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『宇宙年齢17才、イカイ少年のエレナ探し』

【17】

福原 哲郎




 人びとが月や火星に住み、多くの地球外生命体も発見されはじめた2050年代の世界。
 地球の生活も大きく変わった。人びとは、日常生活ではロボットスーツを洗練されたファッションとして愛用し、自己の分身として付き合うようになり、電脳空間では第三世代BMIシステムにより優秀な秘書ロボットを競って育て、さらには現実と異界の間を能力に応じて自由に往来できるスペーストンネルの通行技術を身につけた。その結果、コミュニケーションも、愛も、戦争も、家族も、死も、大きく変化した。

■目次

[序]
心改造ゲームがはじまった 【1】 【2】
[第1部]
【第1話】 スペーストンネル少年少女学校 【3】
【第2話】 現実(四次元時空)と異界(五次元時空) 【4】
【第3話】 ノアとアスカ 【5】
[第2部]
【第4話】 王女の夢、電脳サイト『イスタンブール』 【6】
[第3部]
【第5話】 異界の住人たち〜キベ・タナ・エレナ 【7】 【8】 【9】
【第6話】 メタトロン軍の野望と戦略 【10】
【第7話】 エックハルト軍の『ヒト宇宙化計画』【11】
【第8話】 アトム4世〜ヒトを愛せるロボット 【12】
【第9話】 宇宙の花計画〜破壊される月 【13】
【第10話】 エリカ攻撃と、イカイとエダの情報戦争 【14】
【第11話】 ノア、脳回路を使い分ける 【15】
【第12話】 電脳恋愛の光と影 【16】
【第13話】 大家族の出現 【18】


【第13話】 大家族の出現

1 因縁

 私はサイード・S。
 今年で102才になり、さすがに町を一人で歩くのは困難になってきた。
 それにしても、確かに、人生には因縁というものがある。そうとしか言いようがない。私の人生は、良くも悪くも波乱万丈だった。20才の時に親が破産し、アメリカに住む親類に引き取られて養子になり、パレスチナの大学からニューヨークの大学に移り、アメリカ国籍を取った。大学では航空宇宙学を専攻。30才でパレスチナ人初のNASAの宇宙飛行士になり、宇宙に飛び立った。火星に行く途中で特別な体験をしたことがきっかけで哲学の勉強をはじめ、それが昂じて専門家になり、40才で宇宙飛行士をやめてから60才までは哲学者としてアメリカの大学で教えた。
 その後に、私の人生は思いがけない展開を迎えることになった。まず、離婚した妻の令子が行方不明になってしまった。次に、令子を探す目的で新・国連にフジイ博士を訪ねたところ、その縁で新・国連と関係することになり、やがては世界中を訪問し、世界の紛争解決のための委員を務めるようになった。フジイ博士には『ヒト宇宙化計画』にも誘われ、その顧問にもなった。
 フジイ博士とのつき合いは古い。最初の出会いは大学生の時だ。二人は同じニューヨーク大学の同級生で、それ以来80年に及ぶつき合いが続いている。妻同士も親友で、4人とも同じ大学で、学部は違うが同じ宇宙探査クラブに所属。私たちは結婚後も家族ぐるみのつき合いをしていた。しかし、フジイ家がずっと円満で幸福だったのに比べ、私の家は反対で次第に不幸の影がさすようになった。最愛の一人娘が自動車事故であっけなく死んだ。娘だけではなく、令子まで不幸なことになった。しかし、それらはすべて私が原因だった気がしてならない。令子と離婚し、その後に令子が行方不明になった頃は、私にはまったく余裕がなく、令子に訪れていた危機にも気づくことが出来なかったのだ。今考えてみれば、私がパレスチナ人として子供時代に負った心の傷がその後の人生にも影響し、不幸の連鎖が続き、それを断ち切れなかったようにも思えてくる。まさに因縁なのだ。

