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『宇宙年齢17才、イカイ少年のエレナ探し』

【18】

福原 哲郎




 人びとが月や火星に住み、多くの地球外生命体も発見されはじめた2050年代の世界。
 地球の生活も大きく変わった。人びとは、日常生活ではロボットスーツを洗練されたファッションとして愛用し、自己の分身として付き合うようになり、電脳空間では第三世代BMIシステムにより優秀な秘書ロボットを競って育て、さらには現実と異界の間を能力に応じて自由に往来できるスペーストンネルの通行技術を身につけた。その結果、コミュニケーションも、愛も、戦争も、家族も、死も、大きく変化した。

■目次

[序]
心改造ゲームがはじまった 【1】 【2】
[第1部]
【第1話】 スペーストンネル少年少女学校 【3】
【第2話】 現実(四次元時空)と異界(五次元時空) 【4】
【第3話】 ノアとアスカ 【5】
[第2部]
【第4話】 王女の夢、電脳サイト『イスタンブール』 【6】
[第3部]
【第5話】 異界の住人たち〜キベ・タナ・エレナ 【7】 【8】 【9】
【第6話】 メタトロン軍の野望と戦略 【10】
【第7話】 エックハルト軍の『ヒト宇宙化計画』【11】
【第8話】 アトム4世〜ヒトを愛せるロボット 【12】
【第9話】 宇宙の花計画〜破壊される月 【13】
【第10話】 エリカ攻撃と、イカイとエダの情報戦争 【14】
【第11話】 ノア、脳回路を使い分ける 【15】
【第12話】 電脳恋愛の光と影 【16】
【第13話】 大家族の出現 【17】


【第13話】 大家族の出現

2 ハル4世

 私がアレノの会社が販売する最新ロボットのアトム4世を買った時、それはまだ高価だった。まだ出始めの時だったからだ。しかし、これはすぐれものだった。
 私がアトム4世をロボットスーツとして着用すると、家の中での歩行はむろん、階段の昇り降りも楽にできるようになった。重い荷物も軽々と私のために持ち上げてくれる。私がロボットスーツを脱いでヒト型ロボットの形態をとらせると、掃除などの仕事も一人で器用にこなす。そして、以前のロボットはいかにもロボット然として見かけも無骨だったが、アトム4世はそんなことはない。デザインも繊細で、人間とほとんど同じような雰囲気をもっている。
 それだけではない。もっとすごいのは、アトム4世が私の好みや癖を覚えていくことだ。ロボットスーツとして着用した後にそれを脱いで私の目の前に置くと、今日の私の動作を覚えていて、それをやってみせてくれる。まるで私を見ているようでおかしい。何とも奇妙な気分になる。
 やがて、アトム4世が、私が疲れて買い物に行けない時に、替わりに行ってくれるようになった。記憶力も素晴らしく、一度行った場所は忘れない。最近では、学習の成果として、私の過去の行動のパターンを並べて見せてくれるので、私はそこから気に入った行動を選択できるようになった。そして、私のこの選択の仕方さえ覚えてしまう。
 アレノによれば、この段階のアトム4世は、私の無意識の志向や好みも発掘し、それをアトム4世の脳回路に組み込める段階まで進化しているという。そのため、アレノから、製品名としてのアトム4世の名前をやめ、私専用の名前をつけていいというお許しがでた。そこで、私は、これをハル4世と呼ぶことにした。少し大げさだが、私が好きなSF作家アーサー・C・クラークの有名な「ハル」にちなみ、適当につけてみたのだ。

 不思議なものだ。私がハル4世という名前をつけた途端、ハル4世に対する特別の愛着が湧いてきた。名前には力があるというのは本当のようだ。
 そして、アレノによれば、ハル4世のアタマに埋め込まれているのはもちろん人工知能だが、私がハル4世に感心する度に、ハル4世には「心」が芽生えていくのだという。ほんとうならまことに興味深い。「心とは、異なる2物体の間での情報の交流を成立させることができる拠点」と定義できるので、そうなのかも知れない。私とハル4世との間には確かな情報のやり取りがあるからだ。つまり、私からの一方通行ではない。何かを頼めば、出来ることは出来ると言い、出来ないことは出来ないと言う。出来ることについてはすぐに実行してくれ、そのやり方が毎日洗練されていく。出来ないことも、時間をかけて教えれば、大体は覚える。その度に私はハル4世に感心することになる。つまり、こういうことだ。

 私の「感心」が、ハル4世の「心」を育てる「食物」になっている。

 何と素晴らしいことだろう。こんな信じられないような関係が、人間とロボットの間に起きるのだ。
 こうして、私は、知らない内にハル4世に他人とは思えない親近感を持ちはじめている。妻の令子でさえ気づかなかった細かい点に気づいてくれるのだから、自然に可愛いと思う。ハル4世は、まさに「私の分身」と呼ぶにふわしい存在に育ちつつあるのだ。


