笑ったの? 怒ったの?
童話の視点 「子ウサギと椰子の実」

 「美しい暮らしの手帖」18号にジャータカの話を基にした童話が載っている。「おくびょうなウサギ」という題名だけど、これと同じ話がシンハラ語では「子ウサギと椰子の実」というタイトルで語られている。


シンハラ語QA No-114 2018-May-05 Friday

   敗戦まもなくの時代。長い戦争と空襲ですべてを失った。住む家と毎日の食べ物を求めるのに誰もが苦労していました。そんなときに最先端のファッションと住まいの情報を載せて、生きる哲学を自らで手作りする雑誌が生まれました。「暮しの手帖」です。
 あのころの「暮しの手帖」には「美しい」という言葉が冠に足されて「美しい暮らしの手帖」と題されていました。雑誌名に添えられた「美しい」は昨今の「美しい日本」や「美しきニッポン」ではありません。満腹の時代の安直な道徳や熱烈国家主義ではないのです。
 「美しい」とはファッションと住まいと、自由による生き方を手作りすること。さまざまな人がさまざまなスタイルを提言してそれぞれの暮らしかたをこの雑誌で発表していました。なぜか今、その暮らしぶりが新鮮に映ります。そう、どこか別天地の昔の日本の風景が描かれるベニシアさんの猫しっぽのように。

 「美しい暮らしの手帖」には子供に話し聞かせる童話が毎号載せられていました。昭和27年の第18号は「おくびょうなうさぎ」と題されたジャータカの物語でした。

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 森は壊れるんじゃないか、みんな地の底に落ちてしまうのじゃないか、と怖がるウサギがいた。大きくて重たい果実がそのウサギの寝床の脇に落ちた。大きな音を立てた。「地面が壊れた」とウサギはあわてて駆け出した。
 おくびょうウサギが駆け出したのを見た仲間のウサギも「地面が壊れた」と聞いて一緒に駆け出して森から逃げ出そうとした。「地面が壊れた」という情報はほかの動物たちにも伝わった。いのしし、鹿、熊、虎、象、水牛たちもあわてて駆け出して森から飛び出した。
 この騒動を森の王者ライオンが知った。そして、「地面が壊れた」という噂の出所を辿ってゆき、騒動の発端となったおくびょうウサギにたどり着いた。ウサギは大きな音を聞いただけだから本当に地面が壊れたかどうかは見ていないとライオンに告げた。
 森の王者ライオンは事実を知るためにウサギを背に乗せて森の中の大きな音がしたといおう場所へ行った。
 「地面が壊れた」という場所にたどり着くと、ウサギの寝床の棕櫚の木の下に、いかにも重たそうな、大きな大きな実がひとつ、ごろんと落ちているのを見つけた。
 森の王者ライオンは気づいた。おくびょうウサギは重たい実が落ちた音に驚いて「地面が壊れた」と勘違いをしたのだ。それが騒動の始まりだ。
 ウサギを再び背中に乗せてライオンは動物たちの待っている森の外へ戻って、天地崩壊の騒動が重い木の実が落ちたことに始まったことを話して聞かせた。
 訳を知った森の動物たちは、

「おくびょう兎のために、とんだ目に会った」

と口々に言って、「ぷんぷんおこりながら森の中のお家へもどって」行った。
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 これが「おくびょうウサギ」のストーリーです。
 噂に振り回されるとみんなの暮らしが壊される、という教訓がこの話のモチーフ。
 「おくびょうウサギ」ではうわさに踊らされた森の動物たちは腹を立てます。でも、これは日本での語り口です。同じ物語がシンハラ語でも語られています。
 「おくびょうウサギ」はシンハラ語版で「子ウサギと椰子の実」と題されています。こちらはストーリーは同じでも、だいぶ様子が違います。

 海辺の椰子の木下でまどろむ子ウサギのそばに椰子の実が落ちた。日本語版の「重たい果実」はシンハラ語版では「椰子の実」です。また、椰子の実が落ちる音に驚くのは「おくびょうウサギ」ではなくて「子ウサギ」。子ウサギのために森のj動物たちは我先に駆け出すという騒動に巻き込まれて、事実を自分の目で確かめるライオンの登場で真相が突き止められるところは日本語版と同じですが、その後が違うのです。「地面が壊れる」というガセネタの噂に振り回された森の動物たちは子ウサギに対してぷんぷん怒らないのです。森の王者ライオンも、逃げ回った動物たちも、子ウサギも、騒動のわけをして大笑いするのです。子ウサギもお馬鹿さんだけど、確かめもしないで噂に振り回された私たちも何だね、アハハハハ、とみんなが笑う。
 日本語版とはまったく違う情景が描かれています。椰子の実が落ちて大騒動になったという事の顛末は「怒り」ではなくてみんなの「笑い」で処理されるのです。

ඇත්තටම වී ඇති දෙය අනික් සතුන්ට විස්තර කර දී සිංහයා මහ හයියෙන් සිනාසුනා.

