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白い影
 (2001年1〜3月放映)
  白い影 〜その物語のはじまりと命の記憶〜
 (2003年1月2日放映)
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すべてはここから始まった〜私の場合〜

■始まりは猜疑心
今回の「白い影」は当初からリメイクということで注目されていた。田宮二郎のドラマが強烈に印象に残っている人たちが多いようだ。私は残念ながら田宮二郎版をまったく知らない。
私が東芝日曜劇場の次回作が「白い影」だと知ったのは、前作の終了時、次回作の予告を見たときである。
トイレに押し込めるエピソードと直江という医師、それにタイトルの「影」。
それで原作が「無影燈」なのだと分かった。私は学生時代に渡辺淳一の小説はほとんど読んでいた。
『ふうん、あれやるのか。。。。え? ま、まさか直江先生を中居さんがやるの? うっそ〜。』
確か直江先生は、背が高くクールな40近い外科医のはずだ。それを? 彼が演じるのか!?
だって全然違う。直江をそんなに若くしたらストーリーがメチャクチャになる。
中居正広という人物にまったく興味のない私は、それから原作との違いを探すためだけにドラマを見ることに決めた。

彼の印象といったら、元気、明るい、まとめ役。。。SMAPのリーダーであり、レギュラー番組を多く抱えているアイドルのイメージしかない。
かたや「白い影」 の主人公「直江庸介」は中居さんとは全く正反対の人間。普段の中居さんとは共通点も何もない、寡黙、冷徹、人と距離を置く、そんな人間。だから、普通に考えたら「やれるわけないじゃん」なのだ。いくらうまく演じたとしても、違和感は消し去れないだろうなと思っていた。
それまで、私の中で中居さんは「SMAPの中居」でしかなく、その風貌、その演技に惚れ込むことなどなかった。
しかし。何が起こるか分からない。何故か分からないけど、「白い影」に7話から見事どっぷりハマってしまった。そのハマりようといったら半端じゃない。自分でもびっくりなほど、「白い影」にハマってしまった自分がいる。

■突然の発病
2/25、私は「白い影」の7話を録画していた。それまではオンタイムで見るだけで録画などしていなかった。
確か、何か用事があって、オンタイムで見られない可能性があったからだと思う。
結局、録画しつつ、オンタイムで見ることもできたのだが、この日私は就寝するまでの間に7話のある部分を繰り返しビデオを巻き戻して見続けた。それまでストーリーの展開にしか興味がなかった私が、そのときから「中居直江」をひたすら追いかけるようになる。
私が繰り返し見たのは、7話の直江が倫子の涙をぬぐって抱きしめるシーンである。
直江先生は信じられないくらい「美しかった」のだ。
こんなきれいな男性を見たことがなかった。直江先生は「ただずーっと眺めていたい」鑑賞すべき男性だった。
それに加えてあの表情。。。
泣きじゃくる彼女を抱き締めながら、直江の目にも涙が浮かんでいる。死を前にした患者に対する彼女の行為。直江もまた死に直面している。だから、直江は倫子の行為を自分に対するもののように受け止めているんだろう。一言も発しないけれど、彼の気持ちは手に取るように分かる。彼の美しさと表情に私はやられてしまった。

あとでよく考えてみると、4話のラスト、直江先生の涙に濡れた顔に『真夜中のナイチンゲール』が流れたときから、あの曲が私の中でぐるぐる回っていたことを思い出した。あの歌詞とあの表情があまりにぴったりしていて、『ああ、この歌は倫子の気持ちなんだな。ドラマのために作られた曲なんだな』とわかった。その時点で、私は一歩を踏み出していたのだと思う。

■それからの日々
彼の美しさはただ見ていればよかった。何時間でも見ていられた。しかし、彼の表情には分析が必要だった。いつ、どの場面で、どんなふうに、なんと言ったのか。
覚えている限り書き出してみた。そこに彼のセリフと心情を追加して、彼の心の動きを探った。
言葉の裏に隠された気持ち。生きることと死ぬことと愛すること。知りたいことは次から次へと出てきた。
毎日彼のことが頭から離れない。彼の顔が浮かび、彼の言葉を思い出し、彼の気持ちを考える。
しなくてはならないことがない時間というものがなくなった。それらの時間はすべて直江先生を考えることに当てられた。実を言えば、しなくてはならないことがある時間もかなり侵食されていた。生活が彼を中心に回っていた。
一度見ただけじゃ彼が何を考えてるのかすぐ理解できない。
何故直江はそんなことを言うのか?
何故直江はそんな態度をとるのか?
あの表情は何を意味するのか?
そういうことを考え出すとやめられなくなり、どんどん深みにハマっていく。
彼のことだけでなく、ドラマのいろいろなことに興味が出てきた。
エピソードが複雑にからみあっているし、いろいろな伏線がはりめぐらされている。だから、一度見ただけじゃその奥深さは分からない。二度三度繰り返し見ているうちに、「え? そういうことだったの」 「あのシーンからつながってるのか」などという発見がある。

■BBSとの出会い
どう考えても私の状態は普通ではなかった。一体どうしたんだろう。
そう悶々としたまま2週間ほど過ぎたとき、番組のホームページの存在を知った。
そこにBBSがあった。私と同じ状態の人たちの言葉がたくさん書き込まれていた。
不思議なくらい私たちの状態は似ていた。同じ症状だった。
ある人がNN病(中居直江病)と表現した。確か白い影病と表現されていたこともあった。
まさしく、これは病気なのだ。白い影を見てかかる病気。
きっと白い影に共鳴する部分を先天的に持っている人だけがかかる病気。その病気は確かに存在し、多くの人たちが同じ症状で白い影を見ている。サブリミナル効果でも挿入されているのではないかと疑いたくなるくらいだ。
「洗脳」に近いものがあるから。それくらいNN病は強力なのだ。

