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◆ 藤井寺市の公園・緑地
藤井寺市の都市公園・児童遊園・緑地の分布 〔 2026(令和8)年3月 〕
① 藤井寺市の都市公園・児童遊園・緑地の分布
           ※ 分布場所と番号は下の一覧表に対応している〔 都市公園   番児童遊園   緑地 〕
           13141516171821の児童遊園は西名阪自動車道の高架下に設置されたものである。
           ※ の緑地は川沿いの道路に植栽が設けられたもので、地図ではその道路を表示している。
藤井寺市の公園
 藤井寺市サイトの道路公園課ページに「藤井寺市内 公園
緑地一覧表」が掲載されています。そこには都市公園30ヵ所(府営を含む)
児童遊園
43ヵ所、緑地9ヵ所、ポケットパーク12ヵ所の名称・所在地・開設年度・面積が一覧になっています(2026年3月31日現在)
 下に掲載している②表「藤井寺市内の公園・緑地」がその一覧表の内容です。この一覧に基づいて上の①図「藤井寺市の都市公園・児童
遊園・緑地の分布」を作成しました。ただし、ポケットパークは狭小面積のため、分布図には表示していません。
                                   アイコン・指さしマーク 藤井寺市サイト「藤井寺市内 公園・緑地一覧表」
藤井寺市内の公園・緑地 2026(令和8)年3月31日現在
種別 No 公  園  名 所 在 地 土地所有※1 開設年度 面積(㎡)












ブクンダ公園 藤井寺 1-846-3 藤井寺市  S.48 (1973) 2,391
林児童公園 林 6-385-2,5 藤井寺市  S.55 (1980) 1,149
小山五反並(ごたんなみ)公園 小山 5-869-2,870 藤井寺市  S.58 (1983) 888
宮山児童公園 ※2 野中 2-3 藤井寺市  S.61 (1986) 2,851
丹北小山下大船児童公園 ※3 小山 2-13-1,15-1 藤井寺市  H. 1 (1989)※2 1,535
大井垣添児童公園 大井 2-506-3 藤井寺市  H. 3 (1991) 1,034
北條馬場児童公園 北條町 16-55,57 藤井寺市  H. 4 (1992) 1,157
梅が園善徳保公園 梅が園町 333-1 藤井寺市  H. 7 (1995) 2,743
道明寺(どうみょうじ)京樋公園 道明寺 4-114-2,89-3 藤井寺市  H.13 (2001) 1,119
10 オオガイト緑地 北岡 1-1048-1 藤井寺市  H.14 (2002) 733
11 東小山公園 小山 8-982-36,39 藤井寺市  H.14 (2002) 319
12 小山西住宅公園 小山 2-7 大阪府  H.14 (2002) 1,968
13 道明寺盾塚古墳公園 道明寺 6-6 大阪府  H.14 (2002) 5,399
14 道明寺西山畑公園 道明寺 6-1 大阪府  H.14 (2002)) 1,002
15 大井住宅公園 大井 5-630 大阪府  H.14 (2002) 1,116
16 川北公園 川北 3-7 大阪府  H.14 (2002) 1,528
17 大井佃公園 大井 3-685-3 藤井寺市  H.15 (2003) 100
18 小山藤美公園 小山藤美町 11 大阪府  H.16 (2004) 849
19 林1丁目ほがらか公園 林 1-180-27 藤井寺市  H.16 (2004) 222
20 小山さくら町公園 小山 7-985-4 藤井寺市  H.16 (2004) 481
21 小山はなみずき公園 小山 7-1221-15 藤井寺市  H.17 (2005) 181
22 古室(こむろ)3丁目児童公園 古室 3-171-2 他 藤井寺市  H.19 (2007) 434
23 国府(こう)衣縫塚(いぬいづか)公園 国府 1-395-4 藤井寺市  H.19 (2007) 153
24 さくら町緑地 さくら町 131-9 藤井寺市   H.19 (2007) 142
25 さくら町北緑地 さくら町 131-52 藤井寺市  H.21 (2009) 215
26 春日丘公園 春日丘 3-438-28 藤井寺市  H.21 (2009) 163
27 春日丘新町公園 春日丘新町 611-33 藤井寺市  H.22 (2010) 431
28 春日丘2丁目公園 春日丘 2-693-114 藤井寺市  H.26 (2014) 210
29 国府3丁目児童公園 国府 3-57-9 藤井寺市  R. 2 (2020) 150
30 石川河川公園(府営) ※4 道明寺3丁目地内 ※4  H.13 (2001)  31,000















小山児童公園 小山 4-918-38  S.42 (1967) 926
小山児童遊園 小山新町 1094の一部  S.29 (1954) 594
青山2丁目児童遊園 青山 2-630-101  S.55 (1980) 763
川北3丁目第2児童遊園 川北 3-230-8  H.10 (1998) 140
さくら公園 藤ヶ丘 4-354-114  S.39 (1964) 1,503
小山藤の里児童遊園 小山藤の里町 424の一部  S.39 (1964) 387
土師の里(はじのさと)児童遊園 道明寺 1-489-2  S.40 (1965) 125
惣社(そうしゃ)児童遊園 惣社 1-492  S.43 (1968) 366
津堂児童遊園 津堂 1-62,63  S.44 (1969) 449
10 野中(のなか)児童遊園 野中 2-1 ※5  S.45 (1970) 661
11 南岡児童遊園 岡 1-1162  S.47 (1972) 334
12 北岡児童遊園 北岡 2-144-2,145-5  S.47 (1972) 574
13 西名阪下津堂児童遊園 津堂 2丁目地内  S.49 (1974) 912
14 西名阪下小山第1児童遊園 小山 6丁目地内  S.49 (1974) 1,200
15 西名阪下小山第2児童遊園 小山 8丁目地内  S.49 (1974) 1,587
16 西名阪下小山第3児童遊園 小山 8丁目地内  S.49 (1974) 1,502
17 西名阪下道明寺第1児童遊園 道明寺 6丁目地内  S.49 (1974) 1,138
18 西名阪下道明寺第2児童遊園 道明寺 4丁目地内  S.49 (1974) 787
19 古室児童遊園 古室 2-435の一部  S.52 (1977)) 506
20 青山1丁目児童遊園 青山 1-823-2  S.63 (1988) 190
21 西名阪下小山第4児童遊園 小山 6丁目地内  S.57 (1982) 1,172
22 小山5丁目第1児童遊園 小山 5-871-3  S.49 (1974) 104
23 小山9丁目第1児童遊園 小山 9-372-8  S.50 (1975) 148
24 西古室1丁目第1児童遊園 西古室 1-45-41  S.49 (1974) 95
25 西古室1丁目第2児童遊園 西古室 1-108-11  S.49 (1974) 100
26 西古室1丁目第3児童遊園 西古室 1-110-7  S.50 (1975) 94
27 大井4丁目児童遊園 大井 4-532-23  S.50 (1975) 105
28 北條町児童遊園 北條町 3-16  S.49 (1974) 98
29 道明寺4丁目第1児童遊園 道明寺 4-228-28  S.50 (1975) 215
30 惣社2丁目児童遊園 惣社 2-272-25  S.52 (1977) 243
31 国府2丁目児童遊園 国府 2-308-7  S.52 (1977) 142
32 小山7丁目児童遊園 小山 7-1042-1の一部  S.53 (1978) 234
33 小山2丁目児童遊園 小山 2-267-18  S.53 (1978) 99
34 林1丁目児童遊園 林 1-172-1,174-1  S.53 (1978) 268
35 小山8丁目児童遊園 小山 8-840-7  S.54 (1979) 282
36 小山5丁目第2児童遊園 小山 5-765-13  S.55 (1980) 143
37 川北3丁目第1児童遊園 川北 3-238-93  S.56 (1981) 214
38 沢田1丁目児童遊園 沢田 1-154-14  S.55 (1980) 150
39 小山1丁目児童遊園 小山 1-436-15  S.60 (1985) 99
40 国府1丁目児童遊園 国府 1-413の一部  S.51 (1976) 185
41 岡1丁目児童遊園 岡 1-191-3  S.57 (1982) 137
42 てんとう虫児童遊園 春日丘 2-693-41  H. 3 (1991) 372
43 小山9丁目第2児童遊園 小山 9-355-48  H.10 (1998) 127



