エゾシカの  2001/07/01〜2001/07/31

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2001/07/31

不機嫌なヤブイヌ

 先日偶々京都市動物園の近所で所用があった為、当然の如く京都市動物園に足を運び今年で延べ四回目となるヤブイヌとの面会を果たす事とした。

 時刻は丁度2001/03/03で面会したのと同じ頃合い。一目散にチエコ嬢の待つヤブイヌ舎に向かうが彼女は居ない。仕方無くカンガルーとシカに挨拶を済ませて再度ヤブイヌ舎へ。相変わらず彼女は姿を見せぬ為其の儘待つ事にした。

 三十分程待ったであろうか、彼女が顔を出したのだが舎内をぐるりと一周した後此方を見てそそくさと奥の間に引っ込んでしまい、其の後は幾ら待てども終ぞ閉園迄顔を出す事が無かったのだ。

 其の退場の際の彼女の行動や表情はさながら、舞台女優が挨拶代わりに顔を出した処余りの観客の少なさにプンプンして舞台の袖に引っ込んで仕舞うかの如きものであったのだ。何も考えずにぐるぐる回るか惰眠を貪るかと思われているヤブイヌ、実は己の商品価値を充分に認識しており(彼等の認識と世間の認識が一致しているか否かは兎も角)、プライドも高ければ不機嫌にもなったりするのでは無かろうか。せめてヤブイヌ舎の前で解説用看板を目にしながら彼等の珍奇な名称や容姿や性格やライフスタイルや人生観についてコメントするようなギャラリーが絶えず存在する位で無ければチエコ嬢のプライドを擽る事は容易では無かろう。


2001/07/30

誤用の氾濫

 先日「エゾシカの嘶き」の読者の方から怒りに満ち溢れたメールを頂く事となった。幸い「エゾシカの嘶き」に対する怒りでは無くほっと胸を撫で下ろした次第。因みに其の方の怒りの対象は2001/06/28で採り上げた「寺社仏閣」なる誤用表現。マスコミにも平気で登場する誤用表現に驚愕し憤怒しているとの事であった。

 偶然にも私は其のメールを拝読する少し前、偶々テレヴィで流れていたドラマに於いて「汚名を挽回する」という絵に描いた様な誤用表現を耳にしていた。報道番組に於けるアナウンサー個人の資質に因る誤用表現なら兎も角、ドラマなんぞシナリオ段階、撮影段階、編集段階等、放映に至る迄数多の人間に接している筈。此等数多の人間の誰一人として誤用表現に気付かぬ、若しくは気付いていながらも日本語に対して極めて感受性の低い輩が雁首を揃えていた事になる。何れにせよ極めて嘆かわしく由々しき事態。如何に温厚な私でも此では何時怒りが暴発しても不思議で無い状況下で頂いた冒頭のメール。丁度良いタイミングで私の怒りも昇華される事となった次第。


2001/07/29

日本経済新聞と旅先での行動

 此処に来て日本経済新聞とのライヴァル関係が風雲急を告げてきた感がある。日本経済新聞本日付記事に特集として大きく掲載されたのは北海道の複合商業施設「マイカル小樽」。此は奇しくも私がノーザンホースパークを訪れた(2001/07/20参照)後に訪れた施設では無いか。

 而も私がマイカル小樽内のテーマパーク「小樽よしもと」を訪れた事は「EZOSHIKA TOWN」上を含め事前に誰にも伝えていない。単なる偶然と片付けようにも、昨日から今日にかけての日本経済新聞の特集記事は私の7/20の行動と余りに一致し過ぎている。一体何故私の行動をトレースするかの如く二日連続で私の趣味の根幹に迫るストーカーの如き接近を私に試みるのだ。

 順序からすれば明日の紙面では函館山の夜景が登場するのであろうか。若しくは千歳〜函館のドライヴに纏わる記事が掲載されるのであろうか。其れとも嘗て想像し得ない新展開を迎える事になるのか。此の儘では宣戦布告に対する一抹の恐怖すら抱き兼ねぬ。


2001/07/28

日本経済新聞と獣愛

 最近話題にする機会が少なくなってきた日本経済新聞だが久方振りに其の機敏さを誇る記事が掲載されていた。私が一週間前に足を運んだノーザンホースパーク(2001/07/20参照)の記事が本日付日本経済新聞別刷「NIKKEIプラス1」に掲載された。単なる人気スポットとして紹介されたり乗馬人気と絡めて掲載されるのではそこら辺の記事と変わる処が無いのだが、流石は日本経済新聞、毎度の如く「エゾシカの嘶き」を研究し尽くし日々精進している成果を表明し私に宣戦布告を行うべく、実際に現地で乗馬を愉しんだ結果「獣愛」をテーマに記事化していたのだ。

 「緑の大地で乗馬体験」なるタイトルの記事、サブタイトルは「手綱に伝わる馬の息づかい」であり、乗馬の技術論以上に馬とのコミュニケーションに重きが置かれている。そしてクライマックスは、記者が下馬時にお礼として馬の首を叩いてあげると馬も其れに応えてコクンコクンと頷いたシーン。

 更に此処からは記事化されていない為あくまで推測なのだが、記者は其の獣愛に溺れてしまい厩舎で更なる獣愛を求めて好みの馬と接吻を行ったり指を舌に絡めたり或いは其れ以上の行為を嗜んだのでは無かろうか。仕事で獣愛が愉しめるとは全く以て羨ましい限りである。

 其れはさておき、日本経済新聞が私の趣味の牙城たる領域を浸食しつつあるとは、私も安穏として居れぬ。日々の精進は私にこそ求められて居るのだ。


2001/07/27

傷物

 先日購入欲満々でありながら結局購入せず終いであったPDA(2001/07/09参照)を購入し、北海道旅行(2001/07/20参照)にも持参する事となったのだが、道中助手席に置いていた処急ブレーキを掛けた際に思いっ切り椅子から滑り落ち不覚にも購入して僅か十日で傷物となってしまった。

 実は私には此をも上回る「傷物記録」が存在する。高校時代、誕生祝いに私から強請り倒してギターを頂いた際、先ず最初に弦を調律しようと思い調律笛を手にしたのだが、事もあろうに其の調律笛をギター表面に落としてしまい、最も目立つ箇所に目立つ形で傷が付いたのだ。全く演奏する事無いばかりか調律すら済んでいない段階で早くも傷物にしてしまったという己の不注意から成る罪悪感が其のギターを手にする度に湧き上がってくる為、ギター欲とは裏腹に、目にする事すら辛いギターを弄る機会が非常に少ないものとなってしまったのだ。