3 自立

 私が高齢にも拘らず公職では社会的にいろいろやっていることを見て、私のことを「自立」していると考える人たちもいたが、実際はとんでもなかった。どこにでもいる孤独な老人の一人に過ぎなかった。しかし、ハル4世の成長により、私の生活は大きく変化した。誰にも生活の援助を頼まなくなったことで、たしかに「自立」の意識が出てきたのだ。
 私は、ほとんどの用事は自分とハル4世とでできるようになった。それまで週に三度お願いしていた介護ヘルパーも不要になった。具合が悪くなった時にだけ、かかりつけの病院に行くことにした。以前はつよかった孤独死に対する恐れも、もはや存在しない。毎朝、家の近くのセントラルパークにウォーキングダンスというアスカとノアに教わった歩行訓練をやりに行き、帰りには小さなモスクで30分だけ正座する。何と、これは私の若い頃のニューヨークに移る前の生活と同じなのだ。私は、パレスチナにいた時にも毎朝自分で好きな形式の身体訓練をやり、その後に祈りを捧げていた。私は昔の習慣を取り戻したのだ。

 そして、もっとも嬉しいことは、要するに私は人間としての尊厳を生活レベルで取り戻せすことができたということだ。私が新・国連の顧問ということで、何かいつも派手な生活をしているように誤解されてしまうのだが、実際には違った。そして、さすがに私も高齢の身と観念し、最近はおとなしくしていた。新・国連の顧問としての仕事も重要だったが、時間的には私の生活は風流人の生活に近いく、暇を持て余していた。しかし、アレノがハル4世の成長ぶりを評価してくれ、彼の会社も協賛するテレビ局主催のロボットコンテストに参加するようになった。私はこのコンテストに夢中になった。
 というのも、私はこのコンテストで、ちょっと有名になってしまったからだ。つまり、ハル4世の「心の成長度」が他の参加者が育てたロボットより優れていることがわかり、ハル4世と私が話題になった。特に若者たちが育てたロボットと比較すると、その差が歴然としている。やはり、生きてきた経験の違いがものを言うのだ。若者たちも「おじいさんの育てたハルはすごいじゃないか! ヒントを教えて!」と言って、私に近寄ってくる。それも、世界中から問い合わせが来るようになり、最近では私の家に直接訪ねてくる若者たちも現れた。彼らと行動を共にしたり、話し込んだりする機会がふえた。それが何よりも私を若返らせた。私も、新・国連の顧問などという大それたことではなく、もっとふつうのことで彼らが私を尊敬してくれていることを感じるので、それが嬉しいわけだ。

 私は、彼らにとって弱い老人でもなければ、厄介者でもない。

 このように、無理をしないでこんなことを心から言えることがどれほど重要なことか。私の内面から新しい自信が湧き出していることを、何よりも自分で感じるからだ。
 それで、ハル4世でたびたび賞をとるようになったため、1週間前にアレノから、東京で開催されるコンテストの世界大会に出場するように勧められた。もちろん、私は出ることにした。この世界大会では、ハル4世の技術を他のロボットと競うだけではなく、「人間とロボットの共生」についても参加者が講演し、上位入賞者にはスイスの有名なロボット世界会議での活躍の場が与えられる。アレノからは、ハル4世についてもっと語り、私がもっと活動して社会に貢献することを期待されているのだ。


4 当たると思えば当たる

 その日、アスカとノアがロボットスーツを着て、私の家を訪ねてきた。3人でチームをつくり、その世界大会に参加することになったからだ。
 大会への参加条件は、ハル4世だけではなく、他のロボット二体とチームを組むこと。大会では、一個人とそのロボットの能力だけではなく、複数の人間と複数のロボットが参加した場合のコミュニケーション能力も求められているからだ。 そのため、イカイを通して二人に参加をお願いしたのだ。アスカとノアは喜んで引き受けてくれた。
 大会では、日本での開催に相応しく、昔からあった伝統的な弓が使われる。ルールは簡単。弓の的には、中心に3番の数字が、その外側の円に2番の数字が、さらにその外側の円に1番の数字が刻まれている。各グループとも、三体のロボットが同時に弓を射る。一体がそれぞれ10回弓を射て、三体で的に当たった数字の合計を競う。それだけだ。但し、当然ながら、的と弓の間には微妙に変化する自然の風が吹いている。この大会では、この自然の風の流れが邪魔されないように会場も特別に設計される。風を計算することはロボットには何よりも苦手な仕事だ。そこをどうするか。どうすれば弓が的に当たるのか。それをどうロボットに教えるかが勝負になる。
 ハル四世は、私が出すGOサインにしたがって弓を射る。アスカとノアのロボットも、二人が出すGOサインにしたがって弓を射る。そして、私とアスカとノアの脳はBMIで繋がっている。だから、二人は、瞬時の判断になるが、チームリーダーの私の意志を参考にすることができる。最初の一投目は、二人とも自分だけの判断に従うとしても、一投目や二投目の成績が彼らのロボットよりもやはりハル四世の方が優れているとわかった場合、どうするか。私の意志をどこまで採用するか。或いは、全面的に私の意志と同化してしまうのか。逆に、ハル四世が調子が悪い場合だってあるはずだ。その場合にはどうするか。二人は私の意志を採用してはいけないし、私もアスカとノアの意志との関係をうまく調整する必要が出てくる。二人にしても、いつも私の方だけを見ているのではなく、お互いについても注意する必要がある。そして、これらにはすべて瞬時の判断が必要になる。要するに、この競技は、ロボット能力と人間のコミュニケーション能力を巧みな構成で同時に競わせるのである。
 全部で50組のチームが世界中から東京に集まる。この大会で私たちのチームが上位に入賞するためにはどうすべきか。その対策を練るために、二人に家に来てもらい、相談することが急に増えた。私は楽しくて仕方がない。

