(注) 拡大画像はJava Script を使用しています。ポップアップ自動カットを停止してご覧下さい。
名鉄三河海線の貨物扱い 西三河鉄道局様
1975〜76年にかけて記録された名鉄三河線貨物取り扱い駅の様子です。西三河鉄道局様は撮影当時のことをあまり覚えていないとのことですが、当時刈谷駅にお勤めだったヒデヨシさんが掲示板に下さったコメント(08.1.2)を追記しました。
デキ601の牽く貨物
どちらの方向へ出ていったかは記憶にありません。
ヒデヨシ様より:
影の状態からお昼の貨45(向かって右)と貨34(同左)ですね。
写真の手前に線路に直角に交わる作業通路と並んでいるレール状のものは渡線車のものです。東海道下りホームの下に収納されていて、荷物台車を三河線ホームに運ぶものです。8線をまたぐ当時国鉄最長の渡線車でした。三河線貨物列車はこれを支障しないように停車していました。
デキ601の牽く貨物
デキ402。デキ601が出発したあとかと思います。
ヒデヨシ様より:
知立へ貨45が出て行った後で残った海側貨34ということになります。私は三河線海側があったころは運輸掛で旅客担当でしたので定数のことなど詳しくは判りませんが、おそらく貨34は発車時間も近いことから定数いっぱいの15両ほどで碧南へ向けて出て行ったのでしょう。
小垣江でも貨物扱い
ここでもポム1が見られます。
2702他2連の猿投行きと交換
左:貨32 右:2702他2連と交換する貨32レ。
高浜港にて(1)
貨32列車。高浜港にて
高浜港にて(2)
同じく高浜港にて。前の写真の反対方向を撮ったもののようです。
ポム20の現役時代
画面左には発送品でしょうか。土器類が見えます。また貨車はポム1ですね。廃車体が発見されたというポム20の現役時代です。
新川町にて
新川町に停車中の貨32列車。ワム138628
碧南にて
貨車が留置してあることろは、最近までLEカーの留置線になっていましが、今はどうでしょうか?
●西三河鉄道局様より
3コマ目以降は三河線の貨物を刈谷から碧南まで追っかけをしたものです。たった1度きりの訪問でもあり、全く記憶がないのです。名鉄もあちこちで貨物をやっていたことを思うともう少し記録しておけばと後悔するばかりです。
●貨物取扱駅の様子がわかる貴重な記録
小垣江駅の近くに今も交流がある友人宅があり、この当時中学生だった私は行ったことがありますが、こんなに広いヤードがあったことは記憶にありません。
小垣江の段階では短かった列車は高浜港では無蓋車も連結されるなど、ずいぶん長くなっています。普通ならば末端へ向かって短くなっていくはずですが、不思議です。
私は刈谷市より南はほとんど乗ったことがありませんが、貨物取り扱い駅の配線や貨物上屋などの施設がよくわかります。特にホームや上屋にまでカメラを向ておられたのには感服します。貴重な記録を掲載させていただき、たいへん光栄に思います。(碧)
第1展示室(1977〜1983の三河線)へ
第1展示室分室(三河線貨物列車他情報募集)へ
1974年貨物列車のダイヤ
第2展示室(三河線最近の作品から)へ
第2a展示室(三河線珍客集)へ
第3展示室(三河線、右側通行はなぜ?)へ
駅本屋(リスト)に戻る
碧海電子鉄道 © 2006 鈴木雄司(トップページへ)
