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武蔵円明流・宮本武蔵 │ |
「宮本玄信伝」 |
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「宮本玄信伝」 出典:小倉藩・小笠原文庫
宮本武蔵玄信(武蔵円明流原祖)は、十手刀術の法から発明して二刀太刀勢法に移し、実戦に活用して勝利した。
宮本玄信武蔵と称し、二天居士と号する。(中略)
玄信は、新免氏より伝わる所の刀法及び十手の術を、朝夕研鑽して究め、その技にもよく長じた。これを思惟考索して、十手の利用を一刀に陪審したが、しかし十手は常用の器にあらず、二刀は腰間の具なれば、二刀をもって十手の理徳を究めれば、その利用もまた異ならなきと悟了した。十手の法をもって益を発明し、そして遂に二刀の法を立成した。これを真剣、或いは木戦で試した。百発百中、養由の射法の如し、自らをもって武剣の精撰とした。
これをもって、四方に周流してその技を試験せんと欲し、玄信年13に始めて播磨の有馬喜兵衛なる者に技を試し、これに勝ち、年16に但馬に至り秋山なる大力と称する者あり、これと技を試し遂に勝利する。(以下略)
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武蔵円明流流祖 宮本武蔵政名は、父・岡本新右衛門義次(岡本円明流)より伝わる十手刀術は常用の器にあらず太刀は常用の具なるをもって、十手鍛錬修業の極意を太刀打ちの道に移した武蔵流の流意を、兄・宮本武蔵義貞(武蔵流流祖)より相伝した。
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武蔵円明流は、流祖から約400年(慶長15年・1610年〜)十手刀術は伝承されていません。
(最終更新:140925)
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