『宇宙年齢17才、イカイ少年のエレナ探し』人びとが月や火星に住み、多くの地球外生命体も発見されはじめた2050年代の世界。 地球の生活も大きく変わった。人びとは、日常生活ではロボットスーツを洗練されたファッションとして愛用し、自己の分身として付き合うようになり、電脳空間では第三世代BMIシステムにより優秀な秘書ロボットを競って育て、さらには現実と異界の間を能力に応じて自由に往来できるスペーストンネルの通行技術を身につけた。その結果、コミュニケーションも、愛も、戦争も、家族も、死も、大きく変化した。 僕は、エダを理解しないわけではない。 先週の東京上空の戦闘でエダに遭遇した時、彼女はエリカの一瞬の隙をつき、エリカの脳に侵入した。その時、僕にも彼女の心が少しだけ読めた。あの時はエリカの安全を確保することが最優先だったため、エダに充分な注意を払う余裕はなかった。それでも、僕はエダと、お互いのネットロボットを通じて、はじめて議論らしい議論を交わした。その時、彼女が、その正確な内容は不明だが、『宇宙の花計画』という作戦を準備していることを知った。そして、彼女が、口では決して言わなかったが、その作戦を自分の死と引き換えに成功させるつもりであることもわかった。 エダは重大な作戦を抱えている。僕は彼女の経歴は調べて知っているため、内容の詳細は不明でも、目的については見当がつく。それが世界にとって危険極まりないものであることは間違いない。 エダは言っていた。 命を賭けた作戦。 しかし、内容は教えられない。 命を賭けた作戦、か。しかし、それでいいのだろうか? エダはどうなるのか? そして、残される結果は? エダは、僕に、善の実現は悪の自壊により達成されると言った。確かに、そこに真理が潜んでいることは認める。僕たちエックハルト軍による戦争も、人を殺すのだから、善ではなく、原理的に悪だ。僕たちは、必要悪として、やむを得ず戦争をしている。あらゆる戦争が同じ論法で、自己を正当化している。よりつよい悪がよりよわい悪に勝利し、勝利の後に善を名乗る。しかし、この善が善であるはずがない。悪そのものだ、善が実現されたのではない。エダの言う通りだ。 しかし、エダが言う理屈は理解できても、悪の自壊をあらかじめ組織できるとは限らない。悪の自壊が起きるのはほんの稀な事態に過ぎないから、達成されない場合だってある。悪の自壊が起きない場合はどうするのか? 彼女が死亡した後、エダが期待する悪の自壊が起きず、悪だけが実現されたら? エダの極端な考え方は、第7次中東戦争での彼女の作戦の成功事例から導き出されている。それが今回も適用できるとは限らない。その保証は何もないのだ。彼女がメタトロン軍のオスマンやアジェイに見抜いている欠陥が、彼女にもあるのではないか? つまり、事態Aが事態Bに移行した時、事態Bには事態Aからは予想できない状態が発生する可能性があることを、彼女も軽く見ているのではないか? 例えば、エダはオスマンやアジェイを甘く見ていないだろうか? 事態Bからエダが予想していなかった新しいオスマンやアジェイが登場し、彼らがエダの戦略を見破り、彼女の計画を破綻させるという可能性はないのか? また、彼女の作戦では、特に新しいタイプの「心」をもつロボットが重要な役割を果たす。たしかにこのロボットたちは、アジェイのロボットよりは優れているかも知れない。しかし、このロボットたちが、彼女も想定外の事態を引き起こす可能性はないのか? このロボットたちは彼女の思い通りに動くのか? つまり、そのような新しいタイプの「心」をもつロボットとは、いったん誕生した後に、そのままのレベルに留まるのではなく、何らかの成長をするはずだ。それがどんな成長になるのか、産みの親にはわからないはずだ。もちろん、それが同じ人間の子供の場合なら、親にはある程度の予測がつく。それが歴史というものだ。しかし、相手がそのようなロボットであれば、事態は違う。彼らの行動原理は、人間にはわからない。要するに、人間に対する反乱の可能性が高い確率であるはずだ。僕は、それがあると思う。エダはその可能性を考えていない。アジェイのロボットを乗越えるだけで精一杯なのではないか。 また、僕が一番残念に思うのは、アラブ民族の幸福ということで、エダが現実の生きた人間のことしか考えていないという点だ。 エダは、生きた人間の論理でしか世界を考えていない。既にスペーストンネルでは、異界の住人たちとの遭遇が始まっている。それは彼女も知っている。彼女自身が彼らとの接触に熱心だ。しかし、彼女は、ロボットだけでなく、彼らについても人間の行動原理で動くものと、決めつけていないだろうか? 彼らとの接触から学ぶべきものは、人間界はより大きな世界の一部に過ぎず、人間界が彼らの世界を支配できるような構造にはなってはいないという事実のはずだ。