 今回のPDAが左様な結果を惹起せぬ事を只管祈るばかりである。


2001/07/26

オレンジ通信

 何時も「モーニング娘。」なる団体名を目にする度に私は学生時代に愛用していた「オレンジ通信」なるエロ本を想い出すのだ。

 学生時代寓居の近くのエロ本自動販売機で偶々発売されていた其の雑誌、所謂アダルトヴィデオ紹介がメインであったのだが、当時ヴィデオデッキを持たぬ私でも其処で紹介されるヴィデオ及び写真の量の充実振りにいたく感心し、少なくとも当時は「質より量」志向であった私の性欲を満たすに充分足りるものであった。

 さて此のエロ本、表紙には当然の如く書籍のタイトル及びエロヴィデオ女優の顔がアップで掲載されており其の周囲に掲載記事の見出しが踊るのだが、一時期此に加えて妙な装飾が為されていた。或る号には「快、」。また或る号には「楽、」。他にも「美、」だとか「艶、」だとかもあったような気がする。要は全く脈絡も無くいきなりエロティシズムを掻き立てる漢字一文字+読点という表示が斜字明朝体で為されていたのだ。漢字一文字なら兎も角、何なのだ此のどういった存在意義があるのかを暫し考えさせる読点は。読者投稿欄に於いて話題になるも編集部は明確な回答を避ける。気になって仕方の無い儘、何時しか左様な表現はオレンジ通信の表紙から姿を消した。

 冒頭の「モーニング娘。」等に於ける居心地の悪い句読点が数多氾濫する現代にこそ、当時のオレンジ通信の試みが何等かの実を結ぶのでは無かろうかと思った直後、否否単純に時流に乗るだけの試みと捉えられるのであれば行わぬ方がましと考えを修正した。オレンジ通信はあくまで時代の先駆者であったのだ。


2001/07/25

続・開嬢

 2001/06/28で問題視した職場のパソコンのIME、どうやら訳の判らぬ変換は「開嬢」に限らぬ事が判明した。経常利益の「経常」は「敬嬢」、登場は「藤嬢」、更に、「かいじょう」と入力し「開嬢」以外の選択肢を具に見ると、「快嬢」「魁嬢」「甲斐嬢」と並ぶ。恐らく語尾に「じょう」が付けば自動的に「クリスティーヌ嬢」「O嬢」「受付嬢」「風俗嬢」等と同様、女性を示す呼称と判断するものと思われる。

 しかし其れにしても今時一般的に女性名若しくは職業に「嬢」を付けて呼ぶ人間が如何程居るというのだ。更に斯様な呼称に比べて遙かに使用頻度が高いと思われる「経常」だの「登場」だの「会場」だのといった言葉を押し退けて「○○嬢」の一覧がずらっと変換候補に並び立つ様は既にIMEとして不十分を通り越して最早欠陥であると言わざるを得ない。TPOを弁えず周囲の迷惑をも顧みず笑いを取る訳でも無く此でもか此でもかと好色行動を如何無く発揮する者が顰蹙を買うのは人間界もIME界も同じである。


2001/07/24

瞬間の旬

 先日日本三大夜景の一つである函館山からの夜景を愉しんだ。考えてみれば長崎を目的とした旅行は二度、函館については数度、そして神戸に至っては幼少時から数え切れぬ程足を運んでいるにも拘わらず、所謂「日本三大夜景」を訪れるのは此が最初である。

 確かに素敵な夜景であった。両側を海で軽く挟まれながら奥深くに広がる色とりどりの光はさながら宝石箱を開けたかの如き様相を見せる。しかしながら私の頭の中では此の光景が否が応でも同じ北海道である札幌の夜景と比較される事となり、些かの物足り無さを感じてしまうに至ったのだ。

 札幌・藻岩山からの夜景(1999/08/28参照)は眼下の薄野のネオンを中心とし、相当の視野を以てしてもカヴァー出来ぬ位広範な光。そして其の反対側には此に対峙するかの様に中途半端な光一つ無い闇に包まれた海側の夜景。視界を遮られる事無く全方位に亘り愉しむ事が出来る程表現力豊かな此の夜景に比べれば、という気分に陥らざるを得ない。

 そう感じた直後、否然し函館の夜景の魅力は光だの闇だの規模だのそういった処にあるのでは無かろうと思い直すに至った。昔観た時に非常に魅力的だと感じた函館の夜景は、夜景というには少し時間帯の早い暮れ泥む頃の風景であった。そう、函館の夜景の美しさは光其の物のみならず、其の光を発している建造物及び其の色遣いの美しさ、具体的には中近世の西洋建築、煉瓦造りなどといった古風ながらも現代に今尚息付く理想的なレトロな街と一体となる事で、より一層の魅力を醸し出すのだ。

 風景に季節の旬があるのと同様、時間帯により格段に其の魅力が増すという瞬間の旬がある事を痛感した次第。次回函館を訪れる機会があれば、夜の光と街並とが同時に愉しめる僅かな時間帯に夜景を観賞し、精一杯の瞬間の旬を感じる積もりで居る。


2001/07/23

NHK

 偶々深夜にNHK教育テレビを観ていた処(抑も何故NHK教育、而も深夜にという己への疑問を強く抱いているのだが)驚くべき光景に遭遇した。榊原郁恵と若手芸人コンビとがホームページ作成に奮闘する様子をプロがフォローするという形式の番組。番組時代は別段特筆すべきものでも無いのだが、所々に映し出されるパソコン及び周辺機器を目にして驚くに至ったのだ。

 先ずはフロッピーディスクにでかでかと「SONY」のロゴ。パソコン本体には「prius」だの「VAIO」だのといったブランドロゴ。そして画面には「Microsoft Windows98」のタイトル。嘗てはパソコン教室番組に於いてアップル社のアイデンティティである林檎印をパソコンから消し去ったり、料理番組で使用する調味料の容器でブランド名が特定されぬ様黒のビニールテープで覆ったり、歌謡番組に於いては流行歌の歌詞すら変えさせたりする程企業ブランドの露出を嫌ったNHKが、いとも無造作にブランドを露出しているのだ。

