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◆ 梅が園善徳保公園
  (うめがえんぜんとくほこうえん)    藤井寺市梅が園町333-1
  
所管:藤井寺市都市整備部農とみどり保全課  TEL:072-939-1228(農政公園緑化担当)   FAX:072-952-9504
  近畿日本鉄道南大阪線・土師ノ里
(はじのさと)駅から北東へ約930m 徒歩約15(公園正面入口まで)
     〃   道明寺線・柏原南口駅から南へ約830m 徒歩約13
(公園東入口まで)
  府道12号・堺大和高田線から北東へ道明寺東小学校前に進む 府道から約550m 駐車場無し
  府道12号・石川橋西詰め交差点から堤防道路を北東へ進み近鉄道明寺線踏切を南西へ 府道から約800

  公園面積  2,743㎡
      開設:1995(平成7)年度(改称前は「梅が園公園」)
 
① 梅が園善徳保公園(南西より正面入口を見る)   ② 公園内の様子(西より)
梅が園善徳保公園(南西より 正面入口)  2014(平成26)年4月
     建物は地区集会所「梅が園会館」。右側道路沿いの桜が写真②の部分。
  公園内の様子(西より)   2020(令和2)年4月  合成パノラマ
  公園には遊具やトイレも整備され、親子連れにも過ごしやすい公園となっている。
 
改名された公園名
 「梅が園善徳保公園」は、以前には「梅が園公園」と呼ばれていました。公園自体は梅が園町全体がひとつの住宅地として開発された頃
に造られていたのですが、1995年
(平成7年)に現在の名称となりました。昭和50年頃から市は市内の公園整備・増設を進めてきましたが、
その時に、公園名にその場所の昔の小字
(こあざ)名を付けた公園を各地に新設しました。最初が藤井寺駅の南側で池を埋め立てて造られた「ブ
クンダ公園」でした。もっとも、この公園は開設当時は「チビッコ広場」という名前でした。数年後に今の名前に変わりましたが、「ブク
ンダ」は元の池の名前「仏供田池
(ぶくんだいけ)」からきています。
 その後、次々と小字名公園が誕生しました。そんな中で、梅が園公園も改名されました。「善徳保」もこの場所の昔の小字名ですが、現
在の公園の範囲よりも広い区域でした。せっかくの改称でしたが、長年「梅が園公園」の呼び名で慣れてきた地域の子どもたちは、その後
も知ってか知らずか、「梅が園公園」と以前と同じ名前で呼んでいます。短い方が呼びやすいこともあるのでしょう。
 上の要項欄では開設時期が平成7年度となっていますが、これは、梅が園公園が都市公園として整備され、「梅が園善徳保公園」に改称
されて再出発した時のことです。公園自体は住宅街の形が整ってきた1965(昭和40)年頃にできています。
桜で囲まれた公園
 梅が園善徳保公園は、桜の時季にはちょっとしたお花見どころとなります。公園の桜は
公園横の法面の部分も含めて、34本のソメイヨ
シノがあります。公園の内側に沿って、公園全体をほぼ囲むように並んでいます。法面の草の緑やケヤキの新芽の色などもあって、ほどよ
い色合いに見えています。公園横の道明寺東小学校前の通りにも桜の木が並んでおり、この一帯では合計約
70本の桜が咲き誇ります。
                        アイコン・指さしマーク「梅が園善徳保公園・道明寺東小学校前市道法面-藤井寺市の桜名所」
水田地帯から住宅街へ
 現在の梅が園町の住宅街は、昭和
30年代の終わり頃に民間企業の住宅地開発事業として建設が行われたものです。藤井寺市域(当時美陵
町)
の最も東の端にあった水田地帯に、まるで島のように住宅地が誕生しました。まだニュータウンという規模のものはできていない時期
で、梅が園住宅地は当時としてはかなりの規模だったと言えるでしょう。その頃の藤井寺市域では人口増加が大きくなり始めており、町内
には住宅公団の団地が2ヵ所、府営住宅数ヵ所など、公営住宅が次々と建設されていました。さらに、民間開発業者による大規模な住宅開
発も数ヵ所で進行していました。梅が園住宅地もその1つだったのです。
 下の写真④が梅が園町の宅地造成が行われる数年前の様子です。赤線の枠内が梅が園町の範囲ですが、すべて水田を中心とする農地であ
ったことがわかります。道明寺東小学校もまだ誕生していません。梅が園町に住宅が並び始めてから数年経って道明寺東小学校は開校しま
した。学校が建てられた場所も水田地帯でした。
 左の写真③の現在の様子を見ると、半世紀を経てほとんどが市街化していることがわかります。道明寺東小学校の南西側に農地があり、
かつての水田地帯の名残を留めています。もう1ヵ所、国府遺跡の一帯も市街化していない部分です。ここは貴重遺跡として国史跡の指定
を受けており、保存措置が取られてきました。順次公有地化が進められています。国府遺跡は旧石器時代から縄文・弥生・古墳時代へと続
いて重なっている複合遺跡で、多数の縄文人骨が出土したことで世に知られることとなりました。今後もこの一帯が市街化することはない
でしょう。                                           アイコン・指さしマーク「国府遺跡」
③ 現在の梅が園町周辺の様子 ④ 住宅地造成前の様子
現在の梅が園町周辺の様子
     〔GoogleEarth 2017(平成29)年5月〕より
             文字入れ等一部加工
住宅地造成前の様子   一面の田園地帯で
    あったことがわかる。  枠線入れ等一部加工

   〔1961(昭和36)年5月30日 国土地理院〕より
藤井寺市の公園
 藤井寺市サイトの農とみどり保全課ページに、「藤井寺市内 公園・緑地一覧表」というのが載っています。そこには、都市公園29ヵ所、
児童遊園
43ヵ所、緑地8ヵ所、ポケットパーク13ヵ所の名称・所在地・開設年度・面積が一覧になっています。都市公園は開設順の一覧
ですが、その1番は「ブクンダ公園」です。つまり、都市公園として最初に造られた公園はブクンダ公園(当初、ちびっこ広場)で、そこか
ら、市内各地域に計画的に順次開設されて行き、今では約
30ヵ所にまで増えました。ちびっこ広場ができる前には、児童遊園が10ヵ所ほ
どあっただけだったのです。
 もともと市域面積の少ない藤井寺市で、大規模な都市公園をつくることなどは無理なことでした。まして、急速に市街化が進む中ではな
おさらのことです。これ以後、藤井寺市は小規模な公園を数多く各地域に造ることを進めて行きます。児童遊園もずいぶんと増えました。
市はこれらの事業を進める中で、新設公園の名前にその場所の小字
(こあざ)名を付けるということも行ってきました。小山五反並・小山下大船・
大井垣添・北條馬場・オオガイト・道明寺西山畑・大井佃などがそうです。これらに合わせるように、ちびっこ広場も「ブクンダ公園」
に改称されました。この流れで、新たな名前を付けられたのが、都市公園として整備された「梅が園善徳保公園」でした。
                  アイコン・指さしマーク「ブクンダ公園」      アイコン・指さしマーク 藤井寺市サイト「藤井寺市内 公園・緑地一覧表」

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