世田谷区議会議員 無党派市民 木下泰之

<時代は変われどスジは変わらず>

世田谷区議会「無党派市民」は所属議員が木下泰之のみの一人会派です。

木下泰之の主張
下北沢再開発問題
京王線連立事業と地下化推進
小田急線高架訴訟と地下化推進
年度予算要望・意見書
4期目の議会質問特集
議事録集(第3期)
議事録集(第2期)
議事録集(第1期)
2007年区議選公約と3期目の活動事項
2003年区議選公約と2期目の活動事項
1996年会派「無党派市民」の旗揚げの軌跡
無党派市民通信
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脱党・無党派宣言

1996年10月5日
世田谷区議会議員 木下泰之

社会民主党世田谷区議団は、本年3月9日、小田急線の高架予算に反対を表明する意向を示していた私を排除するために、幹事長名で一方的に会派を解消し、私を除くメンバーで同名の会派を再登録した。

小田急線の高架反対・地下化推進は、世田谷の党支部の旧来からの方針であり選挙公約でもあった。ところが区議団多数派は与党であることを理由に、区当局や区議会事務局および与党他会派と結託して、しかも世田谷支部の党3役の承諾を得た上で、この挙に及んだものである。

私は、この不当な一連の手続きの取り消しを求めて、世田谷区議会議長と区長を相手に6月6日に裁判を提訴したが、党の支部は7月になって除名処分を上申し、党都連合は8月27日付けをもって私を除名処分とすることを決定した。

会派解消問題は、権力犯罪として今後法廷で暴かれて行くだろうが、一方、除名処分の是非については、選挙公約や党方針と議員の責務という根本問題を内包している。

私は「正邪を明らかにしなければ、党を去ることもできない」と記者会見で述べ、不当な除名処分の撤回を求めて、9月10日に党規約に従い、中央規律委員会に上告の手続きをとった。ところが、1カ月近くを経た今をもっても中央規律委員会からは口頭審理の日程の相談すら何もない。極めて無責任といわざるをえない。

ところで、9月11日の「民主党設立委員会」結成の呼びかけから始まった社会民主党の新党移行問題は、結局は挫折し、多くの国会議員の民主党への流失を生み、党首の首のすげ替えまで行われて、10月8日からの総選挙戦を迎えようとしている。

社会民主党の1カ月の動きは、もはやこの党が公党に値しない党であることをはっきりさせてしまった。

私は社会民主党(当時は社会党)の公認を受け、選挙公約を明らかにして当選したからには、選挙公約に忠実であろうとしたし、選挙公約を踏みにじろうとした党であっても、党員として留まることができる限りは、改革を求めて、中央規律委員会で徹底的に争うことに意を決していた。新党運動の最中でもあり、私の処分問題は、労組依存か市民型党への脱皮かをかけた論争になろうはずであったからであった。

ところが、いまや、もはやこの党に止まろうとすること自体、政治家としての信用を問われるところとなってしまった。新党方針を大会で決めておきながら、反故にする。かつての消費税反対を転換し、5%導入を決めておきながら、今度は白紙から議論するという。それでいて、蔵相を閣内に止めたままである。土井たか子党首への転換で、本当に白紙からやり直すのであれば、まだ許せよう。ところが、党をかかる状況に追い込んだ最大の責任者である村山前首相が特別代表に就任した。何をかいわんやである。

私は、ここに、社会民主党から脱党し、無党派として政治活動を行うことを宣言する。

幾つかの一人会派を除いては、自民党から共産党まで区長へのオール与党となっている世田谷区議会に身をおくこと1年半、区議会が区政の監視機関たり得ていない現実に、私は大きな危惧を抱くものである。政党が市民への公約をかなぐり捨てた以上、私はたった一人でも、市民への公約を実現するために引き続き努力をすることを宣し、区議会の中に「無党派市民」という名の一人会派を旗揚げして、政治不信のただ中でいまや「第一党」になった無党派市民とともに、世田谷の地から、能動的かつ行動的な民主主義を築き上げて行くことを決意した。

社会民主党の土井新党首は9月29日の就任にあたって、現在の社民党についてシジフォスの神話を引き合いにだし、「大きな岩をてっぺんまで持ち上げながら、わずかな油断でもとの低いところまで転げ落としてしまいました」とのべた。しかし、シジフォスの神話は初めから、岩がてっぺんに持ち上がると落ちてしまうという責め苦をシジフォス自身が雄々しく請け負っているのであり、決して油断で転げ落としてしまったような逸話ではない。そんなに、政権たる頂上は心地よかったのか。土井党首が、油断で政権から転げ落ちたとでも思っているのならば、民主主義を語る資格はない。

もし、民主主義が大きな岩であるならば、転げ落ちるのが運命だとしても、喜んで背負おうではないか。民主主義の実現を目指す政治は終わりなき革命なのだから。私は転げ落ちてくることが運命付けられた民主主義を、背負うことに喜びを見いだすシジフォスでありたい。数多の市民シジフォスとの連帯で、新しい政治を切り開く決意である。

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