■新今村駅第1B展示室

06.11.11 更新
 さようなら特急北アルプス(2)
犬山橋を渡る
渋滞をかき分けるようにそろりそろりと犬山橋を渡る8500系「北アルプス」

渋滞をかき分けるようにそろりそろりと犬山橋を渡る8500系「北アルプス」

(注) 拡大画像はJava Scriptを使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。

 

 JR東海の「ひだ」が新製のキハ85系に統一されると名鉄キハ8000系「北アルプス」はスピード、客室設備などの見劣りがいっそう目立つようになりました。そこで、キハ85系並の性能や設備を持たせて製造されたのがキハ8500系です。
 せっかくグレードアップが実現した「北アルプス」でしたが、美濃太田以遠で併結運転する「ひだ」と変わらない所要時間、二社直通や乗り継ぎ割引の不適用による割高な料金のほか、高速道路の整備、バス便の充実などに伴って年々利用客が減り続け、名鉄自体の業績の悪化もあって、ついに合理化の対象となってしまいました。

 2001.12.25未明、売却先の会津鉄道へ無事到着したキハ8500系は塗装、車両番号もそのままに2000.3.23ダイヤ改正からいよいよ新天地での活躍を開始します。
 今回の更新にあたって「北アルプス」としての活躍や、8500系の甲種輸送をキャッチされたYama-nin様、C57198様、ふぁ〜らいと様の画像を掲載させていただけることとなりました。快く画像の提供に応じて下さった各氏には厚くお礼申し上げます。
 2006.11.4、DD53ばんえつ物語号を撮影に出掛けましたが、同列車の前にキハ8500系との再会を果たしました。



デビュー間もない頃
当初はJRの「ひだ」は高山寄りに連結され、期日も不定期であった。

1991年のゴールデンウイーク、好天に誘われて高山本線に撮影に出掛けました。DD51牽引の急行「奥飛騨」、9両編成の急行「たかやま」のほか「北アルプス+ひだ」ももちろん撮影しました。当初の頃は高山寄りに「ひだ」が連結されており、この日はキハ8500系も総動員の5連でした。

飛騨金山の湖畔をゆく
飛騨金山の湖畔をゆくひだ83号+北アルプス

定番ポイントでの1コマ。北アルプスは後ろに併結されてましたが、キラット光った8500系がとても印象的です。
50mm RVP

写真、文:C57198様
緑深き中山七里
緑深き中山七里、福来(信)−焼石をゆく「北アルプス・ひだ85号」

飛騨川の飛騨金山から奥の7里(約28km)は景勝地として知られ、高山本線にも好ましい撮影ポイントが点在しています。
50mm RVP

写真:C57198様
3連による単独運転
キハ8500系デビュー当初の頃は美濃太田以遠でも見られた単独運転

キハ8500系デビュー当初の頃、併結相手の「ひだ83号」は週末や多客時のみの運転であったため、平日は「北アルプス」が3両で単独運転されていました。キハ8000系による「北アルプス」全盛期と比べれば半分の長さでした。 
1993.5.31 福来(信)−焼石
 50mm RDP

写真:C57198様
キハ85系との顔合わせ
渚駅で顔を合わせたキハ85系「ひだ」とキハ8500系「北アルプス」

渚駅での交換。1994年8月だったと思います。(日が曖昧。)8500DCもほんの少しだけ撮してあります。私も5両フル編成を使用した日になるべく撮影しにいきました。

写真、文:Yana-nin様
飛騨一ノ宮の大カーブにて
飛騨一ノ宮の大カーブを下る「北アルプス・ひだ」

キハ80系が団臨として高山線を最終走行した日はダイヤの関係上、大阪からレンタカーを借りて駆けつけました。帰りの列車は陽が短い時期ということもあって飛騨一ノ宮を選びました。
 その前にやって来る「北アルプス・ひだ」はやはりキハ8500系の側をと思い、高山寄りから坂を下りて来る列車を撮影しました。

風薫る飛騨川に沿って
8500系フル編成の5連+キハ85系5連の長大編成

何と気が付けば同じ場所ばかりで撮影していた訳です。構図、レンズこそ違え、やはりここが一番だったんでしょうね。真冬もここで撮影したかったなぁ〜。
 8500系フル編成の「北アルプス」+85系5連の「ひだ85号」
100mm PRP

写真、文:C57198様
地下駅の気動車
地下駅である新名古屋に気動車の列車が発着するのも珍しい事例であった。

「北アルプス」は地下駅を発着する気動車としてもたいへん珍しい存在でした。乗り入れ本数が限られていたため問題なしとされたのでしょう。しかし、キハ8000系時代は発車後しばらく白煙がこもっていたと言います。

福来信号場
福来信号場で「ひだ」と交換

最後の力走を収めに沿線をうろうろしてこのポイントを見つけました。光線状態は良くありませんが、飛騨路の秋そのものと言った風景でした。上りのひだとの交換もあり最高でした。
28mm RDP3

