『宇宙年齢17才、イカイ少年のエレナ探し』人びとが月や火星に住み、多くの地球外生命体も発見されはじめた2050年代の世界。 地球の生活も大きく変わった。人びとは、日常生活ではロボットスーツを洗練されたファッションとして愛用し、自己の分身として付き合うようになり、電脳空間では第三世代BMIシステムにより優秀な秘書ロボットを競って育て、さらには現実と異界の間を能力に応じて自由に往来できるスペーストンネルの通行技術を身につけた。その結果、コミュニケーションも、愛も、戦争も、家族も、死も、大きく変化した。 すでに21世紀初頭において、並行宇宙や三次元空間のくぼみについて提唱していた理論物理学者のリサ・ランドール博士のグループが予言していたように、異界(五次元時空)が存在するとすれば、それは現実(四次元時空)とは別の空間に存在しているのではない。同一の場所において、現実に重なり合うようにして存在していると考えられる。従って、現実と異界の間には、必ず「境界面」が存在する。 僕たちが新・国連の『ヒト宇宙化計画』で採用している考え方でも、異界は確実に存在し、そこには異界の住人たちとして、その住人たちのサイズはその都度異なるとしても、死者たち・失われた動物たち・異星人たちが生息しており、異界はスペーストンネルを介して「境界面」を露出させ、現実に連続している。 スペーストンネルとは、電脳空間上に存在する空間であり、 僕たちのグループが開発した現実の世界と異界をつなぐ通路のことだ。 この通路に、死者たち・失われた動物たち・異星人たちが登場する。 僕は、新・国連の『ヒト宇宙化計画』の教育局に属するスペーストンネル少年少女学校の校長もやっている。また、教育局のリーダーたちや、エックハルト軍の指揮官以上の兵士たちを相手に講義も行っている。この講義は、ニューヨークのスペーストンネル少年少女学校で、週一回、朝から夕方までみっちり7時間行われる。参加者は、世界中から集まってくるが、毎回50人ほどだ。現実(四次元時空)と異界(五次元時空)の構造について、二つの世界の重なり具合について、その「境界面」に侵入する方法について、 さらに僕たちが『ヒト宇宙化計画』で使用するスペースチューブ・ロボットスーツ・ネットロボットの基本技術の3点セットについて、実演つきで詳しく説明するのだ。 その理解が充分でなければ、特にメタトロン軍との戦闘においては致命的な遅れをとってしまう。3点セットを開発したのは僕たちのグループだし、それを新・国連に納入しているのもエリカの会社だから、僕にも当然その責任があるわけだ。僕は、彼らを一定の知識レベルに高めなければならない。そして、彼らの中から優秀な人材を見つけ、世界中で展開されている実戦に送り出さなければならない。 実は、僕は、自分の本業で忙しいため、もうこの先生の役割は他の人に代わって欲しいとフジイ博士に頼んでいるが、まだ代役が見つかっていない。僕が心身ともに覚醒するのは、何といっても世界中の紛争現場で心の病気を抱えて苦しんでいる子供たちと接したり、最大の知性が要求される情報戦争の渦中にいる時だ。僕は子供たちのために役立ちたいし、エダたちとの情報戦争でも絶対に勝利しなければならない使命を背負っている。だから、それに集中したいわけだ。しかし、まだしばらくは学校や講義との兼務も仕方ないようだ。もちろん、教育の方で、思いがけないユニークな人物や生徒に出会うことは多い。それはそれで大きな楽しみだ。最近では、ノアとアスカという、将来を期待できる二人の優秀な生徒に出会った。僕たちのスペーストンネルも完成品ではない。日々進歩しなければならない。どんな点を改良すべきなのか、そのヒントをそれらの出会いが与えてくれることも多い。 スペースチューブとは、体験者に多様な姿勢形成を可能にすると共に、誰もがスペーストンネルを擬似的に簡単に体感できるように工夫された空間装置だ。 姿勢形成の仕方で、人びとは五感や体性感覚を統合し、スペースチューブをスペーストンネルとして擬似的に体感でき、場合によっては異界の住人たちに接近することができる。スペースチューブの中で、子供たちが狂喜して喜ぶのも、一部の大人たちが時々神妙な顔つきをするのも、彼らがスペーストンネルの中で失われた動物たちや異界の住人たちに出会っている感覚を経験するからだ。もちろん、それはあくまで擬似的体験だ。