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QアンドA110
日本語「あいうえお」とシンハラ「アイウエオ」2


日本語「あいうえお」とシンハラ語「アイウエオ」は同じ起源をもつとのことですが、どうも納得いかない。だって、文字なんかまったく違うのだから。


No-110 2017-July-08


   そもそもシンハラ語に文字はありませんでした。紀元前3、4世紀に広くインドに広まっていたブラーフミー文字がシンハラ語に導入され、それが発展、展開して現代のシンハラ文字に定着しました。
 ブラーフミー文字は言わずと知れたインド諸語のオリジン。母音が「アイウエオ」の列で並んで、子音は(正確には子母音)「カサタナハマヤラワ」の行ように並んでます。正確にはブラーフミー音図ではサ行とハ行が音素一覧の後ろに置かれていて、そこが日本語「あいうえお」と違います。ブラーフミー字母でサ行とハ行が後回しになるのは、これらが新しい音として誕生し付け加えられた、というインド言語史上の長い変遷の訳があります。
 ブラーフミーの「アイウエオ」は日本語にも取り入れられました。そこから日本版「あいうえお」が生まれました。

 日本語の字母、音素体系は「あめつち」や「いろはにほへと」で表された、これは日本式音素体系の始まりだ、などと言われることがありますが、「あいうえお」という味気ない理論一辺倒の音素一覧もちゃんと日本語にあります。

日本語の字母とシンハラ字母

 では、ブラーフミー式の日本語版「あいうえお」と「あめつち」や「いろはにほへと」の日本式字母と、どちらが先にできたのかというと、これが案外わからないのです。
 「いろは」や「あめつち」のほうが古い、先にできたと詩情豊かな日本語を尊ぶ側では思いたいところです。卜部兼方が「いろは歌は空海の作」などと鎌倉時代末期に指摘しましたが、文献で初出が確認できるのは承暦3年(1079)の『金光明最勝王経音義』です。
 空海が「あいうえお」を日本に持ち込んだという説がありますが、空海が検討し留学を終えて帰京するのが大同元年(806年)、「天地」「いろは」よりもちょっと早いけれど、この空海説にはエビデンスがない。
 一方、ブラーフミー起源の「アイウエオ」ですが、これは中国を介して梵語という形で日本に流布しました。752年に東大寺大仏開眼供養の導師を務めたのは菩提僊那ボーディセナ Bodhisenaというバラン教徒です。ボーディセナはバラモン教徒とされ、当然ながらブラーフミー文字を操っていたと思われますから「アイウエオ」派です。彼が外国人の悉曇教師として日本の学層向けに「アイウエオ」講義をしたかどうかは不明ですが、もしそうしたことがあれば、こちらは「いろは」「あめつち」より古い時代から日本に「アイウエオ」が日本に紹介されていたことになりますけど、やはりそのエビデンスがない。
 でも、こう見てくると、漠然と日本語の音素はどうなっているんだ?、梵語の音素理論が日本語に適用できるんじゃないか?、などと当時、ということは平安の頃、優秀な日本の学僧の幾人かがひらめいたと想定しても、奈良天平の国際化ダイバーシティ、続く平安の学術豊穣時代という歴史背景を思い浮かべればあながち無理はないかも。

 ということで、とりあえずは、「あいうえお」は音素理論を踏まえた字母、「あめつち」や「いろはにほへと」は日本特有の感性を詩情で歌い上げた字母と分けておきましょう。

日本語の文字とシンハラ文字

   日本語のひらがなとカタカナ文字は漢字の形を崩して簡略化して誕生しました。だから、ここには元の漢字音の残渣が見て取れても文字そのものに音の理論は含まれていません。文字そのものが理論として仕組まれていないので、文字から音素理論を導き出すことはできません。日本語の文字は形が菰し出す詩情が命です。音素の発音は「浄瑠璃早合点」(天保11年)のような”早わかり・浄瑠璃の発声法”のような吟唱レッスン書でないとなかなか教えてもらえません。
 シンハラ語の文字は丸文字ですから、一見、ひらがなの崩し字のように見えてしまうときがあります。でも、シンハラ文字はブラーフミー文字の流れを汲んでいます。だから文字を習う子供たちは文字と一緒に音素理論を自然に覚えてしまいます。それと同時に、発声法を恐ろしいまでに丁寧に指導されますから音素を聞き分ける耳もよくなってしまいます。
 同じ「あいうえお」で言葉を学んで言語を話すようになる日本人とシンハラ人ですが、日本人の耳がなかなか新しい言語を聴き取れず、シンハラ人の耳がやすやすと新しい言語を吸収してしまうのはここに分かれ目があるようです。

 ミヒンターレにカンタカ・チェーティヤという円墳があります。古代のシンハラ王女の墓です。KhasyaRepotの本の中表紙にある縦長のイラストはカンタカ・チェーティヤの祭壇に建てられた柱を表しています。実際の柱はかなり風化していて、柱の上にある象の石像も溶けて崩れて来ましたが、その石像はかなりリアリスティックで、しなやかに丸い象の体形を可愛らしく表現しています。それは、まるでシンハラ文字の柔らかな曲線のよう。
 この近くの岩山の祠に古代のブラーフミー文字が残っています。世界遺産のシギリヤの岩山にもそれと同じようなブラーフミー文字が岩に刻まれて残っています。どちらも西暦前2,3世紀の頃のブラーフミー文字です。この南の島のシンハラ語アイウエオはブラーフミー文字の音素理論から生まれたと思われます。

 ブラーフミー文字はデーワナーガリー、グランタ、カダンバなど、インド各地で独自に発展変化してゆきました。形から見れば角ばった文字群に収斂していく言語と丸まった文字群に展開する言語とに分かれます。シンハラ文字は丸文字系ですから日本語のひらがなに近い。ついでにシンハラ語の文の仕組みも日本語とおなじですから、これはもうほとんど日本語です。