 言う迄も無く私は斯様な傾向を嫌うものでは無く、戦前の検閲の様に不自然に隠された物に対する違和感だの隠された物に対する好奇心だので余計な気を回す事無くNHKの番組を観る事が出来る事に些細ながら喜びを感じ入った次第。


2001/07/22

旅行運

 少し前まで梅雨であったにも拘わらず名古屋では好天続きであり此処暫く雨天を全く意識しなかったのだが、先日朝から茹だる様な暑さの名古屋を出て北海道に着いて際に雨上がりの曇天を観て久方振りに雨天を意識すると同時に私の雨男振り及び旅行運の無さも強烈に意識する事となった。其の直後「私が到着するのに併せて雨が止んだに相違在るまい」と気持ちを切り替え、結局其の日は終日好天に見舞われた事により、私の旅行運も遂に向上して来たと確信するに至った。

 しかし其の確信も翌日に一角が崩れる事となった。本来であれば函館方面や遠く本州下北半島迄見渡せる筈なのだが、訪れた際には海抜百米の岬から海面すら見えぬ位の濃霧に覆われていたのだ。

 そして本日。朝からの好天に油断した所為であろうか。午後に訪れた函館競馬場では折り畳み傘も用を為さぬ位の大雨に見舞われ、雨と競馬の結果とで身も心も冷え切った身体を温泉で暖めるも衣服は濡れた儘。卯月の三重旅行、皐月の郡上八幡旅行(2001/05/06参照)と、旅行運が好転してきたのでは無いかと思えてきただけに、今回旅行運に見放されたのは些かショックであった。


2001/07/21

カーナヴィ

 申し込み時点では気付かなかったのだが、レンタカーを借りた処カーナヴィが装備されていた。斯様なハイテク機器に触れるのは初めてであり、此だと車を運転する事無く日が暮れるのでは無かろうかと心配されたのだが幸い数分程度で最低限と思しき使用法を理解する事が出来た。しかし本日の行程である新千歳空港〜函館のルートを設定するにあたり不具合が生じた。私の目的は室蘭経由で出来る限り海岸線を選んで函館に到達する事なのだが、ルートとして選択し得るのは高速道若しくは一般道を用いた最速ルートの二種類のみ。仕方無く経由スポットを目的地に設定し、其処を通過する都度目的地を再設定する方法を採った。

 当初は殆ど気にしていなかったのだが此が案外便利である。殊北海道の様に数キロに亘り分岐等が無い道路の場合、道なりに走っている際にはどこら辺辺りで行先表示の標識を気にせねばならないのかを意識しておく必要があるのだが、此だと然るべき位置で標識の確認を促すメッセージが発せられる為、其れ迄の間は標識をさほど気にする事無く景色に意識を向ける事が出来るのだ。

 更に便利と感じたのは地図表示。観光地図を手にする事無く、何気無い観光スポットや休憩所等を画面で確認出来る為、其の気になれば即道草を食う事が可能となるのだ。従来で在れば左様なスポットを通過した直後に「しまった!さっきの処に寄っとくんやった!」と後悔する機会が多かったのだが其の心配も無い。

 意外と面白かったのが目的地到着推定時刻表示。走行する度に其の速度等から目的地到着推定時刻が刻々と変化していくのだが、「何!?○○到着時刻は△時やと?んなもんもっと早う着いたるわい!」などと運転に一層気合いを入れる事が出来るのだ。

 カーナヴィの左様なメリットを享受しつつ、地球岬(室蘭市)及び恵山岬(函館市の東側)では大いに道に迷う事となった。どうやらカーナヴィの最も重要な機能は私には無縁のものであったと言えよう。


2001/07/20

問題作 真昼の獣愛・2001年夏

 以下の文章の中には所謂「猥褻な表現」「獣愛に関する記述」「同性愛に関する記述」が含まれている。18歳未満の方及び獣愛や同性愛に理解の無い方を対象にしたアダルトチェックを設ける気など更々無いので、此等の方々も努々たじろぐことなく是非刮目して味読して頂きたい。

 昨年神無月(2000/10/08参照)以来久方振りに馬と直接肌を接し合おうと思い北海道に足を向けた。行き先は昨年仄かな獣愛を育んだ(2000/09/15参照)ノーザンホースパーク、無論お目当ての相手はRICKYである。真っ先に園内奥の厩舎に向かい彼の部屋を訪れた処生憎不在。園内の厩務員に彼の居所を確認した処、乗馬大会に向けて園内で練習中との事。昨年は青年に成り立てだった彼も今年は満五歳。愈々スキルの高い仕事を覚えて日々精進しているのであろうと思うと一層胸も熱くなるのであった。

 一時間余り園内にて時間を潰した後再度彼の部屋を訪れると、運動後にシャワーを浴びた後生乾きと思しき身体の儘彼が食事をしていた。私が近付いても彼は暫し食事に集中していたものの、一区切り付いた処で前回同様ぬうっと首を近付けてきた。しかしどうも反応が今一つである。此方が肌に触れようとしてもさほど乗り気に見えず、再び顔を背けては食事に集中する有様。況や昨年の様に積極的に私の唇を奪おうという素振りなど微塵も感じられぬ。私の魅力が失われたのだろうかと暫し落胆するも、考えてみればハードな練習をこなした直後の栄養補給時には別に彼に限らず人間であろうが他者に邪魔されたくないもの。取り敢えず挨拶をして頂いただけでも善しとせねばと気持ちを切り替え、彼の部屋を離れる事とした。

 厩舎を一頻り巡った中で、幸いにして別の馬と親しげに接する事が出来た。名はマチルダ(牝と思しき名前なのだが牡であった)、未だ満三歳の半血種。最初は別段私に顔を寄せてくる訳でも無かったのだが此方から手を差し出すと其れに応え、顔を近付けて寄って来てくれたのだ。顔面から首にかけてをゆっくり丁寧に一頻り愛撫した後、鼻先を掌で覆うように接した処、彼が口を開けた。さては手に噛み付く積もりなのかと思いつつ、掌の部分で在れば最悪でも痣程度で済むのでは無いかと思い噛まれるのを承知の上で手を除けずにいた。すると彼は噛み付く訳ではなく、柔らかく暖かい唇でそっと私の指や手を包み込んだのだ。私も彼からの愛撫に応じねばならぬ。さりとて私が彼の指を口に含んで舐め上げるのは物理的に不可能。其処で私は彼に咥えられた指を口内で動かし、歯茎や舌を撫で上げる事にした。最早此の時点で私の頭の中には彼に噛まれるという恐怖は何処かに飛んで行ってしまっていたのだ。

