日パ井戸端会議〜Lahore
 
日パ井戸端会議
〜 Lahore
 

   16世紀から19世紀にかけインド亜大陸を支配したムガール帝国。南アジア史に燦然と輝くこの大帝国において、ラホールはデリーやアーグラと並ぶ都のひとつだった。そのため当時からの歴史的建造物が今も多く残っている。
 「Lahore is Lahore」という言葉がある。「ラホールのように美しいのはラホールだけ」という意味だ。訪れたことのない人にはピンとこないかもしれないが、なるほど、実際に来てみると確かにその言葉に嘘はない。
 ラジャスタンの赤砂岩を使用したインド・イスラム様式とイギリス植民地時代に育まれたビクトリア様式が混じり合い、格調高い景観を作り上げている。目抜き通りは広く、整然と生い茂る街路樹の緑が目に心地よい。行き交う人や車もどこか穏やかで、落ち着いた風情が感じられる。まさに古都と呼ばれるにふさわしい。
 その代表がバドシャヒ・モスクだ。ムガール帝国の最盛期であった第6代皇帝アウラングゼーブの時代に建てられたこのモスクは、今でこそイスラマバードのシャー・ファイサル・モスクに世界最大の座を奪われたものの、壮麗さは依然として特筆に値する。
 威圧感たっぷりの門楼をくぐると巨大な中庭が現れる。礼拝時には9万人が収容可能だというが、当時世界最大級の都市だったとされる江戸ですら推定50万人だから、その規模の凄さが知れよう。試しに対面まで走ってみたが、辿り着く遥か手前で息が切れた。
 建物内部は大理石を基材とし、シンプルな幾何学模様の装飾が施されている。窓から射し込む光がアラベスクのように床を照らす。偶然なのか、それとも計算したのか、その美しさはまるで神の御業のようにすら思えてくる。「静謐」という言葉が似合う素敵な空間だ。
 バドシャヒ・モスクの向かいには歴代皇帝の居城だったラホール・フォートがある。当然こちらもムガールの伝統に従い赤砂岩の、と思いきや、門は何と漆喰造り。威厳のかけらも感じられない。下手をするとハリボテだ。
 それでも広大な敷地の中には時の主たちが築いたそれぞれの間が配置されていて、こちらは各人の特徴を生かした建物となっている。違いを見比べて歩くのも楽しい。
 ラヴィ河を渡った郊外には第4代皇帝ジャハーンギールの廟がある。赤砂岩と白大理石を組み合わせた本体は「これぞインド・イスラム様式」。象眼細工を彫り込んだ柩もムガールの伝統を正しく継承している。タージ・マハルにも通じる一流の美的センスだ。
 角度を変えて写真を撮っているうちに、気がつくと墓室には誰もいなくなっていた。そろそろ集合の時間かもしれない。慌てて外に出ると妻は門の近くで現地の観光客と話し込んでいた。全身黒のシャルワール・カミーズを着た婦人だ。
「グジュランワーラーから来たんだって。家族旅行だそうよ」
 紹介されたので僕も軽く会釈をしたが、すぐにまた女ふたりの会話が始まった。ときおりゼスチャーを交えながら、いつまでたっても終わる気配がない。内容はこれといって他愛がなさそうだが、しかし、言語は英語だ。これには驚いた。妻とは長い付き合いだが、いくら記憶を辿っても彼女が英語が達者だった覚えはない。
 おお、ひょっとしてこれが井戸端会議の神髄なのか。主婦の力は国籍によらず、言葉の壁をも易々と越えてしまうのか。
 順応度で明らかに上回る妻を横目に、添乗員に通訳してもらってはじめてガイドの説明に頷く僕だった。
 

   
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岐路のパキスタン
 

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