翠花堤苑(大水川散策公園) 小山 7丁目~林 1丁目地内  S.59 (1984) 17,565
彩花堤苑(   〃   ) 沢田 2丁目~林 2丁目地内  S.60 (1985)
落堀川(おちぼりがわ)散策公園 大井 2丁目~小山 7丁目地内  H. 4 (1992) 5,336
野中緑地 野中 5丁目地内  S.60 (1985) 501
青山緑地 青山 3丁目地内  H. 3 (1991) 1,000
城山古墳小山花菖蒲園 津堂地内  H. 3 (1991) 4,200
城山古墳津堂草花園 津堂地内  H.10 (1998) 4,500
ふじみ緑地 小山藤美町 880-40  H.25 (2013) ※6 6,270
大井5丁目ふれあい広場 大井 5-117  H.26 (2014) 678







沢田長谷上ポケットパーク 沢田 2丁目地内  S.61 (1986) 24

藤ヶ丘山道ポケットパーク 藤ヶ丘 1丁目地内  S.61 (1986) 207

藤ヶ丘谷ポケットパーク 藤ヶ丘 1丁目地内  S.61 (1986) 76
道明寺森ノ下ポケットパーク 道明寺 1丁目地内  S.61 (1986) 44
西古室下ノ内ポケットパーク 西古室 2丁目地内  S.61 (1986) 68
沢田中クロポケットパーク 沢田 1丁目地内  S.61 (1986) 52
藤ヶ丘丹下街道ポケットパーク 藤ヶ丘 4丁目地内  S.61 (1986) 57
国府馬場崎ポケットパーク 国府 2丁目地内  S.61 (1986) 38
国府八反ポケットパーク 国府 3丁目地内  S.63 (1988) 100
10 西古室宇柳ポケットパーク 西古室 1丁目地内  S.63 (1988) 139
11 藤ヶ丘藤井ポケットパーク 藤ヶ丘 2丁目地内  H. 3 (1991) 86
12 船橋渕川ポケットパーク 船橋町地内  H. 7 (1995) 237
                                        合 計 ※7 122,111
 藤井寺市サイト『藤井寺市内 公園・緑地一覧表(R8.3.31現在)』(都市整備部道路公園課)より
 …「藤井寺都市計画公園」-『大阪府都市公園一覧表(府都市整備部公園課)令和6年版』記載の表による。
 ※1「土地所有」の区分は『大阪府都市公園一覧表』記載の表による。
 ※2「宮山児童公園
」の名称は、藤井寺市作成の『藤井寺市現況図』藤井寺市地域防災計画』藤井寺市防災
   ガイドブック』や公園入口の標柱などでは、「野中宮山児童公園」が用いられている。
 ※3「丹北小山下大船児童公園」の名称は府の一覧表では「小山下大船児童公園」となっている。
   また、開設年度は府の一覧表では「昭和63年度
(1988年)」となっている。
 ※4「石川河川公園(府営)」は大阪府営公園であるが、市の「都市公園」一覧に加えられている。府の一覧表
   では「藤井寺都市計画緑地」として別表で記載され、開設年度は「平成7年度
(1995年)」となっている。
   また、「所在地」は「道明寺3丁目地内並びに道明寺3丁目及び国府2丁目各地内」となっている。
 ※5「野中児童遊園」の所在地「野中 2-1」は、市サイト掲載の地番図では野中宮山古墳の墳丘内が該当する
   が、位置や範囲の特定ができないので
で表示している。
 ※6「ふじみ緑地」の面積「
6,270㎡」には以前の市営ふじみ緑地駐車場の面積も含まれている。この場所に
   は2026年4月より飲食チェーンの商業施設が開業しており、緑地の実質的な面積はほぼ1/3程度である。
 ※7「合計」の面積には府営石川河川公園の31,000
(3.1ha)が含まれている。
都市公園」と「都市計画公園」
 『藤井寺市内 公園・緑地一覧表』では「都市公園」としてひとくくりになっていますが、大阪府発行の『大阪府都市公園一覧表』では
「都市計画公園」と「その他の都市公園」が別表になっています。上の表での付いているものが「都市計画公園」として記載されていま
す。上の一覧表のデータを見てわかるように、都市公園と都市計画公園は必ずしも面積的規模で区分されているのではないようです。公園
については関係する法規で多くのことが規定されており、やはり、その設置目的や用途、都市計画との関係性などで扱いが分けられている
ようです。「都市公園」と「都市計画公園」ではどのような違いがあるのでしょうか。調べてわかったことを簡単にまとめてみます。
都市公園 都市計画公園
都市公園は地域の憩いの場として市町村が整備する一般的な
 公園で、公園法などの規定のもと、誰でも自由に訪れて散歩
 をしたり遊具で遊んだり、自然観察をしたりする場所として
 運用される。
日常的な利用を前提に、広場や遊具、ジョギングコース、緑
 地などが組み合わされている。
都市公園は日々の管理を自治体が行い、日常的な利用を前提
 とした自由度の高い運用がなされる。利用ルールも比較的柔
 軟で、広場や遊具、緑地などの活用がしやすいと言える。
都市計画公園は、都市計画法の枠組みで設けられる公園で、
 将来の都市像を具体的な区画として確保することを主目的と
 してる。
都市計画公園は将来の開発計画の影響を受けることがあり得
 る。例えば、一部の区画が将来の道路拡張や商業地区の再開
 発のために変更される可能性があり、現在の利用に制限が加
 わることもある。
公共の空間をどう守るかという観点では都市公園の方が安定
 感が高く、都市計画公園は都市の成長と変化に対応する性格
 を持っていると言える。
 いささか抽象的になりましたが、ざっとまとめるとこのようなことになるようです。法で規定される「都市公園」は、最も端的にひと口
で表すとすれば、「
都市公園法に定められた、国または地方自治体が設置した公園。」ということになります。実際には都市公園法で都市
公園の定義や種類、施設、設置や管理・運営などについて細かく多くのことが規定されています。ここでは、参考のために「都市公園法」
の「第1章 総則」の第1条・第2条だけをを紹介しておきます。法全体は本則
43箇条と附則で構成されています。
都市公園法 第1章 総則
第1条  この法律は、都市公園の設置及び管理に関する基準等を定めて、都市公園の健全な発達を図り、もつて公共の福祉の増

