フォーレ:優しい歌 Op.61

作成日:1998-05-09
最終更新日:

1.「優しい歌」の版

連作歌曲「優しい歌」(Op.61) は、フォーレの資質の中にある力強さと奔放さが目立っている。 この点で彼の歌曲のなかでは特異な位置を占めている。 これは、おそらく「優しい歌」の詩に触発されたこと、 そしてフォーレが、歌手エンマ・バルダックへ心を寄せていたことから来たものだろう。 「優しい歌」はポール・ヴェルレーヌによる21編の連作によるもので、 ヴェルレーヌは恋の喜びを直接表現している。

もうひとつ、この曲集で珍しいことがある。フォーレ自身が、新たな伴奏の版を作っている。 原作の伴奏はピアノのみであるが、新たにピアノと弦楽五重奏の版を起こしたのだ。 1898年のことである。 以下この版のことをPSQ版と呼ぶ。

弦楽四重奏を消して弦楽五重奏に書き直したのは、ネクトゥーの本「評伝 フォーレ」の指摘による。 しかし、一つ増えた弦のパートはヴァイオリンか、ヴィオラか、チェロか、はたまたコントラバスかは 全くわからない。

後に、ピアノと弦の編成の「優しい歌」を聞いた方が、ある掲示板に感想を載せていた。 この方が見たところによれば、弦楽四重奏+コントラバスである。(2001-04-07)

この版は内輪で発表されたにとどまっている。フォーレ自身は「これは失敗作だから決して使わないように」とか 「弦楽の部分が余計だ、簡素なピアノ伴奏のほうがいい」といっている。 この版のことはいくつかの本で触れられているのだが、実際の編曲はどうだったのか私には謎だった。 しかし、1996年のある日、 たまたまピアノと弦楽四重奏版の伴奏による「優しい歌」のCD(Nonesuch79371-2)を手に入れることができたので聞いてみた。 以下は、その感想である。

2. 問題のCD

タイトルは「幻想の水平線」のほうを表にとりあげている。表紙は海の水平線がかかれているもので、 表題の字はなにもない。

演奏者は、SANFORD SYLVAN, baritone, DAVID BREITMAN, piano, LYDIAN STRING QUARTET とある。

解説は大意次の通りである(原文は英語)。

フランスのバリトン歌手Martial Singerによると次の通りである。

楽譜出版社アメル社が出した「優しい歌」のオリジナルの声とピアノ版のスコアに、PSQ版を予告するお知らせがあった。 PSQ版のコピーで作者不明の版が1944年に来た。 中身を見るとフォーレオリジナルのもののコピーに間違いないだろう。 この版は出版されていないが、アメル社の最初のお知らせのあとにPSQ版の演奏が行われたことは明らかだ。

いっぽう、研究家のNectoruxはPSQは1898年4/1にロンドンで私的演奏会で演奏されていることを報告している。 これはことを混乱させる。 このディスクではMartial Singherのもとに半世紀前に来た版を使う。

これを見る限り、1898年にフォーレが内輪で行った演奏の版とこのレコードの版が同じどうかははっきりしない。 ここではこの両者は同じものであるとして話を進める。

3. テクニック

「優しい歌」の9曲を概説する。 以下の各曲の訳は、 EMIから出ているフォーレ歌曲全集(レコード)に付属していた解説にある年代順作品目録による。

以下の説明はピアノのみの伴奏版、ピアノ+弦伴奏版に共通であるが、 必要であればそれぞれの版にも言及する。

第1曲「後光に囲まれた聖女さま」

ピアノ伴奏は3声体により3拍子の単純なリズムを刻む。高音部はヨナ抜き音階の下降による。その上を伸び縮みしながら滑るように歌われる。 その後、詞に現れる角笛を予告する伴奏になるが、減9の和音とヘミオラにより、懐古的な雰囲気が醸し出される。 まだこの曲からでは、「優しい歌」全貌は現れない。

弦楽+ピアノ版では、ピアノをまったく使っていない。 フォーレの意気込みを感じる。減九の未解決和音がシンコペーションで引き伸ばされるところの弦の表現はピアノ伴奏版に優る。

第2曲「曙の色がひろがり」

曲想は一転して、「ひろがり」のあるピアノのアルペジオとなり、歌も希望を表すかのように伸びやかになる。 終結ではリズムは落ち着き(一拍あたりのテンポは変わらない)、

