■新今村駅第6展示室        05.3.26 UP

●惜廃止、美濃町線

岐阜県の名鉄600V線区は区間廃止が続き、その規模を縮小してきましたが、2005.3.31、残された全線の廃止という大鉈が振り下ろされることになりました。
 今までに各線には何度となく足を運んでいます。廃止を間近に控え、既に揖斐線に関しては思い残すことはないとして、一度も行きませんでした。日頃から折を見て撮っておけば、廃止になるからと、ギャラリーが増えてから慌てて行く必要もないのです。
 今年に入ってからは路面区間、専用軌道、1500V鉄道線区間、都市部、田園風景など、変化に富み、見ておきたいところが残っていた美濃町線を集中的に訪問しました。今回は1978年の初訪問時から最近の作品までをご紹介します。

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1978年の初訪問時
1978年当時、モ870は揺れがひどく、決して快適とは言えませんでした。

1976年に札幌市からやってきたモ870型は3編成が美濃町線で活躍していました。仲間3人で初めて訪問した岐阜の600V区間。午前中は揖斐線を撮り、午後はモ870型の乗車を視野に、時間を合わせて徹明町へ向かいました。しかし、期待とは裏腹に、右へ左へユッサユッサと大きく揺れ、睡眠不足気味のY君が「もう降りよう。」と音を上げそうになるくらいにひどいものでした。

のどかな上芥見付近をゆく
ひなびた郊外の併用軌道区間をゆくモ590型

路面電車といえば、市街地を走るものというイメージが強いのですが、美濃町線はひなびた郊外を走るのが見所でした。2000年当時、日中にもモ590型が顔を出していました。「新岐阜」の方向幕を表示していましたが、600V専用のため、当然ながら車両交換が行われました。

火の見櫓を背に
上芥見を発車して関へ向かうモ601。モ600型の引退が迫った頃。

上芥見付近は幅の狭い併用軌道区間で、いかにも美濃町線らしい雰囲気が好きで、ついついここで降りることが多くなっていました。モ800型の導入、ワンマン化によって馬面電車、モ600型は1両を残して引退するとの報を受けて訪問したときのものです。撮ったときには「ああっ・・・。」と思ったスクーターもよき点景となりました。

モ513単行の団臨
モ513単行で運転された岐阜経済大学鉄道研究会さんの団臨。

岐阜経済大学鉄道研究会さんの団臨。主催者さんのご厚意で運転計画がネット上で公開され、多くの方々が撮影を楽しむことができました。
この時は3月末だというのに桜が満開でしたが、最後の春となった2005.3は開花が遅れ、残念ながらまだつぼみが堅い状態でした。

モ510型喜寿記念運転
モ510型喜寿記念運転

2003年、モ510型がデビュー77周年(喜寿)を迎えたのを記念し、月1度(土日曜ペア)のペースで生まれ故郷である美濃町線を一般営業列車として運行されました。下芥見を出たところにある用水路は水がなみなみと流れていますが、最後の訪問時(2005.3)にはほとんど空っぽ。桜も咲かずで、絵になりませんでした。

クルマカブリなしでラッキー
1往復のみのモ510がクルマに被られずに撮れたのはラッキーでした。

モ510型の喜寿記念運転は毎回盛況で、車内は大混雑でした。併用軌道区間の交通量は岐阜市街地ほどではないにせよ、併走、対向する自動車に被られることは少なくなく、こればかりは運任せでした。主目的であるモ510が無事に撮れたのはラッキーでした。美濃町線の訪問はモ510型運転が動機になったことは少なくありません。

リバイバルカラーのモ593
リバイバルカラーのモ593

1978年に岐阜を訪れたとき、緑とクリームの旧塗装がまだ残っていましたが、相当に色あせが進んでいました。非冷房で予備車的な存在であったモ593がレトロ塗装に改装されたと聞き、思わぬリベンジの機会が与えられたと思ったのでした。しかし、私が行くと市ノ坪で休んでいることが多く、走行シーンは日が陰ってから撮れたこの一枚だけになってしまいました。

白帯が好ましいモ606
モ600型では最後に残った1両、モ606にオリジナルの白帯が復活。

1970年にデビューしたモ600型は同じく600Vであった瀬戸線のモ900やモ3700と同様、白帯を巻いていましたが、1975年から始まったスカーレット化に伴い、順次消されました。最後1両が残されたモ606の白帯復活も嬉しいことでした。
 若い皆さんにとって白帯は特急専用車をイメージされると思いますが、私は600V車のものという感覚です。

津保川橋梁を渡る道産子
津保川橋梁を渡る道産子モ870

白金−上芥見にある津保川橋梁は美濃町線では昔から有名な撮影スポットです。1976年に札幌市交通局からお輿入れしたモ870も撮影時の2005年で40才。生涯の3/4を名鉄で過ごしたことになります。新天地を見つけることは極めて厳しいと思いますが、古さを感じさせない好デザインゆえ、何らかの形で残って欲しいと願っています。

主力はやはりモ880
美濃町線の主力はやはりモ880型

1コマだけの掲載になってしまいましたが、最も編成数が多いモ880型は美濃町線の主力と言って過言ではありません。旧形台車のモ600は振動がもろ伝わって来るのに対して、モ880やモ800は乗り心地が格段に改善されているのがわかります。

最新鋭のモ800も
デビュー5年目のモ800も「永年のご愛顧誠にありがとうございました。」モ802

最新鋭のインバーター電車モ800は2000年7月に落成しましたが、僅か5年弱で名鉄での役割を終えることになりました。まだ新しい電車が「永年のご愛顧誠にありがとうございました。」というステッカーを掲げて走る姿は何かしっくり来ません。新天地、豊橋、福井での活躍を祈りたいところです。


1500V区間上のモ870
1500V区間上のモ870。新岐阜を発車する875F。

道産子モ870は長らく600V専用でしたが、2000年に600V/1500V両用に改造されました。その結果、元札幌市電がパノラマカーと同じ線路を走るようになりました。複電圧用の部品は廃車になったモ600型のものが流用されているようです。

●環境に優しい乗り物も

数年前のことですが、新岐阜駅前を発車するモ780型を見て、夕方のお客さんが多いはずの時間に単行でもガラガラで大丈夫なのかと、600V区間の行く末を案じていました。そして、その結末は・・・。新車が投入されて安泰だと思っていた美濃町線を含む全線が廃止とは「まさか」でした。自動車への依存度が極めて高い地域性、少子化、マイカー相手の郊外型商業施設の台頭(→市街地商店街の衰退)、電車が走りにくい市街区間など、さまざまな原因が積み重なった結果なのであろうと思います。
 環境に優しい乗り物を廃止などとは時代錯誤も甚だしいという意見を耳にします。半分は賛成です。しかし、電車の輸送シェアを考えたとき、現状では環境への貢献は微々たるものであると思います。京都議定書が発効され、我が国は世界に対してCO2の大幅削減を約束しました。電車を1本見送っても次が続いているくらいの頻度で運転され、駅の真ん前から駅の真ん前までの移動にクルマを使っている人々が、進んで電車に乗るくらいの意識改革が起こらなければ、岐阜の600V区間のような電車の特性は生きてこないでしょう。
 (本数が)少ない、遅い、(鉄道、軌道通しの運賃が)高い、揺れる、狭い・・・。冷房化、新車導入などの努力は評価するべきですが、先に並べた言葉のとおり、快適性が十分とは言えません。岐阜の電車は中途半端な乗り物になってしまいました。




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