フォーレ協会の全歌曲演奏会に行った。歌手により質のばらつきはあったが、
総じて楽しめた。
今回は4回連続の最終回になる。第3回は比較的よかったから、
第4回もいい歌が聴けるだろうと思い、期待していた。
以下、題名の訳はプログラムに従う。
最初の歌手は「九月の森で Op.85-1」、「水の上を行く花 Op.85-2」、
「同行 Op.85-3」を歌った。よく響いていて魅力は伝わってくるのだが、
音の揺れが大きく、音程が定まらないのが私にとって辛かった。
2番目の歌手は、「もっとも甘美な道 Op.87-1」、「山鳩 Op.87-2」、
「静かな贈物 Op.92」を披露した。節度ある歌い方は気品があったのだが、
いかんせん東京文化会館小ホールの空間では声量が足りない。かわいそうであった。
3番目の歌手は、「歌 Op.94」、「平和になった Op.114」、「朝焼け」という、
後期2曲と最初期1曲の組み合わせで勝負した。
2番目の歌手ではピアノの蓋が半開きだったの対し、この曲では全開になったので、
きっと声量がある歌手だろうと期待した。実際もその通りであった。
Op.94 の枯れた曲想とは合わないとは感じたが、
Op.114 の威風堂々たる雰囲気にはよく合っていた。
そして、作品番号なしの「朝焼け」は、フォーレのごく初々しい気分が現れていて出色のできだった。
この「朝焼け」でフォーレが示したはにかみ方は、どこか「リディア」に通底するものがある。
4番目の歌手は「《まぼろし》 Op.113」を通した。
この日の中でこの歌唱が最も不出来だったように感じた。
声は小さい、途切れるし、伸ばすと低めになるしで、困った。
この曲集は、フォーレの曲の中でもっとも音域が狭いのでテクニックの意味では楽だろう、と思っていたが、どうも歌手にとっては違っていたようだ。
前半最後は「《幻想の水平線》」晩年のフォーレの元気な姿が、朗々としたバリトンで表現された。これで今までの歌を聞いてきた不満が晴れた。
休憩後はハープと歌手による「アポロン賛歌 Op.63bis」で開始された。
私にとっては初めて聞く聴く曲であり、楽しみにしていた。
ハープの伴奏よるソプラノソロが続く。
終わり近くになり合唱が加わるという構成だ。
フォーレが感じたギリシアとはなんだったのか、完全には理解ができない。
フォーレの曲であると同時に、ギリシアの歌の編曲でもあるからだ。
なお、楽譜は IMSLP で参照できる。
次にハープのソロで「即興曲」と「塔の奥方」
即興曲はハープにとって弾きやすいように作られていると思う。
なかなか快い演奏だった。
しかし、「塔の奥方」はところどころほころびが聞こえた。
おそらく、曲想はハープ向きなのだが、技法としてはハープに合わないのではないかと
邪推している。とはいえ、私はこの曲が好きだ。ただひたすら、聞き入っていた。
その後、合唱と重唱が披露された。
まず重唱で、「アヴェ・ヴェルム・コルプス Op.65-1」、
「優しい母なマリアよ Op.47-2」の2曲が歌われた。
「アヴェ……」はモーツァルトの同名曲に比べて余りにも知られていないが、
佳作という名前に相応しい。
「優しい……」は、個人的に好きな曲だ。昔、フォーレの曲を弦楽に編曲したときに最初に選んだのがこれだった。
次に合唱で「タントゥム・エルゴ Op.65-2」と「小川 Op.22-2」の2曲が唱われた。
タントゥム・エルゴは私自身も重唱で歌ったが、そのときはリーダーの解釈でかなりテンポが揺れてしまい、私の好きなフォーレではなかった。そのときの悔しい思いと比べて、この合唱のフォーレは快い響きに満ちていて、私の渇きは満たされた。小川もよい曲なのだが、宗教曲の前では形無しであった。
重唱は「マドリガル」、「パヴァーヌ」、「ラシーヌの讃歌」の 3 曲だった。
「マドリガル」も、「塔の奥方」と同じく、私が好きでたまらない曲だ。
この軽さと趣味のよさをどう表現すべきなのだろうか。
実は重唱で声が足りないのでつまらないのではないかと心配していたが、そんなことはなかった。
一方、「パヴァーヌ」は荘重な雰囲気が必要であり、ピアノ、重唱ともに少し力不足ではなかったかと思う。
重唱にとっては演奏者の問題というよりは、合唱により厚みを持たせるべきだ、ということだ。
ピアノは左手のテンポが忙しなく聞こえたので、こちらは演奏者の技量も問われるべきだと思う。
実際、ピアノ1台のみで聴いた岡田博美の演奏はすばらしかったのだ。
そして最後の「ラシーヌ讃歌」で、またフォーレの世界に浸ることができた。