21.01.17更新(02.7.12開業)
本線や西尾線とは違い、最高速度が遅く、HL車を中心に運行されていた三河線ではプッシュプルで運転されていた貨物列車が名物でした。
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甍ヶ淵について
三河線(海線)の沿線都市である高浜市は古くから三州瓦の産地として知られています。一方、碧南市と安城市の境界には愛知県では唯一の天然湖沼といわれる油ヶ淵があります。風に吹かれて立つさざ波が甍に見えるかどうかはわかりませんが、両者を複合して命名しました。
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1.1977年〜1983年の三河線 02.7.12更新
本線や西尾線とは違い、最高速度が遅く、HL車を中心に運行されていた三河線ではプッシュプルで運転されていた貨物列車が名物でした。
1-A.三河線貨物列車他情報募集 08.7.27 更新
当ページをご覧になった入山雅彦さんから1982年頃の三河線貨物列車や他社から購入の形式についてご質問をいただきました。中学生時代から約20年間知りたかった内容とのことです。質問内容とお寄せいただいた情報はこちらにまとめていきたいと思います。皆様のご協力をよろしくお願いいたします。
1-B.三河線の貨物列車(枝下付近にて)
学生生活を名古屋で送られたTADAさん(相互リンク先汽車・電車1971〜)は在学中、愛知県内各地の鉄道を回られました。その中には名鉄三河線も含まれていました。
1-C.三河線新川町の臨港線
三河線の新川町から臨港線が分岐していました。すぐ近くにお住まいであったTADY BEARさんから貴重な画像をお送りいただきました。衣浦臨海鉄道碧南線開業の前日、三河線刈谷以南の貨物営業最終日の撮影です。
2.1994年〜2004年 21.01.17更新
1994年からの10年間、既に三河線では見られなくなっている定期列車用の車両を集めました。レールバス、LEカーのウエイトが高くなっていますが、関連付けとして例外的に1985年3月撮影のキハ10形レールバスも掲載しています。
2a.三河線珍客集 19.01.13更新
非電化区間の廃止、全線ワンマン化の実施に伴い、以前のようなバラエティーの豊かさはなくなり、話題性にも乏しい路線になっていましたが、一時期、改造、廃車待ち車両の疎開先が猿投となるケースがしばしばあり、日頃は見られない形式が乗り入れることがありました。
3.三河線の右側通行はなぜ? 08.7.27更新
日本の電車は通常左側通行ですが、三河線には右側通行の交換駅が存在します。それはなぜか?私の推定と読者の皆様からお寄せいただいた情報を掲載してきましたが、関連がありそうであったタブレットの通過授受について三河湾174号様撮影の決定的シーンをご紹介します。
4.海線非電化区間廃線間近の頃 04.12.14UP
入院が長引いて撮り逃がしてしまった三河海線非電化区間の作品をドクターYさんから提供していただきました。
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