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*「戸板康二ダイジェスト」制作ノート・更新メモ、2008年8月更新分(054)。



#054
講談社文芸文庫版『思い出す顔』のことなど(10, August. 2008)


4月末日の前回更新から三か月以上も更新が滞ってしまい、この暑いなか、へなへなと更新を再開してみると、「戸板康二ダイジェスト」が開設して今月でちょうど満6年なのだった。(7年目からはもうちょっとちゃんとしたい……と毎年思うことを今年もしょうこりもなく思う。こ、今度こそは……。)

前回更新時はいよいよ講談社文芸文庫の5月の新刊で『思い出す顔 戸板康二メモワール集』が発売になるというのでソワソワしていた。三か月過ぎた現在は、創元推理文庫の「中村雅楽探偵全集」全5巻完結に際しての「全巻ご購入の方にプレゼント実施!」の小冊子、「2008年夏ごろを予定」しているという小冊子の発送はそろそろかしらと、ソワソワしはじめたところ。……と思っていたら、ちくま文庫の9月の新刊で、矢野誠一著『戸板康二の歳月』が発売になるというニュースが飛び込んできた(→ 筑摩書房サイトの「これから出る本」)。発売日は9月10日、と手帳にメモ、メモ。と、「中村雅楽探偵全集」の2007年が終わったあとも、なにかとソワソワ続きで、うれしい。

芝居見物は、黄金週間の歌舞伎座で三津五郎の『喜撰』にひたすら陶然として以来、ごぶさたしている。6月の歌舞伎座ではひさびさの『新薄雪物語』の通しをたのしみにせっかくチケットを押さえていたというのに、うっかり他の予定とブッキングしてしまい断念、日程の調整がつかず結局見逃してしまった。5月の新橋演舞場もぜひとも行きたかったのだけれどうまくチケットがとれず(安い席の)、7月の歌舞伎座もチケットがとれず(高い席も)、8月の歌舞伎座はあまり食指が動かず、またもやこのまま歌舞伎と遠ざかってしまうのだろうか、つまらないことである……というふうになる勢いなのだったが、9月の歌舞伎座の演目を見たとたん、急にヒートアップ! 《秀山祭九月大歌舞伎》と銘打った興行、昼の部に吉右衛門の『逆櫓』だけでもたまらんのに、夜の部は吉右衛門の『盛綱陣屋』が上演されるという。嬉しすぎて卒倒しそう。あるときの三宅周太郎の劇評の書き出し、《「五大力」が出た。私の好きな「五大力」が出た。》をそのままなぞって、わたしも気持ちはまさしく、「『盛綱陣屋』が出る。私の好きな『盛綱陣屋』が出る。」といったところ。三ヶ月間芝居見物が途絶えた心の隙間の持って行き場が見事に9月の歌舞伎座に集約した! というわけで、今から精神集中しておきたい。富十郎親子の『鳥羽絵』も嬉しいなア。勢いにのって、新橋演舞場も昼の部だけとりあえずチケットを押さえたところ(『源平布引滝』も大好き)。いつものように新橋演舞場は心ならずも高い席しかとれなかったけれども、9月の歌舞伎座では『逆櫓』と『盛綱陣屋』を吉右衛門で見られるのだから、そんなことは気にしない。って、肝心の歌舞伎座の方は三階で見るのだけど。

というわけで、芝居見物に復帰する9月までに、「戸板康二ダイジェスト」がなんとか軌道にのるといいなア! と背筋を伸ばしたところで、以下、更新メモと近況をいくつか。

戸板康二著書リスト(List_a_01)に講談社文芸文庫の新刊、『思い出す顔 戸板康二メモワール選』(書誌)を追加するとともに、他の書誌データを少しずつ作り直しています。