スペーストンネルが実際に稼動しているわけではないので、その事実が起きているわけではない。だから仮想メガネをかけても、何も見えない。ただ、感じる、という世界である。 いずれにしても、スペースチューブは、それらの異界の存在を予感させると共に、情報社会の中で失われている人びとの全身的身体感覚を回復させることができる。現代世界では、携帯電話をはじめとする情報ツールや電脳空間がおそろしい勢いで発達してしまったので、人びとの現実に対する感覚は衰えるばかりだ。そのため、それは回復される必要があり、現実感覚をしっかりさせた上で、「現実と仮想の差」をきちんと判別できる能力が要請されることになったのだ。その基準になる全身的身体感覚が回復されていなければ話しにならないわけだ。だから、スペースチューブは、この全身的身体感覚を回復させるための装置であるという点で、大きく注目された。 さらに、人間が宇宙に出て自らの進化を実現するためには、人間は一度過去に所属する必要がある事、次に、その過去からのリターンとして未来へのジャンプを設計する必要があることもわかってきた。そうしなければ、その計画は挫折する可能性が非常に高い。その関係で、スペースチューブが可能にする「多様な姿勢構築」による「動物への回想」というワークショップもまた、僕の講義やスペーストンネル少年少女学校の必須科目になっていた。 動物たちの過去を知るほど、 未来への正しい一歩が約束されるのだ。 そのために、人びとは暇を見つけては夢中になってスペースチューブの中に入り、 「多様な姿勢構築」にトライするようになった。 まるで、イスラム教徒が一日に5回、敬虔な祈りをメッカのある方向に捧げるのと同じように。 スペースチューブの登場で、人びとの生活に新しい習慣がはじまったのだ。 僕は、スペースチューブを、2000年にその最初の形態を開発し、2015年に日本の宇宙機関・繊維メーカー・ゲームメーカーなどの参加を得てその完成された形態を開発した。それ以来、スペースチューブはシンプルな形式で現実に異次元空間を出現させることができる空間装置として、世界中から注目されるようになった。 実際の様子は、スペースチューブの中に入ってみるとよくわかる。スペースチューブの形状を決定する要素が中に入った者のからだの動きであるため、空間と身体が一対一で即応する空間として、母の胎内に帰ったような懐かしい感覚がする。それに加え、スペースチューブ内部の空間の形状は、信じられないほど美しい。そこでは、本来は一つの空間として同居できないはずの凸と凹の曲面が、何重にも美しく交差している。異界の住人たちが登場する「境界面」はここに存在するのであり、 スペースチューブほど、人びとに「異界に対する感覚」を教えるのに好都合なツールはない。そして、実際に、姿勢形成のレベルが上がれば、「異界の住人」たちと遭遇した感覚が味わえるのだ。この奇妙な感覚については、とても口では説明できない。その空間の形状は、女のからだのように、複雑な凸と凹の組合わせによって構成されるエロティックな美しい曲面に似ている場合もある。 とにかく、スペースチューブの中で遊んでいると、ふだん使わなくなってしまった筋肉も使うので、自然に汗をかく。健康開発のためにもお勧めなのだ。そして、日常では体験できない感覚がたくさん脳に甦るため、その脳波を利用して、いままでにない新しいタイプの「感覚体感ゲーム」も開発できるようなった。 こうして、スペースチューブは、身体に対する「次世代ケアテクノロジー」や「異界体感装置」として現在も発展を続け、ロボットスーツとネットロボットと共に世界中に出荷されている。 さらに、僕たちのチームは、2020年に、ロボット開発者・生物学者・脳科学者と組み、スペースチューブを利用したロボットを、着脱可能な、しかも「心」をもつ、一人用のロボットスーツとして開発した。このロボットスーツは、場所に限定されずにどこでも使用できる「一人用の携帯型スペースチューブ」という発案で、スペースチューブが個人用としてロボット化され、知能化されたものだ。 デザインを担当したのは、工業デザイナーのクワンチだ。イタリアデザインに憧れるトルコの人気デザイナーだったクワンチを、彼が日本アニメの大ファンだったことから僕と仲良くなり、僕が開発チームに引き抜いた。