QアンドA104
助詞とニパータの関係を最初に指摘したのは?


 シンハラ語の機械翻訳でニパータを助詞と対照させながら作業が進められていることを知りました。でも、それをマイクロソフトとスリランカ政府で進めていたなんて。そこには日本人の研究者は参加していないのでしょうか?


No-104> 2015-Aug-15


助詞、ニパータという用語①

シンハラ語のニパータと日本語の助詞を品詞として捉えて対応させたのは「日本語 ජපන භාෂාව හා ව්‍යාකරණය (2001年・タランガッレー・ソーマシリ)と『熱帯語の記憶』(2015年 完全復刻版・3巻)、そして『シンハラ語の話し方・増補改訂』(2011年12月・丹野冨雄)があげられます。
 パーリ語に起原を持つニパータ
(不変化詞)という文法用語はまだ日本人研究者の間に浸透していません。英語を介してシンハラ語を研究しているとニパータという用語に出会うこともないので、ニパータというシンハラ文法用語はそうした研究者には縁が薄いのです。今のところシンハラ語研究は殆ど英語を介して紹介されるのですが、本家本元のシンハラ語によるシンハラ語研究もシンハラ語解析の視野に入れておく必要があるでしょう。
 シンハラ文法を通してシンハラ語を見つめようという気運は、まだ、言語学会にはありません。でも、いづれ、そうした機運が高まるでしょうから、そのときはJ・B・ディサーナヤカさんの「シンハラ語の未来」සිංහල භාෂාවේ අනාගතය を一読されることをお勧めします。シンハラ人によるシンハラ語批判がラジカルに、また、肯定的になされています。シンハラ語によるシンハラ語研究を考慮に入れてこそ日本語によるシンハラ語研究も、(私たちの日本語にとって!)有意義なものとなるでしょう。

※「シンハラ語の話し方」(南船北馬舎刊)は絶版になりました。
これに代わって著者の個人出版社Khasyareport/かしゃぐら通信から「シンハラ語の話し方・増補改訂」(紙の本、電子書籍)が発刊されています。旧版はkindleの電子書籍でお求めになれます。
   


  

 『熱帯語の記憶』(紙の本は廃刊・現在キンドル版で復活)で、シンハラ語のニパータ「ナム」は日本語の助詞に該当し、強調や条件という意味があると指摘しました。それは2000年のこと。その頃は反論が渦巻いて「素人は口を挟むのを止めなさい」といったことを囁く時代だったのですが、いまでは反論した方々も口を閉ざすようになりました。シンハラ語の扱いが変化を始めたことがこうした些細な事からも覗いています。

 「あなたが行くなら条件、私だって強調行くわ」という日本語の表現をシンハラ語では「オバ・ヤナワー・ナム条件、ママ・ナム強調・ヤナワ」と言います。『熱帯語の記憶』で始めてこの文を紹介し、今年公刊した『シンハラ語の話し方』でも例文解説に掲載しました。この「ナム」の二つの用法はシンハラ語では日常会話のレベルで浸透しているのですから、これを日本語の「なむ」に対応させ比較することは日本語研究者から出てきても不思議はなかったのですが、当時はそうした状況はなかったのです。そこにはシンハラ語と日本語とを取り巻く言語学の常識という無粋な壁がありました。また、学会の師弟関係という閉ざされた縦のラインもあります。研究の場を与えられないのです。