昭和54年に大病の折に刊行された『回想の戦中戦後』(書誌)とその5年後の昭和59年刊の『思い出す顔』(書誌)。いずれも単行本書下ろしとして刊行され、その後一度も再刊されなかった本。この2冊のメモワールを講談社文芸文庫の「一冊の本」として新たに世に出る、というのは、目から鱗だった。いざ手にしてみると、犬丸治さんの編集の妙にうなり、まさしく新たに美しい戸板康二の「一冊の本」が世に出た、という感じで、完璧な仕上がりなのがファンとしてはなんとも嬉しかった。戸板康二の本が再刊したのではなくて、あらたに戸板康二の「一冊の本」が誕生したと言うのがぴったり。著書目録と年譜が完備されているという講談社文芸文庫ならではの仕上がりとなることで、一冊まるごと「戸板康二への招待」というか、一冊まるごと「戸板康二の歳月」という趣きとなった。そして、その「戸板康二の歳月」というのは犬丸治さんの解説のタイトル、「出逢うということ」という言葉に見事に集約されている。

犬丸さんの解説の、
本書は、この「回想の戦中戦後」「思い出す顔」の主要部分を抄録して、戸板康二七十七年の人生に光を当てようという試みである。しかし、いざ編むにあたっては大いに迷った。まず両者には当然重複が多い。というより、戸板のエッセイの殆どは読者にとって「いつか聴いた歌」なのである。それでも飽かせないのは、戸板の絶妙の話術ゆえであった。
というくだりにうなずくことしきり、であると同時に、ついクスクス。『回想の戦中戦後』の最後の章、「新庄に友を訪う」の直後に『思い出す顔』へとつながるという流れが、偶然かもしれないけれども、2冊の本が「一冊の本」となることで生じた妙味だと思った(前々から「新庄に友を訪う」の最後の一節が大好きだった。)。変奏曲さながらに「いつか聴いた歌」へとつながってゆく。そして、串田孫一による弔辞の言葉が通奏低音のようになって綴られてゆく犬丸さんの解説。「小学校以来の友人、七代目梅幸と。」の写真が添えられているのも嬉しいことだった。暁星小学校の「同級生交歓」。

講談社文芸文庫の『思い出す顔』を手にしての、わたしの感想は、一読者としてホクホクとページを繰った、という一言に結局は尽きてしまって、戸板康二を読み始めて10年となる今日まで、いったいこれまで何度、同じ文章を読んでいるのだろうと思うけれども(もともと『回想の戦中戦後』と『思い出す顔』は戸板康二の全著作のうちもっとも読み返す頻度の高い本だった)、今回新たに講談社文芸文庫として手にとることで、あらためて戸板康二のほどよく力の抜けた、まさしく絶妙の話術にいつのまにかすっかりいい気分になっている、という至福に酔いしれていたこの三ヶ月。本当にもう、戸板康二を読んでいるこの10年間、いったい何度こんな至福を味わっていることだろうと思う。

『回想の戦中戦後』のはじまりの「うまれた町」に、まさしく「とりとめのない」感じに綴られている「東京の昔」あれこれにしみじみ「いいなア……」と、一章だけでも汲めども尽きぬ感じ。芝公園近くのタチバナというレストランでアイスクリーム、ハヤシライスやメンチカツをよく届けてもらったというくだり。「七大黒」という色ものの席、映画館の芝園館と三田日活館。
 三田四国町の金杉橋寄りに、新堀という町があり、ここはハッキリ下町の感じだった。
 駄菓子屋があって、その店で映画のフィルムの切れっぱしを売っていた。古雑誌を袋にして、一枚ずつはいっているフィルムを、たしか銅貨の二銭で買うわけだが、中に何がはいっているかわからない。まとめて吊ってあるのを、一枚引っ張って、心をおどらせながら開くと、運がよければロマンス劇の美女だの、活劇の悪漢だのの姿が出て来るが、字幕だの、題名だのが出て来ると、がっかりした。「ちえッ、マークだ」と歎いたものだ。
 月光の場面の青いフィルムもあったようだ。のちにイナガキ・タルホの作品の中に、こんなフィルムを嗜好する少年が出て来た。
 何の略だか知らないが、PОP(ピヨピと発音した)というものを印画紙にのせて木の枠に入れて、屋根の上にのせておくと、いろんな形が印画される。そんな遊びも、記憶としてはフィルム蒐集につながる。
 PОPが利かなくなると、「風を引いた」といった。
 芝公園は、ぼくの近くに、いつもあった。円山の上に、一年じゅう霞んで見える五重の塔が立っていて、赤羽橋から山内にはいると、左側に閻魔堂、右側に弁天池がある。弁天池のほとりには、藤棚があり、掛茶屋では、甘酒やところてんを売っていた。
 いま東京タワーのある場所に、山縁亭という堂々なる西洋料理店があった。山縁は増上寺の山号である。
 その隣りに紅葉館が、明治以来の贅沢な和風の建物で残っていた。これらと道をへだてたところに、家康側近の名僧崇伝が創建した金地院があった。
 地内に住宅が七、八軒あったが、たぶん寺の家作だったのだろう。大正十二年にぼくが住んでいた家は、芝公園二十一番地という住居表示だった。
と、戸板康二の文章があまりに心地いいので、つい気分よく長々と抜き書きしてしまうのだけれど、このたび講談社文芸文庫としてこのくだりを読み返しつつ、巻末の年譜を参照してみると、ここで語られている「大正十二年にぼくが住んでいた家」である「芝公園二十一番地」のくだりは、震災の年の4月に上海から戻って住んだ家で、9月に震災で母を亡くし、暁星に転校して小学校4年まで住んでいた家のこと。わずか3年に満たない居住でありながらも、戸板康二の人生で初のエポックメイキングな出来事、関東大震災をはさんだ歳月にいた「東京の昔」を語る戸板康二の筆致のなんとみずみずしいことだろう。

