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◆ 野中宮山児童公園
  (のなかみややまじどうこうえん)    藤井寺市野中2-3
  
所管:藤井寺市都市整備部農とみどり保全護課  TEL:072-939-1228(農政公園緑化担当)   FAX:072-952-9504
  近畿日本鉄道南大阪線・古市駅から北西へ約
1.3km 徒歩約22(公園東入口まで)
       〃     ・藤井寺駅から南東へ約1.8km 徒歩約30
(公園西入口まで)
  府道31号・堺羽曳野線及び国道170(大阪外環状線)野中跨道橋側道の野中交差点からすぐ 駐車場無し
   野中跨道橋下に有料Pあり
(側道上下線に入口 台数少) 公園西入口まで徒歩約200
  公園面積  2,851㎡      開設:1986(昭和61)年度
古墳の中にある児童公園
 野中宮山児童公園の特徴は何と言っても“古墳の中ににある公園”ということ
です。古墳は「野中宮山古墳」といいますが、別名として「足塚」という伝承名
が古くからあったそうです。いつの頃からか「宮山」の呼び名に変わっていった
ようです。
 野中宮山児童公園は、藤井寺市内の都市公園としては4番目に整備された公園
で、1986(昭和61)年の開設です。大型古墳の古墳公園を別にすると、市内都市公
園としてはブクンダ公園や梅が園善徳保公園を超えて、1番大きな面積を持って
います。もっとも、公園内を歩いていると、どこまでが公園でどこからが神社の
境内なのかわかりにくい場所もあります。樹木でおおわれた墳丘の部分も遊び場
だと思えば実に楽しい公園だと言えるでしょう。
 お花見シーズンには墳丘のふもとから神社前広場にかけてぼんぼりが吊られ、
夜桜を楽しむ場ともなります。宮山は昔から村の人々が集って楽しむ大切な場で
もあったのです。  アイコン・指さしマーク「野中宮山古墳・野中神社藤井寺市の桜名所」
① 野中宮山古墳・宮山児童公園の疑似鳥瞰写真(南より)
 ① 野中宮山古墳・宮山児童公園の鳥瞰写真(南より)
       〔GoogleEarth3D画 2015(平成27)年11月〕より
                              文字入れ等一部加工
   古墳周濠の一部を埋め立てて造成されたので、細長い形をしている。
② 野中宮山児童公園・西側入口(西より) ③ 野中宮山児童公園・東側入口(東より)
② 野中宮山児童公園・西側入口(西より)   2013年5月
    ここからは広場まで見通せないので、散策公園のように見える。
③ 野中宮山児童公園・東側入口(東より)   2013年5月
    桜の木が大きく育ち、新緑の季節には一帯が青葉でおおわれる。
複合して利用されてきた野中宮山古墳
 野中宮山児童公園は、古墳の周濠の一部を埋め立てて用地が造成され
ました。古墳利用の1つの形態です。
 野中宮山古墳には、利用種別の異なる3つの施設が存在します。古く
から後円部頂に置かれ旧野中村の鎮守
となってきた「野中神社や廃寺跡
を利用した学校施設の流れをくむ「元藤井寺南幼稚園野中分園」、周濠
部分を利用して造られた「野中宮山児童公園」の3つです。公園の母体
でもある野中宮山古墳について少し取り上げておきます。
 野中宮山古墳は、比較的大きさのある前方後円墳ですが、国史跡の指
定は受けていません。昔からお寺や神社が置かれたりして、古墳として
の存在以外のことに利用され、古墳そのものの形状が大きく変形してし
まったからでしょうか。周濠も宮池と呼ばれて、周囲が水田地帯の頃に
は農業水利として利用されていました。昔からさまざまな形で村の人た
ちに利用されてきた野中宮山古墳ですが、現在も墳丘に自由に出入りす
④ 公園内の広場(南東より)
 ④ 公園内の広場(南東より)        2020(令和2)年4月
    春には、市内では花見の名所として知られる場所の1つでもある。
ることができる数少ない前方後円墳です。
 下の写真⑤にあるように、前方部には藤井寺南幼稚園の元分園が置かれていました。その前は藤井寺南小学校の分校がありました。藤井
寺南小学校が新設された時、校区の北端寄りに学校が位置することになったので、南端の野中地区に分校が置かれました。もっともこの場
所には明治時代から小山尋常小学校
(現藤井寺小学校)の野中支校や分教場が置かれていたので、戦後も引き続き分校が置かれてきた歴史が
あります。藤井寺南小学校の新校舎や藤井寺南幼稚園が現在地にできた後、分校は幼稚園の分園に変わりました。明治の初めまでは、この
場所には満願寺というお寺があったそうで、廃寺となった跡地が学校施設に利用されたようです。
なお、藤井寺南幼稚園野中分園は2020(令
和2)年3月末で閉園となり、4月からは本園に統合されました。
 満願寺の廃寺と入れ替わるように、後円部の頂上にあった宮が村社に定められ、「野中神社」として野中地区の人々の鎮守
となりました。
以後、お宮さんのある山として人々がお参りをし、桜を植えて親しむ場となっていきました。
 時代は変わって、1986(昭和61)年には周濠の南側を埋め立てて「野中宮山児童公園」が開設されました。当時藤井寺市が進めていた児童
公園施設拡充事業の一環として造られました。市内各小学校区に昔からの小字
(こあざ)名を付けた児童公園が次々に開設されてきました。藤井
寺南小学校区でできたのがこの公園です
。また、緑化事業として野中分園西側の周濠跡に「野中宮山花菖蒲園」も造られました(現在は廃止)。
そして、数年前から後円部東側の周濠跡地には、「宮池学習畑」が地元ボランティアの皆さんによって運営されていて、小学生がいも掘り
体験などに取り組むことができています。
 明治時代以来、いろいろな公共的施設に利用されてきた野中宮山古墳ですが、本来は古代有力者のお墓です。祀りの場として維持されな
ければならない場所である後円部の石室の上は、神社が鎮座していることで守られているのかも知れません。墳丘を囲むように咲き誇る桜
の木々は、被葬者への祈りの花のようにも思えます。
⑤ 真上から見た野中宮山古墳の全景 ⑥ 40数年前の野中宮山古墳(南東より)
⑤ 真上から見た野中宮山古墳の全景
   公園には東西の両方に入口がある。別に、東側には神社
  に行く参道が昔からあった。元野中分園の敷地は独立して
  おり、入口も分かれている。府道31号の北側には国史跡・
  はざみ山古墳がある。古墳の南側は江戸時代から野中村集
  落の中心部で旧家も多かったが、最近は新しい住宅地に変
  わったりしている。      文字入れ等一部加工
         〔GoogleEarth 2017(平成29)年5月〕より
40数年前の野中宮山古墳(南東より)
   周濠は西側の一部を除いて大部分が存在している。手前の
  東側に渡り堤があり、神社への参道となっている。神社を囲
  むように並ぶ樹木の多くが桜だと思われるが、現在ほど大き
  くはない。墳丘の周辺部に針葉樹が植えられている様子もわ
  かる。   1981(昭和56)年6月    文字入れ等一部加工
     『百舌鳥・古市 門前 古墳航空写真コレクション』
      (大阪府立近つ飛鳥博物館 1999年)より

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