■新今村駅第1A展示室

21.11.28 更新
 さようなら特急北アルプス(1)

文字マーク時代の特急「北アルプス」
文字マーク時代の特急「北アルプス」
特急「北アルプス」は1965.8.5、準急「たかやま」として運転を開始して以来36年余りの間、電鉄会社の気動車、国鉄並の塗装、3社直通運転、地下駅に入る気動車、併用軌道区間の走行(犬山橋付近)など、そのユニークな存在は話題に事欠くことがありませんでした。しかし、近年は乗客数が低迷し、残念ながら2001.9.30限りでついにその歴史にピリオドを打ちました。
 今回は西野伊吹さんから急行時代の「北アルプス」など高山本線らしい作品をお寄せいただきました。画像数の増加に伴い、キハ8500系は別ページとしました。



(注) 拡大画像はJava Scriptを使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。


急行「北アルプス」
高山線内をゆく急行「北アルプス」

第一飛騨川橋梁を行く急行の頃の「北アルプス」です。ここは、雑誌にも紹介された場所ですが、最近、行ってみたところ、樹木が伸びてしまい、この角度での撮影はできないようです。

写真、文:西野伊吹様

矢作川を渡る8101
グリーン車を普通車に格下げ改造したキハ8100形

60D号の先頭に立った8101です。中2の夏休み、ご親戚宅から自転車で撮影に行かれたものだそうです。同車は1等車(現グリーン車)キロ8101号として製造されましたが、あまり使われないうちに一般車に格下げ改造されました。窓の数が多いのが特徴です。

写真:Yama-nin様
急行塗り時代(3)
三河線を越える築堤を登る急行塗り分け時代のキハ8000系

三河線をオーバークロスする築堤を登る急行塗り分け時代のキハ8000系です。私もこのポイントに立ったことがありますが、土曜日の午後か日曜日に限られていた撮影活動中、1才違いのYama-ninさんと当時一度もお会いしていないのが不思議なくらいです。

写真:Yama-nin様
犬山うかい号
特急「北アルプス」の折り返し運用「犬山うかい号」

この頃、神宮前へは16時代に戻って来ていて、堀田へ回送されて折り返し、169D新鵜沼行き特急となりました。鵜飼いのシーズン中は「犬山うかい号」を名乗り、ヘッドマークも取りつけられました。キハ8205 池鯉鮒駅第2B展示室の同車とも比べて見て下さい。共通点があります!

写真:Yama-nin様
特急格上げの日
「北アルプス」特急格上げ初日の前運用「名古屋281D」

私が初めてキハ8000系を撮影した10日前に同じポイントで撮影された「北アルプス」特急格上げ初日の前運用「名古屋281D」です。私はまだこの塗り分けになっていることを知らず、この翌日、友人が持ってきた新聞の切り抜きを見てあっと驚くことになります。

写真:Yama-nin様
私にとっての8000系初撮りnew
私にとってキハ8000系初撮影の1コマ

Yama-ninさんが特急格上げ初日に撮影された10日後、私は友人たちと初めて知立市内名古屋本線の沿線を訪れました。見せられた新聞の記事に触発されたのです。
 シャッター速度が最高でも1/250のコンパクトカメラですが、前後にカーブがあるこの地点はスピードがやや遅く、ブレはあまり目立ちません。

8000系初撮りの日(復路)new
後半がカーブに乗っていてよい感じに撮れました。

ツイッターでは多くの「いいね」をいただいた画像。いくら好評でも数日で埋没してしまいますので、このページに常設します。カーブをうまく生かした撮影ができていて、当時中二の私としては◎の出来栄えです。
 豊田の親戚から帰る時に乗ったことがあるというコメントをいただきました。撮影当時は知立を通過していましたが、後年は停車していたのですね。

国鉄キハ82系との交換
名シーン、名鉄キハ8000系と国鉄(JR)キハ82系の並び

中川辺駅での交換です。この写真をみると北アルプスの方が先に絵入りHMになってたんですね。

写真、文:Yama-nin様

国鉄キハ58系と自社の7000系パノラマカーの合の子のようなイメージのキハ8000系がキハ82系と並ぶとまるで同車がプロトタイプであったかのような錯覚に陥ります。このような名シーンが毎日見られていたのですね。(碧)