助詞、ニパータという用語②


 言語学では”シンハラ語のニパータと日本語の助詞を比較する”という言いまわしを使いませんが、ニパータと助詞を形態素と呼びながら比較研究する傾向は2000年前後から現れるようになりました。
 2003年3月に横浜国立大学で開かれた言語処理学会第9回年次大会で報告された「日本語-シンハラ語における格助詞相当語の対応について」Nayana Elikewala, Samantha Thelijjagoda, 池田尚志(岐阜大学)、また、安田女子大学の宮岸哲也が取り組む日本語とシンハラ語の形態素の一連の比較研究、TA格主語の対比、文構成の研究は、日本語でなされたシンハラ語研究の代表的な存在となるでしょう。宮岸哲也はこの春の総括的なシンハラ語論文で、注意深く避けていたニパータの用語を用いてもいます。コンピュータ翻訳関連のレポートではニパータの用語を文法区分として用いていましたが、言語学ではこれが初出です。
 日本語の疑問の助詞、シンハラ語の疑問のニパータを共にQマーカーと呼んで比較検証したDecomposed QuestionsPaul Alan Hagstrom 1998は注目に値する論文です。Paul Alan Hagstromはおもに日本人研究者のシンハラ語に関する論文を批判検討する中で、日本語とシンハラ語対応研究にユニバーサル・グラマーの視点から新たな地平を切り開いています。2chanでは彼の論文をパクリと評しているようですが、正面からシンハラ文法に取り組むことで、明瞭に日本語文法との対比が試みられています。


 シンハラ語のニパータ---西洋流の言語学では形態素、morpheme、markerと呼んでいますが---と日本語の助詞---言語学ではこれも助詞とは呼ばず形態素のように呼んでいますが---の比較研究は統語論・意味論からの研究が先駆的にいくつかなされています。例えば、日本での宮城哲也のTA格主語に関する形態素研究はこの分野での代表的な論文と言えます。その解析には膨大な資料を扱わねばならず、形態素のすべてを一人の研究者が仕切るには量的な問題が出てきます。
 一つの形態素を、例えば「か?」という疑問を表す形態素markerを--->疑問を表す形態素markerなどとまだるっこしい言い方をして申し訳ないのですが---この「か?」をシンハラ語の形態素「ダ?」に比較して202ページの論文に仕上げたのはHagstromですが、そうした執着心と時間と---彼は金もかかると暗示しています---を費やすに足る環境が整う必要があります。
 「ナム」に関する言語学的研究はいまだ日米の研究者から、また、シンハラ人の研究者からも出てきませんが、近いうちに「なむ」に関する研究論文がHagstromの「か?」に関する論文のように英語版で公表されることでしょう。日本語の疑問詞「か?」を 'Q' morpheme と呼んで日本語の疑問文構造を解き、そこからシンハラ語の疑問文を解析する研究がなされたことを思えば、また、その解析に「かかり結び」という日本語の法則が用いられていることを思えば、シンハラ語を介しての日本語研究というパターンが今後増えてくることも想定されます。
 日本人と米国人による日本語研究のコラボレイトが日本の国語の文法規則を介してなされるという国際化は国語学者には想像のできないことだったでしょう。日本語とシンハラ語を比較対照することで---Hagstromの場合、ここに沖縄方言(沖縄語の朱里方言)も加えて---言語に普遍の理論を導き出すという手法が登場するなど想像だにしないことだったでしょう。

シンハラ語研究の業績を踏まえて新たに日本語とシンハラ語にかかわる研究を展開し、新たな視野を持った普遍的な言語理論を組み立てるのは一体だれで、一体いつで、一体それは何処から出てくるのでしょうか。楽しみです。(2005-09-11)
------------------

 2015年3月に「日本語とシンハラ語における動詞構文とその格標識の対照研究」(宮岸哲也)が発表されました。宮岸シンハラ語は日本語研究の業績を基盤に据えて徹底的に言語資料を収集し、比較し、対照するという手法を長年貫いている。彼のシンハラ語研究の集大成と言える内容。日本でのシンハラ語研究は近年盛んで、特に無意志文、授受動詞、格範疇に関する研究で学位を取る論文が増えていますまた、一方ではマイクロソフト社による機械翻訳システムの開発が英語との間で進められ、それに応じてシンハラ語文法の新たな解析がシンハラ人自身によって行われています。これが日本語とシンハラ語の機械翻訳の開発へ波及していることから、この分野からの日本語とシンハラ語の対応関係が新たに見出される可能性も出てきました。すでに2006年の時点で情報処理の分野では日本語の文節bunsetsu文法によるシンハラ語の翻訳処理が進められています。機械翻訳システムの構築に宮岸のシンハラ語解析が貴重な基礎資料となるでしょう。(2015-July-08)