■甍ヶ淵駅第1展示室

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第1展示室では私が名鉄を撮り始めた1976年から1983年までに撮影した三河線を扱います。2005年の更新以来手つかずの状態でしたが、構内放送で扱った1982年撮影の貨物列車を展示室扱いとする機会に、5コマを追加。展示作品は倍増となりました。撮影を始めた当時、よく一緒に出掛けた山崎俊さんのネガには貴重なコマが何コマもあり、内容の充実には大きく貢献していただきました。
 ネットを取り巻く環境は大きく変わり、アクセス数が大きく減ってしまった昨今、公開が遅きに失した感もありますが、30年前の三河線を懐かしんでいただく一助となれば幸いです。(2012.8.27)

三河線(1976〜1983)
モ3749+ク2702
3700系と3730系がペアになった異色の編成

知立駅で緑色を待ってたらこの編成が偶然やってきて三河線ホ−ムに入ったため、形式写真が撮れず慌てて駅から外へ出て適当なところで撮ったものと思います。3749には悪いですがお目当ては当然2702でして瀬戸線への移動、他社への譲渡により当時黄色塗装では最後の片扉車だったと思います。
 今思えばもう少し・・・と思ったらきりがなくなるのでやめときます。

写真、文: WEST様
豊田新線開業後も知立へ
のどかな三河線をゆく豊田線用100系

豊田新線開業後も知立へ
 知立までは豊田線用の100系が新線開業後も乗り入れてきました。
 冬休み最後の日は天気が良く、何を目的にするでもなくここを訪れました。
本サイトの制作を決めた2000年のお盆休み、20年ぶりにこの地を訪れました。水路や道路はできていますが、今も開けていて、撮影は可能でした。

初めて撮った名鉄貨物
前後にデキ600が付いた三河線の貨物列車

刈谷までの貨物列車が三河線の名物でした。知立での折り返し時に付け替えを省略するため、前後に機関車が付きました。
デキ600型の甲高いホイッスルは和音がとてもきれいで、気に入っていました。しかし、その後おそらく特別整備の機会に普通のホイッスルに交換されてしまいました。

高架化記念装飾電車
三河線高架完成記念電車 7300系×4

三河線で初めて記念電車を撮影したのがこの日でした。通っていた高校の廊下の窓から高架工事の進捗がよく見え、この日が来るのが楽しみでした。
 しかし、受験生の身。折り返しは撮らずに帰りました。

当時の代表形式3730系
ヘッドライトが単灯の頃の3730系

ある日、三河線を1枚撮ろうとして3人でカメラを構えました。M1君とふざけてY君を置いていこうと、踏切が鳴り出した時に自転車でダッシュしたらなんと旧塗装車が来てしまいました。その結果、三河線の代表形式、3730系の自前走行写真はこの1枚しか載せられません。あんなアホなことさえせんといたらなあ。

デキ400同士を狙ったのに・・・
後部に付いたデキ402

大学2年の春休み、三河線の貨物列車がそろそろ危ないとの噂が聞こえてきた頃だったと思います。3月の初旬、前後の2両ともがデキ400であるのを目撃し、この際に撮っておかなくてはと思いました。数日間は同じペアで走るのですが、連日その時間だけ家を出られず、そのうちに片方がデキ600に替わってしまいました。

前側のデキ600です
後部に付いたデキ402

長らく後打ちのデキ402側のみを掲載してきました。23.7.2付「構内放送」では、前側のデキ603側の写真とともに、撮影ポイントの現状を掲載しました。立ち位置の特定については、知立を起点とした距離標識を拠り所としました。
 縮小していますので、ご確認はいただけませんが、線路の向かって右側、手前から2本目の先にある白い杭が1.4kmの標識です。

同じ位置から40年後の写真を
仮線工事によって取れなくなる前に、貨物列車と同じ立ち位置で当時はまだなかった「金魚鉢」を撮っておきました。

貨物があった頃にはなかった6500系「金魚鉢」です。4両目付近に白い標識が1.4km地点であることは確認しました。左右に送電線の鉄塔がありますが、両方とも新しいものに建て替えられているようです。向かって右側の鉄塔は高さが明らかに違います。仮線工事に伴う単線化の他、目立つのは住宅が明らかに増えていることでしょうか。
 右側の道路に仮線を敷く工事が始まっており、この地点での撮影はできなくなりました。