クワンチは僕の考えをよく理解してくれたため、スペースチューブのセンスを引き継いだロボットスーツのデザインを実現するのに最適だった。 人びとは、ロボットスーツを、姿勢支援ロボットとして生活の中で違和感なく使用することで、より身近にスペースチューブを体感できるようになった。ロボットスーツは、動物たちの姿勢を含む多様な姿勢形成を、スペースチューブがないところで、実現できる。誰もが自分の身体の拡張感を達成でき、魚・両生類・鳥・四足動物・サルなどのさまざまな姿勢をつくって遊べる。たとえば、四足動物でも、「馬」と「牛」の姿勢や歩行の微妙な違いもつくり出せる。そして、その姿勢形成の度合いに応じて、使用者には「異界の住人たち」についても実感できる。 そして、最も重要な点は、使用者がロボットスーツを、自分の毎日の身体動作を記憶し、「データベース」としても管理できるようになったことだ。この「データベース化」から、ロボットスーツを育て、ロボットスーツに「心を持たせる」という発想が生まれた。 つまり、使用者は、ロボットスーツを育てることが出来、その育て方によって、使用者の分身ロボットとして成長させることができるのだ。つまり、ロボットスーツは、記憶した使用者のすべての動作内容を「再現」でき、そのために、使用者が疲れている時には、自分では動かず、ロボットスーツだけを動作させて自分の代わりを務めさせることが出来る。使用者は力をぬき、ただロボットスーツが動くのに身を任せていればいい。こうして、ロボットスーツは、使用者を「支援」できる。 さらに、使用者は、「データベース」の一定の増大化を条件として、まるでロボットスーツに自分の潜在意識を読み取らせるかのように、自分が望む新しい姿勢をロボットスーツに「開発」させ、提案させることができる。つまり、「データベース」が増大化すると、使用者がこの「データベース」から「或る動き」を「再現」させる場合、使用者のかつての動作Aと動作Bの中間に相当するような「A+B/2」のような、「間違った動き」をする事がある。要するに、ロボットも間違えるのである。 そして、この間違いに対し、ロボットスーツの選択が使用者にとって快いものに限って、使用者が拒否せず、受け入れ、それに従った動作に身を任せ、それも使用者の動作記憶として「データベース」に追加していくと、「データベース」に重大な新しい変化が起きるのである。この追加分についても一定の増大化が条件になるが、使用者にとっては、この追加分の蓄積は、使用者の想定外の動作群として、自分も知らない自分の無意識の欲求が「開発」されたかのように、感情移入できる。当然、この感情移入のりレベルは使用者によって異なるわけであるが、使用者の感想として、原則として次のように言えるようになってきた。 事実は、この場合には重要ではない。 ロボットスーツによる間違いであっても、少しも構わない。 肝心なことは、錯覚であれ、私がそう思えた、ということだ。 このような「データベースの改良」を続けることで、私が思いもしなかった、 懐かしさを感じる、思いがけない動作を、 ロボットスーツが、使えば使うほど、大量に、私に提案してくるようになった。 この提案の意味するところは何か? この事態は、ロボットスーツが、私の潜在意識に侵入し、 私の隠された動作欲求を「開発」してくれている、と、私が思える。 当然、そう思える度に、私のロボットスーツへの愛着は大きくなる。 そして、私がロボットスーツを可愛いと思うほど、ロボットスーツの提案も増え、 私の好みの機微をついてくる。 私の感覚では、ロボットスーツには「心」が芽生えて私に対応しており、私が愛せば愛すほど、 ロボットスーツの「心」も成長する、としか思えない。 私のロボットスーツは、私に応対するための「心」を持ち、 私の欲求を開発する「知能」を持ったのだ。 このような「心」や「知能」が本物であるかどうかについては、もちろん議論の余地が残されている。しかし、いずれにしても、2020年までは、このような関係を人間と持つロボットは、世界中のどこにも存在しなかった。 つまり、使用者は、錯覚であれ、愛せば愛するほどロボットスーツの性能を高めることが出来、ロボットスーツを自己の分身として、「愛」の精神をもって育てることが出来る仕組みが登場したのだ。