フォーレの歌曲の最高傑作に「イヴの歌」(Op. 95)があげられることが多い。 「優しい歌」も最高傑作だけれど、「優しい歌」がもっている正直な力強さは、 フォーレの他の曲にはあまり見られない。一方「イヴの歌」は、フォーレ特有の凛とした、粘りを含んだ強さがある。 言い換えれば、外からたとえ「強く」は見えないが、容易に倒れたり崩れたりしない、しっかりした力が宿っていて、 あたかも生命をもったものとして捉えられそうな、そういう形容を意図している。 さて、このような曲に対して、解説をするのはおこがましいことである。 それでも、いくつかの歌について、記す。
まず全体として、イブの歌は2つのテーマから成り立っていることを注意しておこう。 そのうちの一つのテーマは「メリザンドのテーマ」と呼ばれる。これは第1曲、第4曲の冒頭で使われる。
第1曲、最初の「楽園」の出だしは、非常に慎重である。 最初の小節はピアノがEの音を一度鳴らすだけである。 2小節めではこのEをなぞって歌が出てくる。一方ピアノはHを叩いている。 2小節めの3拍裏でそのHを歌がとり、 3小節めもそのHをのばしているとピアノは今度はCをとっている。 このようにピアノが音を主導するという形はどこか「月の光」を思わせる。
4小節めで歌とピアノ両者ともに新しい音Aが出てくる。 しかし、5小節めで新たな音Gを出すのはピアノだけである。 7小節めからは歌が主導する。 ピアノのGを7小節めで受け継いだあとは、 7小節めで新たな音DとCisを導入しているのは歌である。 そしてまたピアノに主導権が移り、Fisが導入され、 次に歌でDisが導入され、...という具合である。 二つ以上の新たな音が同時に鳴らされることはない。慎重といったゆえんである。
このようにして見ていくといくらでも新たな発見がありそうだ。 そういったことの一部は文献や楽譜解説に載っているだろう。 しかし、載っていない何かが必ずある、そんな曲である。
この曲の異例さについては、河本さんの「フォーレとその歌曲」の解説にある。 さらに、曲中でaccel.を指定しているのもフォーレの曲の中では異例であるということだけ、付け加える。
第2曲。 先の河本さんは、フォーレの歌曲「牢獄」や 「消え去らぬ香り」との間にこの曲との共通点を見い出している。 私はさらに「九月の森で」も付け加えたい。 まさにことばの詰まったこの曲をさらりと歌いこなすのは、相当な至難の技であろう。
第3曲。 あと打ちの伴奏が支配しているが、 低音進行はほとんど拍の頭を打つのでさほどとまどいはないだろう。 リズムの取り方が難しい。
第4曲。 伴奏の前半は厳格な4声のバッハ風の前奏曲であり、 後半はフォーレ自身の前奏曲第7番を思わせる、 オクターブと分散和音の合体した歌が展開される。
第5曲。 右手のあと打ちの一定の伴奏音型の中に、フォーレ独自の転調の粋が詰まっている。
第6曲。伴奏の十六分音符の動きが水を模しているのだろう、 その上に歌が乗せられているのだが、 伴奏があれよあれよと転調していく。 歌がなければ拠り所がないほどで、フォーレの転調の真骨頂といえる。
フォーレの好敵手だったドビュッシー、 フォーレのよき弟子だったラヴェルはそれぞれピアノ曲で「水の反映」、 「水の戯れ」という水にちなんだ有名曲を書いている。 この二人、ドビュッシーとラヴェルはどういうわけか音楽史で「印象派」と呼ばれるのだけれど、 音楽ではこの二人しか該当する人がいないようである。 わざわざ六人組を「印象派」とはいわないし、サティやビゼー、シャブリエ、ショーソンもしかり。 フォーレも「印象派」とは言われないが、 やはりフランス音楽の礎となるだけの人はいろいろな曲が書けるのだと妙に感得した次第である。
この第7曲は、後の幻想の地平線の第1曲を思い起こさせる、 幅の狭い高速な分散和音で独自の雰囲気を出している。
こちらはイブの歌のもう一つのテーマが低音で頻出する。 調性とリズムが同一であることから、 夜想曲第 10 番と通じあうところが幽かにある。 しかし、こちらはより表現の幅と力がみなぎっている
「メリザンド」のテーマから始まることでは第4曲とおなじだが、より薄い書法をとっている。 その透明さは、まるでグレゴリオ聖歌の時代に還ったかのようだ。
最終の第10曲である。和声の連打による詠嘆調の作品である。歌には最高音の出番が少なく、ほとんどが低音を占める。 そのためか地味な印象を与える。 しかし、一口に「暗い」ということばではまとめる気に私はならない。なぜだろう。
フォーレ歌曲全集のアメリンクでもうこれはいうことがない、と思っていた。しかし、その思い込みは覆られた
たまたま買ったスゼーのCDに、「活きている水」と「死よ、星屑よ」があった。 聞いてみると結構いい。男声には難しい曲であるという思い込みから少しは逃れられた。
「5つのヴェネツィアの歌」では少しこきおろした表現をしてしまったが、 「イヴの歌」はいい。ただし、ピアノがやや機械的な印象を受けるのが残念である。 私はずっと機械的なフォーレが好きだと思ってきたし、今までその通りであったのだが、 どうもそれだけではないことがわかった。 ともかく、シュミーゲの歌には説得力がある。
坂本知亜紀のソプラノ、丸山滋のピアノによる「イヴの歌」を聴いた(2005-06-30)。 これだけの難しい歌を丁寧に、大事に扱い、歌として作り上げたことに脱帽する。 特に伴奏のピアノはすばらしい。同じ丸山姓だからいうのではない。 全10曲のうちソプラノにしては音域が低い曲(終曲など)があり、そこはコントロールが効きにくそうであったが、 これは聴く側の想像力で補える。だから特段の瑕疵ということにはならない。 (2005-07-03)