弦楽+ピアノ版でも、アレンジは一転してピアノ中心である。弦がピアノに負けている。 ただ、冒頭に代表される前半のフォーレ独特のアルペジオが進行する個所では、弦はピアノをうまくひきたたせている。

第3曲「白い月」

前曲と同じアルペジオだが、こちらはテンポを落とし、官能的な夜の光景を強く映し出す。

弦楽+ピアノ版でも、けっこういい関係である。ただ月の光の幻想性がより強く出ているのは、 皮肉なことにピアノのみの伴奏版である。

第4曲「ぼくは不実な道を歩いていた」

詞は、不安が信頼や愛に変わる様子を描いている。音楽はこの移り変わりの効果を高めている。 それは短調から長調へという技法、そして不安定なリズムから安定したリズムへという技法による。

弦楽+ピアノ版でも、ピアノのみのごつごつしている感じが弦の力によりなめらかになっている。

第5曲「ほんとに、ぼくはこわいくらいだ」

あと打ちのリズムは、詩人の心の不安や恐れを表しているようだ。 ピエール・ベルナックによれば、この恐れは「幸福と喜びがあまり満ち溢れすぎることからくる恐れ」 ということである。確かに、流れは心地よい。 短調から長調h、不安定なリズムから安定したリズムへ、という技法は、前曲と共通である。

弦楽+ピアノ版でも、シンコペーションの切迫感が弦によりいい方向に向かっている。

第6曲「おまえがいなくなる前に」

ヴェルレーヌの詩は、詩人の恋人への願望と詩人の自然からの印象を並行して描いている。 これを受けて、フォーレの音楽も Adagio (Quasi Adagio) と Allegro Moderato が交錯する、 興味深い音楽となっている。

弦楽+ピアノ版では、弦楽器のトリルの効果が抜群。しかしピアノソロの版も捨て難い。

第7曲「さて、それは或る明るい夏の日のことだ」

弦楽+ピアノ版では、弦の厚みが伴奏をより効果的なものにしている。 しかし、それがために歌の迫力を削ぐ結果にもなっている。

第8曲「ねえ、どうだい?」

流れるリズムに豊潤な和音、もっとも成功した曲。編曲も成功している。 この曲は、どういうわけか私を引きつけてやまない。えこ贔屓するつもりはないが、 どうして好きなのか、少し述べてみたい。

ト長調、3/4拍子、Allegretto Moderatoの指示がある。普通フォーレはあまり細工をしない調性であるが、 この曲は転調とリズムの妙を色っぽい表情で見せてくれる。

冒頭2小節はピアノの序奏である。低音はしっかり拍頭で支えている。 高音は1拍あたり16分休符*1+16分音符*3で構成されているので、いわゆる後打ちのように見えるが、 実際は中声部も拍の頭を占めていて、この拍頭とあわせた分散和音と見るのが妥当だろう。 このようにリズム的には安定している。その上に提示される和音は、 第1小節こそト長調の紛れもない主和音、すなわちG、H、Dのみで構成されている。 しかし、第2小節で同じ主和音に、非和声音であるFisとAが出てきている。 この和音は、ジャズでは主和音とみなされる。というより、ジャズの主和音は非和声音、 すなわちテンションノートを持つ和音ともった形で使われるのが普通である。分散和音だから、 密集和音のもつ鋭い響きではない。しかし、このテンションコード、 G79の近代的な響きから、後の錯綜した世界が想像できるだろうか (なお、以下音名はドイツ流H(ロ)、B(変ロ)ではなく、英語流B(ロ)、B♭(変ロ)を使う)。

4小節から6小節目、和声の移り変わりは、凡人ならA7→D7→C→D→Gと考えるところだ。 ところがフォーレは、A7→B♭/D→E♭+7→C→B♭/F→D7/F#→Gと進める。 根音を半音階的に進め、なおかつ、BをB♭にしている。こういうところを聞くと、 歌い手が相手(この場合はヴェルレーヌの結婚相手、マチルドのこと)を一途に思っているにもかかわらず、 どこかためらいを感じているような、心の襞を想像してしまう

一方、先に凝ったことを行なったためか、9小節から11小節は、歌も和声もほぼ同じフレーズである。 そして12小節では、後を押されたかのようにB(ロ長調)で解決する。これとともに、歌の第1連が終わる。 伴奏形も変わり、3連符を基調とするリズムになるとともに、ピアノ中声部に「愛のテーマ」が登場する。 この移り変わりは、詩の第2連「隔離された愛の中、深い森の中」を暗示するかのような、 不安定な和声に満ちている。たとえば、第18小節、第21小節は増5の分散和音からなっている。 そうかと思うと、主和音が出てくる箇所もあり、その主和音も絶えず転調して定まらない。