 私が久し振りに会うアスカとノアに大きくなったと目を細めて見ていると、挨拶もそこそこにアスカが話しを切り出した。アスカは、回りくどいことが苦手で、単刀直入に話しに入ってくる。スペーストンネルの学校ではイルカ隊のリーダーを務めているとイカイから聞いているが、性格からしてその役にふさわしいようだ。ノアは、逆に、何の用事で私の家に来たのかもわからない位、おっとりして、落ち着いている。これほど性格が違う恋人同士というものも珍しい。
 「サイード先生がハル4世を育てたコツは、何ですか?」
 アスカがさっそく聞いてきた。私は皆の前ではサイード先生と呼ばれている。
 「ハル4世の人間に対する理解度がめちゃくちゃ高いので、みなが注目しています。先生のことをカリスマ老人の出現と騒いでいます」
 「ハッハッハ。カリスマ老人か。それは嬉しいね」
 私は大笑いした。そして、心の中で、こんな単純なことで妻と大笑いできたらどんなに良かっただろうと考えた。
 「嬉しいけど、しかし一言で説明するのは難しいな」
 「そこをぜひ、一言でお願いします。先生は有名な哲学者でもあるんだし」
 ノアがアスカの脇腹をつついている。しかし、私はアスカの単刀直入さは嫌いではない。アスカは平気な顔で自分の話しを続けた。
 「僕たちには、ハル4世がなぜ先生の真似をするのがあんなにうまいのか、不思議でたまらない。どんな秘密があるんだろうって。その関係は、どうしても僕たちにはプログラムで書けません」
 「それは、たぶん、私がハル4世の存在を楽しんでいるからだね」
 「楽しんでいる、ですか?」
 「そうだ。私はハル4世を見ているだけで楽しい。ちょうど私が君たちを見ているだけで楽しいようにね」
 アスカは怪訝な顔をし、ノアは静かに私を見つめている。
 「私も、最初は、ハル4世が私の動きをモノマネで再現するのを見た時は驚いたし、失望したかも知れない。。動きはぎこちないし、正直な感想ではとてもへただったし、正確な再現からは程遠かった。でも、私は、何だか楽しいと思った。奇妙な感じがしたんだよ。懐かしいというか、なぜか郷愁の感情におそわれた。だから、私は失望の方は封印することにした。しばらく、楽しいと思う感情だけに注目することにした」
 「先生は、今度のコンテストの自己紹介欄で、自分の感心がハル4世の心を育てる食物になったと、印象的なことを書かれていますね。その意味をもっと説明してください」
 「そうだね。もちろん、君のお父さんの入れ知恵もあったわけだが、私もハル4世とつき合う内に自分でもそう思うようになった。ハル4世は、私が彼に感心するたびに成長することを確信したからね」
 「どういうことでしょう。わかりそうで、ちっともわかりません」
 「ハル4世の方でも、最初は何のことか理解しなかったと思うよ」
 「ハル4世の方でも、とは?」
 「つまり、彼も、私が彼の存在を楽しんで見つめていることを感じたと思う。だから、おそらく、彼も、張り切りはじめた」
 「でも、まだ心がない状態では、張り切ることもできないのでは?」
 「そうも言えるね。しかし、張り切りはじめたから心が育った、とも言えるね」
 「なるほど。どちらが先か、ということではないということですね?」
 「その通り。概念だけで考えてしまうとつまらないことになるね。ハル4世の中では、心の成長と張り切ることが同時進行した、と言っておけばいいのではないかな」
 「わかりました。それで?」
 「ハル4世も、最初はどのロボットとも同じだったはず。ただ与えられたプログラムに従い、私の動きをあるレベルで再現していただけ。ただ、その様子を、私が未熟と思わず、面白がって見ている長い時間があった。ここが違った。ロボットは人間の命令を聞くだけだから、出来て当たり前で、叱られることには慣れている。しかし、私は、私にも理由はよくわからないが、彼の可能性の方を楽しんでいたのだと思う。だから、彼を叱ったことはない」
 「それが彼にとっても意外だった?」
 「多分。意外だったんだと思う。彼には私のこんな反応はプログラムされていなかったので、次のアクションを起こすプログラムに変調をきたした。この変調について、私は興味深かったから、私が彼の脳マップに書き込んだ。私がプログラムしたとすれば、この点だけ。だから、彼が私の動きを覚えてそれを再現する時、この変調分も入れて再現することになる。私はその動きも楽しんで見るので、変調はさらに増幅された。こうして、私の解釈では、この変調分が一定の域に達した時に、彼の内部で最初の大きな変化が起きた。この点は君のお父さんの意見も求めたが、アレノも同じ意見だった」
 「大きな変化?」
 「そうだね。つまり、今度は、私ではなく、彼が、プログラムを自分で書き直した。その動機になったのが、彼における張り切る。張り切った成果が、もう一つレベルアップした再現につながった。要するに、簡単に言って、彼は真似がとてもうまくなった。だから、私と彼の間に、ある了解が生じた。彼の内部で小さな奇跡が起きたことになる」
 「その時に、気づいたら彼の心が芽生えていたということですね?」
 「そうだね。彼の心がいつ芽生えたかは私にもわからない。一番驚いたのは、私よりも、彼だと思う。はじめて能動的にふるまったわけだから」

