻谷氏の言葉は、大方の人たちの想像以上の重みと深刻さを持っているのではないか。(5月19日)

 <臨海副都心の3セク破綻と2016年東京五輪>
 そうことだったのか、と化けの皮を見てしまった思いだ。
 2016年の五輪誘致を石原知事が言いだしたとき、なにか唐突な感じがして、これには裏のたくらみがあるのではないか、という気がしていたのは僕だけではあるまい。
 最初は、神宮外苑と代々木公園を一帯とする地域に、選手村やプレスセーターを置いて、この地域を中心として東京を生まれ変わらせる、という構想のように聞こえた。
 それなら、面白いかも知れない、という気が僕にもしていた。
 が、石原知事が先日明らかにした構想では、選手村もプレスセーターも、臨海副都心に設置して、この地域を一気に活性化させたい、といつの間にか変化した。
 おいおい、それはないぞ、閑古鳥が鳴く臨海副都心を東京五輪の中心にするとは、誰が決めたのだ、と思っていたら、今日のニュースである。
 臨海副都心開発の中核となってきた都の3つの第3セクターが、3300億円を超える負債を抱えて経営破たんした。
 これらの3セクは民事再生法の適用を申請して会社を清算し、3社で合併して臨海副都心の事業の継続をはかる、という。
 臨海副都心はバブル経済のさなかの80年代後半、東京都が440ヘクタールの埋め立て地に未来型の副都心をつくろうと開発を始めたが、企業の進出などが思うように進まず、都市博が中止となったこともあって、開発そのものが行き詰った形となっていた。
 石原知事ら東京都のトップが、2016年五輪を東京に誘致して、臨海副都心の開発を一気に推し進めたいと考えたのは、こうした切羽詰まった台所事情があったのか、とうなづける。
 と同時に、見通しの甘さと開発計画頓挫の尻拭いとして、東京五輪を誘致して開発促進の起爆剤にしようという発想そのものに、僕は大反対だ。
 こうした裏事情が白日の下にさらされてしまった以上、東京は2016年五輪の候補地に立候補すべきではない。
 僕は、福岡も無理して立候補する必要はないと思う。
 96年アトランタ、00年シドニー、04年アテネ、08年北京、12年ロンドンという流れからすれば、2016年はアフリカ開催が最も望ましいと僕は考える。
 少なくとも、夏の五輪をまだ一度も開催していない国の都市で開催できるように、これまで開催した国を含めた国際社会が足並みを揃えて配慮していくべきである。(5月12日)

 <言葉が細かいパーツを順序に従って並べる不思議>
 いままで何十年間も、あたりまえのこととして何の不思議にも思わなかったことが、なぜかひどく不思議でたまらなく思われてくることが、最近よくある。
 中でも、ひどく奇妙なことのように思われて、愕然としているのは、人間の言葉についてのことだ。
 話し言葉でも書き言葉でもそうなのだが、なぜ言葉というのは、DNAの鎖のように順序に従って単語の一つ一つが、時間の流れとともに、一方向に連なっているのだろうか。
 これは、不思議に思い始めたら、実に不思議でたまらない。
 いま書いている文章でも、人と何か話す時の言葉でも、すべて長い鎖の数珠繋ぎになっているということが、どうにも不思議でしょうがない。
 人類は、何かを表現したり伝えたい時には、どうしてこのように単語という小さなパーツを次々と繋いでいくという手段に落ち着いたのだろうか。
 もっと、一気にワーッと、あるいはドーンと、伝える道がなかったのだろうか。
 言葉というのは、その本質からしてすでに時間の流れを内包しており、時間の流れに乗って、意思なり感情なり思考を表現し、伝えていく。
 時間との関係で言語よりもっと極端に時間そのものであるのは、音楽だろう。これはもはや、時間の流れなしでは、まったく成立し得ないものだ。
 言語や音楽のように時間に依存しない表現方法はないのか、というと、これはあるのだ。絵画や彫刻がそうであり、広い意味では工芸や建築もその仲間といっていい。
 例えばある絵画の前に立つ時、そこには言語のようなパーツの順序立った繋がりはない。絵画の全体が、絵画そのものが、時間の流れとは無関係に、大きな何かを表現しているのだ。
 これは、人工的なものでなくてもよく、自然界それ自体が、非言語的・非順序的であるといえよう。
 新緑の若葉を見る、沈む夕日を見る、満天の星空をながめる。こうした時に、僕たちは、目の前の対象をまずあるがままに受け入れて、感動したり圧倒されたりする。
 その感動を表現したり伝えようとする時に、言葉というものの力を借りることはあるが、そもそもはパーツを数珠繋ぎに連ねて表現するものではないような気がする。
 言語に頼りすぎて文明を築き上げてきた僕たちは、言語で表せないもの、言語以前に存在するものを忘れてしまっていないか。
 時間の流れに乗って数珠繋ぎの単語ですべてを表し、伝え、記録しているうちに、パーツの羅列では包みきれない巨大で深いものがあることに、気付くことも出来なくなっているのではないか。(5月5日)