第9曲「冬は終った」

ピアノ中心である。しかし弦も分厚く、ひょっとすると歌が負けてしまいかねない。

全体を通して伴奏に余裕が感じられる。たとえば、ピアノのメロディーを弦が なぞっているところがそうだ。そのなぞりかたもレガートでつなげるだけでなく、トリルで装飾したり、同音反復でもりあげたりしている。とくに同音反復はフォーレの他の室内楽ではめったに見られない技法であり、注目に値する。

4. 室内楽伴奏の意義

フォーレはこのPSQを失敗作とみなしていた。私はしかし、一ファンの立場ではそのように思わない。 「優しい歌」の構想の大きさにはそれなりの道具立てが必要であると感じるし、その道具立てに弦楽編成は最善であると信じる。 ただそれがために、言わなくてもいいことをわざわざ付け加えてしまった節も聞こえる。 具体的にどこがということを指摘することは難しい。あえていえば、動機がはっきり聞こえていることが証拠であろう。 これは、同じく拡大の道をたどったバラードと比べてみるとわかる。 バラードは独奏曲であり、「優しい歌」はメロディー(歌曲)であったということが違う。 独奏曲なら曲そのものを拡大すればいい。しかしメロディーにはすでに声とピアノという分かちがたいパートがあり、 新たな流れを導入するのは難しいのではないかということである。

たとえ、フォーレ自身はこの編曲に満足がいかなかったとしても、 この作業はその後の作曲活動で役に立っているだろう。たとえばこのPSQは、 実は後にかかれるピアノ五重奏曲の書法の訓練という面があるのではないか。 実際すぐにピアノ五重奏曲第 1 番が出版される。 また、このPSQ版の前にピアノ四重奏曲第 3 番を構想していて、 一度中断している。 また第8曲の響きは明らかにピアノ五重奏曲第 1 番の第 3 楽章や第 2 番の第 1 楽章と通じるものがある。 フォーレが得意とする、十六分音符の細かな伴奏形と三連符の交代のあたりを聞いているとその感を強くする (そういえばこの技法は、歌曲の「憂鬱」でも用いられていた)。

そんなわけで、フォーレの意志とはうらはらに、私はこの演奏を楽しませてもらっている。

もう一つ付け加えたいことがある。フォーレがピアノ版の伴奏を書いたあと、なぜ自身で弦楽版の伴奏に編曲しようとしたか、 それが私にはわからない。この連作歌曲のもつ大きさが、彼を編曲へと駆り立てたのだろうか。

5. PSQ 版の演奏について

S. Sylvan

このPSQ版での歌手S.Sylvanはなかなかうまい。この演奏を気に入っている理由の一つはこの人の歌にある。

サラ・ウォーカー

2004年、弦楽+ピアノ伴奏版の新たな演奏を手に入れた。 サラ・ウォーカーのソプラノ、ナッシュ・アンサンブルの伴奏(ピアノ、ヴァイオリン2、 ヴィオラ、チェロ、コントラバス)である。 女声であること、調が変更されていること、声がドラマティックであることから、 今までの「優しい歌」に対するイメージが覆された。この場合の「覆された」とは、 いい意味でも悪い意味でもなく、このような演奏や解釈があることに驚いた、 という意味である。この演奏が私の中で根付いていくかどうか、楽しみである (2004,10,26)。

6. ピアノ伴奏版の演奏について

ジェラール・スゼーの新旧録音

ピアノ版では、スゼーの全集版があるが、なんかこもったような声で気に入らない。 スゼーはそういう声かと思っていると、ある方から「旧盤のスゼーの演奏をよく聴いていた」という情報があり、 どうもこちらのほうがつやがある声のようである。 手に入れたらここで報告することにして、情報を提供してくれた方に感謝します。

1998年9月22日に、旧盤と思われるスゼーの歌唱を手に入れることができた (Philips, 438 964-2, 4枚組で1枚半がフォーレ、その他ラヴェル、プーランク、デュパルクなどが入っている)。 こちらの録音は1960年、全集の録音が1970, 73, 74のいずれかだから、おそらく旧盤であろう。 でこちらを聞いてみると、なるほど、若々しくつやのある声で、非常に心地よい。 ただ比べようにも全集盤(新盤)はLPでもっていてプレーヤーをすでに廃棄してしまったので今聞けないのだ。 しばらくは今ある演奏で我慢しよう。

