ヴァイオリンソナタ第2番 Op.108:ガブリエル・フォーレ (Gabriel Fauré)

作成日:1998-05-09
最終更新日:

1. フォーレのヴァイオリンソナタ

フォーレの代表作として名高い ヴァイオリンソナタ第1番Op.13の陰に、 もうひとつのヴァイオリンソナタ第2番 Op.108 がある。 第1番が入っている CD の中で、第2番が入っているものと入っていないものは同じくらいと思われる。 それほど、第2番の人気はない。おまけにこの第2番の評判はさんざんなのである。

ジャン・フィリップ・コラールとパレナン弦楽四重奏団が組んで録音したフォーレ室内楽全集がある。 この解説書で、ヴァイオリニストの田中千香士さんがフォーレの室内楽について書いている。 第1番にくらべ第2番が難解であることにヴァイオリニストは衝撃を受けているという。 また、田中さんが演奏会で「色を変える意味で」フォーレのヴァイオリンソナタを弾いてみたところ、 ブラームスを2度弾いた気分になったということも書いていた。 文章にはどちらを弾いたということははっきり書いていないものの、 文脈でこのヴァイオリンソナタは第2番であることは明らかである。

それから音楽評論家の渡辺和彦さんは、音楽コンクールで珍しくこの第2番が課題曲に取り上げられたことを 書いている。渡辺さんはわざわざ楽譜まで買って下調べして聞いてみたが、第1番ほどの魅力はないと判断している。

このように、第2番は嫌われている。なぜなのだろう?

付記:渡辺和彦さんの意見として私が紹介した内容は、音楽之友社から出ている 「ヴァイオリン/チェロの名曲名演奏」から引用している。この本では、 第2番が音楽コンクールの課題曲になったことと 『同時に珍しい生演奏が春にあった』ことについて触れられている。ある読者の方から、 この生演奏とは、 堀江真理子氏が中心となって開かれたピアノ・室内楽全曲演奏会のことではないかとの示唆を頂いた。 調べてみると、上記の本の記述と、文献「フォーレ頌 不滅の香り」の資料から、 確かにそのとおりであった。感謝のことばを申し上げる。

2. ヴァイオリンソナタ第2番の特徴

まず目につく点は第1番が長調であるのにこちらは短調であるといったことだ。 これはたいした問題ではないだろう。長調短調だけのことからいっても、 第2番の第2楽章、第3楽章は長調であるし、第1楽章も終結部は長調である。まず嫌われる原因ではない。

するとどこが第1番と違うのか。楽章別に調べてみよう。

なお、以下譜例は abcjs アプリケーションにより作成(浄書)したものを使う。 譜面としての完成度は他の浄書アプリケーションより劣るが、ご了解いただきたい。 また、譜例の下にある図像の三角形をクリックすると abcjs により作られた midi が再生される。 現在では複数の楽器の楽譜を単一の楽器でしか再生できない。 今まではピアノにしていたが、考えた結果ヴァイオリンもピアノもストリングスに変更した。これもご了解いただきたい。

なお、以前は MIDI ファイルのリンクを示していたが、 動画投稿サイトで実演が多く聴けるようになったため、ファイルを含めリンクも削除した。

2-1 第1楽章

まずは冒頭である。 どちらもピアノのみで始まる。 第1番はは2/2拍子の安定したピアノのアルペジョに美しいメロディーが浮き上がってくるのに対し、。 第2番は9/8拍子の不安定なピアノのユニゾンでつかみどころがない。9/8拍子だとわかる人は立派である。 続いて入ってくるヴァイオリンの第1主題が最低音から一気に高音までかけあがり、シンコペーションで降りてくる。 何が何だわからないのも無理はなかろう。

第2主題は一見穏やかであるが、不穏な動きも感じられる。低音部の8分音符と4分音符の組み合わせは、冒頭のユニゾンからきている。

展開部はエンハーモニックを利用したきわどい転調が続き、なかなか気の休まる暇がない。 おまけに再現部は12/8拍子に変わり、第1楽章の終わりまで続くのである。 始めと終わりの拍子が異なるのもフォーレの作品としては異例である。 再現部は次のとおりである。冒頭のピアノによるユニゾンが引き延ばされているのに注意。

