聴いた、観たかった(泣) ---淡々と音喰らう日々。 標題のわけはこちら
2000.07.01-31
★は借りた新着、☆は新規購入。
今回集中的に論評したディスクなど:
またもキーボードと80年代について
Victor Jaraのこと
敷金はやっぱり返してもらうべきだと思う
気になるTV番組、といっても子供向け中心、おまけにもう情報古いかも
7/1 ジョイス Joyce: 2 em 1 "Feminina" "Agua e Luz" (EMI-Odeon Brasil, 1980, 1981/1993)
夏に向かうぞ。と思うのはオリエンタリズムか。いやいやこれらのアルバムのテンションの高さの比喩としてある「夏」。とは毎年言ってる気もするのだがまあ。7/2 トニーニョ・オルタ Toninho Horta: "Moonstone" (Verve, 1989)
マノロ・サンルーカル Manolo Sanlucar: "Locura de Brisa y Trino" (Mercury, 2000)深夜、子供が寝静まったあと、ようやくオトナだけで積もりに積もった案件を処理する時間。引っ越しはすぐ目の前(当然スケジュールは完全ビハインドである。ああ)。
7/3 Toninho Horta: "Durango Kid" (Big World, 1993) "Durango Kid 2" (Big World, 1995)
仕事に向かうために自らを落ち着けたいと願って選曲する、ってのはそもそもが間違ってる気がする。これら2枚にしてもそこに収まるようなものでないのは言うまでもなし。7/4 先週見知らぬ女性の肩(おそらくは)をぶつけられた左肋骨近辺の痛みが収まらない。笑うとかクシャミするとかでも痛むので不便この上ないため、午前中は外科へ。診断は「肋間神経痛」、つまり骨折は免れたらしい。運動もろくにしてないのに骨格だけは生まれつき丈夫なのが、今回も幸いしたようだ。
午後の出勤まで僅かに空いた時間で楽器屋に寄り、キーボードスタンドを買う。転居先ではようやく楽器を広げられる目処が立ったので。クロサワがギター&弦楽器専科に走ったのに対し、ここイシバシはキーボードとその周辺アイテムを厚く揃えている。棲み分けはこんな風に進むのだなあ。しかしイシバシ、どーゆーわけかBGMにWham!: 'Club Tropicana' (実は結構好き), Ralph Garrett(綴りOKか?): 'New York City Nights' (田原俊彦「哀愁でいと」原曲、と言うのと今やどっちが通りがいいのか?), しまいにゃOlivia Newton-John: 'Physical'。おいおい何時代だ? 客ついて来るのか? んー、今どきキーボードに肩入れしてる楽器店というのは、裏を返すと今でも80年代の追憶に生きてるってことなのかも知れん。ううむ。
7/7 昼頃から台風の影響が顕著になるが、夕方に髪切りの予約を入れてあるのだ。今日を逃すとまたいつになるかわからないので風雨強まる中強行。案の定キャンセルしたお客が多かったようで、スタイリストI氏と自分のみというくつろぎのカットタイムに。すかさず、Hermeto Pascoal: "So Nao Toca Quem Nao Quer" (?, 1987/Intuition, 1991)を掛けてみる。所々叫んだりしてるのも含め結構好評。美容室的には結構いける音かも。ちなみにこの日それまで掛かっていたのはKobaのベスト盤、というかリミックス盤らしく、あの「お手軽イージーリスニングだけど技は十分あるよ」系なKobaからは一歩突き抜けたエキセントリックな音が結構聴かれて、これはこれで楽しい。
ビクトール・ハラ Victor Jara: "Viento del Pueblo" (Monitor, ?)☆
Copyright表示がないってことは海賊版、じゃあるまいなCD NOWだし...というのはさておき。