NN病の主な症状は次のとおり。

  • ビデオを何回も見直す。
  • 日に1回は直江先生を見ないと気がすまない。
  • 日に1回は直江先生のことを考える。
  • 直江先生を中居さんとは別の人間として好きになっている。
  • SMAPの中居さんに、直江先生の面影を探す。
  • 「白い影」のロケ地に足を運ぶ。ことに北海道にはどうしても行かなくてはならない衝動にかられる。
  • 直江&倫子も好きだが、中居&竹内も非常に好ましく思っている。

■放映は終わった。そして私は。。。
3/18、全10話で「白い影」は終了した。しかし、私の症状はまったくおさまらなかった。
相変わらず毎日ビデオを巻き戻して直江先生を見続け、DVDが発売される日を待ちわび、中居さんを追いかけた。3/20こそ彼は直江庸介の姿でTVに登場したが、それからは髪を切り、彼の中に直江先生を見つけることは少なくなった。
そして私は、彼の過去の作品で直江先生を見つけることに躍起になった。「最後の恋」の夏目くんは若い頃の直江先生を彷彿とさせると聞けばDVDを買い、そのほかのドラマはレンタルし、ライブで歌う彼の目は直江先生だと聞けばDVDを買い、「オレンジ」という曲は直江先生と倫子を歌っているようだと聞けばCDを買う。

公式HPのBBSから「たんぽぽのわたげ」というBBSに流れていき、そこでロケ地めぐりのオフ会があることを知った。
私はオフ会というものに参加したことがなかったが、行かずにはおれなかった。自力で探すのは不可能だと思ったのだ。ロケ地にはずーっと行きたかった。そこに直江先生がいるような気がしていたから。直江先生の見たものを見たかった。行った場所は直江先生がボートで流れ着いた場所と直江先生のマンションと1話で倫子が泣きながら抗議したカフェ。
そこに集まった方たちは1人を除いてすべてが以前からの中居ファンだった。「直江先生」という共通点から集まったものの、みんなの中にはもう一つ共通の中居正広というものがあった。
とても楽しいオフ会だったけれど、私はこの頃直江先生オンリーだったので、どうしても自分とは何か違う感じをぬぐえなかった。そして、私と同じように「直江先生が好き」だという人を見つけたかった。そんな人はあまりいないかもしれないが、自分の中に溜まっていた直江先生への思いをどこかに残しておきたかった。だから、ホームページを作ることに決めたのだ。

私がNN病(中居直江病)であることは間違いない。でも、「中居くんも直江先生も好き」というよりは「中居くんが演じた直江先生が好き」だから「その直江先生の分身ともいえる中居くんも好き」というのが私の基本的なスタンスだと思う。
確かに、ホームページを作り、いろいろな人と知り合い、前よりはずっと注意深く中居正広という人物を観察している間に、私はかなり「中居くんも直江先生も好き」なNN病になりつつある。でも、明るい中居さんを見ていても心がときめかないときはある。彼の直江ライクな面が一番好きだからだろう。
2001年、私は中居正広という新しい観察対象(研究対象)を見つけることができてよかったと思う。

■2002年春に思う「白い影」のすごさ
すごさときいて『それはそうでしょう。だっていまだにNN病だって増殖してるんだし』という意見は、あまりに当たり前というものだ。
最近よく思うのは、おそらくNN病患者のほとんどが直江先生を理解しているということ。
もちろん、直江先生は簡単に理解できるほど単純な人間でも単純な人生を生きたわけでもない。
だからすべてを理解しきるというのは無理なのだが、直江先生を理解しないではいられないのがNN病の症状の一つである。
直江先生にまつわる、ドラマの中では語られることのなかったエピソードは、若干の違いはあれ、NN病患者ならおそらく同じような内容を想像できると思う。
例えば、七瀬先生との関係。
例えば、倫子が産んだのは男の子であろうという点。そして,医者になるという将来。
例えば、三樹子や小夜子との関係。
(蛇足ながら、小橋医師と高木看護婦の結婚なども)
だから例えばサイドストーリーもすんなり受け入れられるのではないかと思う。理解したいと思い想像しているから、サイドストーリーに共感する。そのサイドストーリーは自分が想像していたものとたいした違いがない。『私の想像は間違っていなかったのだ』という安堵感もあるだろう。すべては「理解したい。知りたい」という欲求からくるもの。
サイドストーリーを書く人も読む人も、直江先生をずーっと忘れられない。もちろん、私も。

■2003年新春に思う「白い影」のすごさ
信じられないことに、思いがけなく直江先生に『もう一度』会えた。長野時代の直江先生は私が想像していたのとはちょっと違ったけれど(病気を知る前はとても明るい屈託のない青年だと思っていたのだ)、やっぱり人付き合いのうまくない、でも誠実な青年だった。これでもかこれでもかと襲う痛み。何例も症例を見てきたはずの病気に自分が取り付かれてしまう気持ち。『死』への恐怖。昔から本当に真剣に医療に取り組んでいた人。
長野時代のスペシャルは2年間、変わることなく直江先生への愛情を注いできた私たちNN病患者への贈り物。『長野時代の直江先生が見てみたい』そういう、ただ皆が願っていた思いを受け止めてくれたもの。
だって。。。陽介くんが生まれたんだもの。
もうこれで本当に終わり、なんだとはわかっている。 だから、本当のところは悲しい気持ちもある。でも、それだからこそ、直江先生は永遠なんだと思う。
SPについて、どれだけのことがホームページに書けるかわからないけれど、直江先生のことを考えていれば私は幸せだから、なんとかがんばろうと思う。

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