それを認めるなら、彼らが人間と同じ行動原理で動く存在であるとは言えないはずだ。 だから、僕には、動物たちや死者たちや異星人たちの異界の住人たちが、エダの『宇宙の花計画』で描かれる世界にうまく収まる存在であるとはとても思えない。彼らがエダが想定する通りの存在なら、彼女の計画が成功する可能性もあるかも知れない。しかし、そうでなければ、『宇宙の花計画』を彼らに適用することはできない。要するに、空振りで終るだけだ。 エダは、彼らについて、どこから情報を仕入れているのか? その情報について、どんな分析をしているのか? 僕の場合も、つい最近、キベに出会い、タナに出会い、エレナに出会ったばかりだ。メグミにもまだ再会していない。僕が異界に侵入したと言っても、スペーストンネルの内部でのことにしか過ぎない。まだ彼らの世界に行ったことはない。本当に存在しているのかについても、まだ誰もどんな確証ももっていない。それはエダも同じではないのか? それで、どうして、彼らも僕たちと同じ行動原理で動くと判断できるのか? 僕の判断では、『宇宙の花計画』では、ロボット問題が最大のブレーキになるだろう。僕たちが開発したロボットスーツとネットロボットの場合にも、人間は、彼らと組み、「人間の新しい種」を誕生させる可能性を手に入れた。同時にロボットも、「人間の新しい種」から、ロボットの子孫を誕生させる可能性を手に入れた。彼らが、自分の子供たちと生き始めた時、どのような行動をとるかはまだまったく不明。しかし、エダの作戦では、ロボットもエダが描いた世界の内部にうまく収まるように設計されているわけだ。ロボットが予想外の自立性を発揮し、人間の想定外の行動を起こす可能性については計算されていない。それでは『宇宙の花計画』は成功しない。 要するに、悪の側につくと宣言する割には、エダは他者の存在を甘く見過ぎている。そんなに簡単に信用していいのだろうか? 生きた人間に対して厳しい判断を下す彼女が、なぜ彼らに対しては甘いのか? 僕の場合は、彼らを全面的に信頼しているわけではない。信頼したくても信頼しようがないという関係だと考えている。だから、僕たちの『ヒト宇宙化計画』では、進行についての具体的な日程は何も書かれていない。何が起きるかわからないから、書きたくても書けないわけだ。そして、そのことで僕たちが彼らを疑っているわけでもない。 理由は簡単だ。僕たちは彼らのことを知らない。そして、彼らも彼らの明日を知らない。彼らとのつき合いは、始まったばかりだ。彼らは、自分の固有の世界ではどう動いているのか? 僕たちはまだ、それさえも一度も見ていない。彼らは、利害を考え、僕たちに合わせているだけかも知れない。或いは、僕たちの世界に来るとそれを忘れてしまうのかも知れない。或いは、そんな彼らの固有の世界さえも存在しないのかも知れない。そんな状態では、彼らの真実の姿を判断しようがないではないか。 だから、僕は、 彼らの僕たちに出会っている時のふるまいではなく、 彼らの固有の世界におけるふるまいを調べ、 彼らの明日の行動の仕方を予想しようとしている。 しかし、まだ確実なことは何もわからない。彼らの世界に行き、それがあるとすれば彼らの世界の論理に巻き込まれ、実際に彼らとの協同生活や協同作戦を体験してみるしかないはずだ。僕たちにはまだ時間が必要なのだ。 従って、エダの作戦は、僕から見れば、奇妙だが、昔の国連が掲げていた宇宙政策が「平和ボケ」を理由に破棄されたのと似ている。 旧・国連の宇宙政策は、友人同士になった宇宙飛行士たちや研究者たちが描く「平和の夢」というレベルに留まっていた。そんな「平和の夢」を地上の人間に適用することはできない。地上では、どうしても友人になれない民族同士が存在する。彼らは血みどろの抗争をくり返している。お互いに、相手が何を考えているのか、まったく理解できない。一度心の奥深くに刻まれてしまった不信や憎悪は、簡単に癒されることはない。それが、宇宙に行けば、一転して、皆が仲良くなれるというのだ。仮にそうでない者がいても大丈夫だと、一部の科学者たちは言っていた。そんな記憶は手術で消去できるから大丈夫だと言うのだ。何と、安易なことを。彼らは、脳をそのようにいじれば、バランスを欠き、脳が破壊されてしまう危険性が高いことを知らないのだ。 とにかく、実際に、旧・国連が掲げていた宇宙政策は役に立たなかった。それは最初の月居住計画で証明された。地上で抗争を繰り返していた者たちは、月でも同じ抗争を繰り返したからだ。地上での敵対が月にもそのまま持ち込まれただけだ。 だから、お互いの行動原理が読めず、理解し合えない者同士の中で可能になるプランだけが有効なのだ。僕たちは、そのようなプランとして『ヒト宇宙化計画』を考えている。