写真、文:C57198様
「ひだ」と分割
美濃太田駅で「ひだ」と分割された「北アルプス」。

8500系「北アルプス」に乗車した日、帰りは普通列車を利用しました。美濃太田で乗り換えの間にちょうど38D「ひだ18号・北アルプス」が到着。分割作業が行われました。
(当時使っていたDV規格「メガピクセルハンディーカム」で静止画撮影したものです。ノンストロボ、手持ちでもブレずに撮れました。)

北アルプスの大先輩
北アルプスの大先輩。モ755

 なぜここに750形が?750形は戦前、鵜沼からSL牽引の客車列車に併結されて高山線に乗り入れた実績があり、755、756の2両がその対象であったと言われています。つまり、モ755は「北アルプス」の大先輩とも言える車両なのです。モ756はク2151号に改造された後、1978年に廃車となっていますが、755号は北アルプスの最終日となった2001.9.30まで揖斐・谷汲線で活躍していました。

そして最終日
最終日、お別れのヘッドマークを取り付けた北アルプス

 ついにこの日が来てしまいました。名鉄では4区間の廃止、3400系の定期運用離脱など多くの「さよなら」が重なりましたが、8000系時代から親しんだ「北アルプス」の最終列車はやはり見届けておこうと、犬山-新可児間で3400系に乗車したその足で高山本線の坂祝に出向きました。

長めのタイフォンを鳴らしながら通過した下り43D「北アルプス」最終列車。動画も公開しています。



●会津鉄道へ

アンカーDE10の連結
アンカーDE10の連結準備をする係員と見守る遠来のファン。

アンカーDE10の連結準備をする係員と見守る遠来のファン。

「北アルプス」の廃止が決定して以来、キハ8500系の売却先は様々な噂がありましたが、廃止から約1月後の2001年10月下旬、有力視されていた会津鉄道に決定したことが発表されました。
 名鉄からの発送は12月22日の早朝と決まり、名古屋臨海鉄道の東港と西浜松で各々一泊し、12月24日夜、会津若松駅で会津鉄道に引き渡されることになりました。
 土曜日から振り替え休日(月曜日)にかけての輸送となり、多くのファンの注目を浴びることとなりましたが、あいにく私は入院中のため見送りに行くことができませんでした。
 しかし、当方からお願いしたゲストの皆様の作品の他、相互リンク先「五条川鉄道写真館」の吉野富雄様からデキ600の画像を当ページへ掲載して下さいとのありがたいお申し出をいただき、さらにはふぁ〜らいと様に会津鉄道線内を牽引したDE10の画像の追加をお願いしたところ快諾をいただきました。その結果、須ヶ口から会津田島まで牽引を担当した機関車全ての形式をご紹介することが叶いました。
 多大なるご支援をいただきましたゲスト各位に改めましてお礼申し上げます。(2002.2.26)


新川検車区からの旅立ち
2両のデキ600に夾まれて住み慣れた新川検車区から旅立つ8500系。

住み慣れた新川検車区から、会津へ旅立つ直前の8500系。平成13年12月22日午前5時52分、前後をデキ600にガードされて出発、大江へと向かいました。早朝にもかかわらず、10名以上のファンが旅立ちを見送りました。

写真、文:「五条川鉄道写真館」 吉野富雄様
東名古屋港に到着
東名古屋港に到着し、もう1両のND552のお迎えを待つ。

日の出前に大江に到着した8500系は小休止の後、名古屋臨海鉄道のND552形DLに牽かれて東名古屋港へ向かいました。
 20-35mm REALA

写真:C57198様
反対側にもND552が
反対側にもND55を連結。

到着後、スイッチバックして名電築港へ向かうため、迎えに来たND5523が反対側に連結されました。
 20-35mm REALA

写真:C57198様

・大勢のファンに見送られて

東名古屋港への入線から臨海鉄道への渡り、そして臨海鉄道での留置まで。凄い人でした。東名古屋港を出てすぐの臨海鉄道の踏切はパニックでした。 残念ながら名鉄本線内での写真がありません。デキのプッシュプルだったと思いますが、本当は撮影したかったのです。でも時間と場所が・・・

文:C57198様

名電築港へ向けて発車
名電築港へ向けて急カーブを左へ

大江から牽いてきたND55210は最後尾となり、急カーブを左へと進みます。名電築港からは再びターンして今来た築港線を横切り、名古屋臨海鉄道の東港駅へ向かいます。
 20-35mm REALA

写真:C57198様
名古屋臨海鉄道で1泊
名古屋臨海鉄道で1泊。

12.22の輸送は名古屋臨海鉄道東港駅まででした。翌日、名古屋臨海鉄道経由で笠寺へ送られ、JR貨物へリレーされました。名鉄関係の車両輸送が休日に行われるのはひじょうに珍しいことです。
300mm REALA