高架完成祝賀電車
三河線高架完成記念の臨時電車 7300系×4

山崎さんからこの写真を見せられた時、「やられた!」と思いました。ユニー刈谷店(現アピタ刈谷店)の連絡橋。複線高架になったことがよくわかる唯一無二のポイントです。この手があったとは気づきませんでした。この電車は刈谷市駅でセレモニーを行った臨時電車と思われます。知立方面から来て刈谷市で折り返しました。小垣江方で待っていた私は見事に撮り逃し。定期列車として折り返して来るのを待つしかありませんでした。

写真: 山崎俊様
高架化初日の3730系の急行
高架化初日、刈谷市に到着する3743Fの急行

高架開業当日、山崎さんは定期列車の3730系も撮っていました。この時期に急行が走っていた記録にもなっています。山崎さんの作戦勝ちですね。

写真: 山崎俊様
クリーム塗装の3780系
クリーム塗装の3780系が三河線をゆく。

全車が瀬戸線へ転属し、スカーレット化(赤色塗装化)の進行も早かった3780系。私は旧塗装を撮れず仕舞いでしたが、山崎さんのネガには写っていて、三河線内の記録をご紹介できることになりました。コマの前後関係から皆で初めて名鉄を撮りに行った1976.10の撮影であることがわかります。

写真: 山崎俊様
大阪セメントいぶき500形
刈谷駅で国鉄の貨物へ併結されて近江長岡への帰りを待つ「いぶき502号」

名鉄鳴海工場では岳南鉄道のほか、大阪セメント専用線の電気機関車いぶき500形の検査も請け負っていました。国鉄の貨物で刈谷に到着した入場車は、三河線の貨物に併結されて鳴海へ向かったはずですが、詳細はわかりません。
 はっきりした記憶がありませんが、1980年の夏休みのある日、いぶきが入場のため、刈谷へ来たのを確認。そのときは撮れなかったのでしょう。そろそろ出て来るかな?と、出場日の目星をつけて、補習授業の帰りに刈谷駅を通るようにして、出場して来るのを待ったのだと思います。

3730系との顔合わせ
3733Fといぶき502号の顔合わせ

いぶきが刈谷に来ているのを表現したかったのでしょう。3730系との顔合わせシーンも撮影していました。
 今ならばアンテナを張って出場日を掴み、デキに牽かれて走るシーンを押さえるところでしょう。しかし、部活も補習授業もまじめに出ていた当時はそこまで考えなかったようです。
 大井川鉄道で再デビューした「いぶき」はもっと赤味が強い色でしたが、この当時は黒っぽい茶色だったようです。

盛夏、デキ600PPの貨物列車
デキ600形プッシュプルの貨物列車。先頭はデキ601。

1982年の夏休み、私鉄の電気機関車が好きな同期のM君が訪ねて来ました。目的は三河線の貨物列車です。午前中は同じく帰省中の先輩、Tさんも一緒に車で土橋へ。午後は父が車を使って空いていなかったのでしょう。自転車で重原−知立の撮影ポイントへ案内しました。重原はそれくらいお手軽な距離なのです。
 ポジフイルム初心者ゆえ、露出不足の失敗にはがっかりしましたが、30年を経ても画像は劣化しておらず、デジタル化によって救済することができました。

●ローカル度は碧海一(?)

愛知県中部を縦断する三河線(西中金-吉良吉田)は三河鉄道を前身とし、1941年に名鉄に合併された路線です。
 利用する機会の多い刈谷駅を通っていますが、名古屋へ出るときは東海道線を利用し、名鉄名古屋本線に乗るときも自家用車や自転車で知立まで出ることが多かったため、身近でありながらもあまり利用することがありませんでした。
 名古屋本線や西尾線は7000系パノラマカーを始めとする高性能車が頻繁に走り、スピードも速かったのに対し、三河線は大半の電車が速度の遅いHL車で運転されていました。線路はよれよれの37kgレールが主体で、乗り心地は決してよいとは言えませんでした。さらに、自動信号化されていた西尾線では交換電車が到着すれば待っていた電車がすぐに発車するのに対して、タブレット閉塞を採用していた三河線ではタブレットを受け取るまで待たなければなりませんでした。
 1970年代、三河線がローカル色豊かだった頃の話です。


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