大正8年前後の麻布界隈

講談社文芸文庫の『思い出す顔』を手にしたのは、ちょうど『高見順日記』を1冊ずつ図書館で借りだしてチビチビと繰っていたとき。上の画像は、『続高見順日記 第八巻 初期の日記・断章』(勁草書房、昭和52年10月)の月報に掲載の「大正8年前後の麻布界隈」の一部分。高見順は明治40年生まれで、大正8年当時は尋常小学校を出て、肩で風をきって府立一中に通いはじめるという時期。高見順が母と住んでいた麻布界隈の地図の上の部分で三田界隈をちょっとだけ見ることができて、戸板康二が三田四国町に生をうけた大正当時の様子を伺ってみたりするのもたのしいことだった。戸板康二のふるさと東京、三田四国町界隈。上の地図で途切れている大正の三田四国町界隈をおもうだけでも、尽きない歓びだった。

戸板康二が生まれたのは、祖母戸板関子の芝三田四国町にある女学校と電車通りをへだてた平屋の小さな家。《その後、女学校の校舎はコンクリート建てになり、地下とも四階の建物の中に、裁縫女学校と三田高等女学校とが教室を持っていた》とある建物の写真が、都市美協会編『建築の東京 大東京建築祭記念出版』(都市美協会、昭和10年8月20日発行)に掲載されている。

戸板裁縫学校

この「コンクリート建て」の校舎は昭和8年の建築なので、ちょうど戸板康二が三田の慶應義塾に通っている時期にあたる。

とまあ、講談社文芸文庫の『思い出す顔』を手にし、しょっぱなの『回想の戦中戦後』の「うまれた町」だけでも汲めども尽きぬ感じで、あれこれ本を繰って悦に入って収拾がつかなくなる、という戸板読みのいつものたのしみにホクホクしっぱなしだった。こんな汲めども尽きぬ数々の芋づるは、戸板康二のメモワールのあちらこちらにひそんでいる。読み返すたびに前に読んだときとは違う個所でひょっこりと以前とは別の芋づるにぶつかったりするので、何度読んでも尽きない。そんな芋づるをたぐりよせて、いろいろと本を繰っているのが、戸板康二読みのわが10年の歳月なのだなあと、講談社文芸文庫片手にしみじみだった。犬丸さんの解説に、
NHK「日曜娯楽版」の「ぐれったんと・ぐるーぷ」としての活動、更に東宝・藤本真澄の知遇を得ての映画製作への参画など、本書を通じて初めて知った方も多いのではないだろうか。戸板康二とクレージーキャッツとの出逢い(「花のお江戸の無責任」)など、考えるだけでも愉しいではないか。
というくだりがある。戸板康二に夢中になったのを機に、「日曜娯楽版」のこと、東宝の藤本真澄をとりまくプロデューサー会議のこと(十返肇、筈見恒夫、戸板康二というのはなんと見事な顔ぶれだろうと、いつもいつも思う)を知ったときのことを、懐かしく思い出した。現在、夢中になっている戦前の明治製菓宣伝部にまつわるあれこれも、戸板康二のメモワールが出発点だったのは言うまでもない。それにしても、『思い出す顔』における「『スヰート』と『三田文学』」は何回読んでも倦むところがない。