そして、提示部での第2主題の再現(179小節)からはホ短調からホ長調に転調するとともに、 ヴァイオリンの旋律をピアノがカノンで追い掛ける。譜例の espressivo で始まる 'H A Gis Fis E' の旋律である。 この旋律は途中途切れたり、 ユニゾンが3度になったり、 ピアノが低音部から高音部に変わったりするが、 この絡み合いは第1楽章が終わるまで延々と続く。

なお、私がもっている Durand 版には、179 小節左手の最後が Es のままであるが、これは本位記号(ナチュラル)を付した E が正しい。

2-2 第2楽章

第2楽章は3/4拍子。リズムに突飛なところはないが、エンハーモニックによる転調の嵐は相変わらず続く。 最初の主題は、古代旋法(リディア旋法)に基づく優雅な旋律から始まる。ほとんどが全音か半音による推移である。 ピアノはイ音を基本に動くが、ヴァイオリンはホ音を中心にさまよう。このずれの妙味がフォーレの魅力である。

第2の主題は小節毎に転調する。エンハーモニックを極限まで利用している。 今聞いているのは調性音楽のはずなのに何調だかわからなくなっている、 という不思議な体験がこの楽章で楽しめる。

2-3 第3楽章

第3楽章は2/2拍子の流れるメロディーから始まる。ヴァイオリンはシンコペーションを多用している。

その他、各種テーマが提示され、展開される。 展開の後半部にピアノの左手に突然3連音のリズムが入ってくるのが 衝撃的である。 このメロディーは第1楽章の冒頭、正確にはその冒頭が再現される同じ第1楽章の再現部の低音であるが すぐにはそれと気づかない。

そして後には第1楽章の第2主題も登場してにぎやかになる。

最後は喜びにみちた和音で結ばれる。 この第3楽章はフランクのヴァイオリンソナタの第4楽章と負けず劣らず立派で美しい楽章だと思う。

2-4 全体

全体を通して聞くと、第1楽章の 9/8 拍子から 12/8 拍子、第2楽章の 3/4 拍子、第3楽章の 2/2 拍子と、 不安定な拍子から安定な拍子に向かう動きを感じ取ることができる。 また、これは実証していないので間違っているかもしれないのだが、第1楽章、第2楽章のとりつきにくさの原因が、 長調、短調に分類できない旋法、特に全音階を基調とする旋法を使っていることにあるのではないかと思われる。 これが第3楽章では、全音を基調とする旋法は影に隠れているため、とりつきやすいものとなっている。 これら拍子と旋法の要素から、第3楽章が前2楽章より明るく開放的になっているのだろう。

そしてまた第3楽章は、第1楽章の旋律と第2楽章の旋律の融合という重責も担っている。 第3楽章には第1楽章の冒頭の低音部と、第2主題の下降音階が出現することは前にも述べた。 そしてまた、第2楽章の影もちらほら伺える。たとえば、第3楽章のヴァイオリンの冒頭は、 第2楽章のヴァイオリンの冒頭の反行形とも言えるし、 第2主題のオクターブの跳躍が出てくるのも第2楽章、第3楽章で共通している。

3. かけ離れたイメージのフォーレ

フォーレ愛好家は、 子守歌ヴァイオリンソナタ第1番夢のあとに、 だけがフォーレではないと叫んでいる。 しかし、なかなか普通のクラシックファンには届かない。せいぜいレクイエム止まりである。 そもそもヴァイオリンソナタという形式をとったのが悪かった。フォーレの場合はあまりにも魅力ある作品を 第1番で書いてしまったのである。まあいまさらいっても遅いのだが。

なお、フォーレ愛好者には言わずもがなであるが、 ピアノを独奏とする協奏的作品をフォーレは2曲書いている。 若いときの作品が「バラード」、 円熟期の作品が「幻想曲」で、 2曲のヴァイオリンソナタと同じ関係にある。

ともあれ、ヴァイオリンソナタ第2番をそのまま埋もれさせておくのは惜しい。どうやって知らせればいいのかな、 とかねがね思っていた。 名案はなかった。ただこれだけはいえる。この曲はフォーレが作ったものではない、と思えばいいのだ。 そう、晦渋なブラームスかレーガーかブゾーニが作ったものだと。

4. 演奏

かくのごとき大変な第2番であるが、非常に有名な第1番があるおかげで、多くの演奏を聴くことができる。

レイモン・ガロワ・モンブラン(Vn), ジャン・ユボー(Pf)

私は昔からレイモン・ガロワ・モンブランのヴァイオリン、 ジャン・ユボーのピアノによる演奏をよく聴いていた。 多少速めのテンポであるが、特に奇を衒ったところもなく、たんたんと進む演奏に私は好感を抱いていた。