 其の時彼が私の手を舌で口外に押し退けた。流石に私も調子に乗り過ぎ嫌がられたかと思ったのだが次の瞬間彼は先程口外に押し退けた私の手に舌を思いっ切り絡めて来た。新たな彼の愛撫攻撃に対し、私も彼からの愛撫に応じねばならぬ。さりとて私が彼の手に舌を絡み付けるのは物理的に不可能、彼の舌に私の舌を絡み付けるのは噛まれた時のリスクが大きすぎる。其処で私は彼に舌を絡まれた其の手を彼の舌に絡み付け、さながら手と舌とで握手するかの如く行為を愉しむ事とした。時折舌が乾く度に一旦引っ込めては再び手に絡み付けるという行為を何度と無く繰り返し、私の手は彼の唾液と口中でどろどろになった青草とが混じったものでべとべとになり、所々泡立つ迄に至っていた。

 今回の旅行では行程が厳しく、帰りのバスの時刻を意識せねばならぬ。愉しみ半ばにして私は其の場を離れる事とした。私が彼の部屋を離れる際、遠くに見えなくなる迄彼が只管じっと私を観ていた時の眼差しが余りに切無く感じられた次第。


2001/07/19

ピポサル2001

 テレヴィから聞こえて来た懐かしいメロディ。思わず口ずさみたくなる其のメロディこそ、二年前に私の脳裏を駆け巡った「サルゲッチュ」のテーマソングであった(1999/06/04参照)。今度はゲームの主人公の名称を冠し「ピポサル2001」なる名称でリリースされているようであり、彼の仲間も前作の約十倍以上の2001頭となって居るとの事である。此では一頭位、サル似の知人(2001/07/07参照)が紛れていても誰も怪しまぬであろうだとか、此でサル似の知人(2000/10/04参照)も続編の登場により世間で遍く人気を博すであろうだとかと思いつつ、名作の続編が世に出た喜びを味わっていた。

 どうやら彼等の進出振りはゲームに留まらなかったようであり、大手ファーストフード店とのタイアップにより一層の露出強化を図っている模様。屹度世間であの曲のメロディに載せてサル似の知人(1999/06/04参照)をはじめとする者達が活気付くであろうと思うと妙にわくわくし、此処最近業績不振が叫ばれている当ゲームの親会社の将来も安泰であろうと、株主として大いに気を善くした次第。

追記(8/16):此の直後より当ゲームの親会社の株価は暴落を続けた儘未だ底を見せぬ。


2001/07/18

ヤブイヌ・ムーヴメント

 此処暫く寝ても覚めても頭の中の大半を「何故ヤブイヌはメジャーになれないのか」「ヤブイヌをメジャーにする為にはどうすれば良いのか」に費やしている感すらあるのだが、遂に妙案を思い付いたのだ。従来はヤブイヌなる名称から其の珍にして妙なる容姿、言動、生き様、そして底知れぬ魅力をアピールしようと考えていたのだが、抑もヤブイヌなる名称を世に遍く広めるだけのパワーが必要とされる。其れでは逆に、世に遍く広まる行動からヤブイヌを想起させれば良いのでは無いかと思い至ったのが妙案の端緒である。

 嘗てパントマイムで多用され、一時海外の大物アーティストが披瀝した事により全世界でブレイクし世間で其の名称及び行動が遍く知られる事となったムーンウォーク。前をしっかり見据えて前進しているのでは無いかと思わせながら実は前進と同じ速度で後退するという歩様、此ぞ正にヤブイヌの最終奥義では無いか。更に曲中に於いて時折発せられる高音の奇声は正にヤブイヌの鳴き声の模倣に他ならぬ。マイケル・ジャクソンの全国的大ヒットにヤブイヌが多大なる貢献をしていたとは驚きである。

 世に遍く広まる行動とヤブイヌとの接点が見出せた。ムーンウォークは「ヤブイヌの歩様を取る歩き方」と説明され、ムーンウォークの技を磨く老若男女は挙ってヤブイヌを研究し、ヤブイヌに頭を垂れて教えを乞う事になる。此を機にムーンウォークを「ヤブイヌウォーク」と改称すれば、ヤブイヌの認知度も高まるばかりかヤブイヌウォークがパントマイム界で行われる限り半永久的にヤブイヌの名が、其の存在が知られずとも人口に膾炙するのだ。

 其の前提として、再びムーンウォーク、否、ヤブイヌウォークのブームを再燃させる事が望ましい。おや結局ヤブイヌ・ムーヴメントを起こす為にヤブイヌウォーク・ムーヴメントを起こす必要があるのでは無いか。


2001/07/17

寄る年波

 最近飲料の摂取方法が微妙に変化してきたようなのだ。缶やペットボトルで飲料を摂取する際、とりわけ此の夏の糞熱い時期にもなれば冷えた液体を一気に喉に運べば良さそうなものを、一旦頬袋に貯め込んだ後嚥下するという方法をとっている事に最近気付いた。恐らく冷えた液体を一旦頬袋で温め喉に刺激を与えぬ工夫を行っているのだろうが、一々左様な事をせねば冷えた液体が喉を通らぬとは余りにも情け無いでは無いか。

 そんな訳で先日職場の自席にてペットボトルの珈琲を一気に喇叭飲みした処大事件が起こった。私の喉が冷えた刺激飲料に耐え兼ね、思いっ切り咽せ返ったのであった。而も運悪く此の時に限って床上に極めて大切な資料を置いており、下を向いて咳き込む訳にはいかず、必然的に机上に口中の珈琲を吹き出す、否「噴出」と言うに相応しい位激しく褐色の液体が飛散したのだ。其の結果己の衣服は言うに及ばず、パソコンの画面及びキーボード、果ては向いの方のパソコンや卓上カレンダーにも被害が及ぶに至った。人間に被害が無かったのがせめてもの救いであったのだが。