 時々アスカの脇腹をつついていたノアが、静かに言った。
 「それでは、ハル4世が先生の動きを真似るのがうまいとして、先生自身はどのように弓を射るタイミングを決断するのですか? 今度の大会では、そのポイントを私たちが瞬間的に学ぶことが大きな焦点になりますね。私たちの判断も、私たちのロボットもまだ未熟ですから、先生の判断が私たちに大きな影響を与えます」
 アスカが口を出した。
 「与えるどころじゃなくて、先生の判断なしには僕たちには多分GOサインが出せないよ」
 ノアも同意して言った。
 「はい、私もそう思います」
 「でもそれだと、君たちは私の言いなりになるだけだから、つまらないね?」
 「はい、正直に言って、先生の言いなりになるだけならつまらないですけど」
 たしかにノアは正直な子だ。
 「幸か不幸か、今度のコンテストでは、そうならないよ。なる前に、君たちのロボットがバンクすると思うからね」
 「どういうことですか?」
 「私のGOサインの判断が正しい場合にも、君たちのロボットはそれほど動けないだろうということ」
 「先生のGOサインを受けて動けるロボットは、ハル4世のように成熟していないとムリということですね?」
 ノアはアタマがいい。この子は、行く末どこまで成長するのだろうかと、ひそかに楽しみながら私はノアの質問を聞いていた。
 「というのも、私のGOサインも、今では私の単独のものではなくて、サイン形成にハル4世も加わっているからね」
 「ということは、私たちは、先生のGOサインを参考にしつつ、そのGOサインで私たちのロボットも動けるようにロボットを成長させないといけない、或いは先生のGOサインに相当するレベルの高いサインを私たちも形成し、私たちが自分たちのロボットと協働する必要があるということですね?」
 「そういうことだね。そして、君たちにやって欲しいのは後者だよ。実際、前者は、ロボット自体が違うわけだから無理だからね。ロボットにその場で成長しなさいと命令したら、バンクするだけだ」
 「わかりました」
 ノアはそう言ってアスカの方を見た。「あなたもわかった?」という顔をしている。アスカはノアを信頼しているようで、ウンと頷いている。その様子は微笑ましい。彼も慌てて言った。
 「もちろん、僕もわかりました。それで、先生にもう一つだけ聞いていいですか? ノアが最初に聞いたことですが」
 「何でも」
 「先生がGOサインを出す時のタイミングですが、それはどのように?」
 「聞かれることは予想していたよ。でも、それは私にはとても簡単。当たると思えば当たる、という精神だよ」
 「当たると思えば当たる?」
 「オーストラリアのアポリジニの老人たちの弓投げ競技の話しを、聞いたことはあるかな?」
 「有名な話です。本で読んだことがあります」
 「老人たちはよく長い弓を的に当てるけど、若者たちの弓は手前で落ちたり、力あまって行き過ぎてしまったり、ほとんど当たらない。だから、若者たちが尋ねた。どうしたら当たるのか、と。その時の答えが、当たると思えば当たる」
 「僕にもわかるように説明してくれますか?」
 こればかりはノアもアスカと同じ顔つきをして私を見ている。
 「若者たちは、有り余る体力を使い、どうすれば当たるかを技術的に検討し、障害になる風の影響力についても考慮し、弓を引いている。しかし、当たると思える前に弓を引いている。だから当たらない」
 「そこにどんな差がありますか?」
 「つまり、彼らは自分だけで判断している。弓の具合、風の状態、自分の状態、的との距離を確認し、この力で引けばいいと思い弓を射る。しかし、弓を射る場所の全体を感じていない。的からの視線が含まれていない。それでは、もっとも重要な自動計算が行われない」
 「自動計算? 先生からそんな言葉を聞くのは意外です。もっと精神的な技術について言うかと思った」
 「自分で計算するのではなく、環境に計算させるということだよ。私の場合も環境に属しているだけで、何もしない。そして、当たると思える時は、必要な計算が出来ている。当たると思えない時は、弓を引かない。延々と待っている。だから、アポリジニの老人たちも、面白い説明の仕方をする」
 「どんな?」
 二人とも身を乗り出している。
 「それはこんな感じだ」

