■新今村駅第2展示室

ゲスト:瀬戸鉄道倶楽部 山田司様、鈴木裕幸様

名鉄の希少車両、600V車編です。今回は特に当サイトの対象線区である旧三河鉄道のデ400形(名鉄モ3100形)であったク2101形の作品を瀬戸鉄道倶楽部様にお願いしましたところ快諾をいただきました。さらに、モ401号の現役時代など初公開の作品を含め多数のご提供をいただき、充実したラインナップでご覧いただけることとなりました。(特記のない作品は開設者の撮影です。)

(注) 拡大画像はJava Scriptを使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。



名鉄の希少車両  その2:600V車両
ク2101(1)
三河線の前身、三河鉄道から編入されたモ3100形の電装を解除したク2101

この電車は、鉄道省出身の異端児で、三河鉄道時代にはデ400形を名乗り、その後はモ3100形として活躍していました。瀬戸線時代にはTc化され、ク2101となり、1973年の廃車まで長い間モ759とペアを組んで活躍しました。最後まで車内は木目のニス塗りで、ドアエンジンは装備されておらず、車掌さんがドアロックを忘れてしまった時には、走行中扉が全開になってしまうこともありました。
 本当にのんびりとした時代で、せと電の匂いを色濃く残した車両であったことは間違いありません。

写真:山田司様 文:鈴木裕幸様

走行中に扉が全開ですか・・・。今なら新聞ネタになりそうな「事件」も当時の瀬戸電のお客さんにはさして不思議なことではなかったのでしょう。(碧)

ク2101(2)
ク2101の貴重なカラー写真

入線当時の瀬戸線には個性派雑形車が揃っており、その中にあってこの車両は比較的スマートな印象を与えました。当線では珍しい全室式運転室を備えていたことや、入線後しばらくの間、本線系ダークグリーンのまま運用されていたことも新鮮に映りました。
 ただ、乗務員扉が付いていなかったり、台車中心が極端に車端寄りであったりという点など、ローカル色が見え隠れしていたことも否めません。1973年の瀬戸線全車自動扉化で廃車となりました。
 後述のク2191共々私の高校1年生の通学まではよくお世話になった車両です。今にして思えば、もっと記録しておけばよかったと後悔しています。

写真、文:山田司様
ク2191(1)
1970年代の瀬戸線では最も小型であったク2191が堀川駅に佇む。

1930年、広見線の前身、東美鉄道のデボ100形として製造されました。
 鉄道線車両としては非常に小柄な車両で、せいぜい14〜15m車が主役の瀬戸線にあってもひときわ小さく見えましたが、側面の一端に楕円窓をもっていることが大きな特徴で、存在感を主張していました。
 しかし、1970年代当初には当線のラッシュも激化しつつあり、朝の運用に不向きなこの車両では車掌氏が手動ドアを閉め切るのに四苦八苦という光景もよく見られました。お堀の景色によく似合う車両でしたが、1973年の瀬戸線全車自動扉化で廃車となりました。

写真、文:山田司様
ク2191(2)
瀬戸線の最小型車「チビ」ことク2191

この1973.8というのは、瀬戸線にとって忘れられない夏となりました。青電15両のうち11両が廃車や揖斐谷汲線への転属で一掃、残った4両も自動扉化されたのです。代わって瀬戸線初の全鋼製17m車、3700系5編成が入線(600V化改造)し、瀬戸線近代化の先駆けとなりました。しかし、制御方式に関してはHLに逆戻りしてしまい、600V化による出力低下もあって3700系の運転面での評価はあまり芳しくなかったようです。

写真、文:山田司様
ク2326(青電時代)
サンチャインカーブと呼ばれたR60急カーブをゆくク2326+モ703。

鉄道線全国一と言われたR60の急曲線、通称「サンチャインカーブ」は、かつてのお堀区間のハイライトシーンでした。それがどんなカーブかといえば、制限25km/h、隣の車両が明らかに「折れ曲がっている」状態が窓越しに見えた、という表現で想像いただけるでしょうか。
 「サンチャインカーブってどういう意味?」という質問を瀬戸鉄道倶楽部によくいただきますが、ちなみに「サンチャイン」とは、「チャイン」=「チェイン」という単位(約20m)が訛ったもので、「60m=3チャイン」というのが語源らしい、とは、元瀬戸線職員某氏からこっそり教えていただいたお話です。

写真、文:山田司様
ク2326(瀬戸線スカーレット)
600V車両唯一の高運転台改造車、ク2326の瀬戸線時代

生まれは愛知電気鉄道の電7形(1926)で、名鉄モ3200形となった後、電装品を3730系などに譲ってク2320となりました。中でもこのク2326は600V車唯一の高運転台改造車でした。
 中学生時代の撮影仲間達と瀬戸線を初めて訪問したときのスナップですが、ク2326よりも新しいのに古めかしい連結相手のモ703号のほうにしびれてしまいました。モ703とペアを組んていたことが幸いしたのか、昇圧時には当然廃車の予想を覆し、動く機会が少なかった青電、モ702+759編成共々揖斐・谷汲線へ転属し、以降19年も生きながらえたのは驚異です。