シャルル・パンゼラ

それから、前後してシャルル・パンゼラの歌う「優しい歌」も聞いた。1930年代の録音だが、 時代がかった表現は思ったほどなかった。私の好みはもっと軽い(クリュイセンのような)声の質なのだが、 それでも「ぼくは不実な道を歩いていた」の最後など、おもわずゾクゾクするいい声の色で、これはこれで満足している。

ジャック・エルビヨン

バリトンのジャック・エルビヨン(Jacques Herbillon)による歌唱を聞いた。ピアノ伴奏は、 テオドール・パラスキヴェスコである。ちょっと作ったような声が気になるが、密度のある歌い方が印象に残る。 音程もいい。フォーレの歌曲には向いているのではないかと思う。個別の曲に関して言えば、 「ねえ、どうだい」はかなり速い。後に続く、快速な「冬は終わった」との対比で、もう少ししっとり歌ってほしかった。

このCDには、「優しい歌」以前の歌曲19曲と、「幻想の水平線」が入っている。 どちらかというと、初期の甘い曲の歌いまわしを得意としているのではないか。選曲から感じ取れる(2005,4,24)。

7. 動機の使いまわし

今まで述べていなかったことで、他の解説で書かれていることがある。 この「優しい歌」の9曲で、5種類の動機を共通に使っている、ということだ。 これらの5種類の動機は9曲すべてに現れてはいない。しかし、どの曲も5種類の動機のうちの1つ以上は 必ず使っている。しかも、これらの動機の中には、 歌曲「リディア」など、他の作品に使われているものもある。

5種類の動機がどのように使われているかをここで示す。

各曲A. 聖女B. リディアC. 愛D. 自然を呼び覚ますE. 太陽
1.
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9. 

この機会にぜひとも本格的な解説書を読んでほしい。例えば河本喜介の「フォーレとその歌曲」などがいい。

記号テーマ
A
B
C
D
E

最後の2曲について、音楽性を無視した MIDI を作った。 音だけはほとんど合っている、という代物なので、 そのつもりで聞いてもらいたい。「ねえ、どうだい」は、強弱も無視している。 「冬は終わった」は、ピアノ伴奏の強弱だけわずかに手を入れている。 「冬は終わった」は、MIDI を作ろうと思ってから2年かかった。 未完成ではあるが、ひとまず公開した。 とにかく公開ということで完成した形を取らないと、 自分にとっての冬が終わらなかったのだ。

今となっては MIDI を聴く人もいないと思うので、以前作った MIDI は削除した。 (2020-08-01)

なお、全音楽譜出版社の版の「冬は終わった」には誤りがある。 26小節4拍め裏右手の G は、正しくは Ges だ。フラットをつける必要がある。 これは、MIDI を作る過程で発見した。それにしても、この最終曲のピアノは本当に大変だ。

第1曲から第7曲までの優れた MIDI は、atyim さんのところ( ATYIM'S ROOM、www.hal.ne.jp 、現在リンク切れ)にある。 上記の2曲も、atyim さんが作って下さることを願っていた(この項 2003-02-25)。 しかし残念なことに、atyim さんは全曲の完成の前に逝去された。故人の御冥福を心よりお祈りします(2004,10,26)。

8. 詩について

今までヴェルレーヌの詩については全く触れなかった。それは私がフランス語がわからないからである。 フランス語がわからなければこの曲の魅力も、否フォーレの歌曲の魅力はすべて半減するのではないかと思っている。 ということは、今からフランス語がわかれば今の倍は楽しめるということでもある。 早速、全9曲の詩について、フォーレが改作した版を載せたページを作った。 フォーレがヴェルレーヌの原作を改めた個所と理由については、 金原礼子氏の「ガブリエル・フォーレと詩人たち」を読んでほしい。

詩を載せたからといって意味がわかるわけでもなく、まして韻律まで味わえるはずがないのだが、 それでも何もしないよりはいいだろう。私はまず大好きな第8曲 「ねえ、どうだい?」から暗唱しようと心に決めている (2002,1,6)。

9.付記

PSQ 版で思い出したのが、 ピアノ+弦楽四重奏をバックに歌ったグループに「上田知華とKARYOBIN」がいた。 今はあまり出ていないようだが、隠れたファンがけっこういる。私は「ピアニシモ」が好きでいつも聞いていた。

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MARUYAMA Satosi