■甍ヶ淵駅第1B展示室

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名鉄三河線の貨物列車(枝下付近にて)  TADAさん撮影

学生生活を名古屋で送られたTADAさん(相互リンク先汽車・電車1971〜)は在学中、愛知県内各地の鉄道を回られました。その中には名鉄三河線も含まれていました。末期は架線がはがされ、軽快気動車の単行に置き換えられた区間ですが、1979年当時は電気機関車が牽く貨物列車も健在でした。

三河広瀬、枝下の貨物(1)
短い編成が私鉄らしい。

貨車2両を携えて矢作川を渡る

三河広瀬、枝下の貨物(2)
三河線山線区間では代表的な撮影ポイント。

既に知立駅の山線、海線短絡線は廃止後で、折り返し機関車付け替え省略のため、機関車2台によるサンドイッチ編成が走っていたのですが、この区間は単機だったのか?

三河広瀬、枝下の貨物(3)
三河広瀬から戻ってきた列車は貨車が5両に増えた。

水面に姿を映して。三河広瀬から戻ってきた列車は貨車が5両に増えた。

三河広瀬、枝下の貨物(4)
トトン、トトン、トントントントントン・・・。ジョイント音が聞こえてきそう。

日常的に見られたシーンですが、5年後には貨物列車の大改革のあおりを受けて廃止。さらに25年後には路線自体がなくなってしまいます。

三河広瀬、枝下の貨物(5)
枝下で職員の方が出て入換中。

職員の方が出て入換作業中でしょうか。鉄橋からここまで戻って来られたということはそこそこの停車時間があったと思われます。

引き込み線があった枝下
3730系の知立行きが到着。右奥に積み替えホームと留置される貨車が見える。

交換できない単線ですが、右奥が引込み線になっており、積み替えホーム、留置される貨車が見えています。3730系の知立行きが到着。

●枝下駅、三河広瀬駅の貨物扱い

TADAさんが私鉄らしいと感じられた枝下駅の配線ですが、写真から想像する限りは単線に引込み線が付いているだけの、これ以上簡単にはできないほどの単純な形になっていたものと思われます。仮に配線がそのとおりであったと仮定した場合、どのようにして貨車の切り離し、連結を行っていたのでしょうか。
 写真からわかるのは引込み線は知立方から西中金方へ分岐しているということです。西中金方に機関車が付く下り列車では機関車が行き止まり側になるため、引込み線へ入ると貨車を置いて出ることができません。ならば枝下到着車を一旦終点三河広瀬まで持っていき、折り返し上り列車の到着時に入換を行ったのではないかと考えてみました。

●三河広瀬駅での入換手順を推定する

三河広瀬駅での入換手順を推定一旦三河広瀬へ持って行くと言うのは簡単ですが、「ちょっと待てよ。」と思いました。貨物の終点である三河広瀬は島式ホームの交換駅のような構造になっていましたが、留置貨車があると機回しができません。枝下行きの貨車を持って帰る入換は簡単にはできないのです。
 いろいろ考えられますが、1つの案として左図のような手順を考えてみました。入換作業はパズルのような手順になるものの、なんとか組成が可能です。
 なお、図で、留置車到着車発送車枝下行を表します。
 ここで、下り列車到着時に右側(貨物線)へ入って留置貨車を押せば手順はもう少し簡単になりますが、列車が駅へ完全に到着しないと入換を始められないものとしました。
 本案では、到着車が留置車よりも前(枝下方)へ出てしまい、後に着いた貨車を先に出すことになることが難点です。それを解決するにはもう1工程増えることになります。


●枝下駅での入換手順を推定する

三河広瀬から上り列車が帰ってきて、到着車と発送車をどのように入換するかを推定してみましょう。
 上り列車が到着したら、バックして引き込み線へ入り、発送車を連結して本線へ引き上げます。今度はバックして一旦旅客ホーム付近に発送貨車を留置します。その後、分岐点の先まで引き上げて到着車を引き込み線へ入れますが、作業時間の短縮のため、勝手に突放にしました。再び本線へ戻って発送貨車を連結すれば出発準備が整います。
 ここで、西三河鉄道局様作成のダイヤを見ると、停車時間は下り列車で4分、上り列車で5分。三河広瀬の折り返しも僅か5分です。各駅の停車時間がここまで短いのでは、複雑な入換作業は不可能で、推定に無理があるかも知れません。下りも停車するということは、やはり到着車を三河広瀬まで持っていかず、切り離していたのでしょうか。ただ、鉄橋で上り貨物列車を撮影し、駅へ戻られるとまだ停車中であったようですので、1979年当時はのダイヤではそこそこの停車時間があった模様です。
 枝下に貨車移動機がいたとは聞いたことがありませんが、TADAさんによれば、同様の配線(名鉄ではない)では人力で引き込み線へ押し込んでいた事例があるとのことです。

 当時の三河線の貨物列車について少しでも明らかになればと推定をしてみましたが、謎が増えてしまいました。 (碧)


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