 其れにしても、嗚呼其れにしても。夏真っ盛りに冷えた飲料を喇叭飲みするという爽快感も味わえぬ位、私は年老いてしまったのであろうか。寄る年波には勝てぬと分かりながらも余りに寄る年波は非情である。


2001/07/16

旅欲の行方・2001/07

 さほど逡巡する事無く、早い内から海の日絡みの三連休には北海道に行こうと考えていたのだが、問題は現地に於ける活動場所である。

 先ず目的地として押さえておきたかったのが函館。JRA全競馬場での観戦(2000/07/09参照)を目論むにあたり、唯一残ったのが函館競馬場。而も開催期間が水無月〜文月であり、此の時期を逃すと来年を待たねばならぬ、否、来年以降は改装工事で暫し閉鎖される事となっており、此の機会を逃せば暫く目標が果たせないのだ。そして昨年束の間の獣愛を愉しんだノーザンホースパークにも足を運び、RICKYとの再会、そして彼との獣愛を果たしたい(2000/09/15参照)。後は2000/10/16でも触れた私の目標の一つである「自らの運転による北海道一周」を僅かなりとも達成すべく、函館競馬場とノーザンホースパークのある千歳とを室蘭経由若しくは小樽経由で車を運転せねばならぬ。

 そしてよく考えてみれば、三連休初日の7/20は函館競馬が開催されておらず、函館滞在を北海道到着初日に持ってくる訳にはいかぬ。となると千歳〜函館というコースを辿り、而も出来るだけ海岸線に近いルートとなると、左側通行の前提に於いては必然的に室蘭経由となるのだ。

 呆気無く行き先及び行程が決定した。初日は新千歳空港着、最終日は函館空港発。宿泊の手配もレンタカーの手配も既に完了している。問題は飛行機の手配。只でさえ学校の夏休みと三連休とが重なる時期であり北海道もシーズン真っ盛り。名古屋発着便の少なさもあり、取り敢えずやっとの思いで確保した飛行機は、行きが伊丹発、帰りが東京着。此では行き帰りの空港とのアクセスの方が寧ろ大変では無いのか。


2001/07/15

風上

 用いる機会や耳にする機会はそう少なく無く其の都度強い違和感を覚えひょっとすると実は此は誤用なのでは無かろうかとすら思える表現が存在する。

 或る組織や集団に於いて其の言動が余りに相応しく無い或いは許せない物や人に対して「奴は○○界の風上にも置けぬわい」と表する場合があるのだが、「風上に『も』置けぬ」という事は言外に「風下には置けぬ、更に風上にも置けぬ」というニュアンスを匂わせていると解される。しかし風下に置けぬ物が風上にも置けぬのは当然の事であり、寧ろ下劣な物や人を指す際には「風上には置けぬ、更に風下にも置けぬ」と言うべきでは無かろうか。そう思い自分自身「風上にも置けぬ」という表現が誤用であると断定し「風下にも置けぬ」という言い回しを敢えて用いていた時期すら存在した。

 そして遂に広辞苑を繙いて確認してみる事とした(何故今迄斯様な重要問題の確認を怠っていたのだ)。「(臭気の甚だしいものが風上にあっては風下では耐えがたい意から) 性質や行動の卑劣なのをののしっていう」との事なのだが、此では「風下には置けるかも知れぬが風上には置けない」という事では無いか。更によく見出し語を見れば「風上に置けぬ」であり附属の意を示す「も」は含まれていない。どうやら「風上に『も』置けぬ」という表現が誤用であり原義を正しく伝えるには「風上に置けぬ」でなければならない模様。他人の誤用を指摘する前に偶には己の誤用を反省すべし。


2001/07/14

天下一品・7

 銭湯帰りに心地良い夜風に吹かれつつ自転車を飛ばす事数十分、未だ足を踏み入れた事の無い天下一品を開拓する事とした。2001/04/22で述べた通り、名古屋市内の天下一品に対しては其の味及びサーヴィスのレヴェルに於いて到底容認し難いものを感じていたのだが、偶々其の近辺の銭湯に一度行ってみたかった事もあり其の序でに足を運ぶに至ったのだ。

 道を迷うわ明らかに反対方向に進むわで非常に難儀しながら一年前に役場に行った(2000/07/17参照)帰りにバスで其の店舗の前を通りかかった時の記憶を手繰り、一時間程自転車でうろうろした挙げ句店舗を発見する事が出来た。此程迄に苦労して足を運んだのだから不味かったらどうなるか覚えておけよという誰に対するものなのか或いは誰がどうなるのか良く判らぬ感情を抱きつつ店内に入った処、メニウは私好みの名古屋近郊店(2000/07/31参照)のものと同一であり期待感が膨らむ。注文後ラーメンを口にし、好ましい味を確認して一安心。更に此の店舗に於いては辛子味噌や大蒜味噌も入れ放題。寓居から最も近い場所に求めていた天下一品があると判り、非常に感激しつつ店舗を後にしたのだが、最も近いとはいえ自転車で片道30分の道程は会社帰りに気軽に行ったり雨天や真夏や厳冬の折に汗を飛び散らせつつ行ったりするのは若干困難であるとも感じた次第。


2001/07/13

イケメン

 最近の若者言葉の一つに「イケメン」なるものが存在する。言う迄も無く「やっぱ本場の讃岐饂飩はイケメンやで」だの「博多ラーメンは最初の数口のうちはイケメンなんだけどすぐ伸びてしまうのが難点ね」だの「アルデンテより一寸固めなのが私のイケメンである」だのといった文脈に於いて用いられるものでは無く、どうやら「イケてる(=主に外見的価値観に基づき素晴らしい様を表す言葉)メン(=上記の例とは異なり英語に於ける男性を指す)」という事らしいのだが、此処で私は大きな疑問を抱かずには居れないのだ。

 「私の彼氏はイケメンなの」「今日の合コンはイケメン揃いだって」「ねえねえ彼処の男の人って結構イケメンだよね」など、明らかに単独の男性を指す際に何故「メン」などという複数形を用いるのか。斯様な表現を用いる若者達の馬鹿さ加減を嘲笑いつつ己は決して斯様な表現は用いまいと思い、「イケマン」なる表現を用いようと口にしてみた。

