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終戦の日(戦後78年)
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御巣鷹事故から38年
四季の新潟
あだな西堀・東堀
夏のバカンス
 


 これが最後の?柏崎  2019.07.23 
   
  ドライブレコーダーと母親関係の戸籍取得と兄弟との会食
   今回はまず、ドライブレコーダーを取り付ける。
  勿論、今問題になっている「トラブル」対応ということもあるが、主目的はこの先何年運転ができるかわからない。ネットでよく目にする「車窓ドライブ」を記録し、懐かしむということである。このため、前後カメラではなく「前」のみである。

 
 
  母の父親の戸籍取得
 父親の戸籍を取得してわかったのは、母の出は柏崎ではなく、三島郡与板町(現在長岡市)であった。
磐越道を利用、「中ノ島見付」で降り、一路与板に向かう。
     
   与板支所  与板の街並み
   今回は事前に、千葉に住む妹に声をかけてあった。かっての友達が見附におり、合ってくるという。見附駅で彼女を拾う
今回も宿は、海浜公園にあるシーユース雷音。兄夫婦を招いて会食になった。残念ながら横浜の弟は参加出来なかったが久しぶりの兄弟会食となった。
次回はぜひ兄弟4人で!!

 


 これが最後の!?柏崎  2018.07
   
   いつ行けなくなるかもしれない故郷柏崎。年1回の実行は決めているが。

猛暑の中の「只見」越え。
 高速を使えば4、5時間で行けるが、今回は、これも最後だろうと一般道路を使った只見越えである。
柏崎への帰省に車を使い始めたのは昭和46年。当時は、国道49号線を使い新潟まで。新潟からは116号線を使っての移動。国道も完全に整備されていない時代のお盆休暇である。現在ではどの町もバイパスが出来ているが、当時は町中を走ることになる。早朝出発になるが、会津若松に入る峠では霧で視界ゼロのことも、市内では城下町特有の迷路で迷い、国道整備中の場所では迂回路で山越えを強いられたり、夏祭りで渋滞にはまったり、新潟から116号線に入るのに苦労したりと難行苦行のほぼ1日を使っての行程であった。
そんな時代、最初の只見越えは昭和57年である。今回はゆっくりと魚沼の地をめぐってみた。

 ・只見、塩沢の河井継之助記念館
 ・道の駅 入広瀬
 ・山古志の棚田とアルパカ牧場
 ・小千谷 錦鯉の里
 ・長岡市内ドライブ
 ・長兄夫婦訪問
 
宿泊は、海浜公園にある「シーユース雷音」

     
   
 
 
  只見塩沢 河井継之助記念館 道の駅 入広瀬 
     
  山古志 猛暑でダウンのアルパカ  小千谷 錦鯉の里