「愛」の関係である以上、使用者は、最初に、ロボットスーツに自立ロボットとしての将来の独立を約束する必要がある。しかし、それを保証することで、ロボットスーツは使用者の潜在願望の発掘にますます精を出してくれる。その結果、「心」をもつロボットとしてロボットスーツの「存在」も、保証され、確約される。そして、「心」を持つ存在の宿命として、当然のことのように、ロボットスーツが自分の独立を求め始めるわけである。しかし、使用者には当初からその欲求を受け入れる準備が出来ている。 こうして、使用者とロボットスーツの関係は、親子や、或いは恋人同士のような関係に変化し、一時期お互いに利点を得た後に、親が子の旅立ちを祝福するように、恋人同士がお互いに新しい出発があればそれを祝福するように、ロボットスーツも使用者に祝福されて独立を果たすことができる。独立後のロボットスーツは、その能力を「自分のために」使える。 このようなロボットスーツは、いまでは世界中で最先端の知的ロボットとして評価されるようになった。さらに、その応用として、ロボットスーツは他のロボットスーツとの連結もできるため、単独で行動しているロボットスーツに働きかけ、複数の集合として、共同運用することもできる。つまり、これまでにない、信じられないような新しい共同作業も可能になってきた。それらは、全く思いがけない事態の出現である。 連結されたロボットスーツが構成され、その利用がはじまった。 イルカロボットという巨大ロボットスーツも登場をはじめた。 その応用範囲は計り知れず、 ロボットスーツを、人間の身体用ではなく、床や壁や天井や椅子として使用した、 人びとを包み込む新しい建築空間や居住空間の設計や、 家具のデザインもはじまった。 ロボットという単体の機械が「心」をもっただけではなく、 人間が生活するための空間や椅子やベッドたちも「心」をもちはじめたのだ。 こうして、人間が最初に抱いているロボットに対する異物としての警戒感は、僕たちのロボットスーツの登場により大幅に軽減された。何しろ、人間は全く思いがけないパートナーをロボットスーツとして持つと共に、自分を取り巻く環境についても、全く思いがけない事態を迎えることになった。自分の周囲が、「心をもって自分と対応としてくれる環境」として、大きく変貌していくからである。このようなロボットスーツは、いまではライバル社も増えてきたが、一大ブランドとして圧倒的シェアを誇っている。 最後に、僕たちのチームは、2025年に、ロボット開発者・生物学者・脳科学者の他にネット技術者たちも加わり、電脳空間で働くネットロボットを開発した。 そのデザインは、エジェが担当した。エジェは、クワンチの紹介で知り合い、ナノテクノロジーを駆使した精密ロボットのデザインが得意だ。僕たちはエジェについて、数年前に人工関節のデザイナーとして世界的に有名になったため、その名前をよく知っていた。 そして、とうとう、僕が、チームと共に、ロボットスーツの動きとネットロボットの動きを関連づけることに成功したため、仮想の体験にすぎなかったスペースチューブ内部での異界体験を「新しいリアルな体験」にすることに成功した。つまり、僕たちは、ついに電脳空間の身体化に成功した。つまり、仮想の世界が、仮想のままで、現実の世界とは違う新しいリアリティを持ち始めたのだ。 電脳空間には、これまでも従来型の検索ロボットとして多くの電脳ロボットが活躍していた。しかし、ロボットスーツとネットロボットのこの関連づけにより、電脳空間は身体化され、電脳空間は「比喩ではなく空間の名に値する空間」に昇格し、生まれ変わった。ネットロボットも、電脳ロボットの「最終版」と呼ばれることになり、ロボットスーツと同様に知能を持つ存在に昇格した。それ以来、正式に、ネットロボットが往来する電脳空間の通路が「スペーストンネル」と呼ばれるようになった。 こうして、人びとは、現実ではロボットスーツを、電脳空間ではネットロボットを、それぞれ自分の二つの分身としてもつことができるようになった。 とにかく、これで現実と異界の間には、これまでにない新しい関係が成立した。あくまでも仮想に過ぎなかった異界の住人たちに出会うという体験も、新しいリアリティを獲得することになったからだ。 電脳空間とは、誰もが知るように、ブレーン・マシン・インターフェイス(BMI)と仮想メガネをツールとして開発された脳ネットワーク内部の新しい空間のことだ。