 妻の令子とは、大学時代にニューヨークで国際結婚し、令子の故郷の日本には何度も二人で行った。彼女は東京の大学を中退し、私と同じニューヨーク大学に留学していた。彫刻家志望で、大学卒業後はニュージャージにある小学校の美術教師になり、次第に彫刻家としても活躍するようになった。娘も生まれ、結婚後の10年は私たちはとても幸福だった。しかし、ストレスを受けやすかった令子は30代に入ると毎日のように「疲れた」と訴えて学校から戻るようになり、体調を壊しはじめた。12才になったばかりの娘の突然の交通事故死が、それに追い討ちをかけた。令子だけでなく、私の心も沈みはじめた。
 そして、ちょうど40才の令子の誕生日に、二人で台所で料理をしている最中に彼女は意識不明になり、倒れた。私は驚いてすぐに救急車で彼女を病院に連れて行ったが、診断は急性のアルツハイマー病だった。20年ほど前には、アルツハイマー病は新薬により神経細胞を増殖できるため数年の内に完治する病気として、楽観視される傾向にあった。しかし、それは医学界の驕りで、現在も不治の病であることに変わりはない。彼女のアルツハイマー病の症状は、ひどい物忘れや幻覚、被害妄想や突然の意識喪失などとして、ひどくなるばかりだった。空間認識もおかしくなるようで、時々家の中にいてもトイレの場所がわからなくなったと言って騒ぎ、泣き出すこともあった。
 最初に台所で倒れた時の令子は、幸い意識はすぐに取り戻し不幸にはいたらず、入院も一週間で済んた。しかし、その後も月に一度は倒れるようになり、もはや自分一人での行動はムリと判断されて小学校も退職に追い込まれ、彫刻に対する熱意も失っていった。もともと勝気な性格のため、思い通りにならない自分の人生に無念の思いを募らせていたに違いないと思う。彼女の表情は次第に険しさを増し、笑顔が消え、一人で沈んでいることが多くなった。私は私で、大学も忙しかったこともあり、自分のトラウマに苦しんでいた時期でもあり、何の役にも立てなかった。彼女が何やら怪しい宗教に関係していることを知ったのは、そんな頃だった。
 或る日、令子が外出した後何気なく彼女の机の上を見ると、彼女が置き忘れたに違いない見慣れないパンフレットがあった。以前テレビでも話題になったことがあるクール教団という名の新興宗教のもので、どんな難病も信仰によって治せると宣伝していた。若い頃の彼女なら、こんな宗教を信じるはずがない。しかし、悪いことばかりが起き、からだも極度に悪くなり、夫もまったく頼りにならないということで、彼女は一人で追い込まれて行くしかなかったのだろう。私は当時、彼女の顔色が物理的にも日ごとに黒ずんでいくのはなぜなのか、これもアルツハイマー病の症状の一つなのかも知れないと軽く考えていただけで、事態が深刻になっているとは想像もしていなかった。
 その日、私は大学の自分で研究室で一本の電話を受けた。警察からだった。

