古代核戦争の痕跡〜Moenjodaro
 
古代核戦争の痕跡
〜 Moenjodaro
 

   古代インドの叙事詩「マハーバーラタ」にこんなくだりがある。
「無数の矢が空を覆い、炎に包まれて落下した。不吉な風が巻き起こり、太陽は光を失った。雲は雷鳴を轟かせ、血の雨を降らせた。畏れおののいた鳥や獣が、その場から逃げ出そうと暴れ回る。水は熱せられ、矢に灼き焦がされた兵士たちは炎に包まれた樹木さながらに次々と燃え上がる。それはまさに世界の終わりに一切を焼き尽くす業火のようであった」
 CGを駆使したSF映画に慣れている現代人には特に違和感がないが、これが書かれたのが紀元前500年頃だったことを考えると俄然話は変わってくる。物語は戦争の場面なのだが、ミサイルはおろか銃火器の類さえなかった時代に、果たして想像力だけでここまで具体的な描写ができるものだろうか。
 ポイントは四つある。飛行する火器が使われたこと。衝撃波が生じ、それにより光を遮るほどの土埃が巻き上げられたこと。着弾後に雨が降ったこと。強烈な熱線が生じたこと。
 こうした表現から僕たち日本人は何を想像するだろうか。いや、日本人でなくとも同様の想像をする人物がいた。放射性元素の研究でノーベル化学賞を受賞したイギリスの科学者、フレデリック・ソディだ。原爆が発明される30年以上も前、彼はマハーバーラタの記述を基に「遠い昔に原子力を操る文明が存在したが、使い方を誤り滅亡した」と指摘した。
 もうひとり紹介しよう。人類初の原爆実験であるマンハッタン計画を成功させ「原爆の父」として名高いオッペンハイマー博士だ。彼は後にアラモゴードでの原爆実験が本当に世界初だったのかと問われ、こう答えている。「ああ、少なくとも近現代においてはね」。
 ところで、オッペンハイマーがニューメキシコの砂漠で最初の実験を行ったとき、奇妙な現象が観測された。爆発の高熱により砂漠に含まれるシリコンが一瞬にして溶解し、緑色のガラス状に固化したのだ。以後、各国が相次いで核実験を行うようになるにつれ、この現象は揺るぎない事実として広く世界に知られることとなる。
「あっ、あった」
 1cmにも満たない緑色の破片を指で摘むと、僕は寄って来た妻に見せた。
「ホントだ。ガラスみたい」
「こんなに簡単に見つかるとは思わなかったよ。なんだか拍子抜けするな」
「見て。あっちこっちに落ちてる。ひょっとして、全然珍しくないんじゃないの?」
 そう、噂では知っていたが、この遺跡では本当に地面のいたるところに件のガラス固化物が転がっていた。砂場で石英を探すのと同じくらい訳もない作業だ。
「被爆時のままってことか」
「残留放射能は大丈夫なのかしらね」
「まあ、広島も長崎も今は普通に人が住んでるからね」
 モヘンジョダロ最大の謎。それは滅亡の理由が全く不明なことだ。高度な都市計画により建設された街から、あるとき忽然と住民が姿を消した。どこかに移り住んだのか、はたまた死んでしまったのか、それすら定かではない。
 しかし、かつて興味深い発見があった。路地だった場所から数十体にも及ぶ人骨群が見つかったのだ。それらは互いに手をつなぎ、織り重なるように倒れていたという。まるで一瞬のうちに命を奪われたかのように。
 彼らを襲ったのは何だったのか。そして、それが解明される日がいつか来るのだろうか。
 

   
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岐路のパキスタン
 

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