彼の名を初めて見たのは、彼の本国チリではなくブラジルはIvan Linsがカバーした'Te Recuerdo, Amanda' (「思い出すよ、アマンダ」)だった。せつなく美しいメロディに乗せた、静かな語り口ながら戦争/紛争を憎む歌詞に釘付けになったっけ。そうこうするうちに、もう一つ彼の曲に出会った。'El Derecho de Vivir en Paz' (平和に生きる権利)。酒井俊さんというジャズ・ボーカルの人の自主制作盤に入っていた。歌詞は日本語で、全く違う内容のものが付いていたが、それはそれでまた争いを強く憎むメッセージを孕んでいた。かくて、ビクトール・ハラは自分にとって必聴のアーチストとなったのだが、何を聴いていいのかわからないのでとりあえず入手したのがこの盤。貧しい民や労働者たちの苦しみや願いを直接的に歌った歌詞は思っていたよりずっと社会主義的色彩が強いのだが(ホー・チミンへの連帯を歌ったりもしている)、それが民衆による政府を望んだ、当時(60年代半ば〜70年代前半)のチリに住む彼らのリアリティなのだ。決してイデオロギーに流され過ぎない、シンプルで力強い言葉選びがそれを伝える。そして、やはりシンプルで力強いメロディ。つまりこれは言葉本来の意味での「フォーク・ソング」(民の歌)なのだ。ベトナム反戦を叫んでいた頃の米国のフォークと同じように、いやそれ以上に切実に。前から思っていたけれど、その意味において70年以降の日本の「四畳半フォーク」は全くの詐称なのだ。どうしてあまり言われてないんだろう、それが不思議。
ビクトール・ハラのバイオグラフィを調べてみる。あまりに悲惨な最期に暗然とする。こうやってなぶり殺した軍政の背後には米国の利権があることが確実なだけに、なおさらに。
7/8 聴いた、観たかった。(泣) ご存知モーツァルト『フィガロの結婚』日本語版(高橋英郎訳・総監督)@新国立劇場・中劇場に行く予定だったのだが、息子が一人祖父母の元で待つのを拒絶、仕方なく私が居残ることに。ああしかしこれがえらく面白かったそうな。ちい。と大人げなく根に持つ私である。
祖父母宅=我が実家で留守を待ちながら、またまた増えているコレクションからフィリッパ・ジョルダーノ Filippa Giordanoを引っ張り出して聞いてみる。何というか、エキセントリックなエンヤ、みたいなポジションだと思った。奇跡のポップ・ソプラノとか言ってるけど、単に声が鍛え足りないようにしか聞こえない箇所も結構あるし、それを「ポップ」という言葉で釈明されても、という消化不良感は残る。今後どこまで練り上げていけるかは微妙だなあ。
東儀秀樹 "togism 2"
何故かあまりネガティブな印象を持たないで聴けるのだな、東儀は。非常に練れた量産型のニューエイジなんだけど、その練れ具合と開き直り方がいいのかも。篳篥を邦楽的な先入観から解き放ったという意味では、風通しのいい音とも言えるか。7/9 The Beach Boys "Pet Sounds" (Capitol, 1966)
XTC: "Apple Venus Vol.1" (Idea, 1999)妹に車出してもらってホームセンター巡りなどする。ホームセンターって滅多行かないけど、実はモノがあまり安くないのね。これならハンズのほうが品揃えも多いし電車でアクセスできる分いいかも。で結論: ホームセンターはマイカー派の休日ドライブを兼ねたレジャーとして存在する、と見た。
それはそうと、車でFM聴くなどというのも久々。丁度夕方J-Wave「サウージ・サウダージ」のレニーニ Lenine 特集を途中から。新作に収録らしい'Jack Soul Brasileiro' 面白い!ダニエラ・メルクリ Daniela Mercury の新譜に書いた曲も良好。レニーニ新譜はそのうち入手だな。ダニエラのフォローも先送りしてたけどまたチェックしてみようか。Ella Fitzgerald & Louis Armstrong: The Best of... (Verve, 1997)
Manolo Sanlucar: "Locura de Brisa y Trino"
Milton Nascimento: "MILTON" (A&M, 1976/Verve, 2000)7/10 今日から暫くは海外関係会社からのメンバーを迎えて会議、自分はそのコーディネート兼通訳を仰せつかる。何とか国内出張の同行は免れたが、東京にいる間はほとんど張り付くことに。Hermeto Pascoal "So Nao Toca Quem Nao Quer"で自分にキック入れつつ出社するが、結局一日中眠気と闘いながらの通訳補佐。夜は夜で歓迎の宴&宿泊先への送り届け。
Victor Jara: "Viento del Pueblo"