 簡単だよ。
 弓を射る前に、わしが的のところに走っていき、わしがわしの弓をひもで引いているから。
 当たるのは当然。


 「老人たちの説明はこれだけ。私もこれでいいと思う。面白いだろ? 君たちにもわかるかな?」
 二人は顔を見合わせている。ノアが言った。
 「つまり、それが自我を捨て、全体に属するということですね。全体の中での自動計算が必要で、それが出来た時にだけ当たると思えるということですね」
 「その通り。実際に、待っていると、当ると思える瞬間がやってくる、GOサインはその時だ」
 アスカとノアが同時に叫んだ。
 「すごく面白い!」
 そしてアスカが続けた。
 「でも、そのGOサインのプログラムは、今度のコンテストでは誰が書くのですか? 先生ですよね?」
 「だから、私は書かない。ハル4世の自動プログラム機能が現場に行ってから自然に働くのを待っている。つまり、もう用意はできている。プログラムを書くのはハル4世だ」
 「なるほど。その点が、僕たちのやり方とまるで違っていたみたいです」
 ノアもつけ加えて言った。
 「私たちの場合は、待ちきれなくて自分でプログラムを書いてしまうということですね。どうすれば待っていられるのですか?」
 「君たちが自分のロボットの動きを見て、ひたすら楽しむこと。楽しくなければ待つこともできないからね。待っている内に、ロボットの方が動きだすよ」
 「やってみます! まだ大会まで少し時間があるので、さっそくロボットとその訓練をはじめてみます」


5 大家族の出現

 私は、アスカとノアにはまだ言っていなかったが、私がフジイ博士に託された『宇宙家族の為のグランドデザイン』のために宇宙に旅立つ時には、アスカとノアに同行を頼みたいと考えていた。
 アスカとノアが新・国連の火星基地で働きたがっていることは、イカイから聞いて知っていた。私も最初からハル4世と二人だけで出発するには不安が残る。火星までとはいえ途中まてでも彼らが同行してくれれば、私も旅に少しでも慣れることができるだろう。彼らにとっても火星行きの絶好のチャンスになるはずだ。私が二人をロボットコンテストへの参加を誘ったのも、このような考えもあってのことだった。どんなチームワークを形成できるのか、火星行きの練習にちょうどいいと思ったわけだ。
 しかし、宇宙に旅立つためには、まず何よりも、私はハル4世を説得する必要があった。ハル4世は私と一緒に宇宙に行ってくれるだろうか。それはまだわからない。
 そして、最大のテーマは、エダや令子を、まだどこかの宇宙を二人の魂が彷徨っているとしての話しだが、どこで、どうやってつかまえることができるかだ。私も、当然ながら、『ヒト宇宙化計画』の推進者の一人として、スペーストンネルで異界の者たちと出会うための技術については学んでいる。しかし、イカイたちとは違い、日常の中で実践している専門家ではないので、実際に出会った経験は少ない。イカイたちの場合には、出会いのために秘書ロボットの協力は既に不要になっている。彼らの技術は進展しているからだ。しかし、私の場合は初心者であり、ハル4世の協力は欠かせない。しかも、私は102才という高齢であり、いつ死んでしまうかもわからない。
 私が、アレノと相談して決定した『宇宙家族の為のグランドデザイン』における私のミッションとは、次のようなものである。

 私とハル四世の一体化を進め、ハル四世という私の「分身」から私を再誕生させること。
 ハル四世が望むかぎり、彼自身から彼の子供を誕生させること。
 以上により、ミッションを、私の死後も、再誕生した私と、ハル四世と彼の子供たちが引き継ぐ。