(目的)
 進に資することを目的とする。
第2条  この法律において「都市公園」とは、次に掲げる公園又は緑地で、その設置者である地方公共団体又は国が当該公園又

(定義) 
は緑地に設ける公園施設を含むものとする。
    一 都市計画施設
都市計画法(昭和43年法律第100号)第4条第6項に規定する都市計画施設をいう。次号において同じ。
      ある公園又は緑地で地方公共団体が設置するもの及び地方公共団体が同条第2項に規定する都市計画区域内において
      設置する公園又は緑地
    二 次に掲げる公園又は緑地で国が設置するもの
 (略)
 2   この法律において「公園施設」とは、都市公園の効用を全うするため当該都市公園に設けられる次に掲げる施設をいう。
    一 園路及び広場
    二 植栽、花壇、噴水その他の修景施設で政令で定めるもの
    三 休憩所、ベンチその他の休養施設で政令で定めるもの
    四 ぶらんこ、滑り台、砂場その他の遊戯施設で政令で定めるもの
    五 野球場、陸上競技場、水泳プールその他の運動施設で政令で定めるもの
    六 植物園、動物園、野外劇場その他の教養施設で政令で定めるもの
    七 飲食店、売店、駐車場、便所その他の便益施設で政令で定めるもの
    八 門、柵、管理事務所その他の管理施設で政令で定めるもの
    九 前各号に掲げるもののほか、都市公園の効用を全うする施設で政令で定めるもの
 3  (略)
児童遊園」
 上の一覧表では「児童遊園」が最も多いのですが、子どもたちは日常
的には「公園」も「児童遊園」も「公園」として捉えていることでしょ
う。「児童遊園」については、右の表のようなことがわかりました。
 「○○児童遊園」という名称でも、実際には児童福祉法で規定する児
童遊園と都市公園法上の公園とが混在しているようです。
 藤井寺市内
43ヵ所の児童遊園の面積を見ると最多の場所と最少の場
所では
17倍の開きがあります。小さい所では教室を一回り大きくし
た程度の児童遊園もあります。めぼしい遊具も無く、この場所でいった
いどんな遊びをしたらよいのだろう、と疑問に思うような所もありまし
た。設置された時期や経緯がまちまちなので、これはある程度やむを得
ないことかも知れません。
 児童遊園
児童遊園とは、児童福祉法第40条に規定されている児童
 厚生施設の一つで、児童の健康増進や、情緒を豊かにす
 ることを目的とし、児童に安全かつ健全な遊び場所を提
 供する屋外型の施設である。
「○○児童遊園」という名称でも、行政上の区分は児童
 福祉法上の児童遊園ではなく、都市公園法上の公園の場
 合もある。
 

70あまりの公園・児童遊園
 藤井寺市内には遊び場などに利用できる「公園・児童遊園」が、一覧表では合計
73ヵ所あります。緑地」の「ふじみ緑地」「大井5丁
目ふれあい広場」もこれに加えてよいでしょう。市域の狭い藤井寺市にあっては、けっこう多く存在していると言えます。背景としては、
市域の多くが住宅地になっていて人口密度の高いことが挙げられます。「開設年度」を見ると、人口増加の進行に伴って順次増えてきたこ
とがわかります。私が初めて藤井寺市の小学校に赴任した
50数年前より以前に開設していたのは、表の中の6ヵ所だけでした。
 市域面積が少ないだけに、公園や児童遊園を設置する場所の確保にはかなりの困難もあったのではないかと想像されます。公園・児童遊
園が設置された場所の条件や経緯は様々ですが、大まかには次のように分けられるかと思います。
 元からの市有地や新たに取得した用地に市が設置したもの。ごく一般的な設置のあり方だと思われますが、実際は思ったほど多
 くはないようです。すべての公園や児童遊園をこの方式で設置するとなると、用地の取得だけでも多額の予算が必要となります。
  緑地の「ふじみ緑地」と「大井5丁目ふれあい広場」も一応はこの区分に入りますが、やや特別でもあります。どちらも、
 元は府営住宅敷地の一部だった所です。府営住宅の「藤井寺小山藤美住宅
」「藤井寺大井住宅」では建て替え高層化事業が行われ、
 それによって生まれた余剰地が市に移管されました。その土地が緑地に利用されています。
 神社の社地やため池の一部を利用して設置したもの。元々地区の共有地であった神社も多く、ため池も地区財産であったり地区
 が水利権を所有したりしていることが多く、公有地化しやすかったと思われます。
また、地区住民や児童が利用できる施設であり、
 地区の賛同・理解を得やすいということもあったでしょう。神社境内隣接のものは19
40が挙げられます。
  ため池の埋め立て地としてはがあります。
 事業者が開発・建設した住宅地内に計画段階から公園・児童遊園の配置を組み込んで設置したもの。住宅地開発に関する種々の
 法令や「藤井寺市開発指導要綱」「同 施行基準」などで規定されており、事業者が建設して市に提供するものです。藤井寺市内
 には宅建事業者の開発による住宅地がたくさんあ
り、これに該当する公園・児童遊園も多いと思われます。11172029などが
 近年の代表例です。
 国や大阪府、事業法人の所有地に設置されたもの。国有地としては石川の河川敷を利用した30がありますが、府営公園です。
  府有地としては府営住宅の敷地内に設置したもので、121314151618が挙げられます。
  事業法人の所有地としては西名阪自動車道の高架下の土地が該当します。高速道路は現在は西日本高速道路(
NEXCO西日本)で
 すが、高架下の児童遊園は旧・日本道路公団の時代に高架下土地を借用して市が設置しました。道路公団の民営化によって高速道
 路用地の所有・管理は独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構に継承されていますが、実質的には今でも国有地と言えるで
 しょう。13141516171821がこれに該当します。
いろいろな公園・児童遊園  もう少し詳しくいくつかの事例を見てみましょう。 
の神社に隣接している例です。隣接する神社を紹介しておきます。
  児童遊園に隣接するのは「土師里
(はじのさと)八幡神社」「志貴縣主(しきあがたぬし)神社」「19古室八幡神社」「40国府八幡神社」です。
  都市公園の「北條馬場公園」に隣接するのは「黒田神社」です。元々は黒田神社の境内地だった東側の
350坪ほどに公園が設置され
 ました。境内地を含むこの一帯の小字
(こあざ)名「馬場」を付けた公園名になっています。土地所有が藤井寺市になっているので、公有地化
 されたものと思われます。                      アイコン・指さしマーク
Googleマップストリートビュー「北條馬場児童公園」
  昔から村の鎮守の境内は子どもたちのよい遊び場でした。その名残がこのような公園・児童遊園なのかも知れません。
同じくのため池の埋め立て地の例を挙げます。代表的なのは、何と言っても「ブクンダ公園」でしょう。都市公園の一覧ではNo.1
 に掲載されており、開設年度が最も早い都市公園です。開設された時は「ちびっこ広場」という名称でしたが、後に小字名を付けた公園
 が開設された時期にこの公園も改称されました。埋め立てられる前は「仏供田池
(ぶくでんいけ)」というため池でした。池の名にちなんで「ブ
 クンダ公園」の名称に変わりました。 
※「仏供田池」と「ブクンダ公園」の名称の関係については別ページを参照  アイコン・指さしマーク 「仏供田池跡地」
  仏供田池の埋め立て地には、都市公園のほかにも市立第3保育所、市営駐車場が前後して開設されました。駅に近い場所で、時代が要
 求する公共施設を三つも造ることができました。貴重な埋め立て地であったことがわかります。      アイコン・指さしマーク 「ブクンダ公園」