などと、講談社文芸文庫の『思い出す顔』のことを書き出すととまらなくなってしまうので、ここで話題を変えて、ここ三ヶ月間での、「戸板康二ダイジェスト」制作者のブログ「日用帳」(→ click)における、戸板康二関連記事としては、 と、5月に見たふたつの展覧会、慶應義塾における小泉信三展と、早稲田大学の演劇博物館における六世尾上梅幸展がいずれも、ふらりと見物に行ったわりには、ずいぶん深い余韻を残す展覧会となったことを、この場でも強調しておきたい。とりわけ、梅幸展の余滴として、戸板康二が「三田文学」に劇評を書くことで世に出た昭和10年の前年に梅幸が他界しているということが、戸板康二の歳月を思ううえでたいへん興味深いことだと思った。戸板康二の劇評家生活の前史にいた六世尾上梅幸。その生涯は「歌舞伎の近代」そのもの。展覧会のしょっぱなで三木竹二の劇評を思い出したのは必然であった。わたしにとっての「歌舞伎の近代」というのは、戸板康二以前の劇評家の系譜をいうのだった。小泉信三展はとてもすばらしかった。旧図書館という会場もよかった。そのあとさきに、講談社文芸文庫の『思い出す顔』をかばんにしのばせて、三田四国町界隈を歩いたのもよい思い出。

それから、6月中旬、ひさしぶりに関西に遊覧に出かけたのも嬉しいことだった。(おかげで歌舞伎座の「新薄雪物語」を見逃してしまったのだけど……。) 慶應の予科に入学した昭和7年、藤倉電線に勤める父、山口三郎が大阪支社に転勤になったことで実家が阪神間の住吉になったことで年に三度、関西に「帰省」することになったという、昭和7年から昭和12年までの阪神間の戸板康二、というのも、長らく心惹かれているテーマで、関西に行くたびにいつもこのことを思って、いい気分になっている。戸板康二の「帰省先」はどのあたりにあったのだろうと、阪神電車の車窓を眺めるたびにいつも思う。いつの日か、その近所を実際に歩いてみたいものだ。昭和12年7月1日発行の、慶應義塾文学部会会報「文林」第2号の巻末に掲載の名簿では、戸板康二の住所は《現:荏原区中延町一〇九五 帰:神戸市外住吉村畔倉山口三郎方》というふうに記載されているのだけれども。具体的にはどのあたりなのだろうか。

滴翠美術館の上方いろはかるた

駸々堂ユニコンカラー双書の『いろはかるた』(書誌)で使われているカラー図版のいろはかるたの所蔵先として初めて名を知ってからの念願だった、滴翠美術館を見物できて、よかった。画像は、滴翠美術館のお土産の上方いろはかるたを印刷したペーパーの部分。『いろはかるた随筆』(書誌)は戸板康二の名著を10冊選ぶ際に、「表の10冊」ではなくて「裏の10冊」というのを作ってみるとしたら、確実にランクインする本だと、かねてから思っている。大好きな本。

今回の更新では、前述のように、作り直し中の著書リスト(List_a_01)とともに、私製・戸板康二年譜(1914-1944/1945-1950/1951-1957/1958-1978/1979-1993)の作り直しにやっと着手したところ。いろいろと作り直さなければいけないファイルばかりで遅々と進まないのだったが、とりあえず、戸板康二についての基本文献(Reference_01)に、前述の講談社文芸文庫の『思い出す顔』を追加。9月の『戸板康二の歳月』ちくま文庫版発売のあかつきに、すべて書き直しできればいいなと思う。それから、現在チマチマと作成中の単発ファイルを、次回更新時にアップできればいいなというところ。などと、いつも「できればといいなと思う」の言いどおしなのだった。(次回以降はもうちょっと頻繁にこまめに更新できればいいなと思う。「戸板康二ダイジェスト」7年目はもうちょっと……、以下エンドレス。)



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