写真:C57198様
貨物色のPFに牽かれて
快晴の下、JR貨物色のEF651055が牽くキハ8500系

当日は色々思案した結果、一発勝負に出ました。ここへは一番乗りで列車を見ながら昼食を摂り本番を迎えました。
 通過間際には沢山のギャラリーで賑わいました。お母さんと一緒の子供さんが場を和ませてくれました。
 70-200mm RDP3

写真、文:C57198様
矢作川を渡る
矢作川を渡る甲種輸送列車。

結構綺麗にされていて、正に新しい門出と言った状態でした。廃車回送でないことが唯一の救いです。
 親子で来ていた(お母さんと一緒に)子供が、お母さんが「遠いところで走るんだよ。」と言ったら、「さようなら。」って言った言葉が印象的でした。
 70-200mm RDP3

写真、文:C57198様

たいへんな人出だったとのお話を伺って殺伐とした雰囲気を想像していましたが、微笑ましい光景が目に浮かび、思わずにっこりしてしまいました。(碧)

豊橋を通過する甲種
豊橋を通過する甲種輸送列車。

入院中と言うことで出かけられなかったかも知れませんが、駅・沿線は人人人ですごかったです。私は12月23日当日、共和から刈谷・安城・岡崎・豊橋・新居町と追っかけていきました。特に共和・安城は爆発的なファンがたくさんいました。

写真、文:Yana-nin様

その頃私はというと、病室で「今どのあたりかな。人はどれくらい来ているかな。」と、ずっと考えておりました。(碧)

東北本線の交流区間をゆく
ED75に牽かれて夕闇迫る東北本線の交流区間をゆくキハ8500系

クリスマスイブに東北本線の高久駅付近で撮ったものです。画面の左側はもう駅の構内で、スグそばが築堤になっている便利なポイントです。
 この時は16:00過ぎの通過で日没間近だったので、露出ワークが非常に厳しく、1/350でf2.8開放(200mmレンズ)だったと思います。幸い天気はよかったので、いい具合に夕日が当ってくれました。牽引のED75も100番台が充当されるなど私的には好きなカマが入ってくれたのでラッキーでした。
 最終的には20人以上は集まった鉄ちゃんのほとんどはここで撮影終了だったようですが、私はここからが、追っ駆けの始まりでした。

写真、文:ふぁ〜らいと様

DE10を連結して
会津若松からはDE10が担当

会津若松から先、会津鉄道内の輸送方法が、注目されました。多分翌日に回送するのだろうと思っていたら、DE10が8500の傍に来て連結されるではありませんか。今夜中に車庫のある会津田島へ持って行くとの事で、連結作業を見守りました。クリスマスイブの夜、会津若松まで8500を追っ駆けて来てるのは自分だけだろうと思いきや・・・(続く)

写真、文:ふぁ〜らいと様

いよいよ会津鉄道へ
会津若松からDE10に牽かれていよいよ会津鉄道へ

男性ファンに混じり、あれっ?何と女性の方が2名程一生懸命写真を撮っているので、ビックリしました。最初「名鉄の広報の方かな」と思っていたら、8500のファンらしく、中京地区からはるばる「恋人」を追ってきた方のようでした。この他にも私を含め、男性ファン数名が作業を見守っておりました。8500の人気の程が伺えます。

写真、文:ふぁ〜らいと様

JR貨物による「甲種」としての運転は会津若松まででしたが、会津鉄道がJR東日本からDE10を借りて連続した列車のように運転されたのですね。女性を含めた名鉄の地元からの追っ駆け組みが少なからずとは恐れ入りました。(碧)

無事に到着
未明に無事会津鉄道に到着し、新しい僚友と顔合わせ

会津鉄道線内での写真を撮りたくて翌日の12月25日に撮ったものです。5両一度に会津田島の車庫に入れないので、会津下郷で3両の方を置き去りにしていきました。さすがにこの日はド平日なので、ここで写真撮っていていたのは私だけでした。3月末の営業運転からは、このような交換風景がみられるようになるのですね。

写真、文:ふぁ〜らいと様

相互リンク先「DISCOVER→JAPAN」の画像掲示板で公開いただいた画像ですが、会津鉄道車と並ぶ8500系を拝見したときは「無事に着いたな。」と、ほっとしました。(碧)

5年ぶりの再会
約5年ぶりの再会キハ8500系 8502+8503 2006.11.4 12:17 磐越西線 会津豊川-姥堂

会津鉄道への転籍から5年弱。キハ8500系との再会の機会を得ました。DD53が客車を牽引するという晴れ舞台をどうしても撮りたくて、業務、意地悪くも重なった職場の移転で多忙な最中、絞り出したような1日を利用して会津路を訪れたのです。月日が経つにつれて色褪せてしまうのではないかという印象はよい方に覆され、美しさを保つ車体は会津鉄道の虎の子として大切にされていることを感じました。


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