フォーレ:三重奏曲ニ短調 Op.120

作成日 : 1998-09-12
最終更新日 :

1. フォーレの三重奏曲

ヴァイオリンソナタ第 2 番 以降のフォーレの後期の室内楽 6 曲は、あまり有名とは言いがたい。 その6曲の中で一般に人気があるのは ピアノ五重奏曲第 2 番であり、 また地味ながら世評の高いのがヴァイオリンソナタ第 2 番と三重奏曲 Op.120 (ピアノ三重奏曲、ピアノトリオ)である。 ちょっとこの三重奏曲に関して語ってみよう。なお、通常のピアノトリオ、という言い方をしないのは、 ピアノとヴァイオリン、チェロが対等であってほしいからである。

2. 三重奏曲のレパートリー

いきなりフォーレの三重奏曲について語る前に、三重奏曲という形態につ いて調べてみる。

三重奏曲(トリオ)は、三種類の異なる楽器により演奏される曲である。 ピアノ、ヴァイオリン、チェロというバランスのとれた編成による曲は、 他の楽器による三重奏曲と区別してピアノトリオとかピアノ三重奏曲と呼ばれる。 一般にクラシックの世界でトリオといえば、上記の編成のピアノトリオを指すことが多い。 もっとも、3種類の楽器が対等というと、チェロは他の2つの楽器に比べ非力である。 これは、低音部に偏ること、それから楽器が大きいために細かなパッセージがピアノやヴァイオリンに比べ、 相対的に苦手であることによる。

ちなみに、弦楽三重奏曲といえば、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロによるトリオを指す。 ホルントリオというとブラームスの作品が有名だが、これはホルン、ヴァイオリン、ピアノのトリオである。 同じくブラームスにはクラリネットトリオがあるが、これはクラリネット、チェロ、ピアノのトリオである。 管楽器2本とピアノのトリオは、3種類の楽器が対等に呼ばれる (例:プーランクのオーボエ、パソンとピアノのためのトリオなど)。

さて、ピアノトリオはハイドンやモーツァルトが多数作曲している。 彼らの作品は実は(例外はあるが)たいしたことがない。曲想も魅力がないし、 楽器の使い方もぱっとしない。 一度ハイドンのトリオをやってみたところ、 チェロの旋律がピアノの低音と全く同じだったのにがっかりしたことがある。

三重奏曲を立派に仕立てたのがベートーヴェンである。 「大公」は、三人の奏者が対抗意識丸出しでがりがりやる曲である (その証拠に緩徐楽章がない)、 トリオはかくあるべしという規範が決まってしまった。

それから後のピアノトリオは三人が対立するのがほとんどである。 「室内楽の楽しみ」(大木正興著)に挙げてある、 シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームス、 チャイコフスキー、ラヴェル、ドボルザーク、ラフマニノフ、 ショスタコーヴィチなどの曲はみなお互いが喧嘩しているかのようだ。 (なお、スメタナのトリオはけっこういい)。

フォーレのトリオはこれらの中で異彩を放っている。 フォーレは「レクイエム」に関して、 他の作曲家のレクイエムとの相違点が取り上げられるが、 このトリオも同種の曲とくらべて相違点が多くある。

3. フォーレの三重奏曲

フォーレの三重奏曲(ニ短調)が他の作曲家の三重奏曲と違う点は次の通りである。

1. 演奏時間が短い

フォーレの三重奏曲の演奏時間は 20 分少々である。 20 分を切る演奏もあるくらいだ。 これは、ベートーヴェン以降のトリオとしてはもっとも短い。 フォーレ自身も「小さなトリオ」といっている。

2. 重音奏法が要求されない

ヴァイオリンもチェロも、重音奏法はほとんど要求されない。 特にチェロには少ない。 わずかにあってもオクターブが 9 割以上で、あとは 5 度、 6 度である。 フォーレ自身が、ヴァイオリンの代わりにクラリネットで演奏してもいい、 といったほどである。 実際に、そのような録音もある。

3. 譜面が簡潔である

第 1 楽章 3 / 4 拍子の譜面には、 8 分音符より細かい音符はない。 第 3 楽章 3 / 8 拍子の譜面には、16 分音符より細かい音符はない。 第 2 楽章 4 / 4 拍子の譜面で使われるのは 16 分音符までである。また全曲を通じて、三連符は出てこない。装飾音符もない。

4. ヴァイオリンとチェロを同等に扱う

この場合の同等というのは、 難しいパッセージが等分に出てくるという意味ではない。 二つの楽器が全く同じ旋律を延々と弾いている部分が多いことを指している。

5. ピチカートが少ない

ピチカートの部分がヴァイオリン、チェロともわずか 1 小節、 2 音のみである。

以上でわかる通り、このトリオの特徴は「簡潔」ということにつきる。 しかし、だからといってこの曲がつまらない、と思っては大間違い、面白いのである。 「簡潔」であるがゆえに、三人の奏者ががりがり戦うトリオから遠く離れてしまった。 むしろ三つの楽器が一つになったように聞こえる、という意味で貴重なトリオだ。