 「サイード博士でしょうか?」
 「はい、そうですが」
 「ニューヨーク警察です。奥さんの令子さんを保護していますので、引き取りに来ていただけますか? 奥さんは意識朦朧の状態ですが、命に別状はありません。その点はご安心を」
 私は令子に何が起きたのか想像もつかず、非常に驚いた。
 「令子に何があったのでしょうか?」
 「ご存知なかったのですか? 奥さんからは何も聞かれていないのですね? 細胞提供のことも?」
 「細胞提供? 知りません。一体、何のことですか?」
 「奥さんはクローン人間を生産して販売する宗教団体に関係していました。詳しくは警察でお話しします。すぐに来ていただけますか? 逃亡の恐れもないので、自宅静養が可能です」
 逃亡の恐れ? 自宅静養? 令子は一体何をしたのか。私は、何も手がつかないまま急いで自分の車で警察に駆けつけた。そして、憔悴し切った様子の彼女が、一人でポツンと警察の医務室のベッドに坐っているのを見た。服は彼女が今朝出かけた時のままだ。
 「令子。一体どうしたんだ? 大丈夫か? 何があったんだ?」
 「・・・・・・」
 「令子、私だよ。わかるか?」
 「・・・・・・」
 令子も私を見た。しかし、ちらりと見ただけで、私に対して何の反応も示さなかった。またすぐにうつむいてしまった。何と、彼女には私がわからないようだった。今日一日でそこまで衰弱したのか。記憶喪失? 急速にアルツハイマー病が進行したのか。或いは、何か別の理由によるのか。私には見当もつかない。いずれにしても、妻は、私を忘れていた。私を長年連れ添った夫として認識しなかったのだ。こんなショックなことはない。
 そして、警察の説明を聞き、私は心の底から驚いた。妻がそんなことにまで手を出していたとは。まったくの想定外だった。
 警察によれば、令子は、この2年間、クール教団において、この教団の対外宣伝として利用されていたという『仙人プロジェクト』なるものの被験者を勤めていたそうだ。それも、教団に強制されたのではなく、アルツハイマー病が治るという理由で、自分から被験者をかって出たという。一体どういうことだったのか。彼女にしてみれば、アルツハイマー病を治したかっただけに違いない。
 しかし、警察の調査では、令子には知らされず、彼女は当時流行していた万能細胞を使用した人体再生のモデルにされていた。教団としては、病気の治癒が目的ではなく、彼女を通して多数の不死の存在をつくり出したかったらしい。クローン技術は、既に2015年頃にはマウス一匹から無数のマウスを生産することができるまでに進歩していた。クローン人間が存在することが実際に確認されて世界中を驚かせたのは、2025年のベイルートでだった。それからもう25年以上が経過しているわけだから、どんな新種のクローン人間が存在していてもおかしくはない。
 警察によれば、現在のクローンの最先端は、無限回生産可能なクローン人間を生産する技術の確立にあるという。確かに、一人の人間を無限回再生できるなら、ほぼこの人間と同じ存在が宇宙の終りまで存続していけることになる。これで、「人間は不死になった」と、言えないことはない。どうやら、クール教団も令子を使ってこの実験をしていたらしい。したがって、そのために、出発になる最初の人間が重要で、脳機能から内臓にいたるまで遺伝子的に「完璧な人間」である必要があったため、彼女の身体は、脳だけではなく、内臓も含め、大胆に改良されたとのことだ。そして、その成果が遺伝子に刷り込まれ、彼女のコピーが理想的身体として遺伝子操作で生産された。既に、この二年間で、何人もの妻のクローン人間が売りに出されたとのことだ。
 しかし、妻にとっては、結果は最悪だった。アルツハイマー病も治らず、脳だけではなくすべての内臓がいじられたことが原因で身体は極度に衰え、廃人同然の存在になった。彼女の顔が黒づんでいたのもその為だった。
 警察は、内部告発者からの通報により、『仙人プロジェクト』について知ったという。そして、医療行為を偽装したクローン人間の生産という違法行為が行われているという事実をつかみ、幹部逮捕のために教団に踏み込んだ。幹部らは既に逃亡した後だったが、そこに一人置き去りにされていた令子を保護したとの事だ。彼女は口も利けないほど衰弱した状態だった。ハンドバックの中の身分証明書から名前と住所を知り、私に連絡したという。
 私は、妻に付き添っていた警察の担当者に尋ねた。彼が私に電話してきた警官のようだ。
 「なぜ、令子だけが現場に残されていたのですか?」
 その警官は、言いにくそうな顔をした。
 「それは・・・。われわれにも詳細はわかりません。ただ、どうも、用済みということで置き去りにされたようです」
 「用済み?」
 「つまり、その、教団は奥さんから必要なデータをすべて取ってしまったため、もう必要ないということで。われわれはちょうどその時に踏み込んだようです」
 「あなたは電話では、妻には逃亡の恐れがないため家に帰ってもいいと言われましたね? 逃亡とは、どういう意味ですか?」
 警官は言いにくそうだ。
 「いや、それは・・・。奥さんの事件への関与に、不明な点が残されているもので」
 「不明な点? まさか、妻もクローン人間生産の一味だったとおっしゃるのではないですよね?」
 そんな風に言われては、私だって怒らざるをえない。
 「いや、そこまでは。ただ・・・」
 「ただ、何ですか?」
 「奥さんは彫刻家でしたね・・・?」
 警察はつまらない類推をしている。
 「そんなバカな。彫刻とクローン人間に直接の関係などありませんよ」
 「それはそうですが・・・」
 警察の類推は間違っている。彼らは彫刻と身体のデザインを結びつけているのだ。
 「馬鹿馬鹿しい。妻がクローン人間のデザインに関わったなんて。そんなことをするはずがないでしょう。妻は、ただアルツハイマー病から解放されたかっただけのはずです」
 「いや、むろん、警察としても、基本的にはそうだと認識していますよ。しかし・・・」
 「しかし、何ですか?」
 「われわれは素人なのでわかりませんが、クール教団がなぜ奥さんに目をつけたのか。それが理解できないのです。病気からの救済を求めて宗教に走る者は、世間に沢山います。クール教団の信者は、推定ですがアメリカだけで30万人といわれている。膨大ですね。しかし、奥さんは、失礼ですが、お若くもないし、遺伝的にも特別に優勢だったわけではないとの鑑定結果が出ています。それでは、なぜ? なぜそんな奥さんをモデルとして使ったのか。クローン人間を形態的にも美しく完璧な存在に仕上げるために、奥さんの彫刻家としての能力に期待したのではないか? 芸術家にはナルシストが多いそうですから、奥さんは自分という存在を修復し完璧にするために執念を燃やしたのではないでしょうか? 教団は奥さんにその特別な才能があることを見抜いた・・・」
 「もっともらしいあなた方の想像に過ぎない。妻に限ってそんなことはありえない。妻にそんな欲望が存在しないことは長い付き合いの中で私が一番知っています」
 「しかし、残念ですが、関与を否定する証拠が出ていない以上、しばらくは警察の保護監視下に置くことになります。奥さんのクローン人間は、一体、何人つくられたのか。その数字はきわめて重要です。さして、どこで生きているのか。教団は彼らと関与するつもりなのか。将来的にも、大変なことになりますよ。奥さんがご存知なら、それについてもお聞きする必要があります。クローン人間はアメリカでは違法ですから、国内に生存していることが判明した場合は警察はすぐに保護しなければなりません」
 「保護してどうするのですか?」
 「国が管理するクローン専門病院に送ります」
 「クローン専門病院? 初耳です。そこで何をするのですか? 矯正プログラムを施すとか?」
 「それは警察にも秘密にされています」
 「その病院に保護されているクローン人間は多いのですか?」
 「多いようですね。噂ですが。内臓機能に優れたタイプ、知的才能に特化したタイプ、運動能力に優れたタイプ、アイドルの美少女系など。社会的需要が多い順に、かなりの数のクローン人間が生産され、一部が既に販売されて世間に出回り、一部が病院に保護されているようです。とにかく、警察としては、そのような社会秩序を攪乱する違法行為を防止しなければなりません」
 とんでもない話しだ。確かに、自分の関心を満たすクローン人間が販売されているなら、違法と知りつつも買いたいと思う者は多いに違いない。切羽つまった欲求から、卑近な性的欲望や、高尚な欲求にいたるまで、その需要が級数的に膨張する一大産業になるというわけだ。妻はクール教団でその生産者側にされたというわけか。