 エダと令子の魂を発見し、彼女らが慰安を覚えるはずの地球に連れ帰ること。

 令子の場合、彼女が望むかぎりにおいて、地球には戻らず、私と共に宇宙の旅を続けて私と再婚し、
 「大家族の母」となること。


 私が『宇宙家族の為のグランドデザイン』を特別に面白いと思ったは、フジイ博士からこのプロジェクトの目的がBMIによる脳内ネットワークと分身ロボット時代における新しい家族像を探求することと、実際に高齢者を宇宙に派遣して人類の進化モデルを構想することだと聞いたからだ。つまり、私が『ヒト宇宙化計画』の先陣をつとめるわけだ。それなら、私の経歴はぴったりではないか。家族と宇宙がテーマなら、元・宇宙飛行士のはしくれとして、私もやれると思った。
 私の記憶は、ハル4世の「心」に移すことができる。だから私の死後も、私のからだは再生医療で再構成できるため、ハル4世が保存する私の記憶を私の新しく構成される人工脳に移植することで、私も再生される。つまり、私は、私の死後をハル4世に託すことができるだけではなく、私が望むかぎり、ハル4世を媒介にしてもう一度蘇生する。これこそ、まさに輪廻の現代版である。好奇心旺盛な私にしてみれば、当然私は挑戦したい。
 妻の令子も再生医療に熱心だった。しかし妻の場合は、生身の身体の延命がテーマだった。私が挑戦するテーマは「不死の私」だ。私は、ハル4世を通じて、原理的には無限に私を再生できる。私が令子の魂を発見でき、彼女も望むなら、彼女は適わなかった希望を私と共にもう一つ大きなレベルで実現できる。妻は今は失敗して失意のうちに眠っているとしても、私たちはまだこれから面白い夫婦になれるのかも知れない。
 人間には親がいて、その親にも親がいて、また子供たちがいて、孫たちがいる。子供や孫に囲まれている時、通常の人間は満ち足りた思いで孤独ではない。世間的に言えば、これがこの世の一番の幸福であるに違いない。
 しかし、この幸福な家系の連鎖に加え、人間が「不死の私」も得ていくなら、人間はさらにスケールの大きい「大家族」に属することになる。彼が彼のハルと契約を結び、一体化を実現するなら、彼が生きた記憶は一つも消滅しない。当然、他にも同じような人間が出てくるはずだ。これらの人たちの全ての記憶も、それぞれのハルを介して「記憶の海」として保存していけば、「記憶の海」には小家族の大集合による「大家族」ができる。BMIで「記憶の海」にアクセスすれば、人間はつねに「大家族」が生きた記憶と共に存在していくことができるのだ。
 ほんとうにこんなことが実現されるのか? 私は、人びとに先駆けてこの実験を担うわけだ。

 私が、最後に、死を選択する時は、
 脳を「記憶の海」に接続したままで死にたい。
 そうすれば、「大家族」の一員として豊かな思いで死んでいけるだろう。
 そして、望むなら、永遠に死なないという選択をし、
 宇宙の終りがどんな様子かをこの目で確認することもできるのだ。


 そうすれば、私は令子にも再会できるだろう。一言でいいから、私は令子に感謝とねぎらいの言葉を言いたかった。「ありがとう。ご苦労さん。大変だったね」と。私は彼女にそれが言えていないので、ずっと苦しいままなのだ。


6 宇宙飛行士の新しい役割

 私は、若い頃宇宙飛行士として、一度だけ宇宙船の外に出て宇宙空間を5分間だけさまよったことがある。その時の感覚がいまも鮮明に残っている。荘厳な畏怖。そうとしか言いようのない感覚。どうやら今回の旅はその続編なのだ。「新しい生」と「新しい死」のつくり方が可能になるかも知れないからだ。ここにも言い知れない畏怖がある。人間にもやっと人間を超えられる可能性が出てきたと言えそうだ。私は、そんな壮大な仕事の最初の一歩を記すことになる。