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2006年4月

 <あれほど待ちわびたGWも、いざ明日からとなると‥>
 明日からゴールデンウィークに突入だ。
 毎年のことながら、2月や3月のころは、あと1、2カ月もすればGWなのだ、とカレンダーを眺めながら、胸がときめくような思いにかられる。
 GWにどこかへ旅行する計画などなくとも、GWが近づいてきていると思うだけで、何かワクワクしてきて、希望がわいてくる感じなのだ。
 僕が分析するには、これには春への待望感が深く関わっていると思う。
 立春のころの2月はまさに春は名のみで、1年の中でも厳寒の極みである。GWがそう遠くないと考えることで、この寒さを歯を食いしばって我慢出来るのだ。
 そして弥生3月も、思ったほどの暖かさにはほど遠く、暑さ寒さも彼岸までの、その春分の日でさえも、震えるほどに寒いことがほとんどだ。
 サクラが開花しても、僕たちの心象風景にあるイメージとは裏腹の寒い日が続く。花冷えなどという言葉で、言い訳をしているが、お花見の短いシーズンは本来、寒いものなのだ。
 春になったはずなのに、ポカポカと暖かい日はまだか。こうした穏やかな暖かさへの渇望が、GWへの期待を幻想的なほどに高める。
 なんといってもGWは、もうほとんど5月なのだ。夏も近づく八十八夜はGWの前半だ。メーデー、鯉のぼり、茶摘といった記号は、初夏そのものとしてゆるぎない。
 こうしてGWを待ちわび恋焦がれているうちに、季節は寒暖を繰り返しながら、ゆっくりと着実に4月の下旬となり、気がつけば明日からそのGWではないか。
 僕は、明日からGWということに気づいた時には、意外なことにもうワクワク感は収まっていて、そうか世間はGWなのか、と思う程度なのだ。
 とりたててGWには旅行をする予定もなく、何か特別のことをやる予定もない。
 僕にとってGWとは、ひたすらそれを待ち望むことにこそ意味があり、GWが輝いているのはそれが近づきつつあることを実感できる2月から4月上旬までの間なのだ。
 たぶん、ようやく本当の暖かさが訪れた今日あたりで、GWへの期待感は満足させられて終息し、GW期間中はぼんやりと、ごろ寝でもしているうちに、いつの間にか過ぎてしまうだろう。
 それでいいのだ。期待や希望、夢というのは、待つ間、来るまでが花なのであろう。(4月28日)

 <自分の死後も、ホームページやブログを維持したいか>
 今日の日経夕刊に興味深い記事が載っている。
 ホームページやブログを開設する高齢者が増えるにつれ、「自分が死んで更新できなくなったらどうしよう」と不安を抱く人が増えている、というのだ。
 この記事によると、一般的にはプロバイダーとの契約が切れた時点で閲覧できなくなるのが普通だが、遺族の希望や周囲の人たちの協力によって、維持され続けるケースもある。
 僕自身は、自分が死んだ後にこのホームページやブログがどうなるか、考えたこともなかった。
 というか、自分が死んだ後は、ホームページもブログも更新が止まり、やがてプロバイダーへの料金支払いが出来なくなって、その時点で消滅するものと考えていた。
 このホームページは開設してから9年以上が経過し、アクセス数も51万人を超えているが、かといって僕が死んだ後も残すようなサイトではないと思っている。
 ブログも同様であり、書籍と違ってウェブサイトやブログは、本人が死んだら残らないというのが本筋のような気がする。
 だいいち、開設者が死んで更新もなされないサイトやブログを、誰が見にくるだろうか。言葉の検索でたどり着く者はいるだろうが、それだけのことでしかない。
 僕は、そんな死後のことよりも、これから先、どんどん年を取る中で、いったいいつまでこのホームページの更新が出来るだろうかと、そっちの方が心配だ。
 サイトもブログも、更新するためには、発信したいと思う意欲が不可欠であり、自分の考えをまとめて文章にするという気力がなければならない。
 この先、会社勤めをするでもなく、日常的に起伏の少ない日々を淡々を過ごしていく中では、そうそう書きたいことや発信したいことがたくさんあるとも思えない。
 いずれ、ある時点ではホームページにもブログにも、自らピリオッドを打つ日が来るのではないか、という気がする。
 それはそれで結構ではないか、と思う。ホームページもブログも、蓄積性とともにリアルタイム性があってのものなので、発信者が老いて更新が出来なくなれば、役目は終わるといっていい。
 ネットの世界は、蜃気楼のようなもので、バーチャルでとらえどころがなく、人の一生と同じく一過性のものなのだろう。(4月21日)

 <デフレが続いているのに、戦後2番目の景気拡大局面とは>
 数字のまやかしというかトリックというのは、こういうことではないか、と思う。
 政府の月例経済報告によると、2002年2月から始まった日本の景気拡大局面は4月も続いている、と今日の夕刊各紙が大きく報じている。
 これで景気拡大の期間は、86年12月から4年3カ月続いたバブル景気と並んで、戦後2番目の長さに達したことが確実になった、という。
 あとは65年11月から4年9カ月続いたいざなぎ景気を上回って、戦後最長の景気拡大記録を達成するかどうかが、注目されている、というのだ。
 ちょっと待ってほしい。いまが景気拡大局面の只中にあるということさえ、信じられないことなのだが、そもそも政府は日本経済はデフレが続いていて、デフレ脱却が最重要課題のはずではなかったのか。
 ネットでちょっと調べてみると、デフレというのはおおざっぱに言って、不景気によってモノの値段が下がり続けることであり、デフレがさらに不景気の原因となっている。
 僕のような経済のシロウトには、デフレが続いているのならば不景気が続いているのだろうと思うが、驚くことにバブル景気と並ぶ戦後2番目の景気拡大なのだとは、まったくもって理解出来ない。
 経済学者や政府の専門家たちには、それなりの理論というか理屈があって、デフレが続いていることと景気の拡大局面が続いていることとは、まったく別の問題なのだと、まくし立てるだろう。
 しかし、デフレを重く見るか、景気拡大を重く見るかは、どうも政策的なものであって、こうした数字はいくらでも都合のいいように組み立てが可能なように感じる。
 そんなに景気拡大局面が続いているなら、なぜ政府・日銀は史上空前の超低金利を続けていて、預金者が得るべき数百兆円の利息を、ごっそり企業に横流ししているのか。(4月14日)
 この景気拡大が本物であるならば、なぜ国は1000兆円にもなろうとする公的借金を放置し、財政破綻状態のさらなる悪化を食い止められないのか。
 景気の拡大を実感出来ているのは、一部の大企業や運のいいIT企業やベンチャー成金であり、勝ち組の人々だけであろう。
 今年の秋には、戦後最長の景気拡大達成、というニュースが華々しくマスコミを躍らせるのだろう。ちょうど、自民の後継総裁が決まる時期にピタリと照準を合わせて。(4月14日)