しかし、ネットロボットの成長により、各人の電脳空間も、身体的に成長するようになった。たとえば、「道」がなかった電脳空間にも、ネットロボットが通過する度に、誰も歩いていなかった山道に少しづつ道が形成されるように、「道」が形成される。ネットロボットが休んだり寝たりする場所が「椅子」や「ベッド」になり、風雨をしのぐための「家」になる。「家」がたくさんできれば、そこが「街」になる。スペーストンネル内での行為も、「あやふやな行為」から「手ごたえのある行為」へと、精度を増す。 したがって、人びとは、競って、ネットロボットを育てるようになった。ネットロボットの性能がそのままそれを所有する人びとの能力を測る新しいバロメーターになり、人びとの生活にも大きな影響を及ぼすようになったからだ。 たとえば、ニューヨークに住む僕は、ネットロボットのモリスを送り、東京に住むエリカに会いに行ける。その速度と精度はすべてモリスの性能に影響される。そしてモリスは僕本人ではないが、知能が高いため、限りなく僕に近い存在になっている。僕は、モリスを通じて、ニューヨークに居ながらにして東京にも同時に存在することになる。エリカも、「僕=モリス」を仮想メガネで見て、或いは立体映像として現実の空間に物質化される「僕=モリス」に触れ、ほぼ僕として接することができる。これで、現実の制約を超え、僕はまさにスペーストンネルを往来して世界中に僕の分身を派遣できる。スペーストンネルを通過するモリスの速度も、いまでは音速に近づこうとしている。 こうして、世界中の人びとが、 電脳空間を結ぶスペーストンネルを通じて他人の「脳」や異界の住人たちの「脳」に侵入し、 それらの潜在意識とコンタクトし、 彼らの存在のあり方を把握し、 多様なコミュニケーションを開始するようになった。 これらのコミュニケーションは、「限度」を越えてしまったという意味で、明らかにそれまでのコミュニケーションのレベルを超えている。しかし、もちろん、電脳空間で発生する「事件」が、そのまま現実の「事件」になるとは限らない。新しい関係で結ばれたとはいえ、別の世界であることに変化はないからだ。たとえば、電脳空間で僕が死んでも、そのことで現実でも僕が死ぬとは限らない。ただし、電脳空間を操作することで現実に「事件」を起こすことはできるし、その逆もまたできる。したがって、「現実と電脳空間における出来事の差を見分ける能力」もまた、ネットロボットを成長させる能力と共に特別に重要なものになった。 こうして、僕とエリカの会社によるスペースチューブ・ロボットスーツ・ネットロボットの3点セットの普及活動から、いまでは世界中の多くの人びとが、毎日家の中でスペースチューブで遊び、身体に対するケアに精を出すと共に、出かける時にはロボットスーツを衣服として違和感なく着込み、また電脳空間でネットロボットを操作してスペーストンネルを自在に往来し、飛翔するようになった。それにより、コミュニケーションも、戦争も、愛も、大きく変化した。 モトコは、僕の親友の一人。実は、モトコこそ、電脳空間の最初の住人として世界的に有名な電脳戦士兼ハッカーだ。僕のネットロボットが電脳空間に入った時に最初に出会ったのが、モトコだった。初期には、現実を恐れて電脳空間にのみ住んでいたけど、僕と出会うようになってから再び現実にも姿を見せるようになった。現在はイスタンブール在住。僕は世の中の大きな転機を感じるたびに、預言者の風貌をもつようになったモトコと話し合うようにしている。 「ねえ、モトコ。今の時代の特徴は簡単に言うと何だろう?」 「電脳空間が登場することで、誰もが自分の身体が不安になったわね。そして、誰もが情報を得たい。また、誰もが自分を表現したい。身体・情報・表現の時代ということかしら。たしかにこんな時代ははじめてね」 「人間は変わった?」 「変わらない。人とつながりたいというコミュニケーションの欲求は、今も同じね。電車の中や、歩いている時も、女の子たちは必死でケイタイメールを打っている。彼女たちのネットロボットはその度に大忙しよ。男たちもさかんにあちこちにコンタクトを始めた」 「うまく行っているの?」 「ダメみたい。皆が自分のネットロボットをもって、それをケイタイメールで操作して、技術は発達したけど、相変わらず人の心はうまく読めないようね。