  もう一つのため池の埋め立て地が「宮山児童公園」です。「宮池」というため池の一部を埋め立てて公園が設置されました。本来は
 「野中宮山古墳」という前方後円墳の周濠なのですが、昔から村で共有するため池として農業水利に使用されてきました。残っている池
 の部分は現在も地区の水利組合が管理するため池です。野中宮山古墳の後円部頂には野中神社があり、神社境内地と公園部分とはひと続
 きの地形です。公園から墳丘部分へは自由に行き来できるので、古墳全体が事実上の「古墳公園」のようになっています。なお、「宮山
 児童公園」の名称は、公園の東西入口にある標柱や市が作成した地図などでは「野中宮山児童公園」となっています。
  市域の狭い藤井寺市では、公共施設の建設用地としてため池の埋め立て地は貴重な存在となってきました。ここで紹介した事例のほか
 にもいろいろとあります。別ページで紹介しています。      アイコン・指さしマーク 「藤井寺市の川と池」
     アイコン・指さしマーク 「野中宮山児童公園」
③ ブクンダ公園と仏供田池跡地の様子 ④ 真上から見た野中宮山古墳・宮山児童公園
③ ブクンダ公園と仏供田池跡地の様子
    〔GoogleEarth 2023(令和5)年5月10日〕より
   池跡地の北側と東側には商業施設・商店街、南側には
  辛國神社の境内が広がる。
  文字入れ等一部加工
④ 真上から見た野中宮山古墳・宮山児童公園
  〔GoogleEarth 2025(平成7)年4月9日〕より  文字入れ等一部加工
の住宅地開発に伴って設置される公園の例です。藤井寺市では、高度経済成長期から住宅地建設が続いてきたため、この事例に該当
 する公園は多いと思われます。例示で挙げた
11172029などは比較的新しい方です。
  大阪府内、特に大阪市内の人口増加・住宅不足に対応して
藤井寺市域でも昭和30(1955)年前後から公営住宅地の建設が進められまし
 た。国の施策として日本住宅公団
(現都市再生機構UR)が設立され、大都市やその周辺地域に公団住宅団地が次々と建設されていきました。
  藤井寺市域でも、昭和32年には住宅公団・藤井寺団地(現サンヴァリエ藤井寺)、昭和35年には住宅公団・春日丘団地(現サンヴァリエ春
 日丘)
の2ヵ所の公団住宅団地で入居が開始されました。大阪府営住宅も5ヵ所の住宅地ができました。これらの公営住宅地では、住宅地
 内に初めから公園か児童遊園が設置されていました。公営住宅地ではこの《住宅地+公園
というモデルが一般化していましたが、民間の
 事業者による住宅地開発ではまだ一般的ではありませんでした
。そのため、藤井寺市域での事業者開発住宅地では時期や場所によって公
 園の設置状況に違いができました。
  民間事業者による大規模住宅地開発で先べんをつけたのは電鉄系の大手不動産企業でした。田畑だけが広がるの野中地区
(旧野中村)
 北部に昭和35,6年の時点で約240戸の大規模な戸建て住宅地が登場しました。現在
 の藤ヶ丘1
2丁目です。藤井寺市域(当時美陵町)では初の事業者開発の住宅地で、整
 然とした街区の街並みでしたが、住宅地の中に公園や児童遊園は造られていません。
  藤ヶ丘住宅とほぼ同じ頃に小山地区にも約170戸規模の住宅地が登場しています
 現在の小山藤の里町です。全体の完成は藤ヶ丘住宅地に少し遅れていましたが、住宅地
 の中央部には児童遊園が設置されました。藤井寺市域における事業者開発の住宅地とし
 ては、これが 《住宅地+公園》の先がけとなる例ではないかと思われます。これ以降
 には《住宅地+公園》モデルが一般化していきますが、少し遅れて開発が始まった恵美
 坂住宅
(現恵美坂1丁目)には公園は設置されていません。ここは昭和40年代後半では
 約
180戸程度になっています。
  藤ヶ丘住宅地や小山藤の里住宅に数年遅れて完成した梅が園住宅
(現梅が園町)は、
 和
40年代中頃には約
240戸になっていましたが、 ここには面積約2,700㎡という、
 それまでの藤井寺市域には無かった規模の公園が設置されました。これは小山藤の里児
 童遊園の約7倍という広さです。現在の「梅が園善徳保公園」ですが、公園の向かい
 にある小学校に私が勤務していた頃までは「梅が園公園」でした。上の一覧表で開設年
 度が平成7(1995)年度となっているのは公園名が改称された時期で、小字名「善徳保」
 の付く名称になりました。市内の都市公園としては最も早く誕生した公園です。
  その後、市内のほぼ全域が住宅都市化していく中では、一ヵ所で
100戸を超えるよう
 な規模の住宅地開発は少なくなり、多くが小規模の宅地開発になりました。それでも、
 《住宅地+公園》モデルは新規開発住宅地の一般的スタイルとなっています。開発指導
 要綱などによる規定や行政側の要請もあったでしょうが、住宅建設事業者としても公園
 や児童遊園の設置は子育て世帯に向けた重要なアピールポイントとなりました。
  ⑤ 梅が園町全体と梅が園善徳保公園の位置
  ⑤ 梅が園町全体と梅が園善徳保公園の位置
  〔GoogleEarth 2023(令和5)年5月10日〕より
             文字入れ等一部加工
    アイコン・指さしマーク「梅が園善徳保公園」 
  なお、藤井寺市では都市公園の公園名制定については昭和50年代終わり頃から、地区名にその場所の小字(こあざ)名を付ける形が取り入れ
 られてきました。一覧表にある「五反並・下大船・垣添・馬場・善徳保・オオガイト
(大垣外)・西山畑・佃・衣縫塚」がそうです。「ブ
 クンダ」も小字名を付けたことになっていますが、基になったため池の名称は本来は「仏供田池
(ぶくでんいけ)」です。小字名が付いていない
 公園は、公園のある土地が複数の小字にまたがっているためと思われます。この場合は地区名を基本として命名されています。
  児童遊園の場合は、「地区名+丁目」の付く形を基本としています。小字名の読みは児童には難しいということなのでしょう。
  