 イケマン。脳裏に浮かぶのは決して己の姿では無く、非常に締め付けの良い女陰だの見事な鮭肉色を誇る女陰だの陰毛が多すぎず少なすぎず陰唇を引き立てている女陰だのであった。「俺の彼女はイケマンやねん」「今日の合コンはイケマン揃いやて」「おいおい彼処の女の人って結構イケマンそうやなぁ」などといった上述の例とは異なる意味に於ける誤用が心配である。


2001/07/12

合コン

 余りに久々であった所為か、先日知人より合コンの案内メイルを受け取った其の5秒後には参加表明のメールを返信する事となり、昨日其の合コンに出席してきた。男性陣が私と其の知人に加え医師、女性陣が音楽家という、滅多に味わえぬ顔触れとなったのだが、会話自体もそれぞれの仕事から広がる趣味や生活の話となり、普段滅多に耳にする事の無い貴重な話を多数耳にする事が出来た。左様な会話の内容に造詣の深くなかった私にとっては残念ながら会話の情報を充分に咀嚼する事が出来なかったにも拘わらず、己の視界に入って来ない世界及び左様な世界で生きている人達に直接接する事自体、刺激的で愉快なものであったのだ。

 其処で感じたのだが、近年異業種の方と交わり其の業種及び其れに付随する趣味や生活について話を伺う機会がめっきり減少している。数年前は異業種の方との交わりの方が寧ろ多かった位なのだが、此処一年なんぞは異業種の方と左様な会話を交わす機会など両手で数える位しか無かったような気がするのだ。そう考えると合コンなる催し、本来の意義を離れた処でも私にとっては大きな意味を持つものであると言えよう。


2001/07/11

旅欲の行方・中途半端な時に

 恐れていた事態が発生した。2001/06/13で懸念していたラーメン欲の暴発が現実のものとなり、遂に今週末福岡を訪れようと思い立つに至ったのだ。尤も目的は其れだけでは無く、門司散策及び小倉競馬観戦も兼ねたものとなって居る。どの時点でどの店舗のラーメンを食するのかを己の腹のこなし具合をシミュレートしつつ周遊予定地を検討し、行程を練り、愈々宿と交通手段を手配する段階に至った。

 処が非情にも、此の日の宿はどういう訳か何れも満室。様々な宿泊関連サイトを漁ったり宿に直接照会するも、福岡市内はもとより県内に於いても余程今回の旅行の目的とは関係無い交通の不便な箇所程度しか見つからぬ。週末迄にキャンセル待ちや旅行代理店を通してでも何とか手配すべきと考える一方で、此は此で私の暴走に歯止めを掛ける為に自然の力が作用したに違い無い、寧ろ其の力に感謝すべきではないかとも思っている。

 まあ考えてみればラーメン欲暴発の歯止め云々を言う迄も無く、博多どんたくに並ぶ年中行事の博多祇園山笠だの世界水泳大会福岡大会だのが重なり今年最も博多に人が溢れ返ると思われる週末に福岡に足を運ぼうとする事自体が抑もの誤りだと思えるのだが。


2001/07/10

 実は今迄内緒にしていたのだが、此のペイジのタイトル中の「嘶」という字だけを敢えて太字にしているのだ。尤も公表したからどうだの隠していたからどうだの、読者の側からすれば判明したからどうだの知らなかったからどうだのといった事は全く無いと思われるのだが。

 さて、其の「嘶」という字を眺めていて此の漢字が其の意味を端的に表現した非常に優れた文字に見えてきたのだ。左側を頭にした四本足の獣(而も「斤」の一画目がぴんと立った尻尾にすら見える)が口を大きく開けて嘶いている様子が其の儘漢字と化しているでは無いか。此ぞ正に漢字の神髄、此が獣心を擽るにうってつけの文章が並ぶページのトップに燦然と太字で輝いている様は玄にして妙と言う他在るまい。

 処で念の為、漢和辞典を繙いてみた。どうやら此の文字、象形文字では無く、其(竹で編んだ箕)を斤(斧)でばらばらにする様子に、声を表す口を付けて、「声が掠れてばらばらに分散する」という意味との事。私の喜びも敢え無く幻想に終わったのだ。


2001/07/09

PDA

 考えてみれば学生時代よりシステム手帳を持ち歩いていたのだが、此処最近ビジネスやプライヴェートを問わず持ち歩く機会が噸と減少した。兎に角持ち運びに嵩張る事、過去手帳に蓄積した私の情報群が陳腐化した事、そして暫く持ち歩かなくとも常に不自由する状態では無い事等が其の理由である。

 とはいえ実際にシステム手帳を持ち歩かずに不自由する機会が極偶に存在し、而もそういった機会に限って不自由の度合いが大きいのだ。名古屋に来て以来通勤でパソコンを持ち歩く機会も無くなった事で味わっていた不自由と併せて解決すべく、PDAを購入する事にした。

 PDAがOS別に三種類に大別されどれを選択するかから検討が始まり、それぞれのメリットデメリットを分析し、更にOSを決めた後に機種別の型録を丁寧に比較し、購入する商品を決定した次第。其れにしても私が商品購入に斯様にまめになる機会が一生にそうそう在るとも思えぬ。

 気の入れ様が尋常で無かったのは商品検討の段階に留まらず、購入にあたり日本橋(大阪市)の電気街迄足を運ぶ事となった。尤も最初から斯様な電器製品を名古屋で購入する気は毛頭無かったのだが(2000/10/21参照)。

 心中此と決めた商品を店内で探し求める。実際に手にしてみて其の感触を確かめ「うむ此で間違い無し」と迄確信しておきながら、携帯電話との親和性が極めて薄く、現在の私の通信環境に於いては所謂モバイル通信なるものが極めて不便と判明。此程迄の商品ならば当然周辺機器でサポートされて居ると確信していた機能が非常に脆弱であり、購入欲は一気に萎えて全く別の商品が空虚な心を満たすが如く私を虜にしたのだ。

 処が此の商品が運悪くも未発売の新商品。世間で喩えれば眼前に魅惑の異性が現われつつ指一本否会話すら能わぬ状況では無かろうか。明日の発売を前にPDA欲が暴発して在らぬ方向に進む事無きを只祈るばかり。