素晴らしい成功例は、私が住む電脳世界にはあまり届いていない」 「たしかにそうだね。エリカも、よく人間の力はまだ幼いってこぼしているよ」 「もっと人と人のつながり方が改革される必要があるのよ」 「つながり方が改革されれば、コミュニケーションの中身も改革される?」 「半分はね。ネットロボットの進化はすさまじいけど、それで好きな人に気持ちをうまく伝えられるわけではないわね。トラブルの解決の仕方もうまくない。でも、電脳世界がもっとすごくなることは誰もが予感している」 「一人の人間がものすごい数の人間たちに接するようになったからね」 「昔は、身近な世界で100人と付き合うのが精一杯だったのに、いまでは世界中の1万人を相手にして平気になったわ」 「その成果は?」 「文化の多様性に対する理解が圧倒的に進んだ。世界中のあらゆる国と友だちが出来たので、友だちが住む国とは戦争をしたくないのよ」 「それで戦争はなくなる?」 「効果はあるわ。時間はかかるけど」 「他には?」 「脳の計算能力がものすごくアップした。その一方で、量的な情報洪水がコミュニケーションの質をアップさせないことが誰にもわかってきたから、無用な幻想も大幅に減ってきた」 「それは大事な成果だね。ところで、これから必要になるコミュニケーションの改革について整理すると、どうなるだろう?」 「まず、人との対話の改革。つまり、相手と一体化する技術をもっともっと磨かないとダメね。一体化が人間の永遠の課題。一体化の仕掛けはいまでも誰もが大好きね」 「特に女がその仕掛けがうまい。愛の専門家だから」 「次に、モノとの付き合い方の改革。モノも人間の分身になれば、捨てると痛い!、とモノに言われて、簡単に捨てることができなくなるわ」 「人間がこれまで捨ててきたモノを全部集めると、現在の宇宙の二倍の大きさになるという試算があるよ」 「そして、ロボットとの新しい付き合い方。せっかくロボットスーツがこんなに普及するようになったんだから、もっとうまく利用しないとね」 「これなしには、人間の進化はあり得ないからね」 「自分の身体をどう改造して、結局自分はどうなりたいかという、想像力を一番試される生体改造プランも、いよいよ一般向けプログラムとして登場したわ」 「これが一番難しそうだ。でも、これで身体生活者としてどう生きたいかを決定できるし、自分が旅立つ宇宙の方向も決定できるわけだから、とても大事だよ」 「応用問題として、記憶の中に住む人も含めて、自分が会いたい人が住む場所を感じる力」 「僕にも、それが一番切実なテーマだよ」 「会いたい人の見つけ方や、その人が住んでいる世界への侵入の仕方や、新しい合体の仕方」 「誰と、どうやって合体するか。それが、実際に宇宙に出た時に最初に重要になる仕事だね」 「私たちが、多様な姿勢を取れるポスト人間として進化できるかどうか。新しく開発する姿勢の多様さによって、死んだ人や異星人との出会いも可能になるわけだから。以上のメニューで、人間のコミュニケーションは大幅に改革されるはず」 「モトコは、ここでそれをずっと考えてきたんだね」 「考えるのに一番いい場所だから。脳に住んでいる感覚にとても近いわ。とにかく、スペーストンネルが開発されたことの意義は素晴らしいわ」 「タイムトンネルを開発することは難しい?」 「タイムトンネルは成立しないわね。人間は時間を支配することができないから。でも、空間は自由に何層でも重ねることができる。それがイカイが発見したことね」 「結局、40年前に理論物理学者のリサ・ランドール博士が予言していた五次元空間論が大きなヒントになったね」 「そうね。リサ博士の考えを実用化したあなたのスペーストンネルで、人間は異次元空間に侵入できるようになった」 「それもこれも、僕がモトコが電脳空間に住んでいるのを実際に確認したことから、全てが始まったわけだよ。僕にはモトコは恩人だよ」 「私も、イカイに発見されて嬉しかったわ」 「僕も。モトコの存在が僕の理論の正しさを実証してくれたわけだから。スペーストンネルによって、死者の世界にも、その存在を信じる者が訪問できる。異星人との遭遇も、セットできる」 「もうすぐ、あなたが会いたがっている火星のエレナにも会いに行けるわ」 「えっ、エレナって、誰? 僕が会いたい人?」 「いまにわかるわ」 TOP HOME |