ヨセフ・スーク(Vn)、ヨセフ・ハーラ(Pf)

一方、かなり奇異に感じられたのが、ヨセフ・スークによる演奏だった。 珍しく第1番とカップリングしていないレコードだった (ちなみにこの盤に入っていたのはレスピーギのヴァイオリンソナタ)。 スークの演奏はかなりの個所で音が異なる。そこが気になるところだった。当時の LP を友達から借りて聴いたので、 現在は手元にない。CD にはなっていないと思われる。

ドン=スク・カン(Vn)、パスカル・ドゥヴァイヨン(Pf)

1999 年、廉価版で手に入れたのが、ドン=スク・カンのヴァイオリンだった。詰めが甘い気もするが、 颯爽とした演奏だった。

藤川 真弓(Vn)、ホルヘ・フェデリコ・オソリオ(Pf)

同じくかなり安く手に入れたのが藤川真弓のヴァイオリンだった。こちらはあまりいただけない。 ポルタメントが余計な個所に多くかけられている。また、符点音符のリズムが楽譜よりきつめかゆるめかの いずれかで、正確ではない。

ピエール・ドゥカン(Vn)、テレーズ・コシェ(Pf)

ピエール・ドゥカンのヴァイオリン、 テレーズ・コシェのピアノの版は、 録音が 1958 年と古いこともあってか、ヴァイオリンの音が多少やせて聞こえる。 しかし、それが却ってフォーレの音楽の虚飾を取り払った姿に近付けているのかもしれないと思う。

クリシア・オソストヴィッツ(Vn)、スーザン・トムズ(Pf)

オソストヴィッツ(Vn)、トムズ(Pf)の演奏は、ドゥカン、コシェの演奏とは対照的に、 強弱の対比、音の膨らみを強調している。 しかし、嫌味には聞こえない。流れはやや早めだが浮いたところはない。 聴いていて緊張と心地よさのバランスがよくとれていると感心する。

ジノ・フランチェスカッティ(Vn)、ロベール・カサドシュ(Pf)

ジノ・フランチェスカッティ(Vn)、ロベール・カサドシュ(Pf)の演奏は快い。 特に第1楽章は、導入のピアノのスタッカートといい、 突っ込みがちなヴァイオリンといい、緊張感満点である。 ヴァイオリンの音程が怪しいのか、意図的なポルタメントなのかわからないところが、 録音当時(1953年)のいいところだろう。 第2楽章は思ったより素直であり、第3楽章は緩急の幅がフォーレにしては大きいものの素直に受け取れられる。 変な物言いだが、余り考えることなく弾きたいように弾いた演奏ではないだろうか。(この項まで 2002-08-31)

再度、フランチェスカッティとロベール・カサドシュ(Pf)の演奏を聴いた。1953年9月22日録音のため、 昔の演奏の特徴が良くも悪くも出ている。 現在の数多くの演奏に比べると、ヴァイオリンの不要なポルタメントや ヴァイオリンとピアノでリズムがずれている箇所があったりして、少し聞きづらい。 だから、みなさんには勧めないが、冒頭のピアノのスタカートなど、軽さを求めて疾走する雰囲気は、 独特のものがある(2009-05-24)。

アルテュール・グリュミオー(Vn)、ポール・クロスリー(Pf)

アルテュール・グリュミオー(Vn)、ポール・クロスリー(Pf)は、美しい音ではあるが、さらりと流している。 二人は難しさに向き合うのが大変だと考えて回避しているのではないか、私の耳にはこのように聞こえる。 (2004-07-31)

オーギュスタン・デュメイ(Vn)、ジャン=フィリップ・コラール(Pf)

オーギュスタン・デュメイ(Vn)、ジャン=フィリップ・コラール(Pf)の演奏は、 正面から音楽にぶつかっている。 真面目に聞くと疲れるが、それだけの内容をこのソナタはもっているから望ましい様式といえる。 しかし、完璧ではない。特に第1楽章でピアノが八分音符と十六分音符の動きを弾き分ける所などがそうだ。 また、同じく第1楽章で215小節から216小節にかけて、 ヴァイオリンが八分音符+四部音符のリズムを四分音符+八分音符にしているが、これもおかしい。 さらに、第3楽章の3連符導入は、もっと衝撃が欲しい。 でもこの辺りは些細な瑕疵だろう。全体に起伏に富んでいる。