 <温暖化で海水が劇的に酸性化、生物の骨格溶解の恐れ>
 僕たちは、地球温暖化の影響がどのようなものであるかを、ある程度は知っているつもりでいる。
 熱波に見舞われる長い夏、氷河や氷床の融解などによる海水面の上昇、超凶暴な暴風や豪雨の襲来などの異常気象の恒常化、動植物から細菌、ウィルスにいたるまでの生態系の激変。
 こうした、比較的よく知られている温暖化の影響とは別に、全く新たな脅威が進行しつつあるというニュースが載っていた。
 昨日の読売新聞(オンライン)によると、太平洋の海水がじわじわと酸性化していることが、米海洋大気局(NOAA)と全米科学財団(NSF)による観測で明らかになった、というのだ。
 観測を率いるNOAAのリチャード・フィーリー博士は「大気中に増えた二酸化炭素を、海が吸収した結果」とみている。
 同博士らは、今年2〜3月、南半球のタヒチから米アラスカまで航海し、広範囲の海水を採取した。
 分析の結果、アルカリ度の指標となる水素イオン指数(pH)は、約15年前の観測値より平均約0・025低下し、酸性化を示した。また、二酸化炭素などの形で溶け込んでいる無機炭素量は、海表面の水1キロ・グラムあたり15マイクロ・モル(モルは分子数の単位)増えていた。
 同博士は「どちらも劇的な変化」としている。(以上、読売オンラインより)
 温暖化の主な原因となっている二酸化炭素(CO2)が、海水の中に溶け込んでいって海を酸性化しつつあるというのは、まことに不気味で恐ろしい事態だ。
 読売オンラインによれば、酸性化によって一部の生物の外骨格からカルシウムが溶け出すなど、研究者らは生態系への影響を懸念している、という。
 海中の生物の外骨格からカルシウムが溶け出すとは、まさに海が硫酸や塩酸のような酸性を帯びて、生命はもはや存在できなくなる事態を暗示している。
 このことによる地球全体への影響は計り知れない。それは一部の生物の消滅から始まって、ほどなくプランクトンなどの小さなものから大型魚類や海生哺乳類にまで波及していくだろう。
 もっと恐ろしいのは、海中の植物もまた、酸性化による死滅から免れないことだ。
 地球上に満ち満ちている酸素は、陸の植物よりも海の植物から放出されている量の方が多い。
 海中の微小植物が死滅すれば、酸素の供給が減るばかりか、海生微小植物による二酸化炭素の吸収も止まってますます大気中の二酸化炭素は増加していく。
 そのことが、海水の酸化をさらに推し進めるという、雪だるま式に膨らむ悪循環にはまり込む。
 もはや、温暖化は単なる気象上の問題をはるかに越えて、地球のすべての生命の存続そのものを断ち切るほどの衝撃力を持つことを、僕たちは認識しなければならない。(4月7日)

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2006年3月

 <ニフティのパソコン通信が今日で終了>
 かつてはPC-VANととともに会員数が100万人を超えていたNIFTYのパソコン通信が、今日31日限りで姿を消す。
 僕はNIFTYには加入しているもののパソコン通信はあまり利用せず、もっぱらASAHIネットのパソ通で通してきたが、最大手だったNIFTYのパソ通が終了するのは感慨ひとしおだ。
 最初にパソ通を知ったのはかれこれ20年ほど前のことで、ASAHIネットの前身の社内実験ネットのころだった。
 当時はパソコンなど非常に高価で操作も面倒で、ほとんどの参加者は通信機能付きのワープロを使って参加していた時期だった。
 僕は、ワープロで打ち込んだ文章が、パソ通の会議室(当時はBBSのことを、そんなふうに呼んでいた)にアップされて、不特定多数の人たちに見てもらえること自体、夢のような気がした。
 会議室ではさまざまな見知らぬ人たちの書き込みや、レス、反論、罵倒などが混沌と渦巻いていて、活気に満ち満ちていた。
 社内実験ネットからASAHIネットに発展してからは、既存メディアとは全く異なる新時代のコミュニケーション媒体として、パソ通は全盛期を迎えていく。
 パソ通では、実社会と同様に悲喜こもごものさまざまな出来事があった。僕が関与した事件では、「ベルリンの壁事件」が記憶に生々しい。
 実験的媒体としてのパソ通が、その威力と底力をあますところなく発揮したのが、筒井康隆氏がパソ通と連動しながら朝日新聞に連載した「朝のガスパール」であった。
 魔力のような圧倒的なパワーとともに、僕もいつしか朝ガスの大渦の中に呑み込まれ、気がついた時には、僕は連続4日間に渡って、この小説の中に実名登場するはめになっていた。
 朝ガスの終了から3年ほどして、世の中はパソ通に変わるメディアとしてインターネットが席捲を始めていた。
 僕が初めてインターネットというものを見たのは、1996年の11月ころだった。パソ通にはない色彩に僕は驚き、音楽や音が流れたり絵や文字が動くことに度肝を抜かれた。
 この時点で、パソ通とインターネットはもはや勝負がはっきりしていた。
 やがてASAHIネットを含めて多くのパソ通サービスがインターネットのプロバイダーとなり、そのうちパソ通をやめてネット1本に絞るようになっていった。
 NIFTYはそれでもパソ通を愛する会員が多く残っていて、最後までパソ通の灯をともし続けていたが、それも今日で消える。
 パソ通の20年は、ITやデジタル化の先触れとして、またユビキタス社会への地ならしとして、歴史に残る栄光の一時代を画したといっていい。(3月31日)