敵対し合っている民族でも、そのプランを実行すれば調和的関係を結べ、平和になれるように。それを実現できるプランでなければ意味はない。だからこそ、簡単ではないのだ。 エダの場合も、人間界の悪の撲滅に夢中で、異界の住人たちに対する配慮と警戒が抜け落ちている。たしかに彼女の『宇宙の花計画』には、賛否は別にして、僕たち人間は一定の理解を示すだろう。しかし、ロボットを含め、異界の住人たちには、人間そのものが「お友だち同士」に見えるはずだ。彼らは何の関心も示さないかも知れない。キベにとり、利己的な人間の進化などに何の興味もないように。タナにとり、死者たちの意向を無視する宇宙進出計画には賛同できないように。エレナにとり、火星人と協同しないどんな宇宙進出も失敗することがわかっているように。そうであれば、エダのプランもまた、彼らからは「平和ボケ」と言われるだろう。異界の住人たちは、実はどんな顔をしているのか? それを確かめるまでは、彼らが人間の「お友だち」になってくれるかどうかはわからない。 或いは、エダは、僕が言うことはすべて承知していて、まずは人間界の問題を解決し、その後に異界の住人たちとの共生をテーマにするつもりか? しかし、それでは遅い。人間界の問題解決のためにも、異界の住人たちとの共生が必要になっているからだ。 僕が、新・国連の『ヒト宇宙化計画』に賛同するのは、人間世界だけの発展がテーマではないことが明確に謳われているからだ。その意味で、旧・国連がやっていたことはあまりにも人間が中心だった。だから、計画作成に中心で関わったフジイ博士は、『ヒト宇宙化計画』の開始にあたり、次のように宣言していたのだ。 世界の困難さを克服するためには、 人間自身が変わる必要があります。 人間が宇宙において生存を希望する場合にも、人間の変化が必要です。 人間の進化のためには、人間がつくり出したロボットも含めて、 動物・死者・異星人を含めた異界の住人たちとの共生が必要になるのです。 人間は、もはや、単独では何もできません。 それは、人間が、彼らが住む世界と同じ世界でしか生きていけない存在であることを知ったからです。 有史以来、国家だけではなく、人間こそが単独行動主義をとってきたのです。 単独行動主義こそ否定されるべきものなのです。 人間が変わるためには、異界の住人たちからの援助が必要です。 そして、人間が変わることで、彼らも進化できます。 人間と彼らは、同じ舟に乗る家族の一員なのです。 僕も、その通りだと考えている。これまでだって、人間は人間だけで現在の地位を築いてきたのではなく、異界の住人たちの援助に助けられてきた。昔にさかのぼるほど、人間と異界の住人たちとの交流は盛んだった。現在の人間がその歴史を忘れてしまっただけなのだ。 だから、今後は、意識して、異界の住人たちと共に生きることが素晴らしいことになる。僕は、キベやタナやエレナと共に、そしてメグミとコスモスと共に、そして僕の分身ロボット・モリスと共に、もちろん何よりもエリカと共に、そしてノアやアスカたちを先頭に押し立てて、僕たちにふさわしい宇宙の方向に飛び出して行きたい。個性が一人一人違うのと同じように、僕たちが飛び出す方向も、他のグループと同じになることはないはずだ。 実際、フジイ博士が言う「ロボットも含めて」は、若い世代にはわかりやすいはずだ。ロボットスーツやネットロボットは、いまでは若い世代を含めたあらゆる人びとの生活必需品になっている。すでに、誰もが生身の身体と人工の身体による「新しい身体」を形成しているのだ。人間とロボットはもはや分かち難い関係にあり、ロボットを置き去りにした人間の生活などあり得ない。 フジイ博士に誘われて『ヒト宇宙化計画』に参加し、よかったと思う。異界の住人たちは、特別に「新しい身体」の獲得を望んでいる。それは、キベワやタナやエレナの様子を見てもよくわかる。「新しい身体」を持たない者には、新しい生息地への旅も、生存もあり得ない。異界こそがいま、「新しい身体」の獲得を希望しはじめたのだ。異界がいま僕たちに接触を求めているのは、その目的以外にはないはずだ。 僕たちが彼らの手助けをすることで、彼らも僕たちに対する怒りを捨て、共に歩くことができるようになるかも知れない。彼らこそ、ほんとうは、人間の勝手な振る舞いに対して怒っていたはずなのだ。 おそらく、エダは、このような異界の住人たちと共に行う人間進化の新しい方向を信じてはいないだろう。人間に対する怒りが強すぎて、人間の外部にまで思いが届かないのではないか。エダのように深い心の傷を負ってしまった者には、それも仕方ないことなのか? 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