2001/07/08

青汁

 昨日青汁一週間分を買い込み、毎日飲用する事にした。実は此の歳にもなって青汁は初体験なのだが、先日来健康を意識して飲食を行う様心掛けている事(2001/06/04参照)、此処暫く青汁のTVCMで白熊が活躍している事、私が頻繁に眼にするサイトに於いて青汁が話題となる機会が多い事等から、青汁同様飲料による健康法として名高い飲尿には全く食指の動かぬ私も、コンヴィニで商品を発見するや否や一も二も無く購入に至った次第。

 口にしてみたのだが此が案外美味い。此の商品が特に美味しいのか知らぬが、野菜ジュースでありがちな妙な酸味が無く、舌を刺す程では無い柔らかい苦みと野菜の仄かな甘みが感じられるのだ。豆の冷製スープの旨味を限り無く抑えたら斯様な味になるのでは無かろうか。

 当初一週間分を購入した際、不味ければどうしようかと心配したのだが、此を毎日口にする分には何等問題は無い。只問題なのが、口にするに至る迄の手順が若干面倒臭いのだ。新鮮さが重要な商品の性質上、飲用の際には冷凍状態の商品を解凍せねばならぬ。更にビニール袋に入った状態であるが故、其の儘袋に孔を開けて直接口に運ぶと零してしまう虞があり、一々コップに移さねばならぬ。普段飲料をコップに移して飲む機会の極めて少ない私にとっては此の作業自体が面倒臭い。

 此等の問題を解決する名案を考えた。入浴の際に飲用すれば、解凍も浴槽内で行えるし、袋の儘口に運んで零れても然したる影響は無い。とはいえ幾ら何でも入浴中に左様な事をせねばならないのかという抵抗感を抱かずには居れぬ。暫くは面倒臭さに慣れる他無いようである。


2001/07/07

獣と寓居

 一年前に寓居を定めた際、フローリングの床を眼にしてふと「鹿や馬が訪れてきたら蹄で床が思いっ切り傷付くやろうなぁ」と思い、次の瞬間に「おれは何という非現実的な仮定を立てて想像を巡らせているのだ」と冷静になった事があった。

 さて昨日の事、先日遠方に転勤になったサル似の知人(1999/06/04等参照)が名古屋に来ていた為、数名で集まって飲食を嗜む事となったのだが気付けば午前様。宿も手配して居らずにカプセルホテルに向かおうとする彼の姿を見て急遽寓居に宿泊させる事となった。

 抑も来客を全く想定していない寓居、来客が身体を横たえる空間すら存在しない。幾ら省スペースの為とは雖も流石に此の来客と肉体を重ねて一夜を過ごすという訳にもいかず、来客を暫し室外に待たせる事数十分、汚さは其の儘で取り敢えず空間のみ作成した状態で立ち入って頂き、其の後彼の得意分野である風俗談義に花を咲かせ(こう表現すると恰も私自身も愉快な風俗情報を提供していたかの如く受け取られ兼ねないが、私は再三述べて居る通り風俗には足を踏み入れぬ為、あくまで風俗未経験者の立場で意見を交換していたに過ぎぬ)つつ心地良い眠りに就き、朝は起床したい時間に起こして頂く事となった。其れにしても狭い空間で充分な応対も出来ぬ中宿泊して頂いた上にモーニングコールまで行って頂くとは、恐縮する事頻りである。

 其れにしても一年前には寓居にサルを招くとは予想だにしなかった。此では予想していた鹿や馬が訪れる日も近いのでは無かろうかと楽しみにする次第。


2001/07/06

タイガース

 先日の夕刻に職場にてひょんな事からナゴヤドームのタイガース戦(対ドラゴンズ)のチケットを頂き、志を同じくする方と共に職場から直接ナゴヤドームへと向かった。

 タイガースリードとの情報を得た儘球場入りし、食事やタイガース土産を購入したりした後着席したのだが、事もあろうに其の瞬間同点に追い付かれたばかりか遂に逆転を許してしまったのだ。其の後若干の見せ場を造りつつも更に追加点を許すなどして九回表を迎え、帰りの混雑を懸念した我々は試合終了を待たずして帰路に就こうとした処、球場の外で敗戦を知った次第。

 其れにしても私は卯月にもナゴヤドームでタイガース戦を観戦しており、此の時もドラゴンズ相手に星を落としている。どうもナゴヤドームでの対ドラゴンズ戦と私との相性が悪いようであり、今度はドラゴンズ以外の相手との試合をナゴヤドームに観に行かねばと決意を固めた直後、ナゴヤドームがドラゴンズの球場である事に漸く気付いたのだ。タイガースの事を頭に置くと常識すら吹っ飛ぶ位自己中心的になってしまうのがタイガースファンの抱く数多のデメリットの一つであると言えよう。


2001/07/05

中年

 「筑紫哲也NEWS23」に拠れば、今朝外務省に消火器を持った中年男性が現われ、いきなり内容物をロビーにぶちまけたとの事。中年男性は其の場で取り押さえられ逮捕されたとの事で、テレヴィでは其の中年男性が取り押さえられる映像を報じていた。

 被疑者の中年男性の容姿は確かに私よりも優に十歳以上は老けている様に思える。しかし其の中年男性の年齢、私と同い年では無いか。中年男性の容姿と年齢とのギャップに暫し驚いた直後、大きな疑念が私の心中を支配する事となった。「中年」なる語が実年齢に基づき定義される限り、其の報道は私をも「中年」と断定した事になるのだ。広辞苑を繙けば中年を「青年と老年との中間の年頃。40歳前後の頃」としており、当該報道が先日の報道(2001/06/28参照)に引き続き誤用表現を用いているのか、「お前の説が間違ってるんじゃ」と広辞苑に喧嘩を売っているのか、「つべこべ言うな俺等に言わせたらお前ら皆中年なんじゃ」と当該被疑者及び私に喧嘩を売っているのかの何れかであると思われる。マスコミ及び広辞苑の双方が正しい日本語を主張しようとしていると考えるので在れば最後の説を採る他に無いのだが、一方で個人的に頗る不愉快なのも最後の説である。