 <永田議員の居座りで、民主支持は1日100万人減少>
 偽メール問題の永田寿康衆院議員は、なぜ議員を辞職しないのだろうか。
 これほどまでに国会と政治の権威を失墜させ、民主党に再起不能なほどの打撃を与えていながら、なおも居座り続けるというのは、異常な事態だ。
 24日の衆院懲罰委員会で、永田議員はメールの仲介者の名前を明らかにしたが、自分が騙されたことを強調することで切り抜けられるとでも思っているのだろうか。
 今回、永田議員が仲介者の名前を出したことは、いくぶんでも評価出来ることだろうか。否である。僕はむしろ逆だと思う。
 永田議員は、たとえ偽メールを仲介した人物であっても、またみんながうすうすと分かっている名前であっても、このような場で公表することは、卑怯極まりない。
 唯一、永田議員が取るべき道は、仲介者の名前は公表せずに、自分が議員を辞職すること以外になかったのだ。この読みを誤った影響ははかり知れない。
 このメール問題が明らかになってから、これまで民主党を支持してきた人たちが、あまりの情けなさとだらしなさに愛想をつかして、つぎつぎと離れていっている。
 僕の感じでは、数日前までは、それでも一縷の再生への期待が残っているため、支持者が減っていくペースは1日に20万人程度だったと思う。
 しかし、ここ数日の対応によって、1日に50万人程度が民主党の支持をやめていって、今日の仲介者公表以降は、1日に100万人ずつの支持者が民主党を離れていくものと、僕は見ている。
 つまりは民主党の崩壊であり、完全なる自滅である。ここに至るまで問題を放置していた前原代表の責任も大きい。
 永田議員は自分の居座りによって民主党が無残に砕け散っていくのを、どう思っているのだろうか。
 僕は、ひょっとすると永田議員は、巧妙に偽装された自民党の手先なのではないか、と本気で思ってしまう。永田議員が居座れば居座るほど、自民党は笑いが止まらないのだ。
 そのうち、永田議員に対しては、自民党から名誉党員の称号が送られるかも知れない。
 いや、冗談ではなくて、永田議員は最後には自民党に鞍替えをして、次の内閣で大臣の座に就くことは、十分過ぎるほどあり得ることではないだろうか。(3月24日)

 <裁判員に選ばれ拒否も出来なければ、この原則で臨む>
 クジで選ばれた一般人が、プロの裁判官とともに刑事事件の裁判にあたる裁判員制度が3年後の5月までにスタートするという。
 世論調査などによると裁判員になりたくないという人が7割を超えているというが、正直なところ僕も裁判員に選ばれたら断りたい。
 どんな理由ならば断ることが出来るのだろうか。自分の信条として人を裁くことはしたくない、あるいは出来ない、というのは立派な拒否理由だと思うのだが。
 それでも、どうしても拒否が認められずに、自分の意思に反して裁判員として裁判に臨まなければならなくなったら、どうするか。
 僕は万一、裁判員に選ばれて拒否が認められなかった場合の腹積もりが出来ている。
 第1の原則。少年による殺人事件は、どのような事情や酌量事項があろうと、死刑にする。更生の機会を与えるだの、教育的見地だのという意見は認めない。
 第2の原則。女性に対する強姦は、どのような言い分があっても死刑にする。プロの裁判官らが、そのように量刑は刑法にないといっても、僕は死刑を主張する。
 第3の原則。公務員によるワイロや官製談合への関わりは、少なくとも無期懲役か死刑にする。非常識な量刑だといわれても、意見は変えない。
 第4の原則。上記以外の刑事事件については、疑わしい点がまったくない殺人については死刑とし、わずかでも疑わしい点があれば無罪とする。中間はあり得ない。
 この観点に立てば、和歌山カレー事件の林真須美被告は無罪である。
 僕は、どうしても裁判員を辞退することが出来ないならば、最初にこの原則をはっきりと裁判所にも伝えて、マスコミにもこの原則を公表する。
 それでも構わないから裁判員をやれ、と言われたら、この原則に従ってやるだけだ。どのような事件であれ、また全体の審議の流れがどうであれ、僕の態度はこの原則から外れることはない。(3月17日)