 令子は、警察から家に帰ってきた後も、一ヶ月間は記憶を失くしたままだった。一日三度の食事以外は、ベッドで一人眠り続けた。自分がどこにいるのかもわかっていない様子で、私に対する態度もよそよそしかった。教団の離れとか、或いはどこかの病院にでも入院していると思っているのかも知れない。しかし、徐々に体力も回復したのか、或る日、突然私の名前を呼んだ。急に思い出したらしい。そして、神妙な顔をして私に言った。
 「あなた。大切なお話しがあるの」
 私は、嬉しいと思いつつも、妻のいやに静かな調子が気になった。
 「本当は、もう随分前にあなたにお願いしたかったことですが・・・」
 私は、畏れを感じた。こんな日が来ることは予感はしていたが。
 「何だろう?」
 「私と離婚していただけますか?」
 「えっ、どうして?」
 口に出して言われてみれば、私も驚かざるを得ない。
 「長い間、私にはあなたが必要だったけど、あなたには私が必要なかったわね」
 私は、妻がこう言い出すのは意外ではない。ずっと思い当たることがあったからだ。
 「君の言うことはわかる。しかし、現在の私は以前の私とは違うよ。君の大切さが、今ではとてもよくわかるようになっている」
 「あなたに、私が必要になったの?」
 妻の表情に変化はない。相変わらず冷たいほど静かなままだ。以前の妻はこうではなかった。何かがすっかり変わってしまったことを感じる。
 「そうだ。私には君が必要だ。君の回復も助けたい」
 「有難う。でも、ごめんなさい。私にはもうあなたが必要ないの」
 必要ないとはっきり言われ、私は妻のつよさに改めて驚いた。そうだ、彼女はもともとつよい人間だった。私が躊躇しているのを見て、彼女が重ねて言った。
 「私の鏡台の一番下の引き出しの奥に、一年前に私の弁護士に頼んでおいた離婚届けが用意してあります。私の判は押してあるので、あなたの判もお願いします。そして、面倒ですみませんが、それを弁護士に今日にでも郵送していただけますか? その後の面倒なことは、弁護士がすべてやりますので」
 私がここで妻に泣きついても意味がないことは、私にもわかっている。泣きついたところで、彼女は自分の決心を変えない。私も、泣きついてまで夫婦関係を維持したいとは思わない。
 「君の気持ちはわかったよ。すまなかった。元を正せば、すべてが私の責任だという思いが私にはある。離婚届けには判を押すよ」
 妻は、一言だけ言った。
 「ありがとう」
 「但し、今は離婚するけど、私に君が必要だという気持ちに嘘はない。君がもう一度私を必要になる日を待ちたいが、それでもいいかな?」
 「おまかせします」