の国有地に設置された公園の例です。一級水系大和川水系・石川の河川敷に設置された公園で、土地は国有地ですが大阪府営公園で
 す。石川の管理は、石川橋から下流側
(北側)は国の直轄管理ですが、石川橋から上流側(南側)の管理は大阪府に法定委託されています。
 そこに設置されたのが「30大阪府営石川河川公園
です。一覧表にある面積31,000㎡は藤井寺市域部分の面積で公園は南側に隣接
 する羽曳市域まで続いています。この河川敷の管理は大阪府富田林土木事務所の所管ですが、河川公園の管理・運営は外部の指定管理者
 に委託されています。府営公園が市の都市公園一覧に入っている理由はよくわかりませんが、市が所管する地域行事などに河川公園を使
 用するこなどが関係しているのかも知れません。        アイコン・指さしマーク 都市公園石川河川公園管理共同体サイト「石川河川公園」
の府営住宅の敷地内に設置された公園の例です。土地所有は大阪府ですが市が管理する都市公園です。府営住宅が開設された当初
 は府が管理していたのかも知れませんが、後に公園は市に移管されたようです。何しろ、大阪府内には府営住宅地が
300ヵ所以上もあっ
 て
、それぞれに公園が設置されています。規模の大きい住宅地では複数ヵ所の公園が設置されたでしょう。そのすべてを大阪府が管理す
 るとなると大変な人手や費用が必要になります。市町村に移管されるのもやむを得ないことです。
       ※ 310団地の他に、平成27年~令和5年に大阪市62団地、大東市4団地、門真市7団地、池田市1団地が市営に移管されている。移管総戸数は約18,600戸。
  藤井寺市内の府営住宅は、「藤井寺道明寺住宅」「藤井寺小山西住宅」「藤井寺大井住宅」「藤井寺川北住宅」「藤井寺小山藤美住宅
 の5団地があります。府営住宅の名称は、現在は多くが頭に市町名の付く形になっています。 市内の府営住宅は昭和
30年代初め頃から
 建設が始まっていますが
その頃はまだ藤井寺町と道明寺町の時代でした。昭和34年4月に両町が合併して初めて一つの自治体となって
 います。合併当初は「藤井寺道明寺町」で、1年後に「美陵町
(みささぎちょう)」という町名になりました。市制施行で「藤井寺市」が誕生した
 のは、昭和
41(1966)年11月1日でした。                          アイコン・指さしマーク「藤井寺市ができるまで」
  5ヵ所の府営住宅は平成時代になってからすべて建て替え高層化事業が行われ、余剰地が生まれたことで公園は以前よりも広くなりま
 した。大井住宅では余剰地の一部が民間事業者に売却されています。小山藤美住宅でも半分近い余剰地ができましたが、市に移管されて
 「ふじみ緑地」となっています。そのような府営住宅内の新しい都市公園で、群を抜いて大きな面積を持つのが「13道明寺盾塚古墳
 公園」です。
5,399㎡という、2番目の宮山児童公園の倍近い面積です。
  昭和30年代初めに道明寺住宅
 が建設された場所は、南の誉田
 御廟山古墳
(応神天皇陵)と北の
 仲津山古墳
(仲津姫命陵)に挟ま
 れる位置にあり、いくつもの小
 古墳がありました。当時調査さ
 れた古墳は、出土物の特徴から
 「珠金塚
(しゅきんづか)古墳」盾塚
 