 <毎年恒例の胃カメラ検査を受けて、春を迎える>
 今日は、僕にとって毎年恒例の胃カメラ検査を受けてきた。
 僕は昔、胃カメラなど自分にはゼッタイ飲むことは不可能だと思っていた。
 しかし、人間ドックの結果、どうしても胃カメラ検査を受けなければ命にかかわるかも知れない、という状況になって、死ぬよりはマシだろうと検査を受けたのがもう2昔も前のことだ。
 その結果、間一髪できわどい病状がみつかり、内視鏡による治療を受けてスムーズに完治することが出来た。「発見できていなかったら、危なかった」と医師から言われた。
 こうして僕は、その後も毎年一回、経過観察として同じ医師によって胃カメラ検査を受け続けることになった。経過観察だけでなく、食道や胃に新たな異常があるかどうかも診てもらえる。
 年に1回、胃カメラ検査を受けなければならないとしたら、季節はいつごろがいいか。
 僕は長い間、6月の梅雨の時期を選んでいた。胃カメラ検査を受けて、スッキリした気分で夏を迎えたい、という気持ちからだった。
 ところが、夏はさっぱりとして迎えることが出来るが、せっかくの春がなんとなく気分が重い。
 もう20回も胃カメラをのんでいるといっても、やはり検査は苦手である。
 何が苦手かというと、検査の前に行う喉の麻酔や、検査台に横になってから苦い液体を何度も喉に吹き付けられて、それを飲まなければならないことだ。
 それさえクリアすれば、胃カメラ自体が喉を通るのは苦痛もなく、まな板の鯉になっていれば数分で終わるので楽勝なのだ。
 いろいろと思案した結果、僕は数年前から戦略を変えて、検査を受ける時期を6月から3月に移した。
 胃カメラ検査を受けて、さわやかな気持ちで春を迎えよう、というのだ。
 1月2月は気が重くなるが、それは冬の寒さを我慢するのと同じなのだと考える。
 この戦略は正解だった。
 胃カメラ検査が終わると、春のお彼岸がやってくる。そしてサクラが開花して、春爛漫。軽やかな気分でGWへと季節がルンルン移行していく。
 今日の検査の結果は、「なんの心配もありませんよ」だった。この一言を聞くために、毎年、胃カメラをのんでいるのだ。(3月10日)

 <いくら探しても探しても、見つからない探し物>
 何年も何10年も生きているうちに、いろいろなモノがたまってくる。
 収納する場所もなくなってモノが溢れ始め、生活に支障をきたすようになると、ようやく重い腰を上げて不要な品々の一斉整理を始める。
 そんなことを、これまで何10回繰り返してきたことか。
 大事にとっておいたけれども、思い切って捨ててサッパリしたと思うものは意外に多いものだ。
 しかし、こうした時に、決して捨ててはならない、というジャンルがある。
 それは、写真やアルバムなど、個人的な思い出に関するもので、こればかりは捨ててしまうと二度とお金では買い求めることは出来ない。
 それ以外でも、捨ててしまった後に、何らかの理由で必要になった場合、お金を出しても入手出来ないものは、捨ててはならないのだ。
 僕はこのところ、なぜか探し物ばかりしている。探す理由はいろいろなのだが、ふと思いついて何処にとっておいただろうと探し回ることもある。
 最近の探し物で、ようやくのことで奇跡的に探し出したモノは‥。
 ロッキード事件の児玉番の時に、児玉邸の庭から飛び出して僕の目の前に転がってきたゴルフボール。これについては、2月4日のブログに書いた。
 もっとびっくりするような超レア物も、さんざん探して見つけ出した。ベトナム戦争の時に、北ベトナムが撃墜したアメリカの戦闘機の破片で作った指輪がそれだ。
 この指輪がなぜ僕の手元にあるのかについては、いずれブログで書いてみたいと思う。
 さて、どうしても見つからなかったものもある。
 60年安保の修羅場となった1960年6月15日、樺美智子さんが死んだ夜の国会構内で、機動隊に殴られながら実況放送したラジオ関東の島アナウンサーによる、その時の歴史的な音だ。
 これは、オープンリールのテープに入れて、整理番号も付けて大切に保管していたはずなのに、ここ1週間ほど、押入れや棚の中など、あらゆるところを引っかき回したが、見つからない。
 もうこれ以上探すべきところは考えられず、存在しないということは、捨てたということになる。
 しかし、これこそは、お金を出しても簡単に買えるものではなく、僕が捨てたとはとうてい考えられない。
 神隠しのように、ある時に忽然と現れることを祈るしかない。(3月3日)

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2006年2月

 <40年という時間の壁を超えて届いた1通のメール>
 40年という時間の壁は、とてつもなく厚く頑丈で、向こう側へ通じる小さな抜け穴すら開いていない。
 その圧倒的な壁の厚さを超えて、不思議な1通のメールが届いた。
 わずか数行の短い内容で、最近読んだ本についての感想が記されていた。
 フルネームで名前が書いてあったが、僕の知らない名前だ。これは誰だろう?
 ********
 僕が20歳のころ、大学のキャンパスは大学管理法(大管法)をめぐって、大揺れに揺れていた。この法案を阻止するための学生運動の高まりは、一時代を画するほどの盛り上がりを見せていた。
 そんな騒然とした日々の中で、僕は同じ大学の一人の女子学生としだいに親しくなっていった。
 青春の無謀なほどのエネルギーと理想。友情と敵対。共鳴と反発。連帯と裏切り。ありとあるゆるものが混沌と渦巻く中で、僕と彼女も日々を必至で生きていった。
 先の人生のことなど考える暇もない状況の中で、それでも僕たちはいっときの楽しい時間を持ち、さまざまなことを語り合った。
 お付き合いした時期は、2年か3年ほどだったろうか。いつしか感情のすれ違いが生じて、僕たちは離れ離れの道を進むようになった。
 僕は卒業して就職し、彼女とはその後、一度も会う機会もなく、一切のコンタクトもないままに、40年という歳月が経過していった。
 彼女がどのような人生をたどったのかは知る由もないが、僕の知っている人と結婚したらしいことを、ずいぶんと後になってから風のたよりで知った。
 思いがけなく届いたメールは、苗字と名前を組み合わせると、ひょっとして‥!? でも、なぜ? まさか、そんなはずが。
 驚きと不思議な気持ちの中で僕は、もしかして旧姓だれそれさんでしょうか、と返信を書いてみた。
 そのとおりだった。これは40年という時間の厚い壁を突破して届いた、奇跡に近いメールだった。検索しているうちにたまたま僕の名前を見つけたのだという。
 子どもさんたちも、大きくなって独立したらしい。お互いに別々に歩き続けてきた人生の重みの前に、しばし深い感慨にひたる。
 遠くに住んでいるので、もう会う機会はないのかも知れない。僕が年を重ねてきたのと同じ数だけ、彼女もまた年を重ねてきたはずだ。
 ご主人ともども元気で生きているらしい様子に、僕も心が安らかになってうれしい気持ちでいっぱいだ。
 いつまでも健康で、しあわせに暮らしてほしいと願っている。(2月24日)