 そして、私が妻の弁護士に離婚届を郵送した次の日に、妻の一番下の弟が家にやってきた。私はこの弟は日本で一度だけ会ったことがあり、覚えていた。彼女に頼まれ、彼女を日本に連れて帰るという。妻の実家は九州の鹿児島で、両親は早く亡くなったが親類は多いため、その内の一人の親類の家に世話になるという。そして、彼女は私にはもう何も言わなかったが、弟の話しでは、しばらくそこに世話になった後、海外の精神医療専門の有名な病院に入院することが既に決まっているとのことだった。彼女の体力は基本的に回復したが、後遺症には悩まされており、精神のバランスを取るためにも入院による長期療養が必要とのことだった。
 私は、私なりにクール教団について少し調べておく必要があると感じ、ニューヨーク警察のあの時の担当者を訪ねた。あれ以来警察からは何の連絡もなかったため、保護観察の件がどうなったのかも確認しておく必要があった。
 あの時の担当者はまだ同じ部署にいた。そして、私が彼に事情を説明すると、心配そうな顔で言った。
 「奥さんの保護観察については、まだ解けていません。その点は奥さんにも連絡してありますから、仮に離婚されて日本に戻る場合にも、奥さんには住所をわれわれに届け出る必要があります。届出がない限り、奥さんは出国できません。入国管理事務所で足止めされますから。われわれからも日本の警察に保護観察の継続を依頼します。但し、単なる情報提供の依頼になりますが」
 「クール教団は、その後どうなりましたか?」
 「解散したようです。ちょうど先週ですが、教団は警察に解散届けを出しました。確認のため現地調査しましたが、敷地に立てられていた建物はすべて撤去されて新しいビルになっており、関係者は誰もそこに住んでいませんでした」
 「令子は、現在も教団と関係があるのでしょうか?」
 「それはわれわれも知りたいところです。クール教団は典型的なカルトですから、われわれは解散についても信用はしていません。よくある手です。どこかに移動したというのが警察の見方です。奥さんはあなたと離婚して日本に戻るとのことですから、移動の時期も一致していますね。現在も関係があると考えておいた方がよいと思います。用心のためですが」
 たしかに、私も、籍の上では赤の他人に戻るとはいえ、令子のことはずっと心配のため、クール教団との関係はアタマに入れておくべきだと思った。
 そして、実際、真相は今でも不明だが、警察による予想は当っていたのかも知れない。令子は、弟が家にやってきた次の日に、弟に抱えられるようにして家を出た。私は、心配だったため、その1週間後に再び警察に電話して彼女が届け出たという日本の鹿児島の住所を聞き出した。そして、その住所がある鹿児島市役所に電話してみたが、その住所にある家は彼女の親類ではなかった。当然、市役所に令子の住民登録もされていなかった。その住所から電話番号も調べて直接その家に電話してみたが、電話に出た相手は「知りません。間違いです」とだけ答えた。令子と弟は、一体どこに行ってしまったのか? 弟はクール教団の者だったのか? 彼女は、一体、何を考えていたのか?