4. フォーレの作品におけるトリオの位置

前の章であげた「簡潔」であるという特徴は、フォーレの他の室内楽作品と比 べてみてもいえる。以下、個別にみよう。

4.1 第1楽章

第 1 楽章の出だしのピアノのアルペジオを比べてみよう。 ヴァイオリンソナタ第 1 番の 旋律を伴った幅広いアルペジオ、 ピアノ四重奏曲第 2 番 の荒々しく力強いアルペジオ、 五重奏曲第 1 番の滑らかで移ろいやすい美しいアルペジオ、 五重奏曲第 2 番のオクターブを上下する神秘的なアルペジオと比べると、 この三重奏曲のアルペジオはもうアルペジオとは呼べないただの伴奏音形の形をとっている。 しかし、その後の展開音形はやはりフォーレのもので、無駄な音のない伴奏音形は第 1 楽章全体の推進力となっている。

旋律は、チェロから奏される。上り下りを繰り返しながら高みを目指し、 落着く、という趣きがある(下楽譜参照。なお、冒頭の mp は、 譜面では mezzo p と表記される。これはこの曲すべてで同じ)。 このあと、ヴァイオリンが追い掛ける。

第2主題はピアノの右手で歌われる( cantando の指示がある)。 シンコペーションを含み、跳躍の狭いなだらかな旋律である。 ピアノの左手は分散和音で伴奏し、弦は溜息のように相槌を打つ。

その後、旋律はヴァイオリンとチェロのユニゾンに引き継がれる。 このとき、次の楽想が付加される。

展開部は第1主題、第2主題、 そして経過部の音階がそのまま、あるいは断片に分けた形で組み合わされている。 展開部の後半は弦はユニゾンであるが、 クライマックスの直前でユニゾンから分れるところが印象深い。 再現部は ff で奏される。 旋律はチェロとピアノの低音で響き、 ピアノ右手の分散和音で補強されたヴァイオリンが対抗する。 以降の再現は大枠こそ保たれるものの、取り扱いは変容する。 そして、第2の展開部で盛り上がったのち、曲を閉じる。

4.2 第2楽章

第 2 楽章はゆったりとしている。冒頭は次のとおりである。

中間部はピアノのソロで詠嘆が始まる。ヴァイオリンとチェロはところどころ合いの手を打つぐらいだ(下の楽譜では省略)。

その後、ヴァイオリンとチェロは音高の同じ旋律を延々16 小節にわたって歌い、その後第一のクライマックスに到達する。 一方第二のクライマックスでは、ヴァイオリンとチェロ、ピアノは独自のメロディーで対位法的に絡み合う。 ここは最大の聞きどころといっていい。 このあと、しばらくしてヴァイオリンとチェロは再度ユニゾンで 15 小節メロディーを歌い、 多少別の旋律を奏するものの、再度同じ節を歌ってこの楽章を終える。

4.3 第3楽章

第 3 楽章は3/8拍子であるが、 3 小節単位で最初から最後まで進むので 9/8 拍子とみることもできる。 そうみればこの楽章のもつ不安定な雰囲気が体得できる。 弦のユニゾンが3小節、わずか3音からなる印象的な旋律を鳴らす。 これは、レオンカヴァルロの「道化師」のアリアとよく似ている。


このようにさっそうと始まり、かっこよく終わる爽快な楽章。

4.4 総括

フォーレの作品の中でこのトリオを好む人は、軽さに惹かれるのだろう。 私の知り合いは、「五重奏曲の 2 番はちょっと重い」といって、こちらのトリオを選んでいる。
私はどうかといえば、その日の気分で好みを選んでいる。どれもが好きである。

5. 個人的体験

フォーレ協会例会(第 4 回) の演奏会に出かけて、聞いたことがある。 演奏者は久保陽子(Vn.)、倉田澄子(Vc.)、藤井一興(P)の三人。
倉田さんがチェロと奮闘する姿が面白かった。 演奏はまあまあのできだったように思う。

久しぶりに、フォーレ協会例会(第 11 回)に出かけた。このときもこの三重奏曲を聴くことができた。 演奏者はクリストフ・ムルギアール(vn)、アンリ・ドゥマルケット(Vc.)、堀江真利子(p) 。 感想は練習日誌に書いた。

どうでもいいことなのであるが、駅の待ち合い室で何十秒かに一回、ラファラファラファ...の音が鳴る、 そんなときがある。それを聞くと必ずフォーレのこの作品を思い出す。

