名鉄ほどの規模の鉄道になると多数派の中には1形式1両などの珍車が存在するものです。成り立ちの異なる会社の吸収合併を繰り返し、雑多な形式が存在していた時代とは比べものになりませんが、私の手が届く範囲にもそこそこの数の異端車が存在していました。
当コーナーでは1形式1両、分割不可能な1形式1編成のほか、同一形式の中でも他車と外観上明らかな差があるものを対象としますが、名鉄が踏切事故の多さに悩まされていた1960〜70年代に実施された高運転台化工事は1形式中1両のみの改造となったものがあり、当コーナーでその比率が高くなってしまうのは致し方ありません。
なお、本稿に掲載した各車は全て過去帳入りとなりました。必ずしも異端車であることが寿命を縮めたとは言い切れませんが、ある意味個性が失われてしまったことは残念に思います。
高校に入学する直前、いつものカーブに居たところ、1形式1両のモ3561が最後尾に付いた西尾線からの直通急行がやってきました。この車はモ3500形3504が事故で全焼し、その部品を利用して3700系の車体に載せ替えたものです。異質な車体の2両が連結しているため識別しやすいのは幸いでした。
元々青電だったため、当初は緑色塗装であったとのことですが、もしそうだとすればこんなだったのでしょうか。
幼いころ、私は家の前で毎日見ていた2代目3700系と3730系。どう解釈したのか、前者は怒っている電車、後者は笑っている電車と呼んでいました。この怒っている電車の写真は、中学のころ、名鉄の1500V区間全線に乗る目的で築港線へ行ったときのものです。築港線専用のためか広告は全く無くて寂しく、普段よりも暗い車内という、三河線時代とは全く違う雰囲気が印象的でした。
同車は1958年に製造、後に高運転台に改造されました。三河線などで使用後、1987年に番号不変のまま電装解除。築港線専用となり、3730系とコンビを組んでいました。パンタグラフは補助電源装置(MG)の電源用です。1996年3月、最後まで残った5編成の3730系と共に姿を消しました。
1編成2両のみが存在した7500系の中間運転台はめったに先頭に出ることはありませんでした。1977年の夏、偶然目撃して以来12年目、皮肉にも東京へ転勤した後でしたが、同車をとらえるチャンスが訪れました。7500系の特別整備(更新工事)が2両単位で行われ、先頭車が入場した場合に中間運転台が先頭に出て、日中の限定運用に就くことになったのです。
シャッターを切った後、思わず拳を振り下ろして「やった!」と思った作品が今までに何点かありますが、この1コマもその内の1点です。
2002.9.26、「パノラマスーパー」1030系、1230系第4編成が奥田-大里間で踏切事故に遭遇して前寄りの特別車(指定席車)2両が脱線転覆。復旧困難として廃車になりました。残された一般席車4両は豊橋側のモ1384に運転席を新設し、塗装も全面スカーレットに改められて約1年後に本線復帰を果たしました。
再デビュー後、長らく犬山−東岡崎(伊奈)の普通電車限定でしたが、2005.1.17のセントレア開港後、混雑のひどいP4の運用を一時的に同編成に置き換えた結果、P4+1384Fという編成の急行が見られました。他に回送で1000系全特編成(既に全廃)や5000系との併結が見られるなど、SR車との連結が可能です。
2015.9.2、最終営業運転後舞木検査場入場、同9/14名電築港で離線。
5700系の5701F、5702Fは6連で、連結可能なP6編成と合わせてNSRグループとして共通運用されました。その後、連結非対応P6とも共通化されましたが、P6の全廃によって2本だけとなり、6連固定編成の輸送力を持て余していました。そこで、中間車を抜いて他の編成と同じ4連とし、余った中間車4両には、廃車になった5313Fの運転台を移設してやはり4連固定編成になりました。運転台直後に客席窓がないことで区別ができます。
同様な中間車の先頭車化改造車、7101Fが廃車になった頃の改造ですが、もし5300系に廃車が出なかったら、7101Fの運転台ユニットが再利用されていたでしょうか?岐阜方のモ5652は本線系では珍しい50番台の先頭車となりました。
2017.6.16舞木検査場入場、同7/24名電築港で離線。
何系になるのだろうかと思った1384Fですが、結局1380系が公式なものになったようです。しかし、この呼称、個人的にはどうも気に入りません。それは、「パノラマスーパー」の形式番号の付け方から逸脱しているからです。それを理解するには1000系が全車指定席車4連で登場したときまで遡る必要があります。
名古屋本線では1000系のデビュー2年後の1990年、全車指定席特急に自由席車を連結することになりました。しかし、別編成の併結では両者が非貫通であることや、列車によっては指定席と自由席の両数バランスが悪くなるため、翌1991年には1000系は2両ずつに分割し、岐阜向きの2両(1100-1150)を方向転換し、岐阜方にはそれぞれ新製の一般席車1200系4両を連結した編成になりました。その際、トイレありの特別車、ク1100形、モ1150形に連結される1200系は基本の1200系+100番である1300番台、1500番台を名乗り、B編成と呼ばれるようになりました。因みにA編成は特別車ク1000形、モ1050形にトイレがなく、隣接の一般席車モ1250形にあります。
その後、1992年には7500系から機器を流用した1030系(特別車)、1230系(一般席車)が3本登場しましたが、これらはB編成と同様の構成であるため、形式はB編成に合わせられ、+100番を名乗ることになりました。その結果、系列を表す1030番台、1230番台の車両が存在しない不思議な系列になっています。
1384Fは本来1230系の第4編成ですが、改造にあたっては改番が行われておらず、パノラマスーパーに千三百何系という系列がないことから、便宜上の編成番号をそのまま系列名にしてしまうのでは少々安易ではないかと感じています。もし、7101F=7100系のようにプラス100番またはプラス50番になっていれば、まだ抵抗感はなかったかもしれません。
ところでこの1384号、運転台が付いてもモ1380形のままなのでしょうか。そうだとすれば、機器をもらった7500系には形式区分がないながらもモ7566、7665という運転台付き車両が存在した縁と言えるのかも知れません。
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