フォーレには有名な小品も、また知られていない小品も多くある。 この場でいくつか紹介する。
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エレジー(Op.24)はもともとはチェロとピアノのための曲として作られた。 チェロの代わりに独奏がヴァイオリンになっている版もある。 エレジーは、日本語では「悲歌」または「哀歌」と訳される。
本曲は典型的な三部形式である。ゆっくりとしたハ短調の伴奏の和音の連打で始まり、 チェロは最初静かに同じ節を歌う。メロディーの変化とともに盛り上がっていき、 中間部は変イ長調に転調する。 控えめなメロディーがピアノに、ついでチェロに出て徐々にクライマックスを迎える。 主題に返るとピアノが大波のようなアルペジョでチェロのメロディーを支え、 そのあと力尽きるかのように音も弱くなりテンポも遅くなって終わる。
この曲のほかにもゆっくりとした和音の連打で始まる曲がフォーレには多くある。 歌曲では、有名な 「夢のあとに」や、「牢獄」、 「墓地で」、がある。 チェロの曲では、チェロソナタの第1番の第2楽章や、 第2番の第2楽章などである。 フォーレの得意な作り方であり、傑作となっているのも当然といえる。
チェロの小品(Op.77)。フォーレにしては技巧性の勝った作品である。 フォーレが標題音楽をかくこと自体が珍しいのですが、きっと腕をならしてみたかったのだろう。 もっとも、このような無窮動のような作品は他にも即興曲第5番、 五重奏曲第2番第2楽章の例もある。 せわしく動く両端の部分は、やや型にはまっているような気がする。 中間部の夢見るような雰囲気が聞き所だろう。
チェロの小品(Op.98)。少し異国のにおいがする。 トリルをはじめとする装飾音が多くちりばめられていて、少し泥臭い感じがする。 異国の雰囲気を出すのはドビュッシーやラヴェルにはかなわない、といったところだろうか。
ピアノ伴奏のない2つのチェロの小品。フォーレにしては珍しい編成である。 ピチカートのとぼけた(愛らしい)伴奏がほほえましく感じられる。
チェロの小品(Op. 69)。 上品な甘さが漂うこの曲はフォーレのイメージ通りだ。版が2種類あり、初版はオルガン伴奏で、 「アンダンテ」と名付けられている。
チェロの小品(Op. 81)。 管弦楽組曲「ペレアスとメリザンド」(op.80)の同名の第2曲を、 チェロとピアノのために編曲したものである。オーケストラの弦の細かな動きを、 そのままチェロで置き換えている。チェロでは細かな動きが苦しそうに聞こえるので、 同じ編曲でもヴァイオリンとピアノの編曲をお勧めする。
ヴァイオリンとピアノのための曲(Op.16)。6/8拍子の、同じリズムの穏やかな節がたんたんと歌われる。 なんでもヴァイオリンの名手がこれを弾くと「石をも泣かす」といわれた。 まあこの比喩はともかく、 ヴァイオリンの魅力をやさしい技法で生かしたこの曲はフォーレ入門の曲として最適だと思う。 (1998-07-15)
その後、IMSLP でこの曲の弦楽合奏版を見つけて、仲間で合わせてみた。弾き終わってヴィオラがヴァイオリンに向かってこういった。
「聞こえてくる音を聞くと、音そのものより難しそうに聞こえるけれど」
ヴァイオリンは賛同も否定もしていなかったが、私は「そうかもしれない」と肯定した。
聴いている側からすれば心地よい音の流れなのだが、ヴァイオリンからするとくねくねしていてとらえどころがないのかもしれない(2019-07-01)
ヴァイオリンのごく短い曲。 技巧を出す曲ではなく、ヴァイオリンをよく歌わせることに重点をおいている。 高音の伸びが美しく、ヴァイオリンの特徴をうまく生かしている。 私はこの曲が好きで、よく思い出す。
ヴァイオリンの三部形式の小品。シンコペーションのリズムにのって、 フォーレ特有の旋法の香り溢れるメロディーが歌われる。中間部は 多少細かな動きが伴奏に現れるが、それも予定調和のうちに進められる。
ヴァイオリンによる細かなメリスマ(というのでしたか)があちこちで登場するため、 あまりフォーレらしくは聞こえない。 私はまだこの繊細な音の運びを理解するだけの感受性がないので、 出直す。 (2001-10-22)
まだ聴いていない作品がいくつかある。聴ける日は来るのだろうか。
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