(たてづか)古墳」「鞍塚(くらづか)古墳
 と命名されました。
  残念ながらこれらの古墳は府
 営住宅建設のためにすべて破壊
 され、調査記録と出土物だけが
 残されました。その跡地に宅地
⑥ 府営藤井寺道明寺住宅と盾塚古墳公園 ⑦ 完成から数年後の府営道明寺住宅
 ⑥ 府営藤井寺道明寺住宅と盾塚古墳公園
     〔GoogleEarth 2025(令和7)年4月9日〕より
 ⑦ 完成から数年後の府営道明寺住宅
     〔1961(昭和36)年5月30日 国土地理院〕より
 造成が行われ、「府営道明寺住宅」が誕生したのです。住宅地には公園がありましたが、小規模なものでした。
  平成時代になって建て替え高層化事業が道明寺住宅でも進められました。高層化によって敷地には多くの余剰地ができましたが、ここ
 では民間への売却は行われず、公園や庭園、駐車場に転用されました。そこで誕生したのが「盾塚古墳公園」です。一度は姿を消した盾
 塚古墳があった場所に、調査で把握されていた盾塚古墳のサイズで古墳の形が復元されました。公園広場なので高い墳丘までは復元でき
 ませんでしたが、後円部の円形部分は少しだけ真ん中が盛り上がっていて、前方後円墳の姿をイメージしやすいようになっています。住
 宅があった鞍塚古墳の場所は駐車場などに変えられて、いつでも復元可能な場所になっています。珠金塚古墳の場所は高速道路の敷地に
 なっていたために、ひと足先に住宅が姿を消していました。
  府営道明寺住宅の新しい住宅棟は盾塚古墳や鞍塚古墳の場所を囲むように配置されています。かつて住宅建設のために犠牲になるよう
 な消え方をした古墳に対して、また、葬られていた人に対して、せめてものお返しになるように考えられた設計だったのでしょう。
  府営藤井寺道明寺住宅と道明寺盾塚古墳公園は、古市古墳群の半数強を抱える藤井寺市を象徴するような存在とも言えるでしょう。
                                  アイコン・指さしマーク
Googleマップストリートビュー「道明寺盾塚古墳公園」
 同じくの事業法人の所有地に設置された公園の例です。欄で紹介したように、西名阪自動車道の高架下に7ヵ所の児童遊園が設
 置されています。高速道路の下の児童遊園自体が珍しいものですが、市域が狭く公共施設用地の確保が難しい藤井寺市では、高架下を利
 用できたことは有り難いことだったと思われます。ただ、実際の児童遊園を見ると、青空のもとで遊び回る子どもたち、というイメージ
 には結び付かない光景です。高架で覆われているため日中でもやや薄暗く、芝生や植栽の緑というものが一切見られません。その様子は
 いささか残念でもあります。しかしながら、日差しのきつい猛暑の夏には、日陰で遊べる手頃な場所でもあります。
 

緑地とポケットパーク
 一覧表には「緑地」と「ポケットパーク」もあります。少し取り上げておきたいと思います。
翠花堤苑(大水川散策公園)」「彩花堤
 苑(〃)」
落堀川散策公園」は「散策公園
 
となっていますが、実際の場所は河川に沿っ
 た付属地で通路になっている場所です。見た
 目には普通の道路のように見えますが、市道
 などに認定された一般道路ではありません。
 河川の保守・管理のためにある通路で、河川
 と一体のものです。普段は車両進入禁止の遊
 歩道として開放されており、作業車両が通れ
 る幅を残して道路脇に様々な植栽が設置され
 ています。季節の花をめでながらゆっくりと
 散策ができる場所となっています。
  翠花堤苑と彩花堤苑は「大水川(おおずいがわ)
  ⑧ 大水川沿いの散策公園「彩花堤苑」(右岸 南より) ⑨ 大水川南岸の「翠花堤苑」(左岸 南東より)
  ⑧ 大水川沿いの散策公園「彩花堤苑」
  (右岸 南より)
   2019(令和元)年5月
  ここから国道170号の新大水川橋までが彩花堤苑
⑨ 大水川南岸の「翠花堤苑」
  (左岸 南東より)
  2019(令和元)年6月
 国道170号新大水川橋から北西・北が翠花堤苑
 沿いの遊歩道に設けられています。この大水川は、昭和40年代頃頃から3年ほどかけてバイパス放水路として建設された新しい川です。
 河川整備が完了し
てから10年後に二つの散策公園が設けられました。府道12号堺大和高田線の北にある新大蔵橋から国道170号の新大
 水川橋までが「彩花堤苑」で
写真⑧が新大蔵橋の横から北を見た様子です。国道から北方へ向かい落堀川に接続するまでが「翠花堤苑
 で、写真⑨が国道から北西に向かう入口の様子です。                  アイコン・指さしマーク「藤井寺市の川と池-大水川」
 
  落堀川散策公園は落堀川の南側に沿って造られた遊歩道です。
 落堀川は江戸時代の
18世紀初めに現在の大和川が造られた時に、
 大和川に並行して造られた排水路です。そのため、川沿いに付属
 地のような場所は無かったのですが、すぐ南側に下水処理場の大
 井水みらいセンターが建設され、その周回道路が整備される時に
 この散策公園も造成されました。したがって、落堀川散策公園が
 あるのは、水みらいセンターの西側に沿って北上した大水川が合
 流する位置までです。落堀川そのものは西に隣接する松原市域ま
 で続いています。写真⑩は散策公園の両側に並ぶ桜が満開の時に
 撮ったものです。市内各地の桜名所でクビアカツヤカミキリによ
 る大きな被害が出ていますが、ここではまだ被害は少なく、現在
 では市内で最も桜の多い場所となっています。 
⑩ 落堀川と散策公園(西より)
⑩ 落堀川と散策公園(西より)   2020(令和2)年4月  落堀川の両側に
    続く桜並木は見応えがある。左の桜並木の場所は大和川の南岸堤防。