7/11 海外メンバーは本日国内出張。というわけで緊張の糸ぷっつりと切れて10時頃まで寝倒す。行きがけVictor Jara途中で電池切れる。
7/12 今日もちょっと寝坊。Hermeto Pascoal: "So Nao Toca Quem Nao Quer" でカンフル。
7/13 Milton Nascimento & Lo Borges: "Clube da Esquina" (EMI-Odeon Brasil, 1972/World Pacific, 1995)
今日は海外メンバーの若手2人を連れて夕方から観光案内。浅草散策してスキヤキ。来日後ついに座れたという畳の上で無邪気に寛ぐ彼らを見るとこちらも何だかホッとする。せめてこういう、日本ならではの楽しみがないと、時差ボケをおして連日の会議も辛いよなあ。
7/15 一日中何も聴かない土曜日。忙しかったあ。新居側での準備とか色々。
7/16 明け方、Flavio Venturini e Toninho Horta (Dubas Musica, 1989)を聴く夢を見た。自分の知っている具体的な曲を聴く夢というのは実は稀で、むしろ「いいじゃない、この曲、なんての?」って言いながら目が覚めてしかも憶えてなくて地団駄を踏むというパターンが多い。しかし、ここんとこ忙しくて何を聴こうか考える気力すらなかったから、夢のほうからお告げか。そこで夕方帰宅後にこれを聴いてみる。...体が軽くなるような気分。
Marisa Monte: "A Great Noise" (Metro Blue, 1997)
7/17 Caetano Veloso: "Livro" (Mercury, 1997)
恒例の納涼盤。7/20 祝日は引っ越しの梱包作業の日。「梱包おまかせ」も業者に頼んだのだが、結局貴重品使用中の物など自分でやらねばならぬものが多く忙しい。The Beach Boys: "Pet Sounds" から息子のお気に入りトラック3つばかりをリピートさせておく。作業に集中できて良い。
7/21 引越当日。難航。ワードローブが予定した部屋まで入れられないことが判明し、急遽レイアウト変更したり。18時にようやく搬入完了。部屋は段ボールの山。
Hermeto Pascoal: "So Nao Toca Quem Nao Quer"
Flavio Venturini e Toninho HortaCDは6枚程度を手許に残してあとは全部梱包してしまった。まあ数日中には開梱できるだろうし、との読みで。これが実は甘かったのだが。
7/22 旧居の退去確認。大家(といっても中堅の管理会社)と大ディベート1時間半。大体、家具を置いた場所の壁面のクロスが、家具の跡に沿って若干色が変わってるくらいで「これはお客様のご使用による汚れですから」って言いぐさはあるまい。自然損耗が原状回復の対象にならないのは法解釈の常識。そんなこと言うなら入居時に「家具は置かないこと」と言っておけ(笑)、てなもんである。
引っ越しの応援に泊まりがけで来ていた義父が、我々夫婦より先に「あんたらの言うことはおかしい」と切り出したのには驚いた。私達のように法律面の予習をしていたのかと聞けば、さにあらず。自然損耗分は大家の負担というのは、彼の地では常識なのだった。そう、要は、法を棚上げに貸す側の横暴がこれほどまかり通っているのは東京圏だけってことなのだ。しっかりしろ東京人。
Flavio Venturini e Toninho Horta
Disney Classics Vol. 1 (Walt Disney Records, 1995)7/23 ようやく片付き始める段ボールの山。PCもセット完了。といってもラックは仮設。首と腰に負担がかかるのでろくにキーボード叩く気にもならず。
ここのところずっとコクヨだの岡村だののSOHO家具カタログ(含むオンライン)見てるのだが、結構色々あって安い。ただ、色々ある割にシックなものは少なく、安いんだけれど「安かろう安っぽかろう」という見た目のモノではちょっとどうか、と。長く使おうと思ってるだけに決めかねること著しい。Flavio Venturini e Toninho Horta
Manolo Sanlucar: "Locura de Brisa y Trino"7/24 Flavio Venturini e Toninho Horta