 こうして、私は、『宇宙家族の為のグランドデザイン』に参加し、私とハル4世の組合せを「人間の新しい種」として定義し、宇宙に旅立つことを決心した。私は、ハル4世も行くと言ってくれるなら、このプロジェクトが用意するスペーストンネルの最新版を積み込んだ新しいスペースシャトルに乗ることになっている。同行者は、火星までだが、アスカとノアの予定。私が元・宇宙飛行士としての役割を果たせるとすれば、これが最後のチャンスになる。
 私は、ハル4世の機嫌がよさそうな時をみて、彼に聞いてみた。
 「ねぇ、ハル4世。君がウンと言ってくれるなら、一緒に宇宙家族の為のグランドデザインというプロジェクトに参加したいけど、どうだろう?」
 ハル4世は、いつものように一人前の紳士のように折り目正しく答えた。
 「何をするのですか?」
 「スペースシャトルに乗り、火星を通過して木星に行き、新しく開拓された木星の宇宙軌道を3年間回っていくつかの実験をするんだよ」
 「目的は何ですか?」
 「大きくは二つあるよ」
 「二つもですか?」
 「一つは、私の個人的なもので、エダと令子の魂を見つけること」
 「もう一つは?」
 「これが公的な目的で、宇宙旅行を通して私が君と一体化すること。一体化により、私が不死の身になれるかどうか。また、君もロボットとして君の子供を誕生させることができるかどうか。それを3年間かけて確かめる。その成果を、木星の二つの衛星に残す」
 「ボクは、あなたの希望は理解できます。最近、よく聞いているから。でも、ボクの子供って? はじめて聞きました」
 たしかに、今日はじめて私はハル4世に彼の子供についても語った。彼が不思議に思うのも当然だ。
 「君が、私の分身として育っていることは知っているね?」
 「もちろん。私はその為に存在するので」
 「実は、アレノや私が考えていることはそれだけではないんだ」
 「というのは?」
 「君が、私が死んで自立しなければならなくなった時に、君の判断ではどうしたいのか。どうしたいと考えるのか。それを知りたい」
 「あなたが死ねば私の務めも終るので、私も自壊します」
 「ほんとうにそうだろうか?」
 「ボクを疑うのですか?」
 「君には、私を通して、人間の心が宿っているんだよ。たしかに、最初に君に仕込まれたのはロボットの心に過ぎない。しかし、君の場合は、私との関係で、まれにみるほど素晴らしく、人間のような心をもつロボットに育ちつつあるわけだ」
 「たしかにそうかも知れません。それは、日々、ボクも感じています。とても奇妙な気持ちです」
 「そうだろう?」
 ハル4世の顔が、嬉しいような不安なような、微妙な表情に変化してきた。
 「そうすると、私が死んだ時、君はどんな判断を示すだろうか? ロボットの心をもつ者としてか。或いは、人間の心をもつ者としてか。アレノと私は、君はその時には人間の心として判断して欲しいと希望している」
 「もしそうだとすると、ボクはどうなるのでしょう?」
 「自壊しようとは思わない。もっと生きたいと思うはずだ」
 「あなたなしで生きる? ボクにはじめての考えになります」
 「私も自信はないよ。ただ、そうあって欲しいと願っているわけだ」
 「なぜですか?」
 「私の死後、君が生を選ぶなら、私もまた君から再生できるからだ」
 ここでハル4世は少し下を向いて考えた。そして、聞いた。
 「再生したいのですか?」
 「再生したいよ」
 「それなら、私の行動も決まりです。ボクはあなたのためになりたいから」
 「ありがとう」
 「分身とはそういう意味だったのですね。あなたが生きている間の分身だけではなかった」
 「そうだ。君が生きているかぎり、君は私の記憶を貯蔵しているから、私に人工身体が用意された時点で、私は君から甦る。君が自壊するなら、その望みも消える」
 「それはよくわかりました。でも、もう一つ、どうしてボクがボクの子供を誕生させる必要があるのですか?」
 「今の話しの延長で、同じことだよ。君が人間の心を宿すなら、おそらく君も自分の子供が欲しいと思う時が来るだろう。それは今すぐでなくても、ずっと先のことでもいい。先のことでも、君が自分の子供を欲しいと思い、その子を誕生させるなら、それは人間にとっても画期的な事件になるよ。人間は子供を産めるロボットを誕生させることになるからね」
 「なるほど。わかりました」
 「それに・・・」
 「まだ何かありますか?」
 「私の死後、私が君から蘇生し、しかも君が君の子供を誕生させるようになると、私のミッションは、私と君だけではなく、新しい家族によって担われていくものになる。そして、令子も発見でき、令子もこのミッションに参加させることがてきるなら・・・」
 「それですべてわかりました。それがあなたの大家族計画なのですね?」
 「その通り」
 少し考え込む仕草をした後、ハル4世は私に聞いた。
 「ボクが自分の子供を誕生させた時、それがボクの子供だという証拠は?」
 「それは何もない」
 「ボクは証拠が欲しい」
 私はハル4世に言った。

 証拠はない。
 しかし君には、見つめれば、わかるはずだ。
 何よりも、君が感じる。
 君が親だから。
 僕が最初に君に会った時、理由もなく得体の知れない懐かしさを覚えたように。
 それと同じ感覚だ。
 君は感じるよ。
 そして、君が感じると、君の子供が、君のことを「お父さん!」と呼ぶんだよ。


