岐路のパキスタン〜モヘンジョダロ
 
Moenjodaro
 
 
モヘンジョダロ
 

 
カラチ←パキスタン航空国内線→モヘンジョダロ
 


       
 
謹賀新年
この日は元旦。しかも朝6時。今年最初に見たテレビがこれでした。イスラム聖職者による説教の時間。うーん、ありがたいといえばありがたい。
 
インダス河
6:30発のフライトに合わせてモーニングコール3:30だったもんだから、まだ頭の中が朦朧。でもインダス河はすぐにわかりました。何しろ文明の源ですからね。
 
国際空港
小さな平屋の建物には「モヘンジョダロ・インターナショナル・エアポート」。ここはカラチやイスラマバードと並ぶ国際空港なのです。隠岐空港の方が何倍も大きかったけど。
 

 
モヘンジョダロ遺跡
 


  インダス文明の代名詞モヘンジョダロ。世界最古の可能性、民族が不明、文字が未解読、階級差が見当たらない、神殿が未発見、核爆発の跡と思しき遺物の存在、そして何より滅亡の原因が未だにまったくわからないという、限りなく謎に満ちた遺跡です。  

       
 
5000年前の世界
空港から車ですぐ。いよいよ5000年前の世界へと足を踏み入れます。ワクワクしてくるなあ。何しろ今回の旅の最大の目的地ですからね。
 
タイムトンネル
手すりも何もなく、ただ上空に真っ直ぐに伸びる階段。これが遺跡への入り口です。まるでタイムトンネル、というか、この世とあの世をつないでいるみたいです。
 
ストゥーパ
「死者の丘」を意味するモヘンジョダロの名前の由来となったストゥーパ。しかしこれ自体はクシャーナ朝時代(2世紀)のもので、インダス文明とは関係がありません。
 

       
 
DK地区
ストゥーパからはほぼ遺跡の全景を見渡すことができます。遠くに見えるのは上流階級の居住区だったと推定されているDK地区。その向こうをインダス河が流れています。
 
城砦地区
ストゥーパの裏手に拡がる市街地。都市計画に基づいて整然と区画された街並は、インダスが高度に秩序立った社会だったことを示しています。
 
沐浴場跡
モヘンジョダロの呼び物のひとつがこれ。近くで見るとけっこうしっかりした造りをしていて、なるほど、これなら何千年も保つかもしれないなと思わせます。
 

   
下水道
インダス文明の特異さを最もよく象徴しているのが下水道。各家庭から出る排水路を集めるように公共下水路が造られています。ご丁寧に蓋まで被せてあります。同じレベルのものがヨーロッパに造られたのはほんの100年前だって知ってました?
   
異星人説
このようなインフラは全構成員の社会的立場が平等でなければ難しいはず。現代の先進国以上に理想社会に近いということです。他の四大文明とは社会を構成するにあたっての思想があまりに違うことから、インダス宇宙人紀元説まで語られています。
   

       
 
浴槽
沐浴場の中に降りてみました。側壁や床に一分の隙もなく煉瓦が敷き詰められているだけでなく、排水時のことを考えて底には緩やかな傾斜をつけています。
 
水も漏らさぬ
見てください、この隙間なく敷き詰められた煉瓦を。水漏れしそうな感じが全然しません。技術レベルとしては現代にほぼ匹敵するのでは。
 
10ルピー札
10ルピーの紙幣の裏に描かれているのが、まさにこの光景。ストゥーパの麓に拡がる街並跡。だから絶好の記念写真ポイントとなるわけです。
 

       
 
個室浴場
驚いたことに、インダス文明は共同浴場のみならず、個々の家庭にも浴室を持っていたのです。現代の先進国と比べてもなんら遜色がありません。そこまで進んでいたのか。
 
遺跡跡
モヘンジョダロの最大の敵は「風化」。土を固めた煉瓦が素材なだけに、放っておくと朽ちて砂に戻っていってしまうのです。かつての遺跡があちこちで砂山に変貌しています。
 
現役の井戸
鉄条網の外から覗いてみると、思いのほか深い。そして今でも水が残っています。使おうと思えばすぐにでも使えます。大河の畔で地下水脈が豊富なんだ。
 

   
煉瓦の道
インダスは煉瓦の文明でした。建物はおろか道路や下水道といったインフラに至るまで、ありとあらゆるものが煉瓦で造られていたのです。この道路では同じサイズの煉瓦を互い違いに組ませて構造的に強度を高めるという工夫が施されています。
   