ク2151(1)
瀬戸線からの転入車両が稼働を始め、余命わずかとなった頃のク2151。

1978年夏、揖斐・谷汲線では瀬戸線の1500V昇圧によって転入した5両に追われる形で引退を迎えた車両がありました。モ756の電装解除によって制御車となったク2151もその1両でした。
この写真は瀬戸線から転入した車両の一部が整備を終えて走り始めたとの報が入り、彼らに会いに行った時のものです。廃車予定の車両では当日唯一動いていたものですが、もう少し早く訪れていればモ760形や緑色のまま残っていたク2181形も撮ることができたでしょうに、今さらながら惜しいことをしたものだと思います。

ク2151(2)
揖斐・谷汲線で元気で活躍していたク2151。

このク2151は、1973年8月に瀬戸線の車両が揖斐・谷汲線に転入する以前には、制御方式が間接非自動のHL方式でした。マスコンはモ510形と同様の、WHタイプ15B主幹制御器を装備して、元瀬戸電モ560形(モ760形)など、HL車と編成を組んでいました。
 その後、AL車とも編成が組めるよう、谷汲寄りの運転台には、ALマスコンを装備し、忠節寄りにはHLマスコンを装備する時代がありました。つまり、制御車でありながら両運転台車ということになります。晩年には、主にモ751と編成を組むことが多かったように記憶しています。
 蛇足ですが、このク2151とモ752には、側面窓の保護棒がなく、後から瀬戸線より転入してきたモ700形やモ750形と区別できます。

写真、文:鈴木裕幸様
モ401(現役時代-1)
谷汲線で活躍していたモ401

1952年、4輪単車であったモ110、111の2車体を利用して改造された名鉄初の連接車です。試験的な改造工事でしたが、コストが嵩むため仲間が増えることはありませんでした。
 本企画のために山田司さんが撮影された谷汲線をゆく現役時代の貴重な作品をご提供いただきました。

写真:山田司様
モ401(現役時代-2)
モ401

瀬戸線沿線育ちの私にとって、名古屋本線のずっと向こう側にあるもう一つの600V線、揖斐・谷汲線は未知の世界でした。(本記事公開から)28年も前の夏、私が初めて谷汲線を訪問したのは、引退間近なモ401に会うためでした。名鉄には珍しかったこの連接車は、相棒に小さなボギー車モ180形を連れてやってきましたが、このコンビは妙に息が合っていたように思います。
 当時、りっぱな木造駅舎の谷汲駅には駅員さんがいたことや、木立の中に結城駅があったことを除けば、谷汲線沿線の風景は余り大きく変わっていないように思います。淡々と年月を過ごしてきた谷汲線は、淡々と消えていくのでしょうか・・・。

写真、文:山田司様
モ401(静態保存)
岡崎南公園に静態保存されているモ401。

当車は揖斐線の前身、美濃電気軌道セミシ64形として登場して以来、1973年にお別れ運転が行われるまで生涯を揖斐・谷汲線で過ごしました。しかし、廃車後の1974年2月、なぜか名鉄ということ以外は縁もゆかりもない愛知県岡崎市で保存されることになりました。
 入試を終えた直後、同車に会いに行きましたが、それももう(本稿公開時にて)20年も前のことです。黒野駅があった岐阜県大野町へ戻してやりたいと思うのは私だけではないでしょう。

モ531(元北陸鉄道金沢市内線2100形)
岐阜市内線の1形式1両であったモ531。

モ531が1形式1両モノとして浮上した由、しかもどうやら私のネガの中に写っていたようですね。
 初めての訪問で市内線から忠節駅に降り立った時、新瀬戸に少し近いイメージを感じたものの、鉄道線と軌道線双方の車両が行き交う光景に新鮮さを覚えたものです。路面電車にはとりたてて興味がなくても、その新鮮さからシャッターを押したところ、たまたまそこに531が写っていたというのが本当のところです。
 思い出を語るほどの記憶はありませんが、馬ヅラに左右非対称(点対称)の車体で、路面電車としてはちょっとクセがある車だな、と感じたことぐらいでしょうか。
1973.8  忠節

写真、文:山田司様

●希少車両の魅力

2編を通じて集めた車両達の車歴を思い浮かべると、事故、火災、廃線、大手術(改造)など波乱を経験しているものが少なくありません。仲間とは違うけれど、ひとり風雨にさらされながらがんばり続けた彼らに単なる珍しさよりも人間臭さのようなものを感じます。
 若手の方にはなじみの少ない車両が多かったかと思われますが、ネット上にはこれらの車両について詳しく紹介したサイトがどこかにあるかもしれません。関心を持たれましたら検索してお調べいただき、彼らが元気で活躍していた姿を想像していただければ幸いです。


●謝辞

瀬戸鉄道倶楽部、山田司様、鈴木裕幸様には貴重な作品と共に瀬戸線沿線利用者ならではの解説をいただくなど多大なるご支援をいただきました。谷汲線のモ401については現役当時の作品を所蔵されているとは思わず、この機会に碧電で公開してはとのお申し出に感激した次第です。2001.9.30、ついに谷汲線が廃止されましたが、同線の名物であった連接車、モ401の走行写真を公開させていただくことはたいへん意義深いことと思います。
 また、岐阜市内線のモ531は鈴木さんが1形式1両であることに気づいて保管中のネガからお探し下さったものです。撮影された山田さんは撮ったことすら忘れていた作品とのことで、何気ないスナップが後々貴重な1コマとなる好例といえます。
 最後に、帰宅後、お疲れのところを快くご寄稿いただきました両氏に厚くお礼申し上げます。(01.9.30小修正)


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