2001/07/04

スパイスの謎

 愛知発祥とされる全国チェーンのカレー店「カレーハウスCoCo壱番屋」に足を運ぶ機会がめっきり増えた。職場の最寄り駅であり、信じられぬ事に20時にはほぼ全ての飲食店が店を閉じるという名古屋駅(因みに此の駅はJRや私鉄や地下鉄やバスターミナルが入り乱れ、名古屋市内でダントツで利用者数が多い筈なのだが)周辺に於いて、偶々「CoCo壱番屋」が深夜迄営業している為、仕事で遅くなった夜には自ずと足を運ぶ機会が増えるのだ。

 此処のカレー店の特徴として、具や御飯の量、カレーの辛さを自由にオーダー出来るという点が挙げられる。社会人になって暫く後愛知県で生活していた頃に初めて「CoCo壱番屋」に接したのだが、辛い物好きの私は此のシステムがいたく気に入り、スパイス料を余計に支払ってでも常識を少し超えた範囲の辛さのカレーを好んで食していたものだった。処が数年前から此の辛さの元となるスパイスが常に卓上に置かれ、オーダーの客が自由に辛さを強める事が可能となったのだが、此処で私は「CoCo壱番屋」に足を運ぶ度に大きな疑問を抱かざるを得ないのだ。

 オーダー時に辛さを強める様申し付ければスパイス料が掛かるのだが、卓上のスパイスを振り掛ければ幾ら用いようと無料であるのだが、一体何の為に二つのシステムを併存させているのか。有料のスパイスと無料のスパイスとでは質が異なるのか、異なるので在れば其の旨告知しなくても良いのか、同じで在れば何故片や有料片や無料なのか。店内で嬉々としてオーダー時にスパイスの追加を申し出る人を見掛ける度に、謎は愈々深まるのだ。


2001/07/03

単語登録

 先日職場に於いて人事異動及び其れに伴う大幅な配席変更があり私自身も僅か一年とはいえ慣れ親しんだ座席を離れる事となった。此の配席変更の為、従来用いていたパソコン端末を手放し、配席変更に伴い余剰となった端末を用いる事になったのだ。

 まるでパソコンを用いた業務の円滑化を妨げる為としか思えぬ位にカスタマイズの自由が利かぬ様此でもかと言わんばかりに制限が掛けてある端末に於いて辛うじてカスタマイズ可能な部分を弄くり、多少なりとも自分好みに調教する。頼むからもう少し日本語を身につけてから商品化されないものかと願って止まぬIME(2001/06/18参照)に先ずは自分の名を登録した後、既に必要な語が辞書登録されているかどうかを確認してみた処、大いに仰け反らざるを得なかった。

 様々な業務専門用語の中に時折顔を表す独特の専門用語。「好走」「凡走」「単勝」「馬連」「万馬券」等々。私が其の端末と巡り会うという機会を雌伏して待ち侘びたかの様に登録された単語群。業務専門用語を新たに登録する手間が省けた喜びに加えて予期せぬ事態に巡り会えた喜びを味わい、たかだかパソコンの単語登録如きで深い感動を覚えた次第。


2001/07/02

シミュレーション

 コンピュータ文明の発達がもたらした恩恵の一つにシミュレーションが頗る容易になった事が挙げられよう。災害の被害想定、航空機や電車の運転士教育等、実現不可能な事を擬似的に可能たらしめる点、手作業や実行動に比べて再現性や反復性が頗る高いという点等から様々な分野で用いられている。

 此等のシミュレーションは寧ろ娯楽面に於いて遍く活用されている。戦争物や格闘物から運転物や飼育物に至る迄、此に自己がゲームの中の主人公として登場し活動するロールプレイングを含めれば、コンピュータゲーム等に於けるシミュレーションの支配力は生半可なものでは無い。

 さて、近年阿呆な若者達が容易に非行や暴力や殺人に走る原因の一つとして、彼等が斯様なシミュレーションゲームで育った為に、ゲーム上で繰り広げられる疑似体験と実際の犯罪との間の境界が認識しにくくなっているという説が囁かれ、此の種のシミュレーションゲームに於ける暴力シーンや殺人シーンを抑制すべしとの声が一部に存在する様であるのだが、私は此の後半の意見には与しない。寧ろ斯様なシーンをゲームでシミュレートさせた上で同時に、ゲーム上に於いて己の行った暴力や殺人がどのような罪に値するのか、世間からどのように評価されどのように受け容れられるのか、そして逆に自分自身が其の被害者となった場合にどの様な事になるのか、此等をゲーム上で同時にシミュレートさせる方が寧ろ効果的なのでは無かろうか。重大な犯罪を平然と犯しては「こんな大事になるとは思わなかった」などとええ歳こいてほざく阿呆な若年犯罪者のコメントを耳にするにつけ、シミュレーションを活用すべき分野が未だ大きく残されているのでは無いかと思うのだ。尤も此の分野、本来親なりが真っ先に踏み込むべき領域なのだが。


2001/07/01

検索エンジン・2001/06

 恒例の「エゾシカの嘶き」へのアクセス解析による検索語ランキング、今回の検索語第一位は前回に引き続き「包茎写真」であったのだが、「包茎写真」で「エゾシカの嘶き」に訪れた方々の、総アクセス数に占める割合は2%と、其れは其れで多いながらも前回(2001/06/01参照)の4%からは若干シェアを落としている。其の結果、二位の「強制女装」とは僅か鼻差の勝利となったのであった。

 そして今回注目すべきが、三位に半馬身差で「エゾシカ」が登場したのだ。普通に考えれば「エゾシカの嘶き」を訪れるのに此程迄に自然な検索語は無かろうと思われるのだが、上位にランクインしたのは今回が初めてである。しかし其れでも「包茎写真」や「強制女装」に敗退するとは。尤もランキング一位を経験した大御所の「陰茎写真」や「強姦小説」に対して勝利しているからまだ良かろうが。

 今回ランキング中で目立ったのが「合歓の里」関連のキーワード。私が足を運んだ際には休日であったにも拘わらず人も疎らといった状況だったのだが、密かに潜在需要が高いのであろうか。他に注目を惹いたのが、何かを知ろうとしている様が一見して判るキーワード。「陰茎 大きく 方法」「包茎って何?」「タンポン入手方法」など、何れも「エゾシカの嘶き」を訪れながら何等解決が得られずに失望している様子が目に浮かぶ。

 さて、今回も私を悩ますキーワード。「逮捕 松本孝弘」。而も一件のみならず存在した。2001/04/02に続きまた何かしでかしたのか、B'zのギタリスト。


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