イザベル・ファウスト(Vn)、フローラン・ボファール(Pf)

イザベル・ファウスト(Vn)、フローラン・ボファール(Pf)は、全体に速い動きだ。 あまり脚色のない、音楽にそのままついていく弾き方であり、また潤いもある。 びっくりしたのは、第1楽章でのsubito P の美しさであった。音楽の表情をよく捉えている。 第2楽章の息の長さと盛り上げもよい。 第3楽章は少しあっさりしているが、それでも響きはよい。 (2008-11-07)。

枝並 千花(Vn)、長尾 洋史(Pf)

この二人の CD (ma recordings , MAJ-506) は、収録されているのが、 フォーレの「夢のあとに」、フランクの「ヴァイオリン ソナタ」それからこのフォーレの第 2 番である。 つまりこれも、フォーレの第1番をカップリングしていない珍しい盤である。 解説には、枝並が「第1番より好きだから」と書いてあって、これには驚いた。

一聴して感じたのは、音色がまずとにかく美しいことである。 レガート奏法が徹底されて、滑らかだ。 一方でこれが迫力不足となったり、中ふくれの音になったりする。 楽譜でアクセントが書かれている音がふんわりと流れていくと、 こちらもちょっとがっかりする。 しかし、音楽の流れは自然で、晦渋な第2番をこんなに気楽に、しかも楽しめて聞けたことはなかった。 手に入りにくいと思うが、探し出して買ってみることをおすすめする。 (2010-09-10)。

小林 美恵(Vn), パスカル・ロジェ(Pf)

ヴァイオリンの音が細いのが気になる。また、稀に刻みが緩いところがある。 強く弾くところはしっかり出ているのがうれしい。 ピアノは立派だ。(2012-06-27)

ルノー・カプソン(Vn), ニコラス・アンジェリック(Pf)

第1楽章は冒頭のピアノのユニゾンが不気味である。通常スラーで弾かれるべきところ、 一音一音を切っているのだ。これは結構効果的である。 その後のヴァイオリンが攻撃的に入ってくるので、対比効果があるからだ。 その後、ピアノが塊としての響きを出してくるのはよいが、リズムでムラがあり、またミスタッチ、 抜けも少しあるのが残念だ。ヴァイオリンは素直で優雅な奏法だから、耳に心地いい。 展開部からはピアノも徐々に調子を上げてきているようだ。再現部で、 冒頭ピアノのユニゾンを切った効果がここでも現れる。よいアイディアだと思う。

第2楽章は、入りがピアノ、ヴァイオリンともに無骨だ。ピアノの無用なルバートも気になる。 ヴァイオリンはうまくヴィブラートとノンヴィブラートを使い分けていて、よい雰囲気を出している。 この楽章は、フォーレの全作品の中で特に精度の高い彫琢を施されているので、 ちょっとしたミスが曲の雰囲気をがらりと変えてしまう。残念ながら中間部ではとくに、 ピアノのわずかなずれが気になった。終結部はよかっただけに、残念だ。

クリスチャン・フェラス(Vn), ピエール・バルビゼ(Pf)

この難しい曲に正面から向かっている。技術的に他の演奏に劣る箇所もあるが、 けっこう即物的な弾き方をしているため、かえって聴きやすい。 ときどき古風なビブラートが聞こえるが、これも気にならない(2014-03-16)。

私が聴いたのは、EMI Classics の 5 枚組 CD Music de Chambre (50999 6483322 4) に収められているものである。録音データは次のとおり記載されている。

Enregistré à Paris, Salle Wagram, IX, 1960
Directeur artistique : Victor Olof
Ingénieur du son : Paul Vavasseur

あるページを見ると、フェラスのフォーレには 1957 年録音のものと 1964 年録音のものとがあるという。 ところが上記の記載は 1960 年であり、どちらとも違う。どうなっているのか。

別のページでは、1957 年録音は第 1 番のみとある。ということは上記のカップリングは類推で 1964 年ということになるのか。

この別のページの情報を裏付けるものとして、タワーレコードのページがある。詳しくいうと、 クリスチャン・フェラス~The Art of Violin(13枚組) (tower.jp) というボックスの情報である。 まず第 1 番のみの録音の情報は下記の通りである。

15-19.V.1957, Salle Wagram, Paris
Producer: Victor Olof
Balance engineer: Paul Vavasseur
(p) 1958 The copyright in these sound recordings is owned by Erato/Warner Classics, Warner Music UK Ltd.
All recordings are MONO.