とにかく毎日うだるような猛暑、いや酷暑。部屋が片付かないと心も重く通勤、しかし来期予算の追い込みなのでそんなこと言ってる場合でなく身を粉にして働くべし働くべし。
7/25-26 Hermeto Pascoal: "So Nao Toca Quem Nao Quer"
CDを他のにして気分変えたいよー、と思いつつ平日は開梱が進まないのでかなわぬ願いである。あああ禁断症状。
7/27-28 Flavio Venturini e Toninho Horta
で、
7/29 うおおおやっとCD開梱、ステレオ設置。何故か1発目はThe Doobie Brothers: "Minute by Minute" (Warner, 1978)。乾いたドラムスのソロにブルージーなピアノが軽快に絡んで始まる風情はちょっとDr. Johnのようでもあり。いやーしかし、コンポの音がすると落ち着くー、ってこりゃ病気か。いやいや、違うと思うのだ。以前も書いた気がするが、ヘッドホン耳に突っ込んで通勤の行き帰り聴くというのは、代替行為かつ同時にやむを得ぬ効率化なんであって、本当の音楽は空気のなかを何メートルかふわっと伝わって来ないと意味がないのだ。
続いてボルテージを高めるべくIvan Lins: "20 Anos" (Som Livre, 1990)ライブ盤で煽る。7/30 クウガ、タイムレンジャー、TRICK。我が家で注目されているドラマ3本。何だお子様用が2本も入ってるじゃないか。だが、どーでもいい惚れた腫れたの底の浅いドラマ見るくらいだったらずっといいです「未来戦隊タイムレンジャー」(テレ朝系日曜朝7:30-)。この5人組スーパー戦隊シリーズってここのところ低調だったみたいで、2000年を機に制作側も随分力が入っている。役者はいつも通りちょっと大根だが、5人それぞれが抱える成長物語の絡み合いを書き込んだ脚本はなかなか。初期ウルトラマンシリーズのドラマ的側面が今でも語りぐさになるように、タイムレンジャーは今の子供たちが大人になってから様々語られるかも知れません。注目。
一方「仮面ライダークウガ」(テレ朝系日曜朝8:00-)は、実はドラマの骨格自体は旧態依然のヒーローが人類救う使命を一身に背負うってやつなので、よーく見てるとちょっとオトナには辟易する部分あり。ただそれを補って余りあるのは、凝りまくったディテール作りだ。よく考えたなあと思う超古代文字、敵方の不可解な言語(「ゴズンバグワザザ」みたいな)のしかも字幕なし放映、一癖も二癖もある脇役の人物造形、更にはカメラワーク、陰影の使い方、そして何より東京を撮るのが上手い。そうそう、主役が生身のときはヘラヘラしたにこやかな男ってのも、今までにあまりないパターンで面白いし。
「TRICK」(おお、これもテレ朝系だ。金曜夜23:09-)だけは大人向けだが、うーん最初3回がすごく面白かった。教祖様の超能力のカラクリを暴く話だったのだが、信者たちの心の内をリアルに描き出しつつ、暴いたからって何も解決されてないとするオチは重く応えた。これ以降ちょっとテンション落ち気味に思えるのが惜しい。
さて、と。日曜の朝を満喫するべく、Everything But The Girl: "Worldwide" (Blanco y Negro, 1991), Basia: "Time and Tide" (Epic, 1987), そして何でやねんのLos Del Rio: "Fiesta Macarena" (BMG, 1996)と続く。
7/31 Pat Metheny Group: "Letter From Home" (Geffen, 1989)
XTC: "Wasp Star - Apple Venus Vol. 2" (Idea, 2000)晴れた空が高く抜けて、すじ雲がかかる。先週は死ぬほど暑かったけど、今年は秋が来るのが早いのかな。
Caetano Veloso: "Livro"
Lo Borges: Meus Momentos 2CDs, Disc 1 (EMI, 1999)
「銀河」(Via-Lactea)という名の曲を聴きながら、せめて残りの夏を十分に味わいたいとの思いを新たにする。今週が終われば夏休み。
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