 <博士が愛したオイラーの公式の神秘的な美しさ>
 映画「博士の愛した数式」の中には、さまざまな数が登場する。素数、完全数、友愛数などだ。
 完全数とは、その数の約数を全部足すとその数と同じになる数で、江夏の背番号28が1+2+4+7+14=28で完全数であることが、映画の中で示される。
 タイトルにある博士の愛した数式とは、どんな数式のことか。これが世界で最も美しい公式として知られるオイラーの公式で
  eπi+1=0  という極めてシンプルな形であらわされる。eをπi乗して1を加えたものは、0に等しい。
 iは高校でも習った虚数単位で、二乗するとマイナス1になる数、πはおなじみの円周率だ。
 eについてはネピア数と呼ばれているが、πとともに自然界や数学のさまざまな場面に登場する最も重要な数だ。
 定義としては、e=(1+1/n)nというのが一般的だが、自然対数の底として説明されることも多い。
 身近な例では、複利計算がよく引き合いに出される。年率1.0の時に、これをうんと細かく複利にしていったら、どうなるか。
 1カ月複利ならば(1+1/12)12になり、1日複利ならば(1+1/365)365になり、こうしてnを無限大にしていった時に、この値はネピア数の2.71828182845904‥になる。
 さて、オイラーの公式の美しさは、自然界と数学において最も基本的な数であるe、π、i、1、0が、神秘的ともいえる簡潔な関係にあるという驚愕の事実にある。
 このオイラーの公式の証明は、三角関数を媒介にして高校生でも簡単に出来るのだが、この公式が何を意味しているのかについては、思想家や哲学者をも悩ます謎といっていい。
 19世紀の数学者ベンジャミン・パースは、オイラーの公式について学生たちにこう語った。
 「諸君、これは確かに真実だ。絶対に自己矛盾だ。われわれには理解出来ない。何を意味しているのか分からない。しかしそれは証明されている。したがって、それは真実でなければならない」
 オイラーの公式の美しさと肩を並べることが出来るのは、質量mとエネルギーEの関係についてアインシュタインが発見したE=mc2(cは光の速度)だけであろう。(2月17日)

 <ネットにおける燃え尽き症候群にならないためには>
 「ブログにおける燃え尽き症候群」という言葉がある。多くの人を引きつける優れたブログで、連日たくさんのコメントやトラックバックがつくようなケースが、これに陥りやすい。
 そういうブログを作っている人は、熱心で真面目で手抜きをすることなく、すべてのコメントにていねいにレスを書き、トラックバックにも目を通す。
 レスがつけばつくほどにコメントの数もまた増えていって、しまいには読むにもレスを書くにも、それだけで大変な時間を割かなければならず、ある段階でパンクする。
 几帳面で丁寧な性格の持ち主ならば、レスが追いつかなくなったことに自信喪失して、一気にすべてをやめてしまってブログそのものの更新を放棄してしまう。
 この症候群は、アメリカに多いとされていて、日本でもその兆候があるブログが多くなっているという指摘があったが、日本でもそれは現実のものとなっているようだ。
 皆がうらやむほど多くのコメントが連日寄せられ、それに対するレスやレスへのコメントなどで、すさまじい盛り上がりを見せていたブログが、ある日突然、更新されなくなる。
 本人には、更新出来ない理由があるのだろうが、「燃え尽き症候群」を目の辺りにしたようで、ネットにおけるコミュニケーションの継続の難しさを考えさせられる。
 「燃え尽き症候群」は、ブログに限らない。人気を呼んでいた個人ホームページについても、ここ数年、ある時を境にして更新が止まったり、サイトそのものが消滅するケースが目立っている。
 僕がブックマークしていて、時々訪れていた個人サイトで、BBSの書き込みやレスで楽しく盛り上がっていたのに、もはやネット上に存在しないというケースも多々ある。
 ブログにしても、個人ホームページにしても、自分が何を目的として作っているのかを、はっきりさせておくことが大切だ。
 多くの人たちとのコミュニケーションが目的ならば、「燃え尽き症候群」にならない程度の「お付き合いの範囲」を考えておく必要がある。
 コメントやBBSへの書き込みが少なくても、わが道を行く、で自分の書きたいことを、自分のペースで淡々と書いていくようなスタイルの方が、案外、長続きするということもあるかも知れない。
 パッと華々しく咲いて、パッと散っていく「燃え尽き症候群」も、いかにもバーチャルなあだ花のようで、それはそれでネットらしいのだが。(2月10日)