●キハ8000系乗車の思い出

1976.10に初めてキハ8000系を撮影して以来、同車に乗ることを夢見ていましたが、国鉄の特急料金は高く、中学生の小遣いでは手が出ませんでした。しかし、名鉄線内ならば乗車券の他に座席券(当時200円)を購入すればよかったため、間合い運用の特急に乗ることを計画しました。
 1977年7月、EF10などを撮影しに仲間と豊橋へ出掛け、「豊橋60D号」を利用することになりました。知立駅は通過であったため、東岡崎からの乗車。当時は全線電化であった名鉄でエンジン音も高らかに発車しました。短い時間でしたが、憧れの車両に乗ることができ、車中ではきっと終始にこにこしていたに違いありません。
 最初の乗車では時間が短すぎたことに不満が残り、翌1978年の11月、高校1年のときに「名古屋283D」号に豊橋-新名古屋間通しで乗車しました。いつも利用している知立駅を通過するのは新鮮な感覚でした。ミュージックホーンを鳴らしながらゆっくり通過し、真っ白なエグゾーストを吐いて加速してゆく8000系が今も目に浮かびます。

 社会人となってからの1986年から87年にかけて、富山へ数回出張の機会がありました。帰路、後発の「しらさぎ」は遠回りにもかかわらず、名古屋へ早く帰ることができましたが、好き好んで「北アルプス」に乗車しました。富山駅の隅っこから発車する「北アルプス」は4両編成で、冷遇されている印象でしたが、飛騨古川-富山間では唯一の特急でした。
 富山を発車する時点では数名の乗車しかなく、当時から行く末が案じられました。それでもキハ8000系のDMH17系エンジンや快調に刻むジョイント音も心地よく、「ますのすし」をほおばりながら一面雪野原の高山線を飛騨の山々へ分け入って行くのは格別でした。
 時刻表上では新名古屋止まりでしたが、「この列車は新名古屋行きですが、神宮前までご乗車いただけます。」というアナウンスが入ったのも今は思い出です。




神通川を渡る
富山を発車して高山本線神通川橋梁を渡る特急「北アルプス」

大学1年の時、サークルの夏合宿は北陸地方でした。現地では自由行動であったため、この日は単独で高山線と富山地方鉄道線内で北アルプスなどを撮影しました。今では2連も珍しくなく、格が下がった感じのJRの特急列車ですが、当時3連では特急として物足りなさを感じました。

富山地方鉄道線にて
富山地方鉄道線内をゆくキハ8000系特急「北アルプス」

キハ8000系は直接線路がつながっていない富山地方鉄道へも季節列車として乗り入れていました。線内では旧名鉄3800系(14710形)や、急行「うなづき」として乗り入れていたプロトタイプといえる国鉄キハ58系との顔合わせが注目でした。

富山折り返し時代
富山折り返しの時代は1列車となり、高山以遠も3連→4連に

この日は「ユーロライナー」と「サロンカーなにわ」が運転されるため、あいにくの天候にもかかわらず多くのファンでにぎわっていました。
 1985年3月改正で富山地方鉄道への乗り入れが廃止されましたが、富山までは定期となり、飛騨古川以遠唯一の特急でした

飯田線共用区間をゆく
飯田線との共用区間をゆくキハ8000系8連の「豊橋60D号」。

平井信号場-豊橋間はご存知のとおり国鉄(JR)飯田線と名鉄名古屋本線の共用区間ですが、キハ8000系もこの区間で毎日見ることができました。

多客増結時
ゴールデンウイークのため2両増結の6連となったキハ8000系特急「北アルプス」

ゴールデンウイークの1日、息抜きをしようと岐阜方面へ出掛けました。カートレインなどを撮影したあと、「きっと増結されているから撮って行こうか。」程度の気持ちで撮ったものです。

冬の高山本線をゆく
冬の高山本線をゆくキハ8000系3連の「北アルプス」。

杉原−猪谷にはアンダートラスの橋梁が続いています。その、どの橋梁も静かな山あいの風景を見せてくれています。
 この写真はそのうちの一つを渡る8000系「北アルプス」です。

写真、文:西野伊吹様

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