              アイコン・指さしマーク「藤井寺市の川と池-落堀川」
野中緑地」は国道170(大阪外環状線)沿いにあります。現在の国道170号の新たな建設に伴って青山緑地とともに造られました。
 野中緑地の場所は普通の農地でしたが、ここに緑地が設置された訳がよくわかりません。きれいに刈り込まれた植栽が並び、中を通る遊歩
 道には8個ほどのコンクリート製スツールがあります。前を通る国道本線が高架上に変わってからは、緑地の前の道路は北行き車線の側道
 になりました。側道の反対側の緑地西側に沿って側道から出入りする一方通行の道路が設けられています。その道路に面してさらに西側に
 6軒の住宅が並んでいます。周辺の状況から見て、これらの住宅の出入りのための道路だと思われます。この道路と側道との間の部分に緑
 地が設置されたようです。
  私は今までにこの緑地の前を数え切れないほど通っていますが、緑地の中で過ごしている人を見たことがありません。そもそも、この場
 所はくつろいだり休憩したりするような場所柄ではないからだと思います。必要があって進入路を造ったが、側道との間の部分を空地にし
 ておくわけにもいかず緑地にした、ということなのかなと思いました。        アイコン・指さしマーク
Googleマップストリートビュー「野中緑地」 
青山緑地」も国道170号沿いにあります。青山緑地もめったに人を見かけることのない緑地です。すぐ前には通行量の多い国道170
 が通り、反対車線側は大阪南消防組合の消防局
(本部)です。かなり騒々しい場所です。この場所もくつろいだり休憩したりするような場所
 柄ではありませんが、緑地が設置された訳はある程度は推測できます。
  この緑地の場所は、元は「上田池
(かみのたいけ)」というため池の一部でした。国道170号の建設ルートの計画で、この上田池の一部を埋め立
 てて通すことになりました。民家の並ぶ集落や古墳を避けたルートにする場合、ため池を通すと都合が良かったのでしょう。上田池は昔か
 ら野中地区
(旧野中村)の共有で準公有地とも言える場所です。優良な農地を道路にするよりはため池を利用する方が地域の理解も得やすい
 でしょう。用地買収の手間も少なくすることができます。上田池の南側に位置する「芦ヶ池」も池の中央部が国道用地に転用されました。
  上田池の南東部分が国道用地となりましたが、国道部分の東側に少しだけ池の部分が残る形となりました。そこだけ池として残すような
 場所でもないので埋め立てられましたが、店舗用地などには利用できない土地でした。奥行きが無く、拡張しようにも東側隣地は2m低い
 段差地形で、「古市大溝
(ふるいちおおみぞ)」という古代水路の遺構があります。結局、「緑地にでもするしかないか」という場所だったと思いま
 す。緑地にふさわしい場所として設置されたのではないことから、めったに人を見ない緑地にならざるを得なかったのだと思います。
  青山緑地は野中緑地の2倍の面積があり
植栽以外の場所もかなり広く取られています。大きな日時計が設置され、石製のスツールも14
 基ほどあります。古市古墳群と古市大溝を説明する案内板も設置されています。大阪府の標章が刻まれた自然石の標石が2基あるので、こ
 の場所は大阪府の所有地か管理地なのかも知れません。国道の付属地であれば、土地は国道を管理する府の土木事務所の所管となります。
  緑地の南端は羽曳野市との境界になっており、国道をはさんだ南西側には羽曳野市立生活文化情報センター
(LICはびきの)があります。
   アイコン・指さしマーク Googleマップストリートビュー「青山緑地」
   アイコン・指さしマーク「藤井寺市の川と池-上田池」  アイコン・指さしマーク「同-芦ヶ池」  アイコン・指さしマーク「古市大溝」
城山古墳小山花菖蒲園」と「城山古墳津堂草花園」は、津堂城山古墳の周濠跡地に造成された花壇遊歩道です。津堂城山古墳は国史
 跡に指定されており、後円部の中心部分が宮内庁によって「陵墓参考地」に治定されています。近年、参考地以外の大部分の市有地化が進
 められ、古墳全体の整備が行われてきました。今では全体が古墳公園のような感じになっています。     アイコン・指さしマーク「津堂城山古墳」
  周濠跡地はずっと昔に埋められて、長らく農地として利用されてきました。北東側には小さな池もありましたが、そこを中心として花菖
 蒲園が造られました。名称が「小山花菖蒲園」となっていますが、津堂城山古墳全体は津堂地区の所在で、なぜ隣の地区名「小山」が付い
 ているのかはよくわかりません。中世に墳丘を利用して「小山城」が築かれていましたが、それに因むのかも知れません。
  草花園は後円部の円周に沿った北西側にあります。ここでは、春は菜の花、秋はコスモスと、季節によってまったく異なる色の花畑が見
 られます。ただ、残念ながら、連作障害のためか最近では以前ほどの壮観さは見られなくなってしまいました。
  津堂城山古墳は、2019(令和元)年7月にユネスコ世界文化遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産
No.22です。藤井寺市内
 では
16基の古墳が構成資産として登録されています。同様にNo.31に登録された「古室山古墳」と共に、自由に出入りして散策や遊びに
 利用できる珍しい世界文化遺産として市民に親しまれている貴重な場所です。          アイコン・指さしマーク「古市古墳群の分布と一覧」
⑪ 見頃の花菖蒲園(東より) ⑫ 草花園の菜の花花壇(北より)
⑪ 見頃の花菖蒲園(東より)    2018(平成30)年6月 ⑫ 草花園の菜の花花壇(北より)   2019(平成31)年4月
ふじみ緑地」はもともと府営藤井寺小山藤美住宅の敷地であった場所です。建て替え高層化事業によって大きな余剰地ができ、市
 に移管されて「ふじみ緑地」となりました。一覧表では面積が「
6,270となっていますが、これには以前の市営ふじみ緑地駐車場の
 面積なども含まれています。現在は駐車場だった場所に飲食チェーンの商業施設が開業し
ており、緑地としての実質的な面積は約1/3程
 度です。2026(令和8)年春には新しい遊具も設置されて
、その実態を見ると「緑地というよりは“広い児童遊園”という方が合っている
 感じです。市内の他の児童遊園よりも遊具が充実しています。
一覧表には12ヵ所の「ポケットパーク」が載っています。「パーク」と付くので「公園」を連想しますが、実際の場所は「公園」とい
 うイメージとは異なります。「ポケット」が表すのは、言葉通り「狭い場所・空間」です。したがって、この「ポケットパーク」は「公
 園」ではなく、「休憩所」とでも言う方が合っているでしょう。市内の各地に設置されていますが、散歩の途中に立ち寄って一休みする
 場所、と捉えることができそうです。一覧表の面積を見てわかるように、中には大変せまい所もあり、立ち入りもしにくく植栽をながめ
 るだけというポケットパークもあります。一休みできそうなベンチがあるのはごく一部です。
  そんな中で、唯一休憩スポットにふさわしいのが「船橋渕川ポケットパーク」で
 す。船橋町地区で、近鉄道明寺線のすぐ西側にあり、北側は大和川の堤防です。渕
 川ポケットパークは開設時期が最も新しく、12ヵ所の内で最も広いポケットパーク
 です。写真⑬がその様子ですが、東屋風の休憩施設のあるのがわかります。この施
 設があるのはここだけです。ここよりもずっとせまい児童遊園もあることを思えば
 随分と恵まれたポケットパークと言えるでしょう。「ポケットパーク」という施設
 の設置を発案した担当者は、もともとはこのような場所をイメージしていたのでは
 ないでしょうか。実際には用地確保や予算繰りの問題などから、なかなか実現が困
 難だったと思われます
。12ヵ所目がやっと本来の「ポケットパーク」だったのかも
 知れません。
  一覧表でわかるように、ポケットパークの名称はすべて「地区名+小字名」にな
 っています。「長谷上・森ノ下・下ノ内・丹下街道・馬場崎」などがそうですが、
 小字名の中には「何でこんな名前?」と問いたくなるものがいろいろとあります。
  ⑬ 船橋渕川ポケットパーク(東より)
  ⑬ 船橋渕川ポケットパーク(東より)
 〔Googleストリートビュー 2024(令和6)年12月〕より
      右側は大和川堤防の上に続く道路
 

そのほかの“公園的な場所”
 ②の一覧表は、“市が所管する”“都市公園や児童遊園・緑地”なので、この対象ではないものは載っていません。しかし、市内には実
態を見ると「公園・緑地」と思って楽しめる“公園的な場所”がほかにも存在します。いくつか紹介しておきます。
まず、広さでは何と言っても「古室山古墳」を挙げることができます。墳丘長
 