 <ヒューザーをコペルニクス的ばか者とは、卓越した表現>
 ヒューザーの小嶋進社長が、耐震強度偽装を見抜けずに建築確認を出した責任は自治体にあるとして、18自治体を相手に約139億円の損害賠償を求め提訴した、というニュースには仰天した。
 四面楚歌でにっちもさっちもいかないはずのヒューザーが、逆ギレのような形で奇想天外な逆襲に出たところが、なんとも面白い。
 どうせ悪役を演じるならば、これくらい徹底して悪役を貫き通した方が、見ている分にはすっきりする。戦法でいう「攻撃は最大の防御」を地でいっているつもりかも知れない。
 これについて、提訴された自治体の1つである横浜市の中田宏市長が、「盗っ人たけだけしい。コペルニクス的ばか者だ」と評したのは、これまた味わい深い罵りの表現で感心した。
 中田市長が言いたかったのは、盗っ人の方が堂々と記者会見して、被害者を盗っ人扱いしている本末転倒ぶりについてであろう。
 ここで冠詞にされているコペルニクスは、16世紀の半ば、プトレマイオスの天動説が全盛だった中世の時代に、「天球の回転について」という著作で、初めて体系的な地動説を提唱した。
 コペルニクスの地動説は、宇宙の中心に太陽を置くことで、従来の地球中心の世界観から抜け出す革命的な思考をもたらした。
 これは天文学だけでなく、自然科学全体さらには哲学・思想の分野まで、人間の物の見方を根底から覆した点において、「コペルニクス的転回」といわれる。
 コペルニクス的な世界観は、その後、コペルニクスが考えていた規模をはるかに上回る、もっと本質的な内容を含んでいることが明らかになっていく。
 地球が宇宙の中心でないばかりではない。太陽もまた宇宙の中心ではなく、銀河系宇宙の片隅に位置する普通の星の1つに過ぎないことが分かってきた。
 さらに、この銀河系宇宙そのものも、宇宙の中に数千億ほど存在する銀河の1つに過ぎず、なんら特別の存在ではないことがはっきりした。
 コペルニクスの地動説の真髄は、この宇宙には中心がないばかりか、特別の星も特別の場所もなく、宇宙はどこでも同じ物理法則によって動いている、という世界観に道を切り開いたことにある。
 この思想的影響の大きさは、はかり知れない。
 この宇宙において、知的生命は地球だけのものではあり得ず、ほかにも数多く存在していたか存在しているに違いないという見方は、コペルニクス的世界観から導かれる当然の帰結である。(2月3日)

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2006年1月

 <海女さんとともに海に潜った女性記者とモーツァルト>=通算900本目
 昨日はモーツァルト生誕250周年ということで、ザツルブルクはじめ世界中でこれから1年間に渡ってさまざまなコンサートや催しが開かれる。
 モーツァルトの音楽については、さまざまなところで、さまざまな人たちが思い入れを語っていて、だれもがそれぞれのモーツァルト観を持っているといっていい。
 僕がモーツァルトで思い出すのは、まだ女性記者がほとんどいなかった時代に、朝日新聞の社会部ただ一人の女性記者として活躍した人の記事だ。
 この女性記者の名前は忘れたが、松井やよりさんや、その先輩の島田とみ子さんよりもさらに前の時代に孤軍奮闘した記者だった。
 僕が覚えているのは、この記者が海女さんの生活をルポした続き物だ。
 彼女はこのルポのために潜水の技術を身に付け、海女さんたちと寝食をともにしながら、自ら冷たい海中に酸素ボンベなど付けることなく潜る生活を続けた。
 この渾身のルポは、当時大きな反響を呼んだ。このルポは男の記者には決して出来ないルポであった。
 その取材体験の過酷さと厳しさは、たとえ男の記者に可能であったとしても尻込みしたに違いないほど、容赦のないものだった。
 ルポの中で、弱音を決して見せない彼女がたった一箇所だけ、本音をもらした記述があった。
 凍りつく海中に潜ってしだいに息が苦しくなっていく時、彼女は「ああ、モーツァルトを聴きたい、と思った」というのだ。
 僕はこの記述に強烈な感銘を受けた。
 このくだりほど、ルポの辛さを物語ることばはない。
 そして、このくだりほど、モーツァルトの音楽を語ることばはない。
 いろいろな解釈や評価があふれているけれども、モーツァルトの音楽とはそういう音楽なのだと思う。(1月28日)

 <久々に課税された住民税に振り回される>
 年金や医療保険の仕組みは複雑怪奇でほとんど理解不能といっていいくらいだが、税金の仕組みもまた国民には超難解だ。
 僕は9年前に会社をやめたのだが、その年の前半はまだ会社から給料をもらっていたので、住民税がかかるのは仕方がないと思う。
 しかし、その翌年は給料を含めて収入がゼロになっているのに、多額の住民税の納付書が役所から送られてきた。僕は間違いではないかと、役所に電話で問い合わせた。
 担当者の説明では、住民税は前年の収入をもとにして翌年の税額を決める仕組みになっているため、会社からの給料がまったくなくても住民税はかかる、というのだ。
 それはおかしいではないか、収入がないのにどうやってこれだけ多額の住民税を払えというのか、と僕は食い下がったが、法律でそう決まっているので仕方ありません、という。
 その年は泣く泣く、なけなしの蓄えの中から住民税を払うはめになった。
 次の年からは住民税がかからなくなり、住民税ゼロの年が何年か続いた。
 先日、去年1年間に役所から来た通知や書類を整理していたら、いつの間にか、僕に住民税がかかっているのに気づいた。
 いつからかかるようになったのだろう、と思って、前年、前々年の通知を出してみると、かかっていない。
 してみると、去年から突然かかるようになったのだ。
 僕は憤然として、しばらくぶりに役所に問い合わせの電話をしてみた。
 すると一昨年に雑収入が一定の額を超えたため、確定申告をもとに住民税がかかることが自動的に決まった、というようなことだった。
 なんとなく釈然としないが、住民税はどういう方法で払えばいいのか、と僕はアホな質問をした。
 「えっ、あなたは去年6月に住民税をご自分で振り込まれております」という返事に、僕は自分がいかに書類を読まないままで簡単に振り込みをしていたかを思い知らされた。
 こんどの確定申告では、所得税が返ってくる可能性はあるものの、住民税については取られっ放しで、取り戻す方法はない。
 今年もまた住民税がかかるのだろうか。税制があまりにも複雑で、お役人の言うがままにしか出来ないのが、くやしくもあり、もどかしくもあり。(1月20日)

