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遺棄毒ガスの裁判

第一次訴訟 第二次訴訟 チチハル訴訟 敦化訴訟
遺棄毒ガス 敦化訴訟

 

原告と請求内容

周桐くん(当時11歳)、劉浩くん(当時8歳) 

提訴

2008年1月17日 東京地裁

東京地裁判決

2012年4月16日 敗訴 弁護団声明

事実認定○、予見可能性×、結果回避義務×

東京高裁判決

2013年11月26日 敗訴 弁護団声明

事実認定○

最高裁決定

2014年10月28日 敗訴 弁護団声明  

支援団体

周くん劉くんを応援する会(2008年8月〜2016年3月)

遺棄毒ガス中国人被害者を支援する会(2016年4月〜)

事件の概要

 2004年7月23日、中国吉林省敦化(トンカ)市郊外(蓮花溝)の小川で遊んでいた2人の少年(周くんと劉くん)が土手に刺さっていた砲弾を見つけました。この砲弾は旧日本軍が遺棄した毒ガス砲弾でした。しかし、そんなこととは知らずに砲弾に触った少年が被害に遭い、敦化市内の病院に2ヶ月入院しました。症状はチチハルの場合と同じです。現在も症状は改善していません。

 二人の少年は、その後の学業にも影響が出ています(周くんは中学校を中退、劉くんは1年留年)。いずれにしても人生が大きく変えられてしまったことになります。

 

 ※事件が起きた敦化は、1945年8月のソ連との開戦直後、ソ連が侵攻してきたところです。日本軍はソ連に備えて毒ガス弾を大量に配備していました。事件後に調査すると、数千発の毒ガス砲弾が埋まっていました。事件現場は、1951年にも被害者が出ている危険地域だったのです。日本政府は、1990年代に3度にわたり中国政府から「敦化付近で毒ガスの危険がある」ことを知らされていたにも関わらず、何も対策を取ろうとはしませんでした。

東京地裁での闘い

○提訴(2008/1/17)

〇主張・立証

 弁護団は、敦化がいかに危険な地域であったかを強く主張しました。

 それに対して国は、日本軍が遺棄したものではあるが、戦後中国軍が処理していて、その処理が不十分だったために起きた事件であって、日本政府に責任はない、などと主張しました。

 裁判では、当時の外務省担当課長の証人尋問も行われ、日本政府として当然の職務を履行してこなかったことがハッキリしました。

○判決(2012/4/16)

 すべての事実が認定されました(被害にあった毒ガスは日本軍のものであること、遺棄したことによって切迫した危険があったことも認めました)。しかし事故を防止できなかったことに大して著しい過失はない、つまり「仕方がなかった」という判断でした。旧日本軍は、毒ガス砲弾を中国各地に遺棄してきたので、事故防止は無理だったというのです。裁判所は日本政府を免罪してしまいました。

 

 判決要旨

 弁護団声明

東京高裁での闘い

 ○判決(2013/11/26)

 判決は「予見可能性はなかった」として、政府の責任を免除してしまいました。

 弁護団声明

 

  ●中国の旧日本軍毒ガス被害、二審も請求棄却 東京高裁
   http://www.asahi.com/articles/TKY201311260349.html
    朝日新聞 2013年11月26日18時54分
  ●中国毒ガス訴訟、原告側控訴を棄却
   http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2602S_W3A121C1CR8000/
    日経新聞  2013/11/26 19:09

最高裁での闘い

○決定(2014/10/28) 第3小法廷(岡部喜代子裁判長)

 最高裁は、私たちの度重なる要請にも関わらず、一度も公開法廷を開いて被害者の切実な声を聴くことなく、一片の通知で上告を棄却してしまいました。

 

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