これは、パリのモンマルトルで名も知れぬ画家に描いてもらった似顔絵です。実物よりだいぶよく描けています。
私は、1992年に神戸大学を卒業しました。大学では、工学部環境計画学科(現・建築学科)の河村ゼミに所属し、建築物の耐震(制震)システムを専攻しました。2002年にハーバード大学公衆衛生学大学院 (HarvardSchool of Public Health)の環境保健学科 (Department of EnvironmentalHealth)労働衛生工学(Industrial Hygiene)専攻を修了しました(環境保健修士、Masterof Science in Environmental Health)。また、2009年に東京工業大学大学院社会理工学研究科の価値システム専攻から博士(理学)を取得しました。研究分野は、公共政策の意思決定手法に関する、ゲーム理論等の数理解析を用いた分析です。
1993年、労働省に入省して労働安全衛生行政に携わり、その後、2008年まで厚生労働省で、リスクアセスメント手法や、労働安全衛生マネジメントシステムをはじめとする、労働災害防止対策の政策立案に携わっていました。2009年から、労働分野の国際協力に携わり、国際労働機関(ILO)を通じたマルチバイ協力や、JICAを通じた政府開発援助の企画立案と実施管理を担当していました。2011年5月に労働安全衛生行政に戻り、福島第一原発事故後の放射線障害防止関係の企画立案を担当しました。2015年10月から、ボイラー等の産業機械の安全規制である機械安全や機能安全の企画立案を担当していました。2019年4月から、作業環境改善に関する基準や制度の企画立案を担当していました。また、新型コロナウィルス感染症のクラスター対策のための換気基準等の策定も担当していました。2020年8月からは、EPA(経済連携協定)や特定技能制度に基づく外国人労働者の受け入れと雇用管理の企画立案を担当していました。2022年4月からは、安全衛生行政に戻り、化学物質による労働災害防止を担当し、2024年4月から導入される新たな化学物質規制の法令改正と普及に従事しました。 2024年7月から、高年齢労働者の安全対策や、機械による災害防止の企画立案の従事しています。
学生時代は、E.S.S.に所属し、主に英語ディベート活動を行い、ディベートの普及団体である日本ディベート協会(JDA)の理事を務めていました。
右の写真は、私の妻の公美が20歳の時に、同じくパリのモンマルトルで描いてもらった似顔絵です。実物にそっくりということにしておきましょう。
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