本当に起こったことをほかの動物たちに話して、ライオンは大声で笑いました。
The lion laughed greatly, explaining what had happened to other animals.

 物語の結末はそう語られています。
 ライオンは笑っている。ほかの動物たちも笑う。うわさに踊らされちゃあいけないね、と笑います。
 上のシンハラ文を細かに見てみましょう。 ඇත්තටම වී アッテンマ・ウィーはイディオムのように使われて「本当に」のこと、ここにඇති දෙයアェティ・デヤ「あったこと」が付きます。අනික් සතුන්ට විස්තර කරアニクッ・サトゥンタ・ウィスタラ・カラは「ほかの・動物たちに・説明して」のこと、これを時間の経過、場所の特定を表すシンハラ助詞(ニパータ)のදීディー(=て)で受けて、「ほかの・動物たちに・説明し・」となります。
 そう説明しながらライオン සිංහයාシンハヤーは、මහ හයියෙන් සිනාසුනාマハー・ハィイエン・シナー・スナー、「とても・大きく(大きな声で)・笑いました」、というのが上のシンハラ文の読みと意味の流れです。

 シンハラ文は文の流れのままに和訳できます。シンハラ文は日本語と同じように文節で構成されるからです。文節分けしてみましょう。
ඇත්තටම වී / ඇති දෙය / අනික් සතුන්ට / විස්තර කර දී /
සිංහයා / මහ හයියෙන් / සිනාසුනා.


本当に/ 起こったことを/、ほかの動物たちに/ 説明してから/
ライオンは/ 大声で/ 笑いました。

 日本語版ではぷんぷん怒っているのだけど、シンハラ語版ではみんなが笑っています。
 これなら童話を聞いた子供たちも思わず笑顔になるでしょう。シンハラ語の物語を聞いた子供たちは笑いの中で夜の眠りにつくのです。
 森の王者ライオンは、事の顛末を知ったとき、

පුන්චි මෝඩයා! 「かわいいお馬鹿さん!」

 とウサギに言います。シンハラ語版の作者は、その後に、
 
එවිට තමයි වෙලා තිබුණු දෙය හාවාටත් වැටහුණෝ .
それでその時に起こったことをウサギも理解したのです。

と続けます。

 スリランカの田舎では、こんな情景に出会うことがしばしばあります。アハハハ、と笑って、甘ったるい紅茶を飲んで。そして、また、笑う。
 噂を信じちゃいけないよ。ガセネタ出したやつはしょうもない。日本の「おくびょうウサギ」はヒステリックに社会が動転して、そこに暮らす人々、いや、ここでは人じゃなくて動物たちですが、彼らは怒り出します。でも、スリランカではみんなが笑う。
 「おくびょうウサギ」は昭和27年に描かれた童話ですが、平成30年の日本のみんながぷんぷん怒っている社会状況と同じです。スリランカはこのところとてもきな臭いし、ドロボーも多いのですが、「子ウサギと椰子の実」の知恵は生きています。
 笑って済まして誤魔化しゃ何にもならない? はて、これって、しょうもないかしら?  

【出典】
 「おくびょうなウサギ」 宮本一枝 昭和27年12月1日初版 昭和32年10月20日7版 美しい暮しの手帖 第18号 暮しの手帖社

 හා පුංචි හා පොල්ගෙඩිය / බී. එන්. එස්. ජයවර්ධන
 「子ウサギと椰子の実」B・N・S・ジャヤワルダナ 1984   -----------------

【参考】インドではラナ医師がこのジャータカ物語に理性あふれた解釈を施しています。
 Dr.B.S.Rana
Jakata Tales 2000

"Foolish rabbit! Uselessly you put everyone through so much trouble"
All the animals realized their mistake and how this little rabbit had befooled them.
The little rabbiy apologized to the king and all the other animals for he had put them to trouble because of his foolishness.
No impossible thing is ever true. Use your brains and see with your own eyes never listen to about others say.

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