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遺棄毒ガスの裁判

 遺棄毒ガスの裁判は、以下の4件があります。

 これらの裁判に共通の目的は、毒ガス被害者の切実な要求を実現することでした。被害者は、@身体的、A経済的、B社会的な損害を受けました。@身体的損害とは、毒ガス成分による全身疾患を発症したことです。A経済的損害とは、働けなくなったために生活が困難になり、まともな薬さえ買えない状況にあることです。そしてB社会的損害とは、家庭崩壊など他人とのつながりを失ったことです。風評被害により転居や改姓を迫られたケースもあります。このような状況を何とかして欲しいという要求を裁判で訴えました。また二度と同じことが起きないようにしてほしいということも求めました。

 

第一次訴訟 第二次訴訟 チチハル訴訟 敦化訴訟
遺棄毒ガス第一次訴訟

 

 事故により後遺症で苦しんでいる仲江さんや夫を失った孫景霞さんら10名が原告となっています。

 

原告と請求内容

孫景霞さん、李臣さん、劉振起さん、仲江さん、司明貴さん、孫文斗さん他

毒ガスを捨てた責任、戦後回収しなかった責任、事故防止の努力を怠った責任を追及。各2000万円を要求。

提訴

1996年12月9日 東京地裁 訴状

東京地裁判決

2003年9月29日 勝訴 判決要旨 弁護団声明

事実認定○、時効除斥○、請求権放棄○

東京高裁判決

2007年7月18日 敗訴 判決要旨 判決全文 弁護団声明

事実認定○、不法行為×

最高裁決定

2009年5月26日 敗訴 決定 弁護団声明

 

支援団体

化学兵器被害解決ネットワーク

事件の概要

 (1)1974年に黒竜江省ジャムス市の松花江でおこった「紅旗08号事件」(川の浚渫工事(しゅんせつこうじ)をしていた作業員が川底に捨てられていた日本軍の毒ガス入りドラム缶を引き揚げてしまった事件)。

 (2)1982年に牡丹江市光華街で道路工事をしていた人が地中に埋められていた毒ガス入りドラム缶を掘り出してしまった事件

東京地裁での闘い

○提訴(1996/12/9)

 訴状

〇主張・立証

 裁判では、日本政府は当初、「その毒ガス砲弾はソ連軍や中国軍のものかも知れない」と無責任な態度をとっていました。しかし1997年に化学兵器禁止条約が締結されると、その条約中で毒ガス弾を遺棄した国がその処理責任を負うことも定められていたこともあって、日本政府は事件を起こした毒ガスが日本軍のものであることを認めるようになり、中国政府と遺棄毒ガスの処理協定も締結しました。

 弁護団は、日本軍が捨ててきたこと、戦後政府がこれを回収しなかったこと、事故防止の措置をとらなかったことの立証に精力を注ぎました。しかし日本政府は、事故の責任はない、事故防止の責任もないと主張し続けました。

○東京地裁判決(2003/9/29)

 東京地裁は、原告の主張を認め、国に一人当たり1200万円の賠償支払いを命じる全面勝訴の画期的判決を出しました。

 判決要旨

 弁護団声明 

東京高裁での闘い

○東京高裁判決(2007/7/18)

 東京高裁は、地裁判決を覆してしまいました。「日本軍はたくさんの爆弾を捨ててきたので、どこに捨てたか特定が難しいから、事故防止の責任はない」という論理で原告の訴えを退けてしまったのです。

 しかし判決は、「化学兵器禁止条約の精神からは補償の埒外は考えられない」とし、「被害救済が求められる」という文言は盛り込まれました。

 判決要旨

 判決全文

 弁護団声明

最高裁での闘い

○最高裁決定(2009/5/26)

 最高裁は、1回の弁論も開くことなく、原告の上告を棄却しました。

 決定

 弁護団声明

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