一方第 1 番と第 2 番を合わせた録音の情報はこうなっている。

21-25.IX.1964, Salle Wagram, Paris
Producer: Eric Macleod
Balance engineer: Paul Vavasseur
(p) 1964 The copyright in these sound recordings is owned by Erato/Warner Classics, Warner Music UK Ltd.
All recordings are STEREO.

どっちなのだかわからなくなってしまった。

植村 理葉(Vn), 岡田 博美(Pf)

第1楽章は恐る恐るという感じがするが、第2楽章、第3楽章としり上がりによくなっていく 第2番のソナタではどの演奏も多かれ少なかれこのような傾向があるが、このお二人の場合は顕著だ。 というのも、あの無敵の岡田博美でさえ、第1楽章のある1ページで、テンポが定まらないし、伴奏がはまっていないところがあるからだ (2018-11-26) 。

千々岩 英一(Vn), 上田 晴子(Pf)

なだらかな音色と精密な音程で勝負している。これはフォーレ晩年の作品に対する正攻法であり、成功している。 大いに勧める。 (2018-09-23)

樫本 大進(Vn), エリック・ル=サージュ(Pf)

ピアノが入ったフォーレの室内楽集Alpha 228 の 5 枚め。分売もされている。

第1楽章は歯切れがよい。ピアノのル=サージュもそうだが、ヴァイオリンの樫本もスラーを切ったり、 タイも敢えて切ったりしている。拍節を大事に扱うための考慮した上での対応だったのだろう。 藪に茂っていた雑草が取り除かれ、見通しがよくなったような気がする。 ただ、聞いた限りいくつか楽譜とは違うところがある。ただ、音楽的な違和感は少なかった。 というおとは、おそらく自筆譜に従ったものかもしれない。 というのも、千々岩英一氏はこの第2番の CD の解説で、 楽譜出版社のデュラン社には誤りがあり、千々岩氏は自筆譜も見て比較参考にした、という意味のことを書いていたからである。 ただ、千々岩氏の演奏との比較はまだしていない。

第2楽章は第1楽章とは対照的に、可能な限りレガート奏法を守っている。そのかわりというべきか、だからというべきか、 強弱の配慮が行き届いている。

第3楽章は遅めで、どこかぎこちない感じで始まる。リズムの乱れはヴァイオリン、ピアノともにわずかにあるが、 徐々に気分が乗り情感が高まっていくさまは人間味を感じる。第1楽章の乱入部分は低音を強調し、ソステヌートとして切っている。 これが後の高揚感につながっていてうっとりする。 全体を通して、千々岩-上田盤と同じく、大いに勧める。 (2018-12-31)

未所有かつ未聴の盤

おわりに

どれが一番いいか、という問には答えられない。 ただはっきりと言えるのは、藤川真弓の演奏は勧められない。邦人の演奏なのに残念だ。 (この項まで2004-07-31)

5. 実演を聞いて

ヴァイオリンソナタの第2番を演奏会で弾くヴァイオリニストがいた。千々岩英一さんがその方である。 氏の演奏が1999年12月26日に行われた。期待に違わぬ、すばらしい演奏だった。
このソナタのつらいところは、千々岩さんのいう「老人のたわごと」のような、 どうにもわからないところが多いところだ。千々岩さんはそのわからないところを 真摯に受けとめている。私は録音で何種もの演奏を何十回となく聴いていたが、今回の演奏を聴いて 初めて得心した個所が多かった。具体的には音程の取り方である。平均率からすればピアノの音程とは 違うのだが、そして私が聴いてきた録音もほとんどヴァイオリンは平均率に合わせた音程だったが、 千々岩さんの音はたまにではあるが違う音程を取っていた。確かにピアノの音程とは合わないが、 こちらのほうがひょっとして音楽的に正しいのではないか、そう思った個所がいくつもあった。
その他、フレージング、アーティキュレーション、その他すべてにわたって、実演ならではの息遣いが わかったのは収穫だった。

6. アナリーゼ

https://ameblo.jp/pierottlunaire/entry-12272221683.html に、第1楽章の詳しいアナリーゼがある。

7. 楽譜

楽譜は abcjs を使って表示している。

まりんきょ学問所 フォーレの部屋 > ヴァイオリンソナタ第2番


MARUYAMA Satosi