さらにどうでもいいことなのであるが、私がこの曲を最初に聴いたのが私が 20 歳のころ、 井上二葉さんのピアノによる(弦は失念)の演奏だった。 こちらのエアチェックテープは大事にとっておいたのだが、25 歳ころもういいやと思って消してしまった。 その代わりに、ある図書館からレコードのフォーレ全集 (ジャン・ユボー、レイモン・ガロワ=モンブラン、アンドレ・ナヴァラ)を借りてきて、 こちらをテープに録音することにした。22 歳のときである。 ところが、このトリオの録音時に針飛びが起こり、そのままにしてレコードを返してしまった。その後このトリオを聴く時は、 かならずある個所で針飛びにぶつかったまま聴いていた。 このユボーの版の CD が出たのが 28 歳ごろだろうか。 すぐに手に入れてやっと針飛びのないトリオを聴くことができるようになったのだが、 過去の経験はおそろしいものだ。その針飛びの個所に来るといつも肝を冷やすのだった。このトリオを心安らかに 聴けるようになったのはこの 21 世紀になってからである。

6. 演奏について(ヴァイオリン、チェロ、ピアノの版)

先に述べた通り、ユボー、ガロワ=モンブラン、ナヴァラの演奏ばかり聞いてきた。そのため、 この3人による演奏について書くことができない。馴染み過ぎているからだ。そこで、他の演奏評をものしてみる。

ドレスデンピアノトリオ

ドレスデンピアノトリオの演奏は、正確で音のふくらみも心地よい。適度なメリハリも効果的で、 第1楽章はなかなかよい演奏だ。あまり間を取らないスタイルで音楽を進めるので、 人による好みはあるだろう。私は好きだ。ただ、チェロが多少弱いと感じる部分がある。 第2楽章は、多少せわしないのが残念。しかし、その分軽く、流れが重視されている。 気分によってはいいだろう。特に後半の展開部がさらりとかわされるところは、 このような解釈もあったのだと驚く。 第3楽章は、第2楽章の軽さを受け継ぎさらにスピードアップさせた演奏で、 スリリングとすらいえる。 そのあまり、ピアノの低音部が弱くなり、地に足がつかなくなるような個所もある。 実生活でも高速恐怖症の私は素直な気持ちで聞くことができないが、好きな人にはたまらないだろう。

コラール、デュメイ、ロデオン

コラール(pf)、デュメイ(vn)、ロデオン(vc) の演奏は、全楽章とも私の好みに近い。弦の音に潤いがあるのが特徴で、滋味がある。 第1楽章では、リズムが及び腰になっている個所がある。楽器の釣り合いはとれている。 第2楽章では、せっかく遅めのテンポをとったのだから、腰の入った歌い方をしてもらいたい。特にヴァイオリン。 第3楽章は軽やかさと落ち着きが調和しているのがいい。ピアノの低音が出なかったり、同じく八分音符のリズムが ときどきずっこけてしまっているのが気になるところもある。

イマール、ケール、ブラウンホルツ

ジャクリーヌ・イマール(pf)、ギュンター・ケール(vn)、ベルナール・ブラウンホルツ(vc)は、 全体を通してほとんどルバートがない。 第1楽章は特に、影のメトロノームに乗っているかのように一定のテンポで進む。 そのため、色気や遊びに乏しい。また、音の強弱の広がりも他の演奏に比べて足りない。しかし、 その分、声部の進行の絡みや和声の綾に集中して聴くことができる。 きっと自然体で弾いているのだろう。 その意味では滋味溢れる演奏といえる。 第2楽章は多少速めだがドレスデンほどではなく、ゆったりとした気分で聞ける。 ただし、展開部で歌の気分が出るあまりテンポが遅くなり、 再現部とのテンポの差が露になるのが惜しい。 第3楽章は、厚さを要とする部分は弦で対応し、 ピアノはひたすら軽さで勝負する方針が貫かれている。 このような演奏もあったのだと私には参考になった。 これもまた、フォーレの音楽の表現の一つの形であろう。 私は肯定する。 以上、

シャハム、江口、スミス

ギル・シャハム(vn)、江口玲(pf)、ブリントン・スミス(vc)の演奏が2003年に発売されたので聴いてみた。 こちらは先のイマールらの考えとは違い、艶を引き立たせる演奏を心掛けているようだ。 バイオリンは美しい。ソロのときはポルタメントやルバートを使って歌心を強調し、 チェロとのユニゾンのときは、これらの小技を抑えて弦楽器の一体感を際立たせている。なかなか聞きごたえがある。 特に、第3楽章のリズムの乗りがよく、爽やかだ。チェロが後に回りがちなのが惜しい (2003-12-29)。