古代のトイレ
ここも記念写真のポイントとしては大人気。和式か洋式かは今もって不明ですが、煉瓦で組み上げられた台座もしくは便座に、しゃがんで、もしくは腰掛けて用を足したわけです。その後は下水道へとつながります。この写真は和式スタイルで撮ってみました。
   

       
 
分譲地
一軒ごとに区画がきっちりしていて、現代ならニュータウンって感じですかね。古代なのにここまで計画性のある街並って、なんだか薄気味悪くもなってきます。
 
下水道跡
これも何らかの下水道らしいのですが詳細は不明。かなり大きいので、道路の下に埋められた共同溝的なものだったのではないかと思われます。
 
VS地区
道路が舗装されているんですよ。すごいでしょ。もちろん素材は煉瓦。斜めに互い違いに組み合わせて強度を増すといった工夫もしているのです。
 

   
用水路
DK地区は上流階級の街だけあって、あらゆる建造物がゆったりと大規模に造られています。左は下水道ではなく、運河とか用水路といった施設だったようです。右は超有名なダストシュート。各家庭から公共下水道へとゴミを捨てることができました。
   
インダス文字
インダス文字は書かれてある遺物自体が少ないだけでなく、世界中のどの言語との関連性も明らかになっていません。そのため解読を絶望視する声さえあります。この標識も「こう書かれてあるものが出土した」というだけで、意味は全くわかっていません。
   

       
 
2階建て
最も保存状態の良い住宅がこれ。二階部分の煉瓦がかなり残っています。しかし中は意外と狭く、東京の賃貸アパートとあまり変わりません。土地はふんだんにあるのに。
 
井戸
住宅街の真ん中に屹立する井戸。建物よりも井戸の方が背が高いことに違和感を覚えます。もっと上により新しい街があったのかもしれません。
 
銀座通り
モヘンジョダロきっての繁華街だったと考えられているのがここ。道幅は当時のまま。ということはかなりの大通りだったに違いありません。
 

   
崩壊の理由
隙間なく積まれていた煉瓦が上に行くほど粗くなっています。これは時代とともに人心が荒廃し、作業が雑になっていったことを表わしているそうです。モヘンジョダロの衰退の原因となったのは、こうした繁栄の果ての退廃だったのかもしれません。
   
教訓
文明を築くのも滅ぼすのも人。半ば壊れかけた遺物は現代への教訓を伝えているようです。と同時に、長い年月の間にはどうしたって煉瓦がずれてきます。地震があったのか、それとも構造上の問題があったのか。あれこれ想像してみるのも楽しいですね。
   

       
 
坂道も克服
モヘンジョダロの建築技術は坂道をも克服していました。斜面の角度に合うように削った煉瓦を隙間なく並べています。けっこう几帳面な仕事をしていたんですね。
 
多層遺跡
この下にはまだ何層もの遺跡があるのですが、掘り出すと風化が進んでしまうため全然発掘されていません。発掘済みの部分も保存のめどが立っていないそうです。
 
消えた人々
ハラッパと比べると見事なまでに街並が残っています。つい昨日まで人が住んでいたと言われても不思議ではありません。ますます滅亡の原因が謎とされるゆえんです。
 

 
モヘンジョダロ博物館
 


   
クリケット
遺跡入口の反対側にはモヘンジョダロからの出土品を集めた博物館があります。その前の芝生は絶好のクリケット場。幼稚園児くらいから高校生くらいまで、大きさの違う子供たちが一緒になってボールを追いかけていました。小さい子には大きい子が手加減をしてあげたりして、うーん、微笑ましい。
   

   
ウルドゥー文字
パキスタンの公用語であるウルドゥー語で書かれたジュースビン。左からスプライト、コーラ、オレンジ。まあ、見れば中身が何かはわかるからいいんだけど。インドのカンパコーラと違って、まねっこではなく一応ライセンス生産品らしいです。念のため。
   
美的センス
博物館そのものは小ぢんまりとしていながら、なかなか興味深い展示でした。下手な動物像とか、下手な人物像とか。だって、塑像ひとつとっても牛なのかカバなのか、はたまた伝説上の獣なのか、わかんないんですよ。建物の外観はカッコいいのに。
   

   
ふれあい
観光客のランチボックスやボールペンに群がる子供たち。手は泥だらけで足は裸足。でも何もあげなくても握手をするだけでニコニコと大喜び。一緒にぐるぐると回ったり、手をつないで走ったり。心を通い合わせるのに必要なのはモノやカネじゃないのです。パキスタンで一番幸せな時間でした。
   


   

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