 令子の行方不明はその後20年続いた。そして、なぜかイスタンブールで、ふたたび思いがけない姿で発見された。何と、今度は彼女は植物人間として発見され、ほとんどミイラ同然だった。つまり、生きているとは言えなかった。
 そして、何という縁だったのか。令子は、フジイ博士の後輩にあたる斉藤博士を通じて、私のもとに返還された。斉藤博士によれば、博士にも何か秘密がありそうだったが、イスタンブールで令子を発見したのは斉藤博士であり、植物人間として眠り続ける彼女の枕元には一通の手紙があり、そこには令子に異変があった場合の世話人として私の名前が記入されていたそうだ。私もその手紙を読んだが、たしかにそれは彼女の筆跡だった。その点については、離婚したとはいえ、私には彼女は私の妻のままであり、彼女が最後に当てにしていた人間が私であることを知り、嬉しく、涙が出た。
 しかし、斉藤博士の話しによれば、2040年から10年間、令子はイスタンブールで電脳サイト『イスタンブール』というものを経営し、アマという名前を名乗り、そこで王女として君臨していたという。フジイ博士によれば、斉藤博士は電脳世界研究の第一人者でもあるため、その証言は信じられるとのことだった。しかし、私には、当然ながら、一体どういうことなのか、今でもとても信じられない話しだ。令子が、仮想世界の王女として振舞っていたとは。彼女には、そんな私も知らない人格が隠されていたのか。
 今では、令子は、私の家の二階で、静かに眠り続けている。しかし、時々、わずかに苦悶の表情を浮かべているように見え、私にはとても苦しげに見える。彼女は今でも苦しんでいると、私は確信している。もちろん、一向に目を覚ます気配はない。彼女が帰宅してから、もう2年が経った。私が彼女の脳に何度アクセスしても、私の技術が未熟なせいもあるが、エラーの返事が繰り返されるばかりでどんな手がかりも得られない。私は、彼女の寝顔を見ながら、思う。令子の魂は、死に行く者として、どこかの宇宙を彷徨ったままであるに違いない。どこかに安らかに落ち着ける場所を、今でも探しているのだ。
 一体、こんな事態を迎えることになるとは。私には、きつねにつつまれたような状態が続いている。

 令子がこんな事になってしまい、だから私は、自分の人生は最後まで呪われて終るものと観念していた。私が密かに支援してきたメタトロン軍のエダの魂も、最後は令子と同様に行方不明になってしまった。エダの固い決心が原因とはいえ、行方不明であることは痛ましい。メカトロン軍による数々の非道もすべてエダの責任に転嫁されている。オスマンたちの首脳部に体よく利用され、捨てられた形だ。もしかしたら、令子の電脳サイト『イスタンブール』にしても、クール教団に利用され、最後に捨てられたのではなかったか。
 しかし、人生は最後の最後までわからないと言うべきか。こんな私にも最後のチャンスが訪れようとしていた。これもフジイ博士の紹介で知り合ったロボット会社社長の原アレノの勧めでハル4世を育てて以来、はじめて私の人生の風向きが変わった。私はフジイ博士がすすめる『ヒト宇宙化計画』の中の『宇宙家族の為のグランドデザイン』をまかされることになり、ハル4世と共に、令子とエダの魂の探索を兼ね、太陽系圏外の惑星探査の旅に出ることになったのだ。
 できるなら、私の人生もこのままでは終って欲しくない。この痛切な思いがこの旅を決心させることになった。令子はアーティストでもあったから意志はつよかった。アーティストは誰にも頼らず、自分の道を独力で切り開く力をもつものだ。 エダも、稀に見る優秀な戦士として、エダの意志がどれほどつよかったかは私が一番よく知っていた。だから、私は、現在も彼女たちは魂としては生きており、私が探しに行くならどこかで会えるのではないかという気がする。そうだ。令子やエダが、これくらいのことで世界から消えてしまうはずがない。
 太陽系圏外への旅。私の青春は、宇宙で始まり、私の最後も、宇宙で終る。こんな人生も素晴らしいではないか。たしかに、家族に飢えた魂がより大きな家族を求めるのだ。それは真理だ。現在の私はしみじみとそう思う。私にはこの地上では幸福な家族に恵まれなかったが、しかし「大家族に到る道」が残されている。


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