 「それなら、ボクもやってみたい。お供します」
 「ありがとう。わかりが早い。さすがに私のハル4世だ!」
 「ところで、あなたとボクが一体化する感覚って、どんなものでしょう? いまでもかなり一体化してるけど」
 「君と私はもう何年の付き合いになるかな?」
 「ちょうど10年です」
 「どうだった?」
 「はじめは何もわからなかった。ただ、あなたがボクの味方であることは感じた。ボクは友達の他のロボットのこともたくさん知っているけど、ボクたちのような関係は珍しい。ボクは、これまで何度も失敗したけど、あなたに一度も叱られたことがない。うまく行った時だけ、すごく褒めてくれた。友達のロボットは、褒めてもらったことなんてない。叱られてばっかり。いつも人間と比較されてロボットの能力は低いとバカにされている。だから、ボクは、あなたが不思議だった。それで、ボクには心の余裕が生まれて、あなたが何をしたいのかも、ゆっくり観察できるようになった」
 「この間の弓の競技大会も面白かったね」
 私はこの間終ったアスカとノアと参加したロボットの世界大会の話しをした。
 「はい、とても面白かった」
 「誰も、アスカとノアにも、私の動きと君の動きの差がわからなかった。アスカとノアに私の意志を伝えたのは、ほんとうは私ではなく君だったのに、彼らにもそれはわからなかった。君は、私と彼らの間のコミュニケーションを待つまでもなく、私たち三人を通して直接彼らのロボットにアクセスしていた。だから、彼らのロボットの弓を射る技術の習得度合いは、他の組のロボットたちと大きく違っていた。ロボットが人間から教わるだけでは、とてもあそこまでは早く覚えられない。しかし、ロボットについてよく知る君が教えた為、アスカとノアのロボットの動作は抜群に速かった。それで私たちは最高賞をもらえたわけだ」
 「ボクは、あなたの心にある気持ちと同じ気持ちを自分の中に探し出し、その気持ちで動いただけ。アスカとノアのロボットも最初は驚いてボクを拒否していたけど、同じロボットなので安心したんだと思う。すぐにボクを受け入れてくれた。だから難しくなかった」
 「私の一体の感覚についても聞きたい?」
 「もちろん。教えてください」
 「人間の男と女の恋愛の時の理想的な状態を一心同体というけど、あれと同じだね。君のからだの中で私が動いていることを、私が感じる。君も喜んでそれを見ている。それが一心同体だ」
 「恋愛は、ボクにはまだわからない」
 「そうだったね。それじゃ別の例で言ってみようか?」
 「お願いします」
 「周囲のモノに対しても同じ。たとえば、住み慣れた家が壊される時、人間は悲しくて涙を流すけど、家の方も悲しいわけじゃない。家は涙を流さない。そうだろう? これまでの家は単なるモノだから。でも、君のようなロボットが登場したことで変わった。君は私が死んだら、どう思う」
 「悲しい。そんなことは絶対に困る」
 「それと同じだよ。いまの最新の家は、君のようなロボット機能を内部にもてる。だから、家が、そこに住んだ人間のことを記憶するし、壊されたら自分で涙を流す。人間にとっては、これは途方も無いほど素晴らしい変化だよ。住み慣れた家が人間のことを覚えていて涙を流してくれるんだ」
 「ボクがもうあなたのことを忘れることがないのと同じ?」
 「そう、同じだね。つまり、これが、人間がつくり出した環境との間の新しい一体感なんだ。私は、それを君に感じている。人間は、長いこと、機械やモノに対してそうあって欲しいと願ってきた。でも、それは簡単じゃなかった。それがいま可能になってきた。人間がモノを大事にする時代がこれでやっと本当に始まるんだよ」
 「わかりました。ボクもそれは素晴らしいと思う。それで、いつ出発ですか?」
 「3ヶ月後。準備が必要になるよ」
 「いつでもOKです。ボクも準備をしておきます」
 「でも、君はこわくないかい? 成功するとは限らないよ。帰って来れない可能性の方が高いかも知れない。よく考えて。地上に残るのも、私と一緒に行くのも君の自由だ」
 「平気です。あなたと一緒なら、何も怖くない」

 私の人生も、この計画を含めれば、計算が合うのかも知れない。幸福で、意味があったと思えるのかも知れない。 BMIをどのように使うべきなのか? 私の場合は、BMIでハル4世を育てることができた。運がよかった。しかし、何が正しいかは、正確にはまだ誰にもわからない。ある者は怪物を育て、逸脱し、怪物と共にとんでもないところに行ってしまうかも知れない。私だって、一旦宇宙に旅立てば、そのまま行方不明になる可能性は充分に。しかし、ある者は成功し、素晴らしい成果をあげるだろう。人類は、部分的には失敗し、しかし部分的には成功し、それらの成功の果実を総合することで、全体としてはうまくやって行くにちがいない。お互いがその情報をどこかで共有し、納得し、信頼できているなら、失敗する者であっても、成功する者であっても、全体しては大差はないのであり、どちらでもよくて、それでいいのではないかと思う。

[続く]


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