150mの大型前方後円墳です。国史跡に指定されており、世界文化遺産百舌鳥
 
古市古墳群の構成資産No.31として登録されています。平面地図上で測れる
 古墳域の面積はおよそ
30,000㎡もあります。これは小学校の敷地2校分に相当
 し、都市公園で最も広い道明寺盾塚古墳公園の約
5.6倍に相当します。
  車両での進入を防ぐために柵で囲まれていますが、人の出入り口は何ヵ所もあ
 り、実態としては出入り自由の“公園状態”です。国史跡なので都市公園などの
 名目に組み入れることはできませんが、市としては“古墳公園”的な存在を考え
 て整備するようです。
  現在までに公有地化が進められており、民家のあるごく一部を除くほぼ全域が
 市有地となっています。以前は多くの部分が民有地だったので、平成時代の中頃
 までは周濠跡地には何軒もの民家や工場が見られました。農地に利用された場所
 も多く、墳丘部分の一部にも畑がありました。
⑭ 古室山古墳の疑似鳥瞰写真(東より)
  ⑭ 古室山古墳の疑似鳥瞰写真(東より)
   〔GoogleEarth3D画 2025(令和7)年4月9日〕より
   遠目には一面がみどりの緑地・公園のように見える。 
  “無料で自由に出入りでき、そこら中で歩き回ったり遊んだりできる”という、津堂城山古墳と共にまことに珍しい世界文化遺産の古
 墳ですが、市民の実感としては現在でも立派な「公園・緑地」だと思います。広い草地や墳丘上がよい遊び場や憩いの場として利用され
 ており、後円部頂からは
360度が遠望できます。古墳見学の小学生たちのかっこうの昼食場所となっています。桜の季節には見事な桜景
 観が見られましたが、残念ながら近年のクビアカツヤカミキリの被害により多くの桜の木が枯死してしまいました。別ページでかつての
 桜景観が見られます。  アイコン・指さしマーク「藤井寺市で桜の見られるおもな場所-古室山古墳」
   アイコン・指さしマーク Googleマップストリートビュー「古室山古墳」
次は「大井ふれあいらんど」です。これは大阪府の都市整備部南部流域下水道事務所が運営する「大井水みらいセンター」の下水処理
 施設の屋上を利用して設置された広場です。水みらいセンターそのものが大変広大な敷地を有する施設ですが、その中にある大きな下水
 浄化処理施設建物の広い屋上が有効利用されているということでしょう。
  広い芝生広場や浄化水のせせらぎ、休憩ができる東屋などがあり、かなりの人数でも一度に利用できる規模です。センターの見学に来
 るたいていの小学生団体は、ここでお弁当を食べ、ひとしきり遊んでから帰って行きます。「ふれあいらんど」は面積が約
21,000㎡あ
 り、これは盾塚古墳公園の4倍近くになります。
100人以上の児童が遊び回っていても、まだまだ広いという感じです。
  施設の内容や利用の仕方の実態を見る
と、どう見てもここは「公園」ですが、あくまでこの場所は下水処理施設「大井水みらいセンター
 の一部です。   アイコン・指さしマーク「大井水みらいセンター」  アイコン・指さしマーク 大阪府都市整備部・南部流域下水道事務所サイト「大井ふれあいらんど」
 
⑮ ふれあいらんどの様子(南より) ⑯ ふれあいらんどの様子(南西より)
⑮ ふれあいらんどの様子(南より)   合成パノラマ
     2014(平成26)年3月     右側後方は生駒山地
⑯ ふれあいらんどの様子(南西より)  合成パノラマ
     2014(平成26)年3月    左は古墳を模した噴水
最後に、再び住宅団地内の“公園的な場所”を挙げておきます。市内に2ヵ所ある都市再生機構(UR都市機構 旧住宅公団)が運営する
 住宅団地です。「サンヴァリエ藤井寺(旧日本住宅公団藤井寺団地)」と「サンヴァリエ春日丘
(旧日本住宅公団春日丘団地)」ですが、ど
 ちらも平成時代に建て替え高層化事業が行われ、その結果生じた余剰地が民間事業者に売却されました。それまでは団地名がそのまま地
 区名となっていましたが、団地以外の部分ができたため、団地を含めて新しい地区名に改称されました。旧藤井寺団地→「さくら町」、
 旧春日丘団地→「春日丘新町」という新しい町名が誕生しました。
  どちらの団地にも建て替え前から団地内に公園がありましたが、現在のサンヴァリエに変わってからも団地の中心部分に“公園”があ
 ります。と言っても、あくまでURが管理する団地内の施設の一つであって、都市公園などではありません。実際の様子を見ると、市が
 設置した児童遊園と同じような感じに見えます。簡単な遊具もあり、利用実態はおそらく同じようなものでしょう。
  民有地となった余剰地の部分には戸建て住宅が並んでいますが、ここには小さいながらも都市公園が造られています
(①分布図参照)
  「住宅公団藤井寺団地」は昭和32(1957)年に入居が始まっています。この前から大阪市を中心にして大阪府の人口増加が進んでおり、
 大阪市の周辺地域である藤井寺市域でも住宅団地の新設が続いていました。次いで、昭和35(1960)年には「住宅公団春日丘団地」の入居
 が始まりました。この頃から日本社会は高度経済成長の時期に入っていきます。藤井寺市域はそれまでの田園地帯という様子から、多く
 の勤労者世帯を受け入れて大阪市近郊の住宅都市へと変貌していくことになります。
    アイコン・指さしマーク Googleマップストリートビュー「サンヴァリエ春日丘の公園」   アイコン・指さしマーク Googleマップストリートビュー「サンヴァリエ藤井寺の公園」
  ついでに紹介しておきます。藤井寺団地ができた場所はそれまで普通の農地でしたが、春日丘団地ができた場所には少しばかり経歴が
 ありました。この場所は昭和初期に当時の大阪鉄道
(後に合併で近畿日本鉄道に)が開発した「藤井寺経営地」の一部で、「藤井寺教材園
 という施設がありました。植物園と公園と学習施設を兼ねたような施設でしたが、後にはこの土地を利用していくつもの学校が進出して
 きました。戦後になって、教材園の土地の一部は学校法人が取得して短大・高校
(現大阪緑涼高校)となり、残りの部分が住宅公団春日丘
 団地となったのです。教材園時代にあった自然林の一部や段差地形を残して配置が設計されていましたが、建て替え後の現在も自然林の
 樹木の一部は残されています。                             アイコン・指さしマーク「藤井寺経営地と教材園」

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