 <新型インフルエンザの拡大時、満員電車を止められるか>
 新型インフルエンザが現れた時に、どのように対応すべきかは、文明というものが問われているといっていいだろう。
 厚生労働省の予測によると、日本では最悪の場合、国民の25%が感染し、1300万人から2500万人が医療機関で受診するという。
 別の試算によれば、日本で爆発的な拡大となった場合、入院患者43万人、外来患者1686万人、死者は10万7000人にのぼる。
 最悪の場合に至らないためには、感染の拡大を最小限に食い止めなければならない。
 国立感染症研究所などが最近発表したシミュレーションは、感染の拡大と満員電車との関係をくっきりと描きだしていて興味深い。
 それによると、人口80万人程度の都市の場合、満員の通勤電車内で1人の感染者が1駅進む間に他人にうつす確率は10万分の5と見積もられる。
 満員電車を普通どおりに走らせた場合、1日あたりの患者数は10数日でピークに達し、延べ患者数は50数万人になる。
 かりに、患者数が人口の1%に達した時に満員電車の運行を禁じると、ピークまでの日数は変わらないものの、患者数は30数万人まで減るという。
 これは東京圏や大阪圏など、通勤ラッシュが日常化している大都市圏では深刻な問題である。
 10万人を超えると予想されている死者の数は、阪神大震災の20倍に達する。
 これだけの犠牲者を出さないためには、満員の通勤電車の運行を止めればいいことは、すでに分かっているのに、おそらくそれは不可能であろう。
 都市機能がマヒし、経済活動がストップする事態に対しては、さまざまな異論や反対、抵抗が予想され、通勤電車を普段通り運行させることは至上命題になるような気がする。
 たとえ、電車をとめれば死者を数万人少なく出来ることがはっきりしていても、それには強硬な反対論が出るに違いない。
 こうした非常事態に、経済活動がストップしても構わないから犠牲者を出来るだけ少なくするか、犠牲者が増えるのはやむを得ないこととして、経済活動を優先させるのか。
 文明が問われる事態となることは避けられないであろう。(1月13日)

 <やたらと目に付くロハスの文字、裕福層のお遊びか>
 いまさらではありますが、明けましておめでとうございます。
 さて、今年のキーワードは何だろうかと、元日からの新聞をくくりながら考えてみる。
 トリノ五輪、サッカーW杯、ポスト小泉の総裁後継者争い、株価の上昇とバブルの危ういバランス、等々、いろいろなことが話題になっている。
 そんな中で、ロハスという文字が新年からやたらに目立つ。僕はこの言葉の意味を知らなかった。
 無料のことを昔は、只という漢字を分けた洒落で、ロハと言っていたものだが、なにか節約や倹約と関係があるのだろうか、と思ったりしていた。
 雑誌の広告、とりわけ女性誌の広告には、ロハスの大特集を組んでいるものも目立つが、新聞記事にはあまりロハスという言葉はみかけない。
 そこで調べてみたら、ロハスとはLOHASで、Lifestyle of health and sustainability の頭文字を綴った新語で、要するに「健康と持続可能な社会に配慮したライフスタイル」というような意味らしい。
 1988年にアメリカの研究者が提案したライフスタイルのモデルといわれ、日本には2002年に紹介されてしだいに使われるようになった、という。
 ロハスなんていわれなくても、スローライフやシンプルライフという概念があるのに、どう違うのだろうか、と思う。
 が、いろいろと見ていくうちに気がついたことは、ロハスな生き方をするためには、お金がかかる、ということだ。
 国内や海外のリゾート地でゆったりとあくせくしない時間に浸る、あるいは日常から離れてホテルでのんびりとした自分の空間を楽しむ。
 ロハスな生き方そのものは悪いことではなく、誰かに迷惑をかけるわけでもない。しかし、はたしてどれだけの人がロハスな生活をすることが出来るかと思うと、率直な違和感も感じる。
 ロハスは一種のステータスシンボルであり、それ自体が本人にとって贅沢な快楽なのだ。
 アメリカでは30%の人がロハスな生活をしているというが、格差が広がる日本の社会では、ロハスを楽しむことが出来るのは裕福層の一部だろう。
 sustainability(持続可能性)という、とってつけたような意味づけは、お金持ちのお坊ちゃんお嬢ちゃんたちが遊ぶにあたっての免罪符のようにも響く。
 ヒルズ族になれない我ら下流階級にとっては、増税と社会保険料の引き上げ、原油価格の高騰にあえぎながら、その日その日を生きることに精一杯で、ロハスどころではないのだ。(1月6日)



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 Pachelbel "Kanon in D"

 MIDIを聴くことの出来る環境にある方は、パネルのスイッチをオンにすると音楽が流れます。
 音楽は、エクシング社発売の著作権フリー音楽集「Sound Choice Vol.1」から使用しています。
 この曲のデータを、当ホームページから複製したり、転載・配布することは出来ません。

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