この CD にはほかにもヴァイオリンソナタ第1番などが収められている。

ナッシュアンサンブル

Brilliant からの廉価版シリーズで、ナッシュアンサンブル <マーシャ・クレイフォード(vn)、イアン・ブラウン(pf)、クリストファー・ヴァン・カンペン(vc)> の演奏を聴いてみた。機械的ではなく、かといって詩情に溺れ過ぎることもなく、 自然な柔らかさを重視している。ちょっと聴くと特徴に欠けるようだが、 妙な特徴が横溢している演奏よりは、このような当たり前のうまさをもつ演奏が私の好みである。 敢えて好みをいえば、第3楽章の冒頭の主題はフレーズを切らず、 ひきずるように唸ってもいいのかなと思う(2004-10-26)。

トリオ・フォントネ

トリオ・フォントネ<ヴォルフ・ハルデン(pf)、ミヒャエル・ミュッケ(vn)、ニクラス・シュミット(vc)>のCDを聞いた。 フレージングの意識が非常に高い。たとえば、フレーズの終わりを明確にするためのリタルダンドが、 他の演奏に比べ多い。また、フレーズとフレーズの間を長く取っている。そして、強弱の変化がはっきりとしている。 subito(急なフォルテやピアノ)もある。だから、適当に流している演奏ではない。自由闊達な演奏というのでもない。 一貫した解釈のもとで考え抜かれていることがわかり、こうあらねばならないという意志が感じられる演奏である。 それが裏目に出てしまっているところもある。音を大事にするあまり、多少テンポが遅くなっているフレーズもあるからだ。 私自身は、この演奏を聞いたばかりということもあり、まだ好んで聞く段階には至っていない。 しかし、フォーレの音楽をこのように解釈したという熱意は、ひしひしと感じられる。私は演奏者に敬意を表する。 そして、これから何度も聞き込んで、この演奏が新たな曲の魅力を引き出してくれることを期待している。 (2005-05-02)

カプソン兄弟・アンゲリシュ

第1楽章は冒頭はいいのだが、展開部からどうもリズムが突っ込みがちになってしまって落ち着かない。 第2楽章は落ち着いて聞ける。第3楽章は突っ込みがちのリズムが奔流を作り出していて面白い。 (2014-03-16)

トリオ ジョルジュ・サンド

トリオ ジョルジュ・サンド(Trio Geroge Sand)の演奏は落ち着いている。第1楽章の静かさからの盛り上がりはいいのだが、 練習記号8の8小節前でヴァイオリンが一小節出が早いために奇異な感じがするのは残念だ。 しかし、末尾のリズムは正確に決まっていて、心地よい。 第2楽章は途中で急くところがあるが、ヴァイオリンとチェロの長大なユニゾンのたゆたう感じは絶品だ。 その後の盛り上がりも、しなを作っている感じがおもしろい。 第3楽章の急速な展開も第1楽章の末尾と同様、固くてすっきりとしている(2014-03-19)。

エリック・ル=サージュ(pf)、ラファエル・メルラン(vc)、ピエール・コロンベ(vn)

一言でいえば、乾いている。第1楽章はゆったりしていて聞かせる。第2楽章は大人の音楽である。 そして第3楽章が、乾きが頂点に達する。といっても、ピアノのダンパーペダルが特に第3楽章で控え目である、 ということから「乾いた」という印象をもつ。音楽そのものは、しっとりしている。

7. 演奏について(クラリネット、チェロ、ピアノの版)

ル=サージュ、サルク、メイエ

エリック・ル=サージュ(pf)、フランソワズ・サルク(vc)、ポール・メイエ(cl) の盤は、クラリネットの透明な音色を生かすような組み立て方がされている。 チェロのビブラートは抑えられているし、ピアノのペダルも控えめである。特に第1楽章、第3楽章はバロックのトリオソナタの風情さえ感じられる。 第2楽章は潤いがあるが、それでも油性の潤いではなく水性の潤いだ。コクというよりは見通しを重視している。 (2018-12-03)

クングスバッハ・ピアノ三重奏団(Kungsbacka Piano Trio)(NAXOS)

私が聴いたのはクラリネット版のほうだ。 ちょっとクラリネットの音が立っていないようにきこえる(2018-09-23)。

8. 所持、未聴の演奏

今のところはない。

9.未所持、未聴の演奏

Pierre さんの演奏評 (https://web.archive.org/web/20170104194442/http://www2.tbb.t-com.ne.jp/bitoku/musique/faure/faucham_trio.html) もどうぞ。

参考

ハルプライヒ論文-三重奏曲ニ短調Op.120

まりんきょ学問所 フォーレの部屋 > 